5 / 38
第五話 世界
しおりを挟む蔵書室の中を、これまでで一番大きな叫び声が響き渡った。本棚が振動し、何冊かの本が棚からこぼれ落ちる。
ひとしきり叫び終わり、部屋の隅に縮こまって退避した雄一は、肺活量が限界に達したタイミングで声を落とした。
「ごめんねぇ、大丈夫?」
「…………あれ?」
注意深く観察してみると、宙に顔が浮かび上がるというのは単純な話。魔石の光を顎の下に持ってきた事によって、顔面が暗闇の中で強調されたと言うだけのこと。
雄一の目の前には、しっかり二本足で立つ人間が居た。
長身に、ウェーブのかかった緑色の長い髪。少し和を感じさせるファンタジックな衣装は、胸元が大きく開いて、巨大な胸が今にも零れそうなほどラフな物だった。
健全な男子高校生には、目の毒と思わせる衣装に、無意識に鼻の舌を伸ばす雄一。
奥扉に目をやると、半開きだった扉はいつの間にか閉じている。
おっとりとした表情をにこやかにほころばせ、その女性は雄一に話しかけてきた。
「こんにちわぁ」
「こ、コンチワ…………幽霊じゃ、無いよな?」
「一応生きてるつもりだよぉ? そう言う貴方はどちら様? 使用人さん?」
雄一の服装は使用人服。しかしこの城で働き始めた新入りであり、未だ出会ったことのない人間は多い。
特に、目の前のようなエロティックな衣装に身を包んだ美女を見れば、忘れるほうが難しい。つまりは、雄一とこの女性は初対面であるということだ。
床に投げた自分の尻を持ち上げて、ホコリを払って咳払い。雄一は先程の醜態を拭うように、今更ながら表情を整えた。
「ゴホンッ! あー……俺、昨日から働いてる佐山雄一。よろしく」
「ご丁寧にありがとう。私、アエレシス・レディ・シルエット。王宮付きの魔法使いです。アエルって呼んでねぇ」
朗らかに微笑むアエルを前に、思わず雄一は頬を染めた。
「えと……さっきはお恥ずかしいところを……」
「あー!」
頬を掻きながら、先程の弁明をしようと口を開いた雄一を遮るように、アエルが突然声を上げた。
何かを思い出したかのような表情を浮かべると、雄一の顔に指を指した。
「ユーくんってアレだぁ! シルちゃんが言ってた勇者様!」
「ゆ、ユーくん? シルちゃん?」
納得の言ったようにウンウンとうなづくアエルを他所に、雄一は先程呼ばれた名前について考えた。
ユーくんというのは、恐らく雄一のことだろう。しかしシルちゃんとは…………なるほど、シルフィのことである。
喉に刺さった魚の小骨が取れたような感覚。安易と呼べなくもないあだ名に苦笑いを浮かべつつ、雄一はアエルに疑問点をぶつける。
「あの……アエルさん?」
「アエルで良いよぉ?」
「じゃあアエル。俺のことをお姫さんから聞いてるのか? 具体的には、どのくらい?」
「異世界から召喚されて、魔力のない勇者まがいの一般人……だったかなぁ」
「……大体合ってるけど、その呼び方……やっぱ、まだ怒ってるんだろうなぁ」
”一般人”という呼び名に、侮蔑の意図を感じる雄一はため息を付いた。
一重に雄一の責任であるシルフィの怒りは、一日二日の時間経過では、自然鎮火は難しそうであった。
「でもそうか……なぁ。お姫さんの様子ってどんなだった?」
「怒ってたよぉ?」
「……で、なくて。俺を元の世界に帰す方法の研究とやらだよ。進んでそうか?」
「ああ、そっちかぁ。うーん、ちょっと難しいかなぁ。召喚魔法って、まだ研究段階の技術だからぁ、帰す魔法となると時間がかかっちゃうかも」
「時間……ってどのくらい? 一ヶ月とか?」
「三百年くらいかなぁ?」
「ぶっ!? んなもん待てるか! 人生何回分だよ!」
提示された時間は、人間ではおおよそ耐えることの出来ない年月。あまりに出鱈目な数字に、雄一は吹き出すと同時にツッコミを入れた。
元の世界に帰る方法について、シルフィの台詞から楽観していた雄一。しかし、アエルの言った数字が本当だとするならば、悠長に使用人などやっている場合ではない。
城への軟禁状態など即刻解除してもらって、ファンタジーよろしく、冒険なり何なりしつつ帰る方法を見つけるべきだ。雄一は自分の置かれた状況が、あまりよろしくないことに焦りを感じた。
「あ、でも。シルちゃん天才さんだから。もっと早く帰還魔法を開発出来るかもしれないよぉ?」
「…………どのくらい?」
「八十年くらいかなぁ?」
「浦島太郎か! 白髪オンリーのじいちゃんになっちゃってるよ!」
ちなみに、日本人男性の平均寿命は約八十歳なので、死んでいる確率のほうが高かったりする。
そもそも、そんなヨボヨボな状態で元の世界に戻されても困るだろう。それだけ待てば、永住を決意するのに余りある時間だ。
ひとしきりツッコミを終えた雄一は、乱れる呼吸を整えて頭を冷静にしようと深呼吸。その御蔭かどうなのか。ひとまず落ち着くことに成功した。
「オーケイ……じゃあとりあえず、お姫さんに直談判と行こうか」
「それは止めたほうが良いんじゃないかなぁ。シルちゃん、張り切って休まず魔法研究してたから。余計な一言を言っちゃうと、もっとへそ曲げちゃうかもねぇ」
「よし、なら止めておこう」
シルフィが全力を尽くしてくれているのならば、自分に出来ることは無い。そのような方向に諦めて、雄一は雄一で独自の情報収集をする。最初期の方法を地道に続ける他ないと決意した。
という訳で、蔵書室にやってきた最初の目的を思い出した。つまり、獣人とギフトと言う言葉の意味を知ることである。
そして、目の前には朗らかながら、王宮付き魔法使いと自称するアエルが居る。つまり、恐らく頭が良いであろう人間が居るのだから、わざわざ本を探す意味もない。
しかも彼女は、雄一がこの世界に関して無知な理由を知っている。ならばと雄一はアエルを見定め、口を開いた。
「ちょっと調べ物をしに来たんだけどさ、良ければこの世界のことを教えてくれないか?」
「ああ、そう言えば異世界から来たんだったねぇ。私で良ければ説明するよぉ?」
快諾するアエルは、蔵書室の壁の一部を魔石で照らす。そこには黒板のようなものが有り、備え付けられたチョークのようなものを取り出した。
「なんだか暗いねぇ」とつぶやくと、指をパチンと鳴らした。その音に呼応するように、蔵書室の中を照らしていた淡い魔石の光が強くなり、ホラーテイストな雰囲気が払拭された。
「それで、何が知りたいのかなぁ?」
「えっと、獣人とかギフトとか……と言うか、いっその事世界観をまるっと知っておきたいかな」
「そうだねぇ……じゃあまずはこの世界の人種構成からかな? この世界は大きく分けて三種類の人種がいます。ユーくんみたいな人間と、人間と獣の器官を有する獣人。そして私、エルフの三種類ね」
黒板に気の抜けるようなイラストが描かれて説明が行われる。
「アエルってエルフなのか? エルフって耳が長いんじゃなかったっけ?」
「耳? ユーくんの世界のエルフがどうかはわからないけどぉ、こっちでは人間と変わりないねぇ。魔力が極めて高いのと、瞳の色が金色っていうのが特徴かなぁ」
アエルは自分の瞳を指差した。非常に透き通った金色の瞳。まるで宝石のように光り輝き、いっそ吸い込まれてしまうのではという感覚が雄一を襲う。
「……もしかしてアエルって、俺より相当歳上?」
「女性に年齢聞いちゃ駄目だよぉ」
オブラートに包みこんだ常套句であるが、彼女の瞳は「それ以上聞いてはいけない」と言っていた。
「話を戻すけどぉ、エルフは今言ったように魔力が最も高い人種。次点で人間。獣人は魔力を一切持たない人種なのぉ。だから、魔法に通じる人なら見分けるのは簡単というわけ。特徴をいかに隠してもね」
「魔力を持たない……でも、俺は人間だけど魔力なんて持ってないって言われたぞ? それは、異世界人だからか?」
「そうかもしれないけどぉ、例外もあるの。それがさっき言ってた”ギフト”って力に関係するんだけどねぇ」
黒板の上をチョークが走る。異世界の文字が並び、イラストともに黒板を埋めていった。
それぞれの人種イラストに”ギフト”と言う文字から矢印が引かれ、人間と獣人には丸印が。エルフにはバツ印がつけられた。
「”ギフト”は『持たざりし者への祝福』とも言われるの。簡単に言うと、魔法でも再現が難しい超能力。そしてこれは、魔力を持たない一部の獣人。もしくは、先天的に魔力を持たない一部の人間に与えられる能力なの。だから魔力を大量に保有するエルフは、この能力は保有出来ません」
「じゃあ俺にもその”ギフト”って奴が……」
「”かも”だけどねぇ。異世界の人の常識はわからないから。こっちの世界だと、魔力を持っていない人間は全員”ギフト保有者”と羨ましがられるんだけどぉ」
「ああ、だからデックスも……ちょっとワクワクするな。例えば、どんな能力があったりするんだ?」
「うーん、本当に千差万別で確認例もあんまりないからなぁ…………例えば、瞬間移動。一瞬で別の場所に転移することね? 他には物体をすり抜けることが出来たり、未来を覗くことが出来たり。かなぁ。ちなみに、同じ時代で全く同じギフトを持つ人はいないみたいだよぉ」
まさしく超能力。地球世界におけるエスパーやサイキッカーのようなものだと、雄一は解釈した。
「で、ユーくんの世界じゃ違うかもしれないけど、人種別のいざこざも教えておくねぇ? 一応知っておいたほうが、トラブルも避けられると思うから」
アエルの朗らかの表情は、少し影を落として真剣な顔つきへと変化した。
黒板に描かれたギフトの下りを消して、新たな項目を書き連ねる。書かれたのは”人種差別”と言う単語であった。
「この世界で最も勢力が大きいのは人族なのぉ。次点でエルフ。最後に獣人ね? で、これは力関係でも同じことが言えるんだけどぉ、特に獣人はかなり酷い扱いを受けてるの」
「酷い扱い?」
「つまり…………奴隷」
言いにくそうに眉をひそめるアエルにつられ、雄一も表情をしかめた。
「この国、モントゥ王国では奴隷制はないけどねぇ。それでも獣人の入国は基本的に許可されていないし、獣人たちとの交流も無いに等しいの。一方で他国では、厳しい奴隷制度が敷かれているところが大半。獣人は人間に比べて身体能力が格段に高いからぁ、便利だと思われてるんだねぇ」
「…………嫌な話だなぁ」
「そうだねぇ。獣人は優れた戦士が多いって聞くけど、魔力を持たないっていうのはそれだけで差を生んじゃうの。奴隷以外の獣人は数も少なくなってるから、人間への対抗手段と言えば卑怯な方法。つまり、民間人相手のテロ活動が主な手段なの。よって奴隷でない獣人は即捕縛対象。人間の獣人に対する悪感情は相当なもの。だからユーくんも、安易に獣人のことを口に出しちゃ駄目だよぉ? どういう感情があっても……ね?」
それが常識であるこの世界の住人のアエルでも、思うところはあるのか、その表情は複雑なものだった。
雄一に与えた忠告も、差別意識や自分の考えに基づくものではなく、単純にこの世界の常識の外側に居る雄一の、身の安全を考えたものであった。
雄一は深く息を吐いて、イスの背もたれに体重を乗せる。ワクワクするファンタジー世界でも、現実は現実。複雑な気分を味わっていた。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
魔法公証人~ルロイ・フェヘールの事件簿~
紫仙
ファンタジー
真実を司りし神ウェルスの名のもとに、
魔法公証人が秘められし真実を問う。
舞台は多くのダンジョンを近郊に擁する古都レッジョ。
多くの冒険者を惹きつけるレッジョでは今日も、
冒険者やダンジョンにまつわるトラブルで騒がしい。
魔法公証人ルロイ・フェヘールは、
そんなレッジョで真実を司る神ウェルスの御名の元、
証書と魔法により真実を見極める力「プロバティオ」をもって、
トラブルを抱えた依頼人たちを助けてゆく。
異世界公証人ファンタジー。
基本章ごとの短編集なので、
各章のごとに独立したお話として読めます。
カクヨムにて一度公開した作品ですが、
要所を手直し推敲して再アップしたものを連載しています。
最終話までは既に書いてあるので、
小説の完結は確約できます。
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる