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1話
しおりを挟む白狼にせっせと貢物をしていた燕が自害したという話は、承乾宮の者たちに少なからず衝撃を与えた。しかも皇后に毒を盛ったという一大事件を起こした張本人として、貴妃に命令されたという遺書まで残している。
尚宮付の後宮宦官から情報を聞き出してきた周が宮の者にそれを話すやいなや、白狼は抱えていた塵箱を投げ捨てた。
「嘘だろ!」
床にぶちまけられた塵を見つめていた小葉が嗚咽を漏らす。なんだかんだ言いつつも、毎日のように白狼に会いに来ていた下女をほほえましく見ていたのだろう。黒花が小葉の肩を抱き、周に話の続きを促した。
「詳細はまだ不明です。徳妃の宮ではなく、庭園の隅で首を吊っていたそうで遺書は足元にきちんと畳まれていたと……」
「なんでだよ! なんで燕が皇后に毒なんて盛るんだよ! あいつがそんなことするわけ、いやできるわけないだろ!」
「貴妃に命令されたらしいが、まだそこまでしか分からんのだ」
「だったら貴妃捕まえればいいだろ!」
「落ち着け白狼。周に怒鳴り散らしてどうする」
どうしようもないことは分かっている。しかし腹の中から湧き上がる怒りが収まらない。白狼は強く唇を噛んだ。前歯が食い込み、その隙間から赤いものが滲む。口の中に流れ込んだそれは金属の味がした。
苦々しい思いで主を睨めば、当の本人は落ち着き払った様子で椅子に座り腕を組んでいた。その冷静さが腹立たしく、白狼は拳を握った。
「それにしても、遺書と言うのが気になる」
「はい。私もそれが気になり聞いてみたのですが、どうやら徳妃の宮は下女に手習いもさせていたとかで」
「なるほど、面倒見が良い。それで書けたのか……」
銀月は目を伏せながら唇に人差し指を当てた。
「とはいえ、燕とかいう下女は徳妃付きになってまだ半年も経っていなかったのでは? それを遺書が書けるほど、しかも貴妃の陰謀であると告発できるほどの文章を書けるものだろうか……」
帝姫の疑問はもっともな事だ。自分の言いたいことをきちんとした文章にして書くということはある意味特殊能力に近い。
この国全体で見れば識字率はそこまで高くない。街に住む商売人はそれなりに読み書きができるものが多いが、農村地帯に行けば文字のやり取りがほとんど必要ないので識字率がぐっと下がるためだ。後宮に下女として働きに来る者は多くが貧しい農村の娘なので、燕が読み書きができなったとしても不思議ではない。
それに対しはじめは驚かれたが白狼は文字が読める。スリ稼業を行う上で物の相場を知る事は大切だったし、「商売相手」がどういう商売をしているのかを持っている手紙や帳面から推測するために必要だったからだ。
半面、字を書く事は不得手である。書けなくはないが、改めて習ったことがないため決して美しい文字にはならないし、文章となるとからっきしだった。「わたしはさけがすきです」程度の簡単な言葉を組み合わせた短文がせいぜいだ。
銀月は白狼と目を合わせた。
「燕とやらが読み書きを習っていたとして、半年に満たぬ程度の手習いでどの程度書けるようになると思う?」
悠長な問いかけに白狼は奥歯をぎりっと噛み締める。
「……単語は、書けるだろう」
「文章にはなるか?」
「分からねえ。単語を組み合わせて並べることはできる。けど、」
難しい文章となると無理だろう。おそらく、言葉を繋げる言葉を上手く使いこなせないはずだ。そして難しい単語になればまだ文字として書くこともできないに違いない。
答えながら、白狼は銀月が考え込んでいるその内容を察した。
「……誰かが、燕がやったことにした……!」
「……確証がある話ではない」
聞こえるかどうかも危うい呟きを銀月が拾って頷いた。
燕は巻き込まれただけかもしれない。誰に、と言うのはまだ分からない。あの騒ぎの中、貴妃の様子はどうだったか。割と軽率な女だ。あり得ないと断言はできないが、かといって絶対やるだろうとも言えない。皇后と毒見の女に気を取られ、しかも白狼自身も嘔吐剤の影響ではっきりとは見ていなかったのが悔やまれる。
ちっと舌打ちをすると、銀月も小さく首を振った。
「確証がある話ではないし、あくまで私の憶測だ。ただ、調べてみる価値はあるかもしれん」
「姫様、余計な動きをしては、皇后にこちらもいたくない腹を探られかねません」
「分かっている」
主思いの翠明が眉をひそめたが銀月はそれを遮る。
「あくまで憶測と言っている。どちらにせよ、皇后と貴妃、そして徳妃がお互いに潰しあってくれればこちらも都合がいい。それぞれの宮の動きを調べておけ」
側近たちが了承の意を込めて頭を下げた。
が、白狼はおとなしく調べを待つつもりはない。投げ捨てた塵箱にさっと塵をかき集めると、それを抱えて宮の外に出た。行先は焼却場――ではなく庭園だ。
にこにこしながら毎日おやつを差し入れに来てくれた燕が自害したなど、まだ信じられない気持ちである。周が仕入れた情報も、どこまで本当かもわからない、もしかしたら聞いた名前も違ったりするかもしれない、とわずかな希望、いや願望を胸に白狼は走った。
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