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第二部

37 後顧の憂い

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 冥王の名を出されて、ルーカスは後ろに控えるガロンを横目に熟慮じゅくりょする。

 難しい顔で押し黙る、ガロンの肯定とも取れる素振り。

 一年ほど前、ラーティたちはルーカスをラスクールに置いて、魔王討伐に旅立った。その間のことを彼等かれらはあまり話そうとしない。

 ガロンがただの魔獣使いでない話は、ラスクールに一人残されたルーカスの耳にも届いていた。けれどあえて聞くこともなかった。

 ロザリンドの言葉に齟齬そごはなく、真新しい話というわけでもない。いまさら驚くでもない事柄だが、問題は別にあった。

「先程私とルークを止めるために呼び出そうとしていた相手は、冥王で相違ないようですね……冥王は死者の魂の管理者でもある。勇者の紋章を復活させるのに有益な情報を知る人物を、黄泉の国から連れ出すよう願い出るのは可能ですか? ガロン様」

 女王でありながらロザリンドはガロンに答えを要求するのではなく、敬意を払う。

 最近ではクーペに振り回されて泣きを見ている姿ばかりが目に入るけれど、英雄の証を辞退したとはいえガロンは勇者パーティーの仲間で事実上現在の英雄だ。その価値をロザリンドは十分に理解している。

 功績と人柄に重きを置き、対等に扱い返答を待つ。彼女の真摯な姿勢に、ガロンは何かを感じ取ったのだろう。

 ルーカスの隣に座るラーティへ目をやり話していいかとうかがいを立てる。ラーティは浅く頷き受諾じゅだくした。

「ええ、確かに僕は呼び出そうとした。死界の王を。しかし勇者の紋章を復活させる情報を知る人物となると……」

 答えながらガロンは惑い、こちらにチラリと目を向けた。

 ……そう、一部の特権階級のみがその知識を独占していた時代があった。

 前回勇者のオルガノが統治するラスクールにおいて、勇者の紋章に関する知識を有するものは多くいる。だが紋章の復活となると対象は限られる。

 思い出されるのは懐かしさを含んだおぼろな情景。圧倒的な魔王の支配に、世界は灰色に焼かれ、荒れ果てていた。

 同時に、刹那的な感情に突き動かされていた若かりし頃の己の姿が思考を掠めて、ルーカスはやれやれと自らのひざを見下ろす。

 イビキこそかいていないものの、ルーカスの膝上で仰向けにひっくり返っているクーペが、いよいよ眠気に負けて膝から垂れ落ちそうになっている。半ばまで垂れていたクーペを慣れた手付きで抱き上げる。

「私に気遣いは無用だ」

 眠そうに目をつむったまま、「きゅいきゅいぷきゅぷきゅ」甘えた声で小さく鳴いているクーペの背中をポンポン叩きながら、淡々と要件を言うルーカスに、ガロンは「そう言われてもな……」と言葉をにごす。

 彼は知っているのだ。語りこそしないがルーカスの根底には闇がある。

 長らく封印されていたそれに触れ、開かれることによってこれまで築いてきた環境が変化するのを、彼は恐れている。

「ああ、それとも君には荷が重いか? ガロン。では私が進めよう」

「っ!」

 目立つことを好まない故に、人前では控えているふしのルーカスが、仲間に向けて珍しく挑発的な発言をした。

 ガロンの両隣にいる双子が目をく。

 仲間内では一番背が高く、必然的に皆の最後方さいこうほうにいることの多い褐色の巨体、バルバーニも無機質な印象の顔に驚きを浮かべた。

 着座しているラーティは相変わらず冷静そのものの様相ようそうで腕を組み、見守っているが……その腕にはさっきからクーペの長い尻尾の先がペシペシ当たっている。

 眠いけど寝てないと父親に伝えたいらしい。自分もちゃんと話に加わっている意思表示をする息子の尻尾を、ラーティは気にしていないようだ。むんずとつかむでもなく、クールに受けている。

 仲がいいのか悪いのか。こちらと同じく、会話中、父子のやり取りを何とはなしに無意識に目で追っていたガロンに、ルーカスは言う。

「君は大切な仲間だ。息子にとっても得難い存在と言ってもいいほどに」

 だから当然と関与していいのだと含みを持たす。

「遠慮に行動を制限されている場合じゃないってことか……」

 こういうとき、博識なガロンは野暮ったく判断を鈍らせない。的確に意図を汲み取った彼の答えに、ルーカスはわずかに口角を上げ、満足の笑みをたたえる。

「まだ私の助言が必要か?」

 付言ふげんすると、今度こそガロンは躊躇ためらいなく言い切った。

「いいえ、それには及びません」

「そうかでは頼んだ」

 過去と未来、どちらにおいても揺るがぬ高純度の信用と信頼に、ルーカスはガロンに後を託して簡潔に述べる。

 すると、彼は一呼吸置いてため息を吐く。再び顔を上げた諦めの表情は、どこか爽やかだ。

「紋章の正統な後継者であった本来の血筋の者なら、復活の方法を知っているかもしれない」

 前方の対象を見据えるガロンの顔付きが、敵をとらえた射手のように鋭いものに変わる。

「女王陛下、貴女あなたはラスクールの旧王族の魂をこちらの世界へ呼び戻せとおっしゃっているのですか?」

 それまで第三者とわきまえていたロザリンドはやにわに頷き、如何いかにもと眼差まなざしを強くした。

「旧王族は代々勇者を輩出はいしゅつしていた正統な勇者の一族。知っているとすればおそらく彼らでしょう。少なくとも古代の知識には何かしらの手掛かりがあるはずです」

「精霊の代替わりによって紋章を喪失した旧王族は、勇者を輩出する特異な王族の強権や地位を奪われまいとして紋章の復活に資力を尽くした。彼らはあらゆる文献をかき集めていたと聞き及んでおります。最期は魔王討伐を果たし帰還した陛下に悪行を問われ、皆処罰を受けたそうですが……」

「はい、だからこそガロン様のお力を試されるしかないというのが私の考えです」

 旧王族で生を許された者は一人もいない。ラスクールの民ならば誰もが知っている血塗られた歴史だ。そして勇者の紋章にそこまで精通した者はいないというのも、また公然の事実である。

「確かに。紋章を復活させる識者を探すのに、これほどの適任はいませんね。……わかりました。これより僕は冥王を呼び出す準備にかかります。即席で呼び寄せるのは可能ですが、用心するに越したことはないですから。よろしいですね、ラーティ様、ルーカス」

 転ばぬ先の杖の提案にラーティは答えず、代わりに旧王族とこの場でもっとも関わりの深いルーカスに視線を向けてくる。妻たる己に、夫は決断を委ねてくれた。

 集中する視線。投げかけられた言葉。

 その一つ一つを丁寧に紐解くように、ルーカスは一度目を閉じる。

 旧王族の内情を知る者ならば、その結論に行き着くと推察するのは容易たやすい。だが……魔獣使いの特化スキル「仲間になろうよ」は、全ての魔獣を使役できるとされている。けれどもそれは理論上の話にすぎない。

 死者の魂を呼び寄せるのみならず、死界の王は死者を蘇生させる力を持つとも言われている。

 味方であっても冥王に不要と判断されれば容赦なく首が飛ぶ。

 日常においても焦りの素振りは微塵も見せない、人形のように美しい顔立ちには、温かみのない気持ちの失せた表情をまとい。

 いかな状況にも感情は凍りついたように動かず、無表情に冷徹れいてつ眼差まなざしで王座に着き、おのが作りし惨状を眺めながらゆるりと杯を飲み干す。

 退屈極まりない平坦な日々にあきた王者の貫禄を姿勢に滲ませるも、刺激を求めるでもなく、ただそこにいる。虚無にまみれた完璧な生活を送っていると、耳にしている。

 無意味な時を生き、物事への価値を見いだせず、関心も抱かない。

 顔色一つ変えず、死界の定めに反する行いをした者は淡々と粛清される。

 敵も味方も死界の王の前では意味をなさない。支配こそが全てなのだ。

 加えて冥王は今回魔王の右腕であり、勇者であるラーティが一騎打ちをして深手を負った程の手練てだれ。そうやすやすと使役できる相手ではないはずだ。

「確か先程もロザリンドが話していたな。君は冥王と盟約を結んだと。しかしもし仮に、それが正確には使役した形式で盟約を結んだだけだとしたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・……呼び出した君はただではすまないはずだ」

 可能性を示唆しさするルーカスに、ガロンは息をらす。

 使役したのではなく、その本質が盟約のみの関係であるのなら、何かしらの代償が必要とされる。

 特化スキル「仲間を呼ぶ」で召喚するごとに魂を差し出すとでも話を付けたのか。それとも……いずれ冥王の元にくだり手駒になるとでも話をつけたのか。

 何にしてもガロンは相当厄介な相手に気に入られたらしい。彼は少しの沈黙の後に返事した。

貴方あなたもご存じのはずです。盟約の内容を他者に話すことはできない」

 珍しく強く出た彼に、ルーカスは「おや?」と目をしばたたかせる。

「いずれにしろ召喚は紋章の復活には欠かせない通過点だ。僕はこの件に関わると決めた以上、途中で下りる気はないですよ、ルーカス」

 ──たとえ貴方あなた相手でも指図さしずは受けない。

 一ミリもブレることなくこちらを見据えるガロンと視線が重なる。頼りがいのある、覚悟のできた良い面構つらがまえだ。

 本当に、強くなったな……

 後顧こうこうれいを断つ、次世代の芽吹きにルーカスはしみじみと思い、なればこそ、己のためにこの男を決して犠牲にはすまいと心肝しんかんに染める。

 腹に力を入れ、ルーカスは本懐ほんかいを遂げるべく、論議の口火を切った。

「わかった。だがそれなら召喚する必要はない」

「どういう意味ですか?」

「私に一つ心当たりがある」

 そうして事も無げに述べたルーカスに、横から疑念が投げかけられた。

「旧王族は陛下によって罪を問われ、全員処刑されたはずだが?」

 座視ざしするに留めていた夫の怪訝けげんにルーカスは小さく頷く。

「はい、ラーティ様。表向きはそう伝えられています」

「どうやら……私たちにはあずかり知らぬ話があるようだな」

 困ったものだと、ラーティは妻の数ある隠し立てに諦めを含んだ様相でいるも、不要に咎めようとしない。責める気持ちは見せず、やや曇り顔でルーカスが謝罪するのを、寛容に受け入れている。

「それで、どのような内情かは話してくれるな?」

 殊勝にも続きを話すよう丁寧に問うてくる。困り顔に優しい微笑を浮かべるラーティの上品で美しい声音こわねに惹かれ、湧いた安堵に誘引されるまま「はい」と答える。唇から、何の抵抗もなく伝えるべき事柄が零れた。

「旧王族のなかに一人だけ、刑を免れた者がいます」

 ラーティ同様、知らぬ話に驚きを見せたのは彼だけではない。この場に居合わせた仲間の面々、そして──

「ルーク……?」

 みるみるうちにロザリンドの瞳孔が開かれていく。

「彼は私の父の主であった男です」

 それは当時を知る彼女ですら、知らされていない話だった。
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