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第二部

46 真の守護者

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 クーペを火山の火口で拾ってから早二年。

 出会った当初、やんごとなき赤ちゃんドラゴンだったクーペは、やんちゃなお子さまドラゴンへと立派に成長した。

 そして現在。これまでクーペの多彩な表情を目にしてきたルーカスだったが、そんな育児生活のなかでも相当ショッキングな部類に入る様子が目の前にあった。

 割れてしまったデカ焼き菓子を、クーペは大きなおめめを更に真ん丸にして、穴が空くほど見ている。

 割れた焼き菓子に伸ばされた、行き場のないおてて。そして、「キュ……?」と割れたデカ焼き菓子に語りかけている。

 まるで「何故割れたの?」と悲しくデカ焼き菓子に話しかけているように見えるクーペに、周囲の者たちの間で、可哀想にとあわれみが広がっていく。

 オルガノまで残りあと五歩程のところで起きたハプニング──クーペの転倒に、顔面蒼白で失神寸前の心情から立ち直ったガロンが、先程から一心に「コケたからだよ……?」と、酷く優しい目を向けているが、もちろんクーペは気付いていない。

 オルガノから手紙を取り戻すための交渉の材料がなくなったショックか、はたまた食べ物を粗末にしてしまった衝撃か。

 どちらとも判断のつかない重い沈黙のなか、言葉を失い、クーペは割れた焼き菓子を拾い上げることもできずにいる。王座手前の段差は、まだ小さく短いあんよにはあまりに高く、過酷な道のりだった。

 もはや一瞬の隙も許されない程近く、クーペに距離を詰められていた渦中の人オルガノは、変わらず冷淡な顔付きで息子を見ているが、

 オルガノは王といえど、ルーカスより多くの子を持つ親である。けれどもこれは、親成り立てのルーカスに比べ彼の豊富な育児経験にもおそらくなかったであろう菓子粉砕……状況だ。

 それに直面したオルガノがいったいどう対処するのか。

 相当なダメージを受けている息子を抱き上げ慰めてやりたい衝動を抑え、ルーカスは育児の先達せんだちから教授を受ける姿勢で、これからの参考になればと傍観ぼうかんすることにした。

 そしていよいよ、大きなおめめを見開いて、放心したようにデカ焼き菓子を見つめる子ドラゴンの肩が、体の内側から発生した震動でぷるぷると震えだす。

 うつむき、打ち震えている黒く小さい体。感情崩壊のカウントダウンが始まった予感に、「泣くのか? これは泣くのか?」と、緊張に後ろで固まっている屋敷の従者たち。

 皆が床に片膝をつく陛下の御前ごぜんにありながらも、ガロンは今にもその場を抜け出して、オルガノの眼前にいるクーペに駆け寄りかねない様子でアワアワしている。

 そんな中にあっても流石さすがオルガノだ。少しも動じたふうはなく、彼はクーペを見ている。

 きっとオルガノならば的確な判断を下すだろう。そうしてルーカスが冷静に見守る視線の先で、やはり彼は非常に正確かつ精密な動きで素早く行動した。

 音速の早さでふところからサッと何かを取り出し……

「さっさと持っていけ」

 ルーカスが純粋に「ん?」とする間に、突如として出現した目的の物──真白な手紙を目にした息子の顔色が、次第にパアアアアアアァと陽の光を浴びたように、明るくなっていく。

 強面こわもてのオルガノとは反対に、おめめが「きゅあ~~!」と輝いた。

 日光浴中の明るさで、興奮に尻尾をパタパタ振って、とても喜んでいる。

 まぶしさを感じながら、一連の流れを遠目に、ルーカスは淡々と思った。

 ああそうか、昔からオルガノは子供に怖がられるたちで、クーペのように目的があるとはいえ、こうも自ら率先して近付いてくる子供はあまりいなかったなと。

 まして今回のように、強面こわもてのオルガノに自ら忍び寄ってくる子供など、皆無かいむに等しい。

 それはオルガノ自身の子供にも言えることで。皆ラーティほど反発はしていなかったが、誰しもが父親のオルガノに対し、深い畏敬いけいの念を抱いていた。一歩距離を置いていたように思える。

 それからクーペは目的の手紙を奪い取る勢いでオルガノから受け取ると、床に飛散した焼き菓子の欠片かけらのなかで一番大きな物を取り、オルガノに「はいっ」と急いで手渡した。一応、気を遣ったらしい。

 息子は相当焦っていたのだろう。こちらも音速の動きで撤退し、一目散にこちらへ向かって走ってくる。

 飛ぶのも忘れてドタドタと駆けてくる姿はまるで、蟻の地獄アントヘルが作り出した砂の罠からほうほうのていで逃げ出してきた初級クラスの冒険者のようだ。

 蟻の地獄アントヘルは魔獣のなかでは特に珍しくない。ありふれた部類の虫系魔獣だ。

 自らが作った砂の罠に滑り落ちてくる獲物を捕食し、雑食性で際限さいげんなく何でも食べる。

 魔獣でも、人間でも、砂の罠に落ちてきたものなら何でも食べるため、同種が落ちてきたとしてもそれは変わらない。共食いをすることもある。

 中級クラスの冒険者なら、砂の罠にかかっても難なく抜け出せるが、初級クラスの冒険者は一部餌食えじきになってしまうこともままある。

 階級で例えるなら、お友達作りを覚えたばかりのクーペは初級クラス。オルガノは完全に上級者クラスだ。そのうえ上級者クラスのなかでもさらに別格の扱いづらさとなると……。

 王座にくオルガノは手元の食いかけの菓子を無言で見つめ、「ふんっ」とくだらなそうに鼻を鳴らす。ポイッと無造作に後ろへ投げ捨てたのを、背後のお付きの者が手際てぎわよくキャッチする。

 ルーカスは「やはりこうなるか」と心中苦笑して、大変参考になりましたと密やかにオルガノを見やるも、直後に聞こえてきた言葉にハッとする。

 ──処分しておけ。それと料理長に連絡して至急代わりのものを作らせろ。

 一見まったく興味なさそうでいて、オルガノがボソリと指示を出したのだ。

 耳聡く聞きつけたルーカスは、平静を装いながらも内心驚いていた。

 父セザン・フォリンと同じく数奇な運命を辿ってきたオルガノにとって、平和とは一時の見せかけであり、けっして心安まるものではなかったはずだ。

 それが酷く面倒くさそうに顎に手を当て外の景色など眺めたりして、随分ずいぶんと丸くなったものだ。

 いつまでも出会った当初の少年のままで、オルガノの時は止まっていなかった。

 彼もまた、時代の流れを感じ、その変化に学んだのかもしれない。

 もしくはクーペがかなり規格外だったせい、というのもおおいにありうるけれど。

 それにしても……この方もやはり子供の涙は苦手だったんだなと、今までそういった感情を一切見せずに通してきたオルガノを視界の端にとらえながら、ルーカスは走ってきた我が子をしっかり抱き留めた。





 屋敷の門前で別れてからたいした時間は経過していない再会。

 それも二度目の抱っこにも、クーペは飽きるどころか新鮮味あふれる様子で「きゅいっ」と大喜びしながら、短いおててでローランドの手紙を「はいっ」と差し出してきた。

 ようはルーカスに抱っこしてもらえるなら、何回だろうと全部嬉しいらしい。

 初めてのお使いを成功させた息子のおめめが、いつにも増して零れ落ちそうなほど丸く大きく、そしてきっと沢山褒めてもらえるという純粋な期待に、キランキランと輝いている。

 シャイニングしている息子の顔面から放たれた光が、コツンコツンと小さな白い星状に固形化して、こちらに当たっているような錯覚をルーカスは覚えながら、にこやかに手紙を受け取る。

 改めて「届けてくれてありがとう」と礼を言い「クーペのお陰で助かった。いい子だ」と、頼もしい我が子の頭をしっかりでてやる。

 クーペは妖精貴族フォルケのときにも我慢をいられ、ルーカスを助けることができなかった。

 だからようやく役に立てたと思えることができて、よっぽど嬉しかったらしい。大好きな母親に認められた実感と相まって、ルーカスに大の字でひっつきながら、尻尾をブンブン振ってご機嫌に甘えている。

 けれどそんなさなかにも、ローランドの手紙を持つルーカスに、オルガノがにべもなく言う。

「若返ったお陰で随分ずいぶんと元気そうだなルーカス。年寄りは年寄りらしく、衰えた心体しんたいなげき、呪いの解除など他の者に任せてどっぷり落ち込んでいればいいものを。お前には諦めるという言葉はないのか」

 平気で話の腰を折るオルガノを、ルーカスは大の字のクーペを抱えながら「はいはい」といった様子で受け流す。

恐悦至極きょうえつしごくに存じます陛下。此度こたびの件で試す相手は選べと、陛下も学ばれたようですね」

 息子とのやり取りを見届け、オルガノの弱味を握ったような顔で返すルーカスに、彼は「白々しい呼び方をするな」とにらみをかせる。

 目上の人に対してもちいる用語をあえて使う返し以外にも、先刻からルーカスが名前ではなく陛下と呼び続けているのが、オルガノには気に食わないらしい。

 彼が突然皮肉を投げかけたのはそのせいだ。

 しかしどちらも慣れたもので「まあいい。今回は妥協だきょうしてやる」とオルガノがあっさり引くのに合わせ、ルーカスもよどみない口調で礼を述べる。

 そんな折、ご機嫌に揺れていたクーペの尻尾の先が、隣で静観していたラーティの袖口そでぐちに引っかかった。

 つかの間、尻尾がビーンとなり、皆の注目が集まるも。クーペは大の字にひっついたまま動かず、ラーティは袖口そでぐちにかかった尻尾を眺めている。

 尻尾がどういう状態にあるのか確認するよりも、クーペにはルーカスにくっついている方が優先らしい。

 尻尾の方を見ようともせず、クーペはしばし考えるようにしてから、試すように尻尾を揺らした。

 ラーティは微動だにせず、目下もっか袖口そでぐちにかかった尻尾を見ている。

 次いでビチビチと水揚げされた魚のように尻尾を振るも、尻尾は引っかかったまま、ラーティの腕はビクともしない。

 釣りで根掛ねがかりした時のような状況に、更にはビーンビーンと引っ張ってみて、念入りに取れないのを確認した後で、

 ──尻尾が岩のような何かに引っかかっている。

 そう確信したであろうクーペの表情が、真顔になる。岩の正体について考えているのかもしれない。

 その隣で、一時いっときクーペが大人しくなったのを機会に、ラーティが袖口そでぐちにかかった尻尾をスルリと外す。

 隣の動きに気付いたクーペが、一呼吸遅れてラーティの方を見る。

 けれどもその頃には、尻尾を外し終わったラーティが袖口そでぐちを軽く整えている。

 勇者の父親とドラゴンの子供ともなると、どうしたって通常の親子に比べ、色々と規格が違うところは出てくるものだ。

 だがこれは……と、ルーカスは元より周囲の者たちも、二人の普段からの関係性に気付いたらしい。

 この二人、ことごとくタイミングがズレている……!

 かくして皆が衝撃に耐えている間も、自由になった尻尾を床へ垂直にらし、クーペは変わらず物静かなラーティを見ている。

 やはり先程まであった、岩の正体について考えているのかもしれない。

 しかし何分なにぶん、見ていないときにラーティが助けてくれていたのをクーペが理解するには、情報量が少なすぎた。

 見事にすれ違いまくっている父子の衝撃に、ガロンはもちろんのこと、皆妙に応援したい気持ちにさせられたようだ。

 手を貸したいような、うずうずとした落ち着かない様相ようそうで見守っている。

 けれどもあまり悠長ゆうちょうに構えていたら、父親に尻尾を引っ張られたなど、あらぬ方向へ誤解されかねない。下手を打てば悪手あくしゅとなる非常に繊細な状況との、周囲の者たちの懸念けねんがルーカスの元にも伝わってくる。

 皆、ショックを受けたクーペの悲劇的なお顔を想像して、胃を痛くしているらしい。

 だがルーカスには、この二人の関係性に手を貸す必要があまりないことを知っていた。

 いったいどうなるのだろう? 皆が不安に顔を曇らせるなか、動きがあった。

 クーペは大の字でルーカスにひっつきながら、一度お顔を定位置に戻したのだが、少しして。

 何やらチラッとラーティの方を見たのだ。

 息子の視線に気付いたラーティが、怪訝けげんそうに眉を寄せる。そして──

 チラッと見る(クーペ)。

 見ている(ラーティ)。

 チラッと見る(クーペ)。

 見ている(ラーティ)。を延々繰り返している。

 それから幾何いくばくもなくして、クーペはルーカスの胸元から膝上にストンと下りると、ラーティの方を向いてお座りした。

「先程助けていただいたドラゴンです」とはならないが、表情も様子見のお顔から、いつも通りの父親向けの凛々りりしい顔付きになっている。

 一方のラーティは、真顔で半眼のキリッとしたお顔の息子を間近に、今日も元気だなと息子への認識を深めているようだ。

 はたから見れば、「尻尾の件は気のせいだった」とクーペが気持ちを切り替えたように見える。

 しかし実は、息子は尻尾にあった違和感を、その高い自己肯定感によって、最終的に超拡大解釈していたことが判明する。

 お父さんが尻尾を引っ張った。もしくは触った。ということは……そうか、なるほど、これは。ちゃんと手紙を持ってきたことを、「お父さんも褒めたいんだ!」と真顔でキリッとおそらく理解(誤解)したクーペは、ラーティも褒めたかったんだなと気を遣い「尻尾ではなく、こちらをどうぞ」と、後頭部をラーティに見せるように頭を低く、視線を下に向けたのだ。

 日頃の行いが果報に結びつくとも言うが、積み上げてきた信頼に、クーペはラーティが自分に危害を加えるなどとは夢にも思っていないようだ。

 先程からチラチラと父親の様子を見ていたのは、いつになったら褒めに来てくれるのだろうか? という期待と、尊敬する父親への緊張と、いつも荒立てることなく、温和で物静かなラーティへの配慮もあったようだ。

 ルーカスに大の字でひっついている間もずっと、ちゃんと手紙を届けて偉かったとラーティにもめてほしかったんだろう。

 やはり杞憂きゆうだったなと、ルーカスは一連の流れをそう解析しながら、クスリと笑う。

 ラーティが故意こいに尻尾を引っ張ったかもしれないなどと、クーペはつゆほども疑っていなかった。 

 そう思うとじんわり優しい気持ちが湧いてくる。

 ラーティは物静かなぶん、普段あまり人に関心がないような印象を受けやすいが、鈍くはない。むしろよく周りを見ている方だ。

 知らないようでいてちょっとした変化にもちゃんと気付いているし、彼は言葉に出さないだけで、その実、ルーカスの考えを驚くほど見抜く時がある。

 細部に渡り、まるで心を全て見透かされているのではと思うほど深く。

 オルガノ譲りの洞察力を、本人はまだあまり自覚していないようだが……。

 けれど早くに母リビオラを亡くし、父親のオルガノはあの調子だ。

 肉親の情に薄い環境で生きてきたラーティが子育てに若干うといのを、クーペも父親のそういった傾向に最近気付いたようだ。

 子育てに少し不器用な父親に、あえてめるタイミングを自ら教えにいっている。

 良い子に育ったなとルーカスが穏やかな心境で二人を見つめている間にも、クーペは「さあどうぞ、めてください」と、でられやすいよう頭を斜め前に後頭部を突き出し、半眼のキリッとしたお顔で視線を下に待っている。

 何なら耳も伏せるし、とでやすいよう耳をパタッと平たく伏せた。

 いたれりくせりで、められる準備を万端にして待っている。待っているのだが……

 対するラーティは、普段から半眼の息子が己の賛辞さんじを待っているなど、全く思っていない様子でキョトンとしている。

 それでも半眼の息子を眺めているのは、彼なりに息子の考えを知りたいと思っているからだ。

 人の心を見抜くことはできても、子供に関してはまだまだ手探りの不器用さが愛おしくなる。

 クーペは特に「きゅいきゅい」鳴くといった直接的な催促さいそくを、ラーティにするような動きは見せない。ただひたすらに平たくなる努力を続け、待機している。

 今か今かとでられ待ちの息子と、それを眺めている父親。

 ラーティは至極しごく落ち着いていて、普段と変わりないように見える。だがルーカスにとって彼は、幼い頃からその成長を見守り、大切にしてきた相手だ。

 ルーカスには今は夫となった彼の心の変化が、手に取るようにわかった。

 ラーティは息子の行動の意図を測りかねて困っている。

 けれど息子からは、変わらず後頭部を見せる以外のリアクションはない。

「さあどうぞ、めてください」からの余りの反応のなさに、しかしクーペが痺れを切らすことはなく。お座りの姿勢で、視線を下に、根気強く準備万端にでられ待ちしている。

 というよりよくよく見ると、クーペはまるで眠っているようにおめめを閉じていた。

 習熟した修行僧のようにおめめを閉じた息子からは、頭をでられるまでは、けして動かないという強い意志を感じる。

 父親から何かしらのリアクションがあるまで、ずっとそのまま待ち続けていそうだ。

 息子から伝わってくる気迫に、物言わぬラーティが驚いたように軽く目を見開いた。
 
 凛々りりしい息子と困惑する父親。膠着こうちゃく状態は微笑ましくもあるが……ルーカスはコソッと「めてあげてください」とラーティに耳打ちする。

 するとラーティが一瞬目を丸くした。

 長い睫毛まつげしばたたかせ、不思議そうにルーカスを見返すも、もはや置いた手が滑走スライディングしそうなほど平たくなっているクーペの頭をラーティがポンとするまでに、そう時間はかからなかった。

 わかっているようで鈍いところのある父親の精一杯の頭ポンからのでを、クーペはキリッと凛々りりしく半眼で、思う存分享受きょうじゅしていた。

 それから程なくして、ラーティとクーペのやり取りを退屈そうに片肘かたひじ付いて王座から眺めていたオルガノが、パチンと指を鳴らす。

 可及的速かきゅうてきすみやかに用意された菓子は、焼き菓子一枚ではなかった。

 幾つかのかごに、山盛り一杯の焼き菓子が運ばれてきた。

 簡易的なテーブルがもうけられ、他にも色とりどりの多種多様な菓子が続々と運び込まれ、ちょっとしたお菓子パーティーのような区画が王の間に出来上がる。

 山盛りの菓子を前に、興奮したクーペのお口から「きゅわわぁー」と感嘆かんたんに震える声が漏れた。





 父親に褒められるための微笑ましいやり取りが終わると、

 オルガノが用意させた菓子を食べ漁り、すっかり腹を満たした子ドラゴンが、菓子を置くために用意された簡易的なテーブルの上で出た腹を上にイビキをかいて寝ている。

 食後のお昼寝タイムに突入したようだ。

 菓子を用意したオルガノからすれば、話が終わるまでそれを食って静かに待っていろという含意がんいがあったはずだが、子供とはこういうものだ。

 それに何故かクーペはオルガノを国王ではなく、オヤツ係かそれに関連する何かと思っているようだ。

 クーペはオルガノを苦手としながらも、信頼の目を向けていた。そしてオルガノも、イビキをかいて寝ているクーペをそのまま見なかったことにして放置している。

 どちらも切り替えが早く、危なっかしいようでいてそうでもないような、絶妙な信頼関係をいつの間にか構築している。ここへくるまでに、二人の間で何かあったらしい。

 気にはなるが「まあそれはいいとして」とルーカスも早々に思考を切り替える。

 何故ならオルガノが登場してからずっと、注力すべき人物が共に入場していることに、触れていなかったからだ。

 オルガノが腰を下ろす王座の斜め後方にいる人物──人のものではない、竜と同じ縦長の瞳孔をした黄金の瞳の青年。

 彼はオルガノの後方に控えて入場してきたが、厳粛な場で、目の前を一瞬通り過ぎただけの相手の瞳の異質さなどは、知り合いでもない限りそうそう気付かない。

 頭の光輪は身の内に引っ込めたようだが、付き人のようにして入って来たときから、ルーカスはその存在に気付いていた。

 もっともローランドの手紙が送られてきたとガロンから知らされたときより、予感はあったのだ。

「久方ぶりですね。ルシエラ。貴方が来たということは、ローランド様が呼んだのですね?」

 ルシエラという名に、オルガノがピクリと反応する。

 それは、この世界の人間ならば誰もが知っている名だった。

「この天界人、名は光と名乗っていたが」

 いぶかしむオルガノに、ルーカスはゆっくりと首を縦に振り、答える。

「はい、陛下。認識に間違いはございません。この方は人々に夢物語と語られる伝承の時代より存在する数多あまたの英雄の中でもっとも古く、最古の時代に生きた英雄──現在のラスクールの国の基礎を作ったお方です」

 先を予感し、瞠目どうもくするオルガノの傍近くに立つルシエラに向かって、ルーカスはかしこまって頭を下げる。

「その方は精霊の世代交代によって、その役を解かれた先代の光の精霊より任を受け継ぎ転化した……光の大精霊、初代勇者ルシエラ様です」





 王の間には唐突な話題についていけずにいる者たちの困惑が広がり、ざわめきとクーペのイビキが入り交じっているなか、ルーカスたちは話を続ける。

「陛下が知らぬのも無理はありません。これは私以外、闇の精霊となったリュシーですら知らぬ事。ルシエラは闇の勇者ダークライトの守護者の代行者となった人間の前にしか姿を現しておりませんので」

「守護者の代行だと?」

 代々、勇者は人類の守護者となった精霊に助けられ、魔王を討伐する。しかし、ラーティの勇者パーティーに守護者が現れなかったのは、記憶に新しい。

 守護者の予定だったリュシーが、魔王にかけられた呪いを解くべく、奔走ほんそうしていたからだ。

「光の大精霊となったルシエラは貴方に精霊の加護を与え、新たなる勇者の血族として選び、守護者となりました。しかし光の精霊とは陛下の人生に惨劇さんげきを引き起こした者に他ならず。まして天界人は表立って行動するのを禁じられている身。だからこそ、守護者として名乗るのははばかられました。そこでルシエラは代行を頼むことにしたのです」

 ルシエラに話を振ると、彼は小さく頷いた。ルーカスに代わって続きをつむぐ。

「私が最初に姿を現したのはセザン・フォリン。次に陰の守護者となったローランドと接触しました。そして最後に私が守護者の代行に選んだのは──」

 話の主導をルーカスへ戻すルシエラの視線、それを追うようにこちらを見たオルガノの息をむような表情に押され、ルーカスは告げる。

「私が陛下と共に行動をするようになってから程なくして、ルシエラは私の元を訪れました。陛下、私は父セザン・フォリンが貴方の守護者として、ルシエラに任命されたのを知っていました」

 既にオルガノの盾となるべく忠誠の誓いを立てていたルーカスに、ルシエラの申し出を断る理由はない。

 戦力枯渇の時代において、オルガノを支え、守るためには沢山の助力が必要だった。ルーカスは尊敬する父セザンの死という、あまりにも大きすぎた代償と共に学び理解していた。

 そして本来なら、勇者パーティーのメンバーの前に現れるはずの守護者は、以降も守護者の代行を承諾したルーカスの前にだけ現れる。

 魔王討伐を完遂した後も、最後までその姿をメンバーはおろか勇者の前にすら現すことはなかった。

「もっとも、私も全てを知ったのは、陛下がラスクールへ帰還したとき。全てが終わった後ですが……」

 オルガノは王の間への入場時、「隠し立ては無用」と、あからさまにルーカスを挑発した。

 おそらく彼も、この状況でローランドの手紙がルーカスに届いた辺りから、薄々勘付いていたのだろう。父親代わりのローランドとルーカスの間には、己の知り得ぬ何か繋がりがあると。

 もしくはオルガノのことだ。以前からそういった疑念を抱いていたのかもしれない。

 とはいえ、父親代わりのローランドとルーカスに結託して隠し立てをされ、やはり相当にご立腹のようだ。「あの男は……」と殺気立った声が漏れ聞こえてくる。

「私は父が陛下の守護者に任命されたことを少しも恨んでおりません。もちろん父もローランド様も、同じ思いであったと私は確信しています」

 恨み言をつぶやいていたオルガノが、ゆっくりとこちらを見た。

 その探るような眼差まなざしに、ルーカスは苦笑する。

「代々の勇者と魔王が戦い続ける『世界の呪い』──神の呪いに反発した永命絶対種えいめいぜったいしゅ、天界人は神によって生存を意図的に隠され、長年歴史の表舞台に立つのを禁じられてきました。ゆえに、その名は大衆に明かされず、彼らの存在を多くの人は知り得ない。だというのに何故、天界人のルシエラが勇者パーティーの守護者についたのか。陛下にはもうおわかりでしょう」

 ルーカスからの思いもよらない問い掛けに、けれどもオルガノは肘掛ひじかけに片肘かたひじを付きながら鋭く答える。

「守護者は精霊のなかから、その役割に相応ふさわしい者がなるべくして使命を与えられると言われているが、実際は守護者となる者の選定に神は関与していない。ということか」

「はい、そして本来ならば勇者の血族の弱体化と光の精霊の世代交代によって魔王の力が増す時代の訪れと共に、勇者が魔王に敗れた時点で世界は滅びるはずでした」

 誰もが初めて聞くルーカスの発言に、王の間が動揺に包まれる。

 皆驚愕きょうがくし、再びざわめきが起こった。

 先の魔王討伐の旅路で多くを経験し世界の動向を把握しているラーティや、クーペのイビキを止めるため、そろりそろりと子ドラゴンに近付きお口をつまんでいたガロンですら、はっきりと驚きをあらわにしている。

 まして当時の勇者と魔王が、実は今も同じ空間にいるなどと知ったら、更なる混乱が起こるのは必至ひっし

 けれども一人、本質を見抜いた者がいた。

「それが史実だとするならば、世界の終わりは神の意志。しかし世界の呪いに反感を持つ天界人は反逆のおそれがあった。なればこそ、神の定めにより勇者と魔王に掛けられた世界の呪いを、戦いが繰り返し起こる世界を、世界の終わりがくるその時まで空の上から眺めているよう神が天界人に永命の呪いをかけた。そう見立てるのもできるが」

 ルーカスは肯定し、流石さすがですと先を続ける。

「永命の呪い受けながらも。ルシエラは密かに準備を進め、反逆の時を待ったのです。いずれ訪れる、崩壊の時を阻止するために。そして天界人の他にも、神の暴挙を許さなかった者たちがいる」

 ルーカスが語る内容に、周囲の者たちがことごとく圧倒されるなかで、オルガノはどこか理解した様相ようそうでこちらを見ていた。

 当時全盛期だったルーカスがオルガノにあえて伏せてきた事柄について、彼はいったいどこまで感じ取っていたのだろう。

 オルガノは至極落ち着いていて、頷くようにあごを軽く動かし、先をうながした。

「生前高尚こうしょうだった者の魂が浄化し、精霊へと転化した者たち。生前は英雄として生き、死して尚、世界に掛けられた神の呪いに抗い人々を解放せんとあり続けた──英雄たちの魂です」

 戦力枯渇の時代に人間が滅びるか否か、そんな戦いをオルガノ率いる勇者パーティーがしていたのは、誰もが知っている話だ。

 しかし魔王のみならず、神までもが人間を滅ぼそうとしていたとは、「この人たち神様も相手に戦ってたのか」とガロンはクーペのお口をつまみながらも、自身の開いた口はふさがらなかったようだ。

 いよいよ核心を話す時機じきがきた。一呼吸置き、ルーカスは続ける。

「神の支配下にある精霊に転化した彼ら英雄たちは、時がくるまで従順に目立たず振る舞うよう、ルシエラにうながされ身を潜めていました。守護者となり勇者の手助けをする。それが、当時神の支配下にあった彼らにできる最大でした。そして、オルガノという新たな勇者の血筋の誕生に際し、神の呪いが薄れた時、神による精霊の支配が弱体化し、ついに彼らは行動を起こしたのです」

 オルガノの英雄譚えいゆうたんには時折、正体不明の集団が現れ、勇者を援護したという話が多々ある。

 ほとんどが脚色されて、事実とは全く違う逸話いつわとして伝わっていたりするのだが。

「元より精霊として生まれでた生粋の者を除き、精霊へ転化した者たちのほとんどが、滅びゆく人の運命を断ち切ろうと立ち上がり、力を貸してくれていた。英雄の大集団といったところですかね。当時はお話出来ませんでしたが、彼らには多くの事柄で助けられました」

 本来これらの事項を、ルシエラも、そしてそれに関わった多くの者たちも、オルガノに知らせる必要はないと語っていた。

 話せば必然的に、最初の守護者に選ばれたセザンの死へと繋がってしまう。

 守護者に選ばれなければ、セザンは死ぬことはなく、ルーカスたち家族とも引き裂かれることはなかったかもしれない。そうオルガノは気付くだろう。

 産まれたときより旧王族に命を狙われ、両親を殺され、それでも人々のために戦い、傷付き。

 やがて傷だらけの旅路で、闇の勇者と呼ばれるようになった彼に、それ以上重荷となるものを背負わせるのを、誰もが望まなかった。

 彼が知る必要のないことだと、ルーカスも思っていた。

 ルシエラは名は光と名乗ったそうだが、しかし遠い記憶の先にある父の面影おもかげを思い、ルーカスは機会が訪れたのだと悟った。

 守護者の誰もが、闇の勇者を大切に思っていた。己の命を懸けるほどに。

 今のオルガノならばきっと、悲しみだけではなかったのだと、理解し受け止めてくれる。

 あの時代に亡くなった人々のなかに、闇の勇者を守るために陰で動いていた人たちがいたのだということを。彼らは歴史の表舞台に立つことはなかった。けれど、彼らは確かに存在したのだ。

 願いを込めて、ルーカスは言葉を口にする。

「そして彼らこそが闇の勇者ダークライトの真の守護者なのです」

 多くのものに見捨てられ、数奇なる運命を辿った闇の勇者を、数多あまたの英雄たちはけして見捨てはしなかったのだ。
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