勇者パーティーを追放、引退、そして若返った二度目の人生でも、やっぱり貴方の傍にいる

薄影メガネ

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第二部

44 ブレイクスルー(難関打破)

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 王城を訪れたルーカスたちが王の間に通されると、そこに待っていたのは召喚状を寄越したオルガノではなく、魔獣小屋にいるはずのガロンだった。

 人払いされ、しんと静まり返った王の間には、屋敷のあるじであるラーティを主幹しゅかんとして随行ずいこうする従者たちの他に、取次役と衛兵が数名待機しており。皆一様に口を閉ざし、言動を控えめにかしこまっていたが、彼らの動向はガロンのもたらした情報によってざわめきに変わる。

「クーペとオルガノが共にいる? それは何とも珍しい組み合わせだが」

 おやおやとルーカスが一人、余裕があるのに対し、他の面々めんめんは心配そうに互いに顔を見合わせている。

 特に、クーペとお友達になった屋敷の従者たちは、反応が大きいようだ。

 そこには、闇の勇者ダークライトうたわれるオルガノへの恐れと、そんな彼と共にいるクーペを案じている様子がうかがえた。

 さらにタリヤの手配した早馬が到着し、ローランドからの手紙をルーカスに届けるため、クーペが一足先に王城に来ている理由を知るにいたる。

 お空の豆粒と化したクーペに執事長が絶叫するなど、屋敷は大騒ぎだったと伝言を受け、背後に控える従者たちの動揺がそちらを見ずとも手に取るように伝わってくる。状況は益々ますます混迷を深めてきたようだ。

「ルーカス貴方あなたって人は……まさか楽しんでないよな?」

 先刻のラーティと同じようなことを言っていぶかしむガロンに、ルーカスはクスッと笑い、告げる。

「楽しむ、か。それは心外だ。私はあの子とオルガノが今頃どのような会話をしているのか、少し気になっているだけだ」

「え、あれはむしろ会話と言うより言葉が通じない相手との意思の疎通ファーストコンタクト……」

 いや、片方は花に擬態してたし、途中おめめキラキラりんだったし、とりあえず陛下とは話通じてたっぽいけどと。バルコニーに落ちてきたクーペおめめキラキラりんドラゴンとオルガノの様子を説明するのに難儀しているガロンから、ルーカスは「そうか」と一旦いったん視線を外し、空の王座を眺める。

 それから隣で共にたたずみ話を聞いていたラーティに視線を送る。

 ガロンからオルガノとクーペが一緒にいると聞かされたとき、ラーティは終始無言で、ルーカス以外の人間の目には少しの乱れもなくうつったことだろう。しかし表情こそ動かさなかったものの、ルーカスには寡黙かもくな彼の困惑が伝わっていた。

 ラーティの沈黙には、複雑怪奇ふくざつかいきな現象にでも出会ったような戸惑いが含まれている。

 おそらくルーカスが先刻馬上で話したことが要因だろう。

 クーペがオルガノと友になったらなどと冗談交じりに言ったけれど、隣で静かに困惑するラーティを見やり、その様子に若干じゃっかんの罪悪を覚える。

 いつも一歩後ろにいて大人の、あまり他者に振り回されることの少ないラーティが、いつになくどっぷり関わりをもたらされている。

 夫婦になるまでは、彼は相手が子供であってもあまり関心を持たず、いつも通り淡白にやり過ごすとばかり思っていた。しかし実際は……

 ラーティ様、淡白にやり過ごすどころか、意外にしっかり振り回されているな。

 ここ最近は特に、父親という役を通してラーティから人間味のある部分が垣間見える。

 そこから感じるのは息子に対する困惑であって拒絶ではない。ラーティの変化を嬉しく感じてしまうのを申し訳なく思いながら、家族を持つという人生の新たな局面を、惑いながらも受け入れてくれている彼に、ルーカスは穏やかな視線を送る。

 ラーティの抱く不安の要因──これは私が植え付けたものだ。そのときがきたら全てこちらで対処しよう。

 彼は平時より公務で忙しく、立場上、誰か一人が独占できる相手ではない。少し寂しくはあるが、普段より瑣末さまつな事で負担をかけぬよう、極力配慮はいりょすべき存在なのだ。

 されどラーティの心に寄り添い、支えることができるのは妻である己だけの役だと確信を持てるのは、ルーカスにとって誇りでもあった。

 それにしても、よもやとは思うが……

 クーペが持ってきたという、ローランドからの手紙。それは数奇すうきな運命を辿った父セザン・フォリンに関わるものか。それとも、

「まさかな……」

「ルーカス?」

 ラーティが気遣うようにこちらを見ている。話しの途中で深く考えるように黙り込んでしまったルーカスの様子が気になったのだろう。
 
「いえ、ラーティ様。何でもありません」

 答えに納得していないラーティのさぐるような視線。ルーカスはニコリと笑い、頭をよぎった考えに、そっとふたをする。

 まだ来ていない未来に頭を悩ませるのはよそう。悪戯いたずらに、大切な人を不安にさせてしまうことになる。





 オルガノが王の間にやってきたのは、それから間もなくのことだった。

 突如として開かれた重厚な扉から、堂々とした風情ふぜいで現れた王の登場に、ガロンの報告で気もそぞろにざわついていた雰囲気が一転した。
 
 ささやき声はピタリと止み、空気が一気に引き締まる。

 夫であるラーティ以下、王の間にいる者全てがえりを正して床に片膝かたひざを付き、ザッとこうべれる。

 得も言われぬ緊張と静寂のなか、一糸乱れぬ動きで頭を低くする配下の前を、王座に向かって歩くオルガノの足音だけが王の間に響いている。

 昔からそうだ。オルガノの放つ強烈な王気に当てられて、意志薄弱な者は皆凍り付く。

 今より二十年以上も昔。出会った当初『──逃げるのにはきた』そう言い放ち、こちらを見据みすえる青い瞳は、危ういまでに少しも死を恐れてはいなかった。

 初見しょけんは小生意気な威勢の良い子供だと思っていたが……

 昔は年上のルーカスでさえ、その生まれ持ったオルガノの王者たり得る風格と気迫に押されかけたものだ。

 だからくだした。まだ幼さの残る、少年の気迫にまれんとするために。

 最初は軽い警告のつもりが、こともあろうに型通りの素人相手に、一瞬でも本気を出して打ち負かしてしまうとは。出会いがしらの手合わせでしでかした若き頃の己の未熟さを思い出し、ルーカスが密やかに苦笑していると──

 前方に足音が近付き、ルーカスは目だけをチラリとそちらへ向ける。

 華々しく重厚な空気と圧倒的な存在感。年をとっても衰えを知らぬ見事な体躯たいくには、微塵みじんの隙も迷いもない。

 しかし上級身分でありながら、生命力の強い雑草のような、野性的な強さもあわせ持つ希有けうな存在。

 オルガノは王座に向かって颯爽さっそうと歩きながら、ひざまずき頭を下げるルーカスと、すれ違いざま一瞬目を合わせてきた。

 考えていたことを読まれたのかもしれない。

 さらには歩調をゆるめず背を向けた直後の去り際に、視線を床に下ろしたルーカスにしか聞こえないくらいの小さな声で、オルガノはボソリとつぶやく。

「──隠し立ては無用だ」

 今はラーティの妻として第一線から身を引いたが、ルーカスとて以前はオルガノと共に世界を渡り歩いた冒険者だ。多少の荒事あらごとには慣れている。闇の勇者ダークライトと怖れられていようが、彼の若かりし頃を知る己にとっては今更だ。

 オルガノの物騒な物言いにひるむ己ではない。──だが、

 彼が言葉を発した直後の、ヒヤッと首筋に冷たい汗が一筋流れるような感覚。

 まったくどこまで読まれているのか。よくよく人を驚かせる男だ。それにしても……不味いな。しっかり釘を刺されてしまった。

 ルーカスは物腰を静かに、しれっと何事もなかったようにひざまずき続ける。そんなルーカスからオルガノもサラリと関心を外し、過ぎ去っていく。

 着座する音がして、王座に着いたオルガノが軽く片手の先を上げた気配がした。顔を上げる許可を出したのを、彼に続いて王の間に入ってきた側仕えの青年が代弁したところで、ようやく会談が始まった。

 この会談の目的は、ルーカスにかけられた呪いを解くための手段である勇者の紋章の復活だ。

 生者必滅しょうじゃひつめつの呪いを抑えているクーペの竜玉を、ルーカスの体内から早く取り出すためにも、それは必要となる。

 しかし、以前にラーティの勇者の紋章は傷付き、その力の大半を制御出来なくなっている。同じく勇者の紋章を持つ者は彼の半血兄弟に多くいるものの、力を自在に使いこなし、呪い以上の力を持つ者は現役げんえきの勇者ラーティをおいて他にいない。

 唯一対応できそうなのは、現ラスクールの国王オルガノだが、彼がかつていくら強い勇者であったにしても、今は現役げんえきを退いて久しい。年齢を考慮こうりょしても、下手を打てば心身に支障をきたすのは、火を見るよりも明らかだ。

 となるとやはりラーティの勇者の紋章の復活が必要となってくるのだが。内情を知る氷の精霊からロザリンドが伝え聞いた話によると、勇者の紋章を修復できる光の精霊は現在行方が知れず、闇の精霊であるリュシーが捜索しているという。

 そのため、勇者の紋章の知識に精通した旧王族に会う必要がでてきた。けれど旧王族で生き残っているのはルーカスの父セザン・フォリンを殺した前王のみであり、彼と会う許可を得ることが、会談の最終的な目標となる。──だがそれは、初手の段階で打ち砕かれた。

「前王への面談を希望しているとの話だが、単刀直入に言おう。前王は二年前に亡くなっている。だから会わせることは不可能だ」

「なん、ですって?」

 先刻と同様、御前ごぜんひざまずくルーカスを見下ろすオルガノの青い瞳は、まるで氷のように冷たく、感情が見えない。

 これは──感情を殺し、合理的で冷徹れいてつな判断をくだす、オルガノが王の役をすときの目だ。





 ルーカスの隣で話を聞いていたラーティは、前王の逝去せいきょ散瞳さんどうが生じ言葉を失っている妻を見るオルガノの冷酷な眼差まなざしにゾクリとした。

 長くルーカスと共にいたが、夫婦となったことでわかってきたことがある。

 以前のラーティであったなら、オルガノの不遜ふそんな振る舞いに、事あるごとに反感を抱いていただろう。

 しかし何事にも、一線をかくするべき時宜じぎがある。多くの命を預かる者ならば尚更なおさらだ。

 命を天秤てんびんに掛け、秩序を重んじ、ときには多くを救うために少数を切り捨てる。

 非情な選択を迫られ、馴れ合いは一時の気まぐれとなり、どれほど心を許した相手であっても必要とあらば切り捨てる。

 王とは綺麗事だけでは勤まらない。本来、人の心を持たざる者にしか勤まらぬ大役に、心を千々ちぢに砕かれ壊れてしまった偉人、賢人を、ラーティは魔王討伐の旅で数多く見てきた。オルガノとて例外ではない。

 そういった裏の世界の役をになう者たちは、総じて手練手管てれんてくだけている。

 彼らの見えている部分は氷山の一角にすぎず、半分の情報量にも満たない。

 その裏にひそむ計略をはかることなくして、上辺のみを相手が考える全てと単一的に判断するのは、早計に失する行為だ。

 以前のように安易に烙印らくいんを押すばかりでは、オルガノの他者の感情を逆なでするおごり高ぶる振る舞いに隠された、行動の裏を読みくことはできない。

 なれども理解出来ないものに対し人は懐疑的かいぎてきだ。

 理解不能なものには最終的に興味を無くすのが常であるが。以前の己がそうであったように、なかには自身が理解出来ないものを認めたくないという心理が働き、偏狭的へんきょうてきな考えからそれ自体を許すことができない者もいる。

 そういった偏狭的へんきょうてきな考えによるところの非難批判に類する否定は、一見まっとうな内容のようでいて、その実構成される理論は表面的なものの揚げ足取りにすぎず、深い意味を持ち得ない。ゆえに中身は羽のように軽く、重みを持たない。

 時に理解出来ないストレスを緩和するための常套句じょうとうくとして、わかりやすい方が正しいという傾向が世間一般に見え隠れするが、

 世の物事の全てに正しい答えが用意されているというのは幻想にすぎない。

 むしろ物事の多くは、ハッキリと白黒が付けられない曖昧あいまいさで成り立っている。

 そのさいたるものが、世界の起源であろう。

 この星を抜けた外界──星の外は無限に広がり、終わりがないという。

 世界の果ては永遠にあり、無限に続いているというが。永遠とは何か。無限とは何か。無限とはどう存在するのか。何故終わりがないのか。終わりがないとはどういうことなのか。

 しかし世界のはしには何もないのだという逆説的な異論もしかり。何もないとはどういうことなのか。世界が有限だとするならば、無限は存在しないことになる。

 そもそも何故──我々世界が存在するのか。

 無限有限、どちらも証明するには矛盾が生じる。

 世界が存在するのもおかしいが、存在しないのもおかしい。そんな言葉遊びのような疑問の連鎖の上に、我々が住む世界自体が訳のない究極の曖昧さで成り立っている。

 すぐさま結論に飛びつくのではなく世の曖昧さに慣れ、己に問い掛けるのを意識し、新たな知見を深めることを怖れずつとめるなかで、やがて進化ブレイクスルーが訪れる。難関打破が延々えんえん繰り返されていく。それが生命の循環となる星の流れだ。

 けれど、否定と対照的な共感、受容、肯定は、対象への理解から派生するものであり。理解とは知識と経験からくる。

 ゆえに知見が多ければ多いほど、理解の範囲を広めていくが、総じて容易にできるものではない。

 理解出来ないこと自体に知識はともなわないが、対象への理解には相応の知見が必要となる。

 これが非難批判やそれに類する否定に多くの賛同が集まりやすい理由だ。理解よりも、理解できないことによる当面否定の立場を取り、現状を維持する方が圧倒的に楽なのである。

 そのからくりに気付かぬまま短絡的な選択をすれば、以前ルーカスを失いかけた己がそうであったように、多くの機会を失うだろう。

 己の物差ものさしを持つことなく、他人の言葉を鵜呑うのみにする危険性とはそういうことだ。

 まれ偏狭的へんきょうてきな非難批判にまぎれた建設的意見も存在するが、それを見抜くのも、そこへ至るのもまた、ある程度の知見を必要とする。

 ルーカスは常にその模範もはんとなる行動をラーティに示してきた。

 妻であると同時に人生の師でもある彼は、相手がどのようなやからであれ、ごくたまに挑発はすれど初見で見下すような真似は一切しない。

 相手の目的が善意なのか悪意なのか、はたまた善意の皮を被った悪意なのか、その逆もしかり。

 なかでも善意と思い込んだ無自覚の悪意せいぎほどたちが悪いものはないが、人生経験の不足からくるところの当人の問題であって、その心理に必要以上に引きずられるべきではないと、彼はよくよく心得ている。

 他者をコントロールするにあたって、もっとも有用な感情的手段は、罪悪感を抱くよう仕向けるものと知り。その上でおそらくルーカスは、相手の行動を多くの知見から本能的に分析し、読みいているのだろう。

 とりわけオルガノは、どのような状況であれ、全てを遊戯ゆうぎに変えてしまう節がある。その思惑にまんまと乗せられて手中しゅちゅうに落ちた、というより地獄を見た者たちの何と多いことか。

 対峙する相手によって知能の高低差はあれど、こういう人間を相手にするならば、必要なのは冷静であることだ。

 ラーティは隣でひざまずくルーカスをチラリと見る。

 前王の逝去せいきょしばし言葉を失っていたルーカスは、既にいつもの落ち着きを取り戻していた。

「何故私に訃報ふほうを知らせてくださらなかったのか。理由をお聞きしてもよろしいだろうか」

 きっぱりとした態度で顔を上げ、真っ直ぐにオルガノを眼差まなざし、もの柔らかに口を開く。踊らされるつもりはさらさらないルーカスは、やはり怒りといった負の感情をつゆほども見せずにいる。

 しかしオルガノも相当な食わせ物だ。冷淡な態度を崩さず、生真面目きまじめなルーカスの質疑をフッと鼻で笑う。

「私の下した決定に疑義ぎぎを申し出るとは邪推じゃすいが過ぎるというものだ。そもそも勇者の紋章が必要というのなら、私がその役をになえばすむ話ではないか。お前が私にそうじかに頼み込めばいい」

 オルガノは飄々ひょうひょうと言ってのけたが、国王への頼み事となると、もちろん相応の見返りが要求されるはずだ。

 慈善活動ではないのだから当然だが、話をすり替える辺り、厄介な見返りとなるのは確実だろう。

 死者の魂を冥界から連れ出す力を持つ冥王ハザードの召喚に、不利な取り引き条件をまされているガロンにしてもそうだが、どちらも非常に危うい選択だ。

 けれどルーカスにかけられた呪いを抑え込んでいる竜玉を取り出せなければ、息子は一生成長できないまま、あのミニマムサイズの子竜でいることになるやもしれない。それは可愛いが避けねばならないとルーカスも思っているはずだ。

「陛下は紋章の力を行使した後で、ラーティ様に王座を譲渡じょうとするおつもりですか?」

 やや間を空けて、ルーカスがたずねる。

 今のオルガノに呪いの解除を頼めば、体への負担は明らかだ。それを本人が知らぬはずがない。あえて提案するオルガノの思惑を、ルーカスは図りかねているようだ。

 だが不思議と、探るルーカスの声は波一つない湖畔こはんのように穏やかでとげがない。昔から彼の話し方は人を安心させる子守歌のように、心に優しく響く。

「時は見計らい選ぶものだ。そしてそれが必要ならば今がその時なのだろう」

 ルーカスは無駄な反応は控えて、静かな表情で押し黙るようにしていたが。やがてどのような考えにいたったのか、物事の核心を突くように述べる。

「──感情的になってはならない」

「何だと?」

 途端、眉をひそめるオルガノに、ルーカスは変わらぬ様子で淡々と続ける。

「そうお伝えしたのは確か、陛下が私との手合わせで通算五十回目の敗北をしたときですが」

 ルーカスが穏やかな物腰で眼前のオルガノを見据みすえた。

「恐れながら申し上げます。今の陛下にはわずかながら乱れがあるようです」

「!」

 長年遺恨いこんを抱いてきた相手の死にまつわる事柄で、そうやすやすとルーカスが引き下がるわけがなかった。

 オルガノをいさめるルーカスには少しの迷いもなく、こうも完璧にしてやられた顔で絶句するオルガノというのを、ラーティは初めて見た。

「もっとも、陛下との出会いがしらの手合わせでしでかした若気わかげいたりなど、私自身も他人にあまり知られたくない部分でもありますが。隠し立ては無用、とのことでしたので」

「お前という男は……!」

 素っ気ない余所行よそゆきの口調でしらを切るルーカスの、何と清々しいことか。

 先ほどオルガノがルーカスの前を通ったとき、何事か話し掛けたのを、隣にいるラーティは気付いていた。内容は聞こえなかったものの、話の流れからしてその時に言われた言葉を、ルーカスは今返したのだろう。

 状況によって相手の思惑に乗るべき時と、乗らざるべき時と複雑にからむこともあるが、ルーカスは今回後者を選んだようだ。

 出会った当初、ルーカスの方がオルガノより圧倒的に強かったなどの情報は、華やかな英雄譚えいゆうたんすみに追いやられ、ほとんど知られていない。

 後方に控える者たちは「五十回?」「陛下とルーカス様が手合わせを?」「陛下が敗北とはいったいお二人の間に何が……」と各々、驚きと推察に頭を悩ませていたが。身の危険を感じるほどの剣幕けんまくのオルガノに気付いた途端、口を閉ざし、青い顔で押し黙ってしまった。

 やはり二人のやり取りを初めて間近で見た者の反応はこうなる。

 これまでかなりの数の二人の攻防を目にしてきたラーティにとって、けだし当然の結果ではあるが、ルーカスが場の調和に手を抜くことはない。

 後方で控えて固まっている彼らをルーカスは一瞥いちべつし、剣呑けんのんな顔付きのオルガノへ視線を戻すと、ひざまずく姿勢のまま頭を下げ温厚篤実おんこうとくじつに述べる。

「言葉が過ぎましたことは平に伏してお詫び申し上げます。しかしこれ以上の恥の上塗りは互いに望むものではないでしょう」

 ただただあるがままを語るように、気取らず飾らず。ルーカスは相手が誰であろうとも、毅然きぜんと対応し、りんとした姿勢を崩さない。

 おそらくこれは、生まれ持った気性のなせるわざでもあるのだろう。それがどれほど難しいことか、さして自覚のないまま彼はこなしてしまうのだ。

「それともまだ思い出話がしたいというのであれば、私はいっこうに構いませんが」

 顔を上げ、言い切り、ルーカスはニコリと笑った。

 好戦的なルーカスの真っ直ぐな意志を貫く小さな体は、底知れぬ凄みを帯びていて、動じる気配はない。

 前王の逝去せいきょについて話をそらすオルガノから、相応の返答をもらえるまで、ルーカスは一歩も引く気はないようだ。

 対するオルガノは思い出話に花を咲かせるどころか、咲いた花を冥土めいどの土産に墓石へ飾りかねない様相ようそうでルーカスをにらみ付けているも、効果はあまり期待できない。

 どれもこれも全て、ルーカスは涼しい顔でかわしてしまうのだから。

 改めてその鮮やかな手腕しゅわんにラーティが関心していると──ルーカスがチラリとこちらを見た。

「ん?」とラーティが見返すと、何事もなかったようにスルリと目をらされる。それがどうにもぎこちなくうつり、しばし彼を傍観していると困ったようにルーカスは視線を泳がせた。

 高尚こうしょうなルーカスが不器用な反応を見せるのは、いつもきまって彼が苦手とする恋愛に関わる事柄ばかりだ。だから気付いた。

 これは……私の反応を気にしているのか?

 ルーカスは夫であるラーティを立てるよう、いつも気に掛けている。今回のように前面に出るような行動を取るのは、気がとがめるのやもしれぬ。

 そうラーティが察してしまったのを、ルーカスは何とはなしに勘付いたようだ。以降、けしてこちらを見ようとしないものだから、逆に確信する。

 一国の王を相手にこれほどの駆け引きをする男が、その最中さなかにも私にどう思われているのか、反応を気にしているのか……

 不覚にも感情を揺さぶられたラーティの変化を、敏感びんかんに察知したルーカスがようやくこちらを見たところで、苛立ちを包み隠さずそして苦々しく舌打ちする音が耳に届く。

「夫婦の語らいは他所よそでやれ」

 前方に数十歩ほど離れた上座に位置する、王座のオルガノが頬杖をついて、軽く嘆息たんそくを漏らす。

 オルガノもルーカスの思慕しぼに気付いたらしい。

「……夫婦の語らいとは、いったい何の話でしょうか」

 まし顔でルーカスが答える。

「このに及んで城主の私に平気な顔でうそぶくとは。相応の覚悟は出来ているのだろうな?」

「このに及んで詮無せんないことをおっしゃるのは、陛下の真心まごころと察せぬほど、私は愚か者ではないつもりです」

 しかしとことんしらを切り、とぼけるルーカスに、オルガノは恨み言を吐き出すも、気を悪くしたわけではないようだ。その証拠に不機嫌をあらわにしているものの、すっかり毒気を抜かれて、半ば呆れ顔でルーカスを見ている。

「なればこそ、私はその先にある答えについて怖れるのを止めましょう」

 野放図のほうずなオルガノに気圧けおされることなく、自己欺瞞じこぎまんおちいるでもなく、ルーカスはどこまでも信じ切って笑う。

 透き通るような美しさだった。

 その希少性に気付いた控えの者たちが、己の妻にかれるのをラーティはの当たりにする。

「まったく、お前ほど危険な男はそういない」

 そんなルーカスを、オルガノは開かれた青の両眼で見つめ、穏やかな表情を浮かべている。

 ラーティの知らぬ時代を共に生きてきた二人の、確かな絆が垣間見かいまみえた時だった。

「答えるのが筋だと、先に示してきたのはお前だ。これから話す異聞いぶんにお前がどう反応しようとも、私は何ら責任を負わんぞ」

「ご随意ずいいになさればいい」

 もはや一国の王と、その臣下の妻の会話に留まらない。これは完全に師弟していの域にある者たちの会話だ。

 後方に控えて、それを静観していた者たちはひたすらに驚き、茫然として二人の会話に聞き入っている。

 二十年程前、ルーカスがオルガノと共に旅をした英雄であることは、誰もが知っている。けれど噂話の口伝えや古書などから得た文字の上だけの知識と、実際にその二人の会談をじかに見聞きするのとでは、実感となって押し寄せる感情は前者の比ではない。

 空と大地を結ぶ境界線のように、そこには確かに、切っても切れない鋼鉄の絆が存在しているのだから。

 当時から現在まで続く二人の関係性の深さに、目撃した者たちは誰もが感銘かんめいを受けずにはおれなくなるのだ。

 感慨深かんがいぶかくも多くの衝撃にあって、張り詰めた空気がガラガラと音を立てて崩れ去っていく。

 暖かな春風に吹かれるように、王の間には一旦穏やかな空気が流れ出した。ようやく機がじゅくしたようだ。

「聡いお前ならば、前王が亡くなったのは二年前のあの日、お前が小屋からいなくなった時期だと言えば察しはつくか?」

 話しながら、オルガノはゆっくりとした動作で、体をほぐすように背もたれに寄りかかる。

「まさか……話したのですか?」

 ハッとするルーカスの顔を眺め見ながら、オルガノは続けた。

「セザン・フォリンの息子であるお前の行く末を見届けること。それが私が前王に課せた罰であった。その上で私がお前に何があったかを話した」

「っ!」

 それでは、死刑宣告をしたも同然ではないか──

 流石さすがに驚きというよりショックの方が大きかったらしい。ルーカスの体が一瞬、視界がぐらりと揺らいだようになった。

「グランドキャッスルに向かったきり戻らないと話した翌日に、前王は亡くなっていた。ようやく役割を終えたというようにな。あれだけの大罪を犯した相手を、王城の地下牢でただのうのうと飼い殺すだけで、私が終わらせると本気で思っていたのか? 罪人には相応の報いが必要だ」

「だから処罰を与えたと?」

 絞り出すような声だった。

 ルーカスの発言を聞きながら、──いや、むしろ前王には生きるための理由として、それが必要だったのかもしれない。ラーティはそう直感した。

 前王には何もなかったのだ。ルーカスの命一つで簡単に消えてしまうほどに。

 ラスクールをオルガノに奪還されたその日、前王は一人王座にいた。臣下に見放され、頼るものはなく、誰も自身を王と呼ぶ者はいない。

 恐ろしいほどの孤独と失意の中で、全てを失った前王には、生きる目的が何もなかったのだ。

 墓標を気持ちの整理をするためのり所とするように、多くの人が、心のり所となるモノを持っている。

 対象は物でも人でも信仰でも、思い出でも、何であってもいい。ただ己が正しいと思える依存先として何かしらを選び、心のよすがとすることで、心の安定を図る。

 依存先の数は多かれ少なかれ。心の内に抱く依存先のないまま、己の行動に確信を持って生きていける者は、そう多くないだろう。

 何にも依存せず、何にも心を許さず生きることは、不可能に近い。

 しかし、前王のように己の過去の行いを全て否定され、無意味なものだと本人が思い知ったのだとしたら? 価値を見出みいだせるもののないまま、いったい何をよすがに生きればいい。

 生きるよすがを失えば、多くの人は目的を失う。

 たとえそれが罰だとしても、何かしらを自分自身に課さなければ生きていけないほど、心に深い傷を負い、弱っている者もいるのだ。

 そうしなければ前王は生きられなかったのだろうことを、この眼前の王座に君臨する男は見抜いていた。そしておそらく、ルーカスもそれに気付いたのだろう。他人に心を砕く、優しい心根を持つ妻は、とても悲しい目をしていた。

 ラーティはルーカスの生き様から目が離せなかった。

 父親の手記から前王の内情を知るとはいえ、己の父親を極刑に処した相手にすら、そのような感情を抱けるのか。

 そんないびつで不完全な人間らしいあり方は、どこか矛盾している。

 ゆえに人は、不完全な生き物に自己を投影とうえいし、かれずにはおれないのかもしれない。
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