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第二部
32 始まりの戦士
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クーペを腕に抱え、ラーティが円卓を離席した。後方の壁際へ足を進める、その背中を着座したまま見送っていると、声が掛かった。
「ルーク」
仲間を案じる、穏やかで僅かな憂いを秘めた声。懐かしい感覚だ。昔、彼らと旅をした頃が心を掠め、噛み締めるように目を瞑る。
「貴方はかつて生死を共にした友よりも、その竜を選ぶのですか」
「…………」
ラーティたちを見送っていた視線を、ゆっくりと正面に座るロザリンドへ向ける。
こちらの変化に、彼女は驚きを見せたものの、順応し冷静を取り戻していた。
「貴方はその罪深き竜と心中するおつもりですか」
向き直ったルーカスに、ロザリンドもまた、確かめる目をした。
重ねて問われる丁寧なやり取りに、しかしルーカスの意思は変わらない。それを知っていてあえて語り掛ける友の気持ちに、ルーカスは嘘偽りなく答えた。
「あの子を拾ったとき、私は約束したのだ。一人立ちするまで私がちゃんと育てると」
目を細め、出会った頃のことを思い出す。
グランドキャッスルの噴火口で、ルーカスを見つけたクーペはひっついて離れず、引き剥がしていたらピーピー泣き出した。
途方に暮れ、赤ちゃんドラゴンに言った。
『……分かった。泣くな、一人立ちするまで私がちゃんと育ててやるから』
そうして拾って育てているうちに、いつの間にか家族になっていた。だからとうに答えは出ている。
告げると、彼女は飲まずに手を添えていた湯呑みを口元まで運び、一口飲む。──コトンと、湯呑みを円卓に置く音が、静かな室内に響いた。
「そうですか……では、続きをお聞かせ願えますか?」
「私は君と袂を分かつつもりも、あの子を捨てるつもりもない」
どちらも大切なかけがえのない存在だ。ならばどちらも切り捨てないだけだ。しばしの沈黙の後に、ルーカスは生真面目な表情を浮かべ、言い切る。
「誰かを選び切り捨てる権利を持ち得るほど、私は高位の者ではないからな」
交わる視線。探り合いの最中にも互いを思いやる心を感じ、胸が締め付けられるような痛みに、ルーカスは顔を顰め、ロザリンドの返事を待った。
たおやかに、彼女はルーカスを見据えた。
「私たちが仲間内で取り交わした掟……覚えていらっしゃいますね? ルーク」
確認に、ルーカスは僅かの間を置いて目を閉じ、再び見開く。
二人の間で交わされた、外野には知り得ないやり取りに、後方に控えるラーティたちの視線をヒシヒシと感じながらルーカスは頷く。
「ああ、覚えている」
答えに、ロザリンドは満足げに口角を上げた。
ルーカスを見定める彼女の純黒の瞳に、魔力の宿る光が灯り出す。交渉は──決裂した。
「っ!? ラーティ様っこれは!?」
後方でラーティと共に控えていたガロンが声を上げた。
辺りを強い魔力が渦巻いていく。
地面が、部屋全体が、揺れている。ゴゴゴゴゴゴゴと地震でもないのに地鳴りが起こり、屋敷の使用人たちの悲鳴が聞こえてきた。
客間の壁が揺れ、装飾品が次々と落下していく。そこへ、屋敷の主の身を案じて客間に駆け込んできたドリスとフェリス、バルバーニ。そして執事長と使用人の総勢四十名ほどの屋敷の住人たちは目の当たりにした。
ロザリンドと相対するルーカスのただならぬ様子に、これが普通の地震ではないのだと得心し、息を潜める。
「先程見た未来は夢か幻か……」ポツリと呟き、屋敷ごと葬り去らんとする力にもルーカスは動じず、片手を円卓に置いてゆっくりと立ち上がる。
着座したままの好敵手を前に捉え、普段から慰み程度に忍ばせている短刀に手を掛ける。
睨み合いがはじまってから程なくして。仄暗い闇の中で、灯籠の炎が一つだけポッと灯るように、暗く翳った笑みを浮かべる彼女の周りに、無数の魔力の塊が派生する。
そしてルーカスもまた、滅多に抜くことのない短刀を眼前に構えた。
*
一瞬の出来事だった。
放たれた無数の魔力の閃弾はルーカスの鼻先を掠め、屋敷の壁に衝突した。砕けた壁が、ガラガラと崩れ落ちていく。
続けざまに迫る魔力の閃弾、その軌道をルーカスは起立した位置から一歩も動くことなく、短刀一本で全て受け流し、跳ね返す。
神懸かった攻防を目の当たりにしたガロンが、男にしてはどちらかというと細身のルーカスの背中を見つめ、呟いた。
「ラーティ様、さきほどはルーカスに耳元で何を言われたのですか?」
共に後方に控えて並ぶガロンが、加えて「僕はこんなルーカスを見たことがありません……」と言うを聞いて、そうだろうなとラーティは隣の彼を横目に、心の内でごちる。
ガロンは放心した様子でいる。彼は返答を期待して聞いたのではない、ただ己の感じたものが正しいかを知りたかっただけだ。
ラーティもまた、ルーカスの背中を見つめ、感じ入る。
老兵のルーカスとは段違いの速さと正確さ、洗練された動きだ。
ガロンが驚くのも無理はない。一時期とはいえ、ガロンはルーカスと共に旅をしたのだから。しかし彼が見ていたルーカスは、全盛期をとうに過ぎた老兵のルーカスだ。
そして己も、長年自分を守護してきた者の強さを知っていると思い込んでいた。
戦士としてルーカスが多くの傷を負い、主と定めたラーティを守る姿を思い出す。
己がまだ幼く、ルーカスが三十代の頃──彼の鉄壁の守りを誇る強さを、自分は知っている。だからこそ、ルーカスの真の強さを幾度も見たことがある。そう思っていた。
けれど円卓の席に座るロザリンドの攻撃を全て紙一重で躱していく、短刀一本で対処する神懸かったルーカスの姿……自分を守護していたルーカスもまた、全盛期を過ぎたものだったのだ。
ラーティを守るための気迫、そして示される強さは彼の限界ではなく、一端にすぎなかった。
それも彼は、ただ攻撃をやり過ごしているのではない。後方にいるラーティたちに当たらないよう、その飛ばされる先の軌道さえも見切って逸らしている。
明らかに不利な状況下で、他者を庇いながら戦う。戦士の極致に到達した、これが本来の彼の戦い方なのだ。
自分の今まで見てきたルーカスは、全盛期の強さには及ばない。それを確信し、ゾクリとまた首筋に悪寒が走る。
くっ……そうだ。これが本来のルーカス。これが、この男の身の内に隠されていた凄み。
「ガロン、お前は知らないだろうが、ルーカスとオルガノが出会った時、ルーカスは陛下より強かった」
「なんですって?」
体は当時に及ばずとも、全身から溢れ出でる戦気。これが最盛期の頃、ルーカスが持ち得た本来の姿。
「派手な英雄譚ばかりが周知されているからな。それを知る者は限られる。出会い頭の手合わせで、ルーカスはいとも簡単に陛下を下したと聞く」
「!? じょ、冗談ですよね……?」
「出会った当時のルーカスの年齢は二十一、陛下は十四。年齢差は七つあると聞いてはいたが、しかしこれほどの闘志を持ち合わせていたとはな……」
「ルーカスは陛下よりそんなに年上だったのですか!?」
旧王族によって窮地に追い込まれていたお尋ね者の勇者──オルガノを助け、導いた、始まりの戦士。
前回魔王が討伐されたのは今から二十年ほど昔。オルガノとルーカスが出会ったのは、もう数年前の話になるのだが。
「平民の出であった騎士団長の父親を旧王族に殺されたルーカスは、貧困の中で身体の不利にも屈せず、自らを鍛え上げた。そして──旧王族に狩られようとしていた、生粋の血筋から生まれたのではないオルガノを救った男だ」
ルーカスの限界を知り尽くしている。老いた彼を見てそう無意識に思い込んでいた、自身の傲慢な見解に内心舌を打つ。
歴代最強の魔王、前回魔王カオスドラゴンに戦いを挑んだ、異端の勇者オルガノの時代。
「戦士でありながら、騎士顔負けの忠誠心と戦士の凄みを合わせ持つ、前回勇者オルガノの影の騎士……当時のルーカスは騎士の道を歩む者『闘騎士』と呼ばれていたそうだ」
今の穏やかな姿からは想像もつかない。とんでもない昼行灯もいたものだ。
ラーティが独り言のように語るのを、ガロンは目を瞠り静かに息を呑む。
前回魔王カオスドラゴンの戦力枯渇の時代を知らぬ新しい世代にとって、その時代の英雄たちを知るには、多くの文献に目を通し想像するしかない。
時の経過に抗うように、忘れゆく彼らの姿を、人は伝承と共に心に留めようとする。
人の生きざまなどどれだけの軌跡を残そうと、寄せては返す波打ち際の砂のように、やがては曖昧な曲線となって跡形もなく消えていく。
しかしその人物が再び目前に現れたとき、人はどのような反応を示すものなのだろうか。
それまで自分たちの近くで物音一つ立てず控えていた、普段から冷静そのもののメイド長であり、クーペのお世話係も務めるタリヤだが……畏敬の念と共に、彼女の驚きが増幅するさまを、ラーティは見た。
ゆっくりと辺りを見渡す。客間に集まった屋敷の住人たちは皆一様に、眼前の前英雄二人を見つめたまま痺れたように動けず。言葉を失うほどの感情の高ぶりに、体を小刻みに震わせている。
けれどそんな渦中にあって、いち早く自身を取り戻したのは、やはり隣りにいるガロンだった。
彼は掛けている眼鏡に指先を当てながら、注意深く円卓を見つめ……他方の手に召喚に使う杖を携え、密やかに告げる。
「ラーティ様、いざとなれば僕がアレを呼び出します。その隙に貴方はルーカスとクーペを連れてお逃げください」
「!」
ルーカスはかつての力を取り戻した。しかし維持するには体が保たない。保ってあと数分といったところだろう。
それまでに事が済むとは思いがたい。ラーティにもそれはわかっていた。失いたくないという思いは、隣に控えるこの男も同じだ。しかし──
「駄目だ。それをすればどうなるか、わかっているだろう」
ガロンは単独で戦況を覆す程の力を持つ魔獣使い、国家戦略に起用されることもある「戦術魔獣使い」だ。以前ウルスラにも言われていた、ガロンが戦術魔獣使いのなかでも特別と言われる所以を、勇者パーティーを統率するラーティは当然知っている。
その力を使えば、この眼前にそびえる古参の英雄を抑えることもできる。──だが、
「それを容認することはできない」
「ラーティ様誰かを失うよりは良い選択だと思いますよ。大丈夫です。あれを一回呼び出した程度では、僕は死にはしません。それに……」
再三冷静な口調で断るラーティに、けれどもガロンはニッと余裕の笑みを湛え、言う。
「陛下ほどではないですが、これでも長い付き合いなんですから。ここまできてお前は関係ないなんて言わないでくださいよ」
……まったくこの男も相当な食わせ者だな。
普段はクーペや自分の使役する魔獣に振り回されているお人好し。けれども彼は、仲間のためなら命すら惜しまない。誰かさんにそっくりだと、舌を巻く。
緩やかでありながら強い意志を持つ、崇高な精神。覆すことは容易ではない。
珍しく感情を表し、嘆息するラーティを前にしても、彼は余裕の笑みを崩さない。
時折ルーカスに似た行動を示すガロンに、ラーティは弱いのだ。だからだろう。彼を相手にすると自然と気が緩むのは、勇者パーティーの最年長というだけが理由ではない。
「すまない……」
「謝らないでください。僕にとって貴方たちは失えない存在なんですから」
軽快な雰囲気で述べながら、身命を賭すガロンの判断を承諾し、実行がなされる。そのとき──
前英雄同士の気迫と緊張に包まれた室内。その攻防を周りが固唾を呑んで見守るなか、いよいよロザリンドの身の内から滲み出でる魔力を伴った闇の霧がルーカスに到達する、すんでの所で──前英雄たちの前を黒い何かが横切った。
「ルーク」
仲間を案じる、穏やかで僅かな憂いを秘めた声。懐かしい感覚だ。昔、彼らと旅をした頃が心を掠め、噛み締めるように目を瞑る。
「貴方はかつて生死を共にした友よりも、その竜を選ぶのですか」
「…………」
ラーティたちを見送っていた視線を、ゆっくりと正面に座るロザリンドへ向ける。
こちらの変化に、彼女は驚きを見せたものの、順応し冷静を取り戻していた。
「貴方はその罪深き竜と心中するおつもりですか」
向き直ったルーカスに、ロザリンドもまた、確かめる目をした。
重ねて問われる丁寧なやり取りに、しかしルーカスの意思は変わらない。それを知っていてあえて語り掛ける友の気持ちに、ルーカスは嘘偽りなく答えた。
「あの子を拾ったとき、私は約束したのだ。一人立ちするまで私がちゃんと育てると」
目を細め、出会った頃のことを思い出す。
グランドキャッスルの噴火口で、ルーカスを見つけたクーペはひっついて離れず、引き剥がしていたらピーピー泣き出した。
途方に暮れ、赤ちゃんドラゴンに言った。
『……分かった。泣くな、一人立ちするまで私がちゃんと育ててやるから』
そうして拾って育てているうちに、いつの間にか家族になっていた。だからとうに答えは出ている。
告げると、彼女は飲まずに手を添えていた湯呑みを口元まで運び、一口飲む。──コトンと、湯呑みを円卓に置く音が、静かな室内に響いた。
「そうですか……では、続きをお聞かせ願えますか?」
「私は君と袂を分かつつもりも、あの子を捨てるつもりもない」
どちらも大切なかけがえのない存在だ。ならばどちらも切り捨てないだけだ。しばしの沈黙の後に、ルーカスは生真面目な表情を浮かべ、言い切る。
「誰かを選び切り捨てる権利を持ち得るほど、私は高位の者ではないからな」
交わる視線。探り合いの最中にも互いを思いやる心を感じ、胸が締め付けられるような痛みに、ルーカスは顔を顰め、ロザリンドの返事を待った。
たおやかに、彼女はルーカスを見据えた。
「私たちが仲間内で取り交わした掟……覚えていらっしゃいますね? ルーク」
確認に、ルーカスは僅かの間を置いて目を閉じ、再び見開く。
二人の間で交わされた、外野には知り得ないやり取りに、後方に控えるラーティたちの視線をヒシヒシと感じながらルーカスは頷く。
「ああ、覚えている」
答えに、ロザリンドは満足げに口角を上げた。
ルーカスを見定める彼女の純黒の瞳に、魔力の宿る光が灯り出す。交渉は──決裂した。
「っ!? ラーティ様っこれは!?」
後方でラーティと共に控えていたガロンが声を上げた。
辺りを強い魔力が渦巻いていく。
地面が、部屋全体が、揺れている。ゴゴゴゴゴゴゴと地震でもないのに地鳴りが起こり、屋敷の使用人たちの悲鳴が聞こえてきた。
客間の壁が揺れ、装飾品が次々と落下していく。そこへ、屋敷の主の身を案じて客間に駆け込んできたドリスとフェリス、バルバーニ。そして執事長と使用人の総勢四十名ほどの屋敷の住人たちは目の当たりにした。
ロザリンドと相対するルーカスのただならぬ様子に、これが普通の地震ではないのだと得心し、息を潜める。
「先程見た未来は夢か幻か……」ポツリと呟き、屋敷ごと葬り去らんとする力にもルーカスは動じず、片手を円卓に置いてゆっくりと立ち上がる。
着座したままの好敵手を前に捉え、普段から慰み程度に忍ばせている短刀に手を掛ける。
睨み合いがはじまってから程なくして。仄暗い闇の中で、灯籠の炎が一つだけポッと灯るように、暗く翳った笑みを浮かべる彼女の周りに、無数の魔力の塊が派生する。
そしてルーカスもまた、滅多に抜くことのない短刀を眼前に構えた。
*
一瞬の出来事だった。
放たれた無数の魔力の閃弾はルーカスの鼻先を掠め、屋敷の壁に衝突した。砕けた壁が、ガラガラと崩れ落ちていく。
続けざまに迫る魔力の閃弾、その軌道をルーカスは起立した位置から一歩も動くことなく、短刀一本で全て受け流し、跳ね返す。
神懸かった攻防を目の当たりにしたガロンが、男にしてはどちらかというと細身のルーカスの背中を見つめ、呟いた。
「ラーティ様、さきほどはルーカスに耳元で何を言われたのですか?」
共に後方に控えて並ぶガロンが、加えて「僕はこんなルーカスを見たことがありません……」と言うを聞いて、そうだろうなとラーティは隣の彼を横目に、心の内でごちる。
ガロンは放心した様子でいる。彼は返答を期待して聞いたのではない、ただ己の感じたものが正しいかを知りたかっただけだ。
ラーティもまた、ルーカスの背中を見つめ、感じ入る。
老兵のルーカスとは段違いの速さと正確さ、洗練された動きだ。
ガロンが驚くのも無理はない。一時期とはいえ、ガロンはルーカスと共に旅をしたのだから。しかし彼が見ていたルーカスは、全盛期をとうに過ぎた老兵のルーカスだ。
そして己も、長年自分を守護してきた者の強さを知っていると思い込んでいた。
戦士としてルーカスが多くの傷を負い、主と定めたラーティを守る姿を思い出す。
己がまだ幼く、ルーカスが三十代の頃──彼の鉄壁の守りを誇る強さを、自分は知っている。だからこそ、ルーカスの真の強さを幾度も見たことがある。そう思っていた。
けれど円卓の席に座るロザリンドの攻撃を全て紙一重で躱していく、短刀一本で対処する神懸かったルーカスの姿……自分を守護していたルーカスもまた、全盛期を過ぎたものだったのだ。
ラーティを守るための気迫、そして示される強さは彼の限界ではなく、一端にすぎなかった。
それも彼は、ただ攻撃をやり過ごしているのではない。後方にいるラーティたちに当たらないよう、その飛ばされる先の軌道さえも見切って逸らしている。
明らかに不利な状況下で、他者を庇いながら戦う。戦士の極致に到達した、これが本来の彼の戦い方なのだ。
自分の今まで見てきたルーカスは、全盛期の強さには及ばない。それを確信し、ゾクリとまた首筋に悪寒が走る。
くっ……そうだ。これが本来のルーカス。これが、この男の身の内に隠されていた凄み。
「ガロン、お前は知らないだろうが、ルーカスとオルガノが出会った時、ルーカスは陛下より強かった」
「なんですって?」
体は当時に及ばずとも、全身から溢れ出でる戦気。これが最盛期の頃、ルーカスが持ち得た本来の姿。
「派手な英雄譚ばかりが周知されているからな。それを知る者は限られる。出会い頭の手合わせで、ルーカスはいとも簡単に陛下を下したと聞く」
「!? じょ、冗談ですよね……?」
「出会った当時のルーカスの年齢は二十一、陛下は十四。年齢差は七つあると聞いてはいたが、しかしこれほどの闘志を持ち合わせていたとはな……」
「ルーカスは陛下よりそんなに年上だったのですか!?」
旧王族によって窮地に追い込まれていたお尋ね者の勇者──オルガノを助け、導いた、始まりの戦士。
前回魔王が討伐されたのは今から二十年ほど昔。オルガノとルーカスが出会ったのは、もう数年前の話になるのだが。
「平民の出であった騎士団長の父親を旧王族に殺されたルーカスは、貧困の中で身体の不利にも屈せず、自らを鍛え上げた。そして──旧王族に狩られようとしていた、生粋の血筋から生まれたのではないオルガノを救った男だ」
ルーカスの限界を知り尽くしている。老いた彼を見てそう無意識に思い込んでいた、自身の傲慢な見解に内心舌を打つ。
歴代最強の魔王、前回魔王カオスドラゴンに戦いを挑んだ、異端の勇者オルガノの時代。
「戦士でありながら、騎士顔負けの忠誠心と戦士の凄みを合わせ持つ、前回勇者オルガノの影の騎士……当時のルーカスは騎士の道を歩む者『闘騎士』と呼ばれていたそうだ」
今の穏やかな姿からは想像もつかない。とんでもない昼行灯もいたものだ。
ラーティが独り言のように語るのを、ガロンは目を瞠り静かに息を呑む。
前回魔王カオスドラゴンの戦力枯渇の時代を知らぬ新しい世代にとって、その時代の英雄たちを知るには、多くの文献に目を通し想像するしかない。
時の経過に抗うように、忘れゆく彼らの姿を、人は伝承と共に心に留めようとする。
人の生きざまなどどれだけの軌跡を残そうと、寄せては返す波打ち際の砂のように、やがては曖昧な曲線となって跡形もなく消えていく。
しかしその人物が再び目前に現れたとき、人はどのような反応を示すものなのだろうか。
それまで自分たちの近くで物音一つ立てず控えていた、普段から冷静そのもののメイド長であり、クーペのお世話係も務めるタリヤだが……畏敬の念と共に、彼女の驚きが増幅するさまを、ラーティは見た。
ゆっくりと辺りを見渡す。客間に集まった屋敷の住人たちは皆一様に、眼前の前英雄二人を見つめたまま痺れたように動けず。言葉を失うほどの感情の高ぶりに、体を小刻みに震わせている。
けれどそんな渦中にあって、いち早く自身を取り戻したのは、やはり隣りにいるガロンだった。
彼は掛けている眼鏡に指先を当てながら、注意深く円卓を見つめ……他方の手に召喚に使う杖を携え、密やかに告げる。
「ラーティ様、いざとなれば僕がアレを呼び出します。その隙に貴方はルーカスとクーペを連れてお逃げください」
「!」
ルーカスはかつての力を取り戻した。しかし維持するには体が保たない。保ってあと数分といったところだろう。
それまでに事が済むとは思いがたい。ラーティにもそれはわかっていた。失いたくないという思いは、隣に控えるこの男も同じだ。しかし──
「駄目だ。それをすればどうなるか、わかっているだろう」
ガロンは単独で戦況を覆す程の力を持つ魔獣使い、国家戦略に起用されることもある「戦術魔獣使い」だ。以前ウルスラにも言われていた、ガロンが戦術魔獣使いのなかでも特別と言われる所以を、勇者パーティーを統率するラーティは当然知っている。
その力を使えば、この眼前にそびえる古参の英雄を抑えることもできる。──だが、
「それを容認することはできない」
「ラーティ様誰かを失うよりは良い選択だと思いますよ。大丈夫です。あれを一回呼び出した程度では、僕は死にはしません。それに……」
再三冷静な口調で断るラーティに、けれどもガロンはニッと余裕の笑みを湛え、言う。
「陛下ほどではないですが、これでも長い付き合いなんですから。ここまできてお前は関係ないなんて言わないでくださいよ」
……まったくこの男も相当な食わせ者だな。
普段はクーペや自分の使役する魔獣に振り回されているお人好し。けれども彼は、仲間のためなら命すら惜しまない。誰かさんにそっくりだと、舌を巻く。
緩やかでありながら強い意志を持つ、崇高な精神。覆すことは容易ではない。
珍しく感情を表し、嘆息するラーティを前にしても、彼は余裕の笑みを崩さない。
時折ルーカスに似た行動を示すガロンに、ラーティは弱いのだ。だからだろう。彼を相手にすると自然と気が緩むのは、勇者パーティーの最年長というだけが理由ではない。
「すまない……」
「謝らないでください。僕にとって貴方たちは失えない存在なんですから」
軽快な雰囲気で述べながら、身命を賭すガロンの判断を承諾し、実行がなされる。そのとき──
前英雄同士の気迫と緊張に包まれた室内。その攻防を周りが固唾を呑んで見守るなか、いよいよロザリンドの身の内から滲み出でる魔力を伴った闇の霧がルーカスに到達する、すんでの所で──前英雄たちの前を黒い何かが横切った。
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