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第二部
29 仲間に入れて
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数十年ぶりの再会に涙を浮かべるロザリンドに、ルーカスは客間の扉を閉め、ゆっくりと歩み寄る。やがて互いの顔がよく見えるところまでくると、彼女は感嘆に熱い吐息を漏らした。
「若返ったことは噂に聞いておりましたが、本当に……当時のままなのですね」
「そちらも変わりなく」と状況の深刻を鑑みて、そつなく言葉を交わすには、ロザリンドはルーカスへの好意に溢れ過ぎていた。
「……君も、やはり当時のまま変わりないのだな」
再会を喜び、穏やかにロザリンドを迎え入れる。
ロザリンドと会うのは実に数十年ぶりとなる。魔女の不死性は知っていたつもりが、やはり体感すると不思議な感覚になるものだ。一挙手一投足に品の良さを感じる、彼女の変わらぬ美しい微笑に、ルーカスも自然、微笑み返す。すると──
「ロザリンド?」
女性らしい女性というべきか、いつも慎ましいロザリンドが溜め込んだものを吐き出すように、彼女の方からルーカスを抱き締めたのだ。思わぬ抱擁に、ルーカスは目を二、三瞬く。
ロザリンドの出自は聖女の国の王女だ。聖女の国ユグナシルに王女として産まれながら、魔女という異端の能力を持って生まれたが故、彼女は王女でありながら苦悩を背負い生きてきた。
前回魔王カオスドラゴンがいた時代では、魔女は迫害に遭い、国と呼べる場所がなかった。
強い攻撃性の力を持った魔女を、人々は怖れていたからだ。
ロザリンドもまた、あるまじき存在として多くを制限され、奪われながら。けれどもその根底にある心根は、彼女の母──聖女の中でも強大な聖なる力を持つ大聖女、イザベラの権威によって守られる。
ロザリンドの中の、王族の誇りは消えない。魔王討伐を果たした後、彼女は自分と同種の魔女を救う道を見出す。
最果ての国、エストラザ。
英雄の立場に甘んじることなく祖国を離れ、ロザリンドは大陸の末端に魔女の国を作った。魔女が迫害されることのない国を。
迫害に多くの仲間を失いながら、辛うじて生き延びていた魔女達に、彼女は手を差し伸べたのだ。
魔女を保護する母となり、同種を守る盾となるべく道を選んだロザリンドは、普段は澄んだ水面のように静かな印象を与える。けれど芯は強く、誇り高い女性だ。そんな彼女がこうも喜びを面に出すとはと、ルーカスはいささか驚いた。
「此度の件、そして貴方に何があったのか、オルガノから聞いています。ずっと、気にかけていたのですよ? やっと、やっと、貴方に会うことができた……」
そういうことか……
目元に涙を溜めたロザリンドの美しい顔を見ながら、再会の余韻に浸り、ルーカスは確信する。
男の身でありながら、王子兼勇者の男の妻となり、子供まで授かった。更には成り行きとはいえ、伝説級と言われるドラゴンを使役することとなり……あれだけ派手な立ち回りをしたのだ。こちらの事情は世間を介して、嫌でも耳に入る。ある程度は伝わっていると思っていた。
しかしロザリンドは、それ以上のことを知っているようだ。様子から察するに、おそらくはルーカスが火山の火口に身投げしたことまでバレている。一年前のあのときから、彼女は知っていたのかもしれない。
「すまない。私は相当に君を心配させてしまったようだ」
落ち着かせるよう、小刻みに震えるロザリンドの背中に手をやり、ポンポンと叩く。
それにしても、いったいどういう経緯でオルガノはロザリンドに話すことになったのか……。
普段は傍若無人に振る舞ってはいるけれど、オルガノは案外融通が利く。話すにしても、そこは当然伏せているものと思っていた。
ロザリンドを慰める一方で、ルーカスは旧友達の動向に頭を悩ませていた。
*
それなりの時間が経過して、ロザリンドが落ち着きを取り戻した頃。
氷の精霊と組んでいたフォルケが捕えられたことで、ルーカスが家族と過ごす間に、やはり状況は一変したようだ。
山頂に立てこもり、民を守っていたロザリンドへの攻撃は止み。凍結されていたエストラザの民達も、娘のウルスラもその支配を解かれた。
そう改めてロザリンドから話を聞きながら、ふとした疑問が湧く。それらは彼女が屋敷に来ると聞いて、こちらもある程度想定していた事柄であった。きっと本題は別にある。
ルーカスは娘のウルスラに会ったことはないが、近隣では美魔女と呼ばれているロザリンドに、ウルスラは瓜二つの容姿をしているそうだ。また同時に、母親譲りの強い魔力も持ち合わせている。
そのウルスラが現在療養中で、女王の代役を果たせないというのであれば、他に代役を立てればいい。氷の精霊によって乱れた国政を、今は整える方が先だとオルガノも心得ている。代役として多少力量が満たされていなくとも、彼は納得するはずだ。しかしロザリンドはそれをしなかった。
真髄を探り当て、ルーカスは切り出すことにした。
「動きを封じられていたエストラザの女王自らが国を離れ、出てきたということは、君とオルガノとの間に何らかの直接的な交渉があったということか」
少しの間、ロザリンドは当然と受け入れていたルーカスを見つめ、クスリと笑う。
「……ルーク、貴方は相変わらず聡い方ですね」
そう言ってロザリンドはルーカスを抱き締めていた腕を解くと、まっすぐに見つめ返すルーカスの頬に触れ、名残惜しげに離れた。
次いでルーカスの後方──扉の方へとロザリンドは目を向け、柔らかに微笑む。
「ラーティ様、お久しゅうございます」
再会に気を取られて、ラーティがいるのに気付かないとは失態だ。
ラーティは急ぐルーカスを先に行かせて、寝ている子供達の世話をメイド長のタリヤに任せてくれていたのだ。
ルーカスは着替えもそこそこに、王族の妻にしては簡易的な服装での謁見となったが、客間の扉の前に立つラーティは夜着から正装へと着替えていた。
「ラーティ様……?」
何故だろう。理由は分からない。しかし正装姿のラーティに、ルーカスはどことなく違和感のようなものを覚えた。それは、すぐに形となって現れる。
ラーティはいつも通りの淡泊な様相でルーカスの隣までくると、体を屈め、その場に恭しく膝を折る。床に片膝をつき、彼は伏して口を開いた。
「ご機嫌麗しゅう存じます。エストラザの国主。ロザリンド・エス・ハーカー女王陛下。旧交を温めているところ、非礼な振る舞いをどうかお許しください」
普段のラーティとは異なる口調、異なる態度、そして立ち振る舞いまでもが違う。極めつけは……跪き、頭を下げ、彼は続けざまに述べた。
「ルーカスは私の妻、その大事に関わる話であるならば、同席の許可をいただきたく参った次第でございます」
茫然とルーカスはラーティを見つめていた。
魔王討伐を果たし、真の勇者成り得たラーティは特別だ。一介の王族貴族などは足元にも及ばない。名の知れた王族でさえも、進んで頭を下げるべき、世界でも重要な存在なのだ。それが──
勇者でも、王子でも、ましてや英雄でもない。夫として、妻のために礼を尽くしているのだ。
姿勢を低くするラーティに、気付かぬロザリンドではない。彼女は一瞬、子供の成長を喜ぶ顔を見せると、穏やかに返す。
「もちろんです。元よりこれはルークの夫であるラーティ様にも立ち会っていただくべき事柄。それに、礼を尽くすはこちらの方……この度は娘のウルスラがお世話になりました。謹んでお礼を申し上げます」
ラーティに続いてロザリンドも、洗練された物腰で頭を下げる。
まるで誓いを立てる聖騎士と、それを受ける聖女のようだな……
目前の二人に疎外感を覚えるには、次元が違い過ぎていた。
美しい男女の、優美さの極みを見せつけられ。ルーカスはもはや見守る域に達して、絵になる二人の対面に、しみじみと感じ入る。
……やはり、こうでなくてはな。
争いではなく、共に協力し合い、先を築いていく。そんな未来が見えたような気がして、胸にじんわりとくる穏やかな心地に、ルーカスは目を和ませる。
暫くの間、大切な人達が親睦を図る姿を、ルーカスがニコニコと見守っていると……二人にチラリと見られた気がした。それから僅かばかりの間を置いて、ロザリンドが動く。
「さて、それでは以後の堅苦しいやり取りは抜きにいたしましょう。込み入った事情もございますし」
頭を上げ、親しみやすい砕けた調子でロザリンドが言うと、対するラーティも「承知した」と簡易的に述べるに留めた。
ルーカスとしてはもう少し絵になる二人を見ていたかったところだが、女王の許可が下りると、ラーティは颯爽と立ち上がり……見守っていたルーカスの腰にスルリと腕を回した。軽く体を引き寄せられ、「おや?」とルーカスが目を向けるも、彼はシラッとしていて、視線に気付いた様子を見せない。
「そしてルーク、私がここへ来た理由をお分かりですね?」
「ん?」
夫婦として体を軽く寄せるくらいなんてことはない。別段おかしな行動ではないはずが、しかし本題よりも思わずラーティの挙動を気にしてしまうとは。
己の心がラーティで占められていることを改めて自覚する。内心参ったなと、やや視線を斜めに向け、それからルーカスは謹んでロザリンドに向き直った。
「ああすまない。失礼をした……君の言う理由とは、呪いのことと受け取っていいだろうか?」
「はい。此度の件、オルガノに頼まれたこともありますが、貴方にかけられた生者必滅の呪いは本来魔女が用いていた呪術を応用して、妖精の寿命を伸ばすために作られた呪術」
「餅は餅屋に、呪いは本家の魔女に任せるべきとオルガノは判断したか」
「けれど、私に解けるかは見立ててみなければ何とも言えません。一つハッキリしているのは、長命の妖精で十年がかりで完成する呪術を、人間である貴方が受けたということです。おそらく人間である貴方の命はもって十日といったところでしょう。……と、城の魔道士と同じ見解を、私は貴方に会ってからまずお話しするつもりでした。ですがその身に受けた呪い、何やらおかしなことになっているようです」
「おかしなこととは?」
聞き返すルーカスに、ロザリンドは胸元に現われ出でた呪いの紋様を見せるよう頼んだ。
言われてボタンを外し、前を開けたルーカスの胸元に浮かぶ紋様を確認したロザリンドの表情は、やがて確信へと変わる。
「やはりこれは……再会したときに、私はこの異常に気付いていました。本来なら、貴方はとうに弱り始めているはずなのです。しかし貴方に掛けられた呪いは……」
──まだ発動していない。
そう言い切ったロザリンドの目が、強い不安に揺れている。
「発動していない?」
「正確には発動したはずなのです。しかし……何かが呪いを抑え込んでいる」
「何かが……?」
更なる確信に迫る。そんなときだった。
──ズポッ
と、何かが脇の下に挟まった気配がした。はて、そんなところにいったい何がと思ったが、見下ろしてすぐさま納得する。
「クーペ?」
寝室を出たときは、ナディルと一緒に寝ていたはずだが。
クーペはジャーンとばかりに登場したかったのだろう。しかし、頭と尻、というかずんぐりむっくりした全身がつっかえているようだ。脇の間でジタバタしている。そして、仲間に入れてと言わんばかりに、顔を押し潰して鼻先からグイグイと前進。顔だけズポッと脇の間から出した。
「ルーカス! 悪い! 止め損なった!」
「ガロン?」
大慌てでやってきたガロンに、「こら、話の邪魔しちゃ駄目だろ、部屋に戻るぞ」と言われても、脇の下から顔だけ出したクーペは、素知らぬ顔でプイッと横を向く。
ガロンが言うには、屋敷の警備で夜勤の警戒業務にあたっていたところ、前方にふよふよと寝ぼけ眼で空中浮遊しているクーペを発見したそうだ。
背中の羽をパタパタさせて、垂れた尻尾を床に半ば引きずりながら、屋敷の廊下を右に左にふらふらと、時折壁にゴンッとぶつかりながら漂っていたという。
屋敷にルーカス宛の訪問者が来ていることや、その間の子供達の世話役としてタリヤがついたことも、ガロンは人伝に聞いていた。しかしクーペはタリヤの目を盗んで、部屋を抜け出してしまったらしい。
最近はルーカスの妊娠や妖精騒動もあって、常に傍にいない状態にも慣れてきたとはいえ、起きたら母親の姿が見えなくてやはり寂しかったようだ。ルーカスがいないことに気付いてからずっと、クーペが眠気を我慢して屋敷をふらふらと探し回っていたことは、短いおててに持っていた床に引きずられがちな枕を見て、ガロンは直ぐに分かったそうだ。
可哀想とは思ったものの、捕まえて部屋へ戻そうとしたところ……即座に目を覚まし、枕を置き去り、キリッと逃走──さっきまで逃亡していたとのこと。
ちなみに置き去りにされた枕は、通りがかった使用人に託してきたので、後で無事部屋に枕は戻っているはずだと言われて、ルーカスは「そうか」と、とりあえず枕の礼を述べた。
一方の逃亡児はというと。母親をついにみつけた嬉しさに、お口を半開きに脇の下からルーカスを見上げるおめめがキラキラしている。眠気も完全に飛んでいるようだ。しかしそこへガロンが近付いてきたことで、途端、顔付きが変わる。
「ほら、戻るぞ」
不機嫌そうにプイッどころか、言われる前にクーペは首を横に振っていた。
プイプイプイプイ首を左右に振っての絶対拒否、猛アピールに「そんなに嫌か……」と、まるで自分が拒否されているかのように、ガロンがショックを受けている。彼には悪いけれど、見ているこちらは思わず笑ってしまう。
「いいんだガロン。世話をかけた。この子の面倒を見てくれてありがとう」
本当にいいのかよ? と、困り顔のガロンに、ルーカスは「ああ」と頷く。
「すまないクーペ。起こしてしまったな」
そして脇の間に挟まっているクーペは、ガロンに言われて一応話の邪魔をしたのを悪いと思ったらしい。目隠しするようにルーカスの服の端を頭に載っけて顔を隠している。鼻だけ出す格好でスピスピ息をしているが、とりあえず脇の下で満足しているようだ。
そんなところでいいのかお前は。とルーカスとラーティの後方へ控えたガロンがボヤいている。
「それが話に聞いた、竜の子ですね?」
それまで成り行きを見ていたロザリンドが、旧友の脇から生えたドラゴンにも動じず、普通に会話に加わる。流石、前回勇者パーティーの仲間だ。肝が据わっている。ある程度の珍事には耐性があるのだ。
すると、最近挨拶を覚えたクーペが、隠れた布越しに「やあ」と短いおててを片方上げた。視界が布に遮られて、おそらく当人にはロザリンドが殆ど見えていないが、徐々に社交的な面が出てきたらしい。元気な良い子に育ってくれているようだ。
てろんと頭に布を載せ、鼻だけ出した半ば隠れながらの挨拶に、ロザリンドは僅かに時を止めたが……
「ふふ、こんばんはおチビさん」
ロザリンドが優雅にしっかりとした挨拶を返すと、ルーカスの息子として、ちゃんと扱ってくれたのがクーペは嬉しかったらしい。驚いた犬のように、尻尾がピンとした。
ルーカス以外の慣れない人間相手に珍しく「きゅいっ」とお返事した拍子に、布からはみ出たおめめがきらきらしている。
「ちゃんと挨拶できたな。いい子だ。おいで」
途端、「きゅいっ!」と元気よくお返事をしたクーペが、「ん~~しょっ」と、脇の間からグイグイ出てきた。迂回するつもりはないらしい。後戻りはしない性格のようだ。
ルーカスが抱き上げ、腕に抱っこすると、そこが自分の居場所というようにクーペはピッタリと要領良く収まった。
「若返ったことは噂に聞いておりましたが、本当に……当時のままなのですね」
「そちらも変わりなく」と状況の深刻を鑑みて、そつなく言葉を交わすには、ロザリンドはルーカスへの好意に溢れ過ぎていた。
「……君も、やはり当時のまま変わりないのだな」
再会を喜び、穏やかにロザリンドを迎え入れる。
ロザリンドと会うのは実に数十年ぶりとなる。魔女の不死性は知っていたつもりが、やはり体感すると不思議な感覚になるものだ。一挙手一投足に品の良さを感じる、彼女の変わらぬ美しい微笑に、ルーカスも自然、微笑み返す。すると──
「ロザリンド?」
女性らしい女性というべきか、いつも慎ましいロザリンドが溜め込んだものを吐き出すように、彼女の方からルーカスを抱き締めたのだ。思わぬ抱擁に、ルーカスは目を二、三瞬く。
ロザリンドの出自は聖女の国の王女だ。聖女の国ユグナシルに王女として産まれながら、魔女という異端の能力を持って生まれたが故、彼女は王女でありながら苦悩を背負い生きてきた。
前回魔王カオスドラゴンがいた時代では、魔女は迫害に遭い、国と呼べる場所がなかった。
強い攻撃性の力を持った魔女を、人々は怖れていたからだ。
ロザリンドもまた、あるまじき存在として多くを制限され、奪われながら。けれどもその根底にある心根は、彼女の母──聖女の中でも強大な聖なる力を持つ大聖女、イザベラの権威によって守られる。
ロザリンドの中の、王族の誇りは消えない。魔王討伐を果たした後、彼女は自分と同種の魔女を救う道を見出す。
最果ての国、エストラザ。
英雄の立場に甘んじることなく祖国を離れ、ロザリンドは大陸の末端に魔女の国を作った。魔女が迫害されることのない国を。
迫害に多くの仲間を失いながら、辛うじて生き延びていた魔女達に、彼女は手を差し伸べたのだ。
魔女を保護する母となり、同種を守る盾となるべく道を選んだロザリンドは、普段は澄んだ水面のように静かな印象を与える。けれど芯は強く、誇り高い女性だ。そんな彼女がこうも喜びを面に出すとはと、ルーカスはいささか驚いた。
「此度の件、そして貴方に何があったのか、オルガノから聞いています。ずっと、気にかけていたのですよ? やっと、やっと、貴方に会うことができた……」
そういうことか……
目元に涙を溜めたロザリンドの美しい顔を見ながら、再会の余韻に浸り、ルーカスは確信する。
男の身でありながら、王子兼勇者の男の妻となり、子供まで授かった。更には成り行きとはいえ、伝説級と言われるドラゴンを使役することとなり……あれだけ派手な立ち回りをしたのだ。こちらの事情は世間を介して、嫌でも耳に入る。ある程度は伝わっていると思っていた。
しかしロザリンドは、それ以上のことを知っているようだ。様子から察するに、おそらくはルーカスが火山の火口に身投げしたことまでバレている。一年前のあのときから、彼女は知っていたのかもしれない。
「すまない。私は相当に君を心配させてしまったようだ」
落ち着かせるよう、小刻みに震えるロザリンドの背中に手をやり、ポンポンと叩く。
それにしても、いったいどういう経緯でオルガノはロザリンドに話すことになったのか……。
普段は傍若無人に振る舞ってはいるけれど、オルガノは案外融通が利く。話すにしても、そこは当然伏せているものと思っていた。
ロザリンドを慰める一方で、ルーカスは旧友達の動向に頭を悩ませていた。
*
それなりの時間が経過して、ロザリンドが落ち着きを取り戻した頃。
氷の精霊と組んでいたフォルケが捕えられたことで、ルーカスが家族と過ごす間に、やはり状況は一変したようだ。
山頂に立てこもり、民を守っていたロザリンドへの攻撃は止み。凍結されていたエストラザの民達も、娘のウルスラもその支配を解かれた。
そう改めてロザリンドから話を聞きながら、ふとした疑問が湧く。それらは彼女が屋敷に来ると聞いて、こちらもある程度想定していた事柄であった。きっと本題は別にある。
ルーカスは娘のウルスラに会ったことはないが、近隣では美魔女と呼ばれているロザリンドに、ウルスラは瓜二つの容姿をしているそうだ。また同時に、母親譲りの強い魔力も持ち合わせている。
そのウルスラが現在療養中で、女王の代役を果たせないというのであれば、他に代役を立てればいい。氷の精霊によって乱れた国政を、今は整える方が先だとオルガノも心得ている。代役として多少力量が満たされていなくとも、彼は納得するはずだ。しかしロザリンドはそれをしなかった。
真髄を探り当て、ルーカスは切り出すことにした。
「動きを封じられていたエストラザの女王自らが国を離れ、出てきたということは、君とオルガノとの間に何らかの直接的な交渉があったということか」
少しの間、ロザリンドは当然と受け入れていたルーカスを見つめ、クスリと笑う。
「……ルーク、貴方は相変わらず聡い方ですね」
そう言ってロザリンドはルーカスを抱き締めていた腕を解くと、まっすぐに見つめ返すルーカスの頬に触れ、名残惜しげに離れた。
次いでルーカスの後方──扉の方へとロザリンドは目を向け、柔らかに微笑む。
「ラーティ様、お久しゅうございます」
再会に気を取られて、ラーティがいるのに気付かないとは失態だ。
ラーティは急ぐルーカスを先に行かせて、寝ている子供達の世話をメイド長のタリヤに任せてくれていたのだ。
ルーカスは着替えもそこそこに、王族の妻にしては簡易的な服装での謁見となったが、客間の扉の前に立つラーティは夜着から正装へと着替えていた。
「ラーティ様……?」
何故だろう。理由は分からない。しかし正装姿のラーティに、ルーカスはどことなく違和感のようなものを覚えた。それは、すぐに形となって現れる。
ラーティはいつも通りの淡泊な様相でルーカスの隣までくると、体を屈め、その場に恭しく膝を折る。床に片膝をつき、彼は伏して口を開いた。
「ご機嫌麗しゅう存じます。エストラザの国主。ロザリンド・エス・ハーカー女王陛下。旧交を温めているところ、非礼な振る舞いをどうかお許しください」
普段のラーティとは異なる口調、異なる態度、そして立ち振る舞いまでもが違う。極めつけは……跪き、頭を下げ、彼は続けざまに述べた。
「ルーカスは私の妻、その大事に関わる話であるならば、同席の許可をいただきたく参った次第でございます」
茫然とルーカスはラーティを見つめていた。
魔王討伐を果たし、真の勇者成り得たラーティは特別だ。一介の王族貴族などは足元にも及ばない。名の知れた王族でさえも、進んで頭を下げるべき、世界でも重要な存在なのだ。それが──
勇者でも、王子でも、ましてや英雄でもない。夫として、妻のために礼を尽くしているのだ。
姿勢を低くするラーティに、気付かぬロザリンドではない。彼女は一瞬、子供の成長を喜ぶ顔を見せると、穏やかに返す。
「もちろんです。元よりこれはルークの夫であるラーティ様にも立ち会っていただくべき事柄。それに、礼を尽くすはこちらの方……この度は娘のウルスラがお世話になりました。謹んでお礼を申し上げます」
ラーティに続いてロザリンドも、洗練された物腰で頭を下げる。
まるで誓いを立てる聖騎士と、それを受ける聖女のようだな……
目前の二人に疎外感を覚えるには、次元が違い過ぎていた。
美しい男女の、優美さの極みを見せつけられ。ルーカスはもはや見守る域に達して、絵になる二人の対面に、しみじみと感じ入る。
……やはり、こうでなくてはな。
争いではなく、共に協力し合い、先を築いていく。そんな未来が見えたような気がして、胸にじんわりとくる穏やかな心地に、ルーカスは目を和ませる。
暫くの間、大切な人達が親睦を図る姿を、ルーカスがニコニコと見守っていると……二人にチラリと見られた気がした。それから僅かばかりの間を置いて、ロザリンドが動く。
「さて、それでは以後の堅苦しいやり取りは抜きにいたしましょう。込み入った事情もございますし」
頭を上げ、親しみやすい砕けた調子でロザリンドが言うと、対するラーティも「承知した」と簡易的に述べるに留めた。
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「ん?」
夫婦として体を軽く寄せるくらいなんてことはない。別段おかしな行動ではないはずが、しかし本題よりも思わずラーティの挙動を気にしてしまうとは。
己の心がラーティで占められていることを改めて自覚する。内心参ったなと、やや視線を斜めに向け、それからルーカスは謹んでロザリンドに向き直った。
「ああすまない。失礼をした……君の言う理由とは、呪いのことと受け取っていいだろうか?」
「はい。此度の件、オルガノに頼まれたこともありますが、貴方にかけられた生者必滅の呪いは本来魔女が用いていた呪術を応用して、妖精の寿命を伸ばすために作られた呪術」
「餅は餅屋に、呪いは本家の魔女に任せるべきとオルガノは判断したか」
「けれど、私に解けるかは見立ててみなければ何とも言えません。一つハッキリしているのは、長命の妖精で十年がかりで完成する呪術を、人間である貴方が受けたということです。おそらく人間である貴方の命はもって十日といったところでしょう。……と、城の魔道士と同じ見解を、私は貴方に会ってからまずお話しするつもりでした。ですがその身に受けた呪い、何やらおかしなことになっているようです」
「おかしなこととは?」
聞き返すルーカスに、ロザリンドは胸元に現われ出でた呪いの紋様を見せるよう頼んだ。
言われてボタンを外し、前を開けたルーカスの胸元に浮かぶ紋様を確認したロザリンドの表情は、やがて確信へと変わる。
「やはりこれは……再会したときに、私はこの異常に気付いていました。本来なら、貴方はとうに弱り始めているはずなのです。しかし貴方に掛けられた呪いは……」
──まだ発動していない。
そう言い切ったロザリンドの目が、強い不安に揺れている。
「発動していない?」
「正確には発動したはずなのです。しかし……何かが呪いを抑え込んでいる」
「何かが……?」
更なる確信に迫る。そんなときだった。
──ズポッ
と、何かが脇の下に挟まった気配がした。はて、そんなところにいったい何がと思ったが、見下ろしてすぐさま納得する。
「クーペ?」
寝室を出たときは、ナディルと一緒に寝ていたはずだが。
クーペはジャーンとばかりに登場したかったのだろう。しかし、頭と尻、というかずんぐりむっくりした全身がつっかえているようだ。脇の間でジタバタしている。そして、仲間に入れてと言わんばかりに、顔を押し潰して鼻先からグイグイと前進。顔だけズポッと脇の間から出した。
「ルーカス! 悪い! 止め損なった!」
「ガロン?」
大慌てでやってきたガロンに、「こら、話の邪魔しちゃ駄目だろ、部屋に戻るぞ」と言われても、脇の下から顔だけ出したクーペは、素知らぬ顔でプイッと横を向く。
ガロンが言うには、屋敷の警備で夜勤の警戒業務にあたっていたところ、前方にふよふよと寝ぼけ眼で空中浮遊しているクーペを発見したそうだ。
背中の羽をパタパタさせて、垂れた尻尾を床に半ば引きずりながら、屋敷の廊下を右に左にふらふらと、時折壁にゴンッとぶつかりながら漂っていたという。
屋敷にルーカス宛の訪問者が来ていることや、その間の子供達の世話役としてタリヤがついたことも、ガロンは人伝に聞いていた。しかしクーペはタリヤの目を盗んで、部屋を抜け出してしまったらしい。
最近はルーカスの妊娠や妖精騒動もあって、常に傍にいない状態にも慣れてきたとはいえ、起きたら母親の姿が見えなくてやはり寂しかったようだ。ルーカスがいないことに気付いてからずっと、クーペが眠気を我慢して屋敷をふらふらと探し回っていたことは、短いおててに持っていた床に引きずられがちな枕を見て、ガロンは直ぐに分かったそうだ。
可哀想とは思ったものの、捕まえて部屋へ戻そうとしたところ……即座に目を覚まし、枕を置き去り、キリッと逃走──さっきまで逃亡していたとのこと。
ちなみに置き去りにされた枕は、通りがかった使用人に託してきたので、後で無事部屋に枕は戻っているはずだと言われて、ルーカスは「そうか」と、とりあえず枕の礼を述べた。
一方の逃亡児はというと。母親をついにみつけた嬉しさに、お口を半開きに脇の下からルーカスを見上げるおめめがキラキラしている。眠気も完全に飛んでいるようだ。しかしそこへガロンが近付いてきたことで、途端、顔付きが変わる。
「ほら、戻るぞ」
不機嫌そうにプイッどころか、言われる前にクーペは首を横に振っていた。
プイプイプイプイ首を左右に振っての絶対拒否、猛アピールに「そんなに嫌か……」と、まるで自分が拒否されているかのように、ガロンがショックを受けている。彼には悪いけれど、見ているこちらは思わず笑ってしまう。
「いいんだガロン。世話をかけた。この子の面倒を見てくれてありがとう」
本当にいいのかよ? と、困り顔のガロンに、ルーカスは「ああ」と頷く。
「すまないクーペ。起こしてしまったな」
そして脇の間に挟まっているクーペは、ガロンに言われて一応話の邪魔をしたのを悪いと思ったらしい。目隠しするようにルーカスの服の端を頭に載っけて顔を隠している。鼻だけ出す格好でスピスピ息をしているが、とりあえず脇の下で満足しているようだ。
そんなところでいいのかお前は。とルーカスとラーティの後方へ控えたガロンがボヤいている。
「それが話に聞いた、竜の子ですね?」
それまで成り行きを見ていたロザリンドが、旧友の脇から生えたドラゴンにも動じず、普通に会話に加わる。流石、前回勇者パーティーの仲間だ。肝が据わっている。ある程度の珍事には耐性があるのだ。
すると、最近挨拶を覚えたクーペが、隠れた布越しに「やあ」と短いおててを片方上げた。視界が布に遮られて、おそらく当人にはロザリンドが殆ど見えていないが、徐々に社交的な面が出てきたらしい。元気な良い子に育ってくれているようだ。
てろんと頭に布を載せ、鼻だけ出した半ば隠れながらの挨拶に、ロザリンドは僅かに時を止めたが……
「ふふ、こんばんはおチビさん」
ロザリンドが優雅にしっかりとした挨拶を返すと、ルーカスの息子として、ちゃんと扱ってくれたのがクーペは嬉しかったらしい。驚いた犬のように、尻尾がピンとした。
ルーカス以外の慣れない人間相手に珍しく「きゅいっ」とお返事した拍子に、布からはみ出たおめめがきらきらしている。
「ちゃんと挨拶できたな。いい子だ。おいで」
途端、「きゅいっ!」と元気よくお返事をしたクーペが、「ん~~しょっ」と、脇の間からグイグイ出てきた。迂回するつもりはないらしい。後戻りはしない性格のようだ。
ルーカスが抱き上げ、腕に抱っこすると、そこが自分の居場所というようにクーペはピッタリと要領良く収まった。
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注意
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