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第二部
21 呪いの残渣
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妖精王からルーカスは子宮を授かり、以降、二度と妖精の国へ足を踏み入れることはなかった。
噂では、フォルケの手に掛かってティアーナが亡くなった後、妖精の国は妖精王の失脚を望む純血の一派との間で真っ二つに分かれてしまったと聞いている。それから妖精の国がどうなったのかを、ルーカスは知らない。
「ティアーナの望みは何だったのか、呪いから解放された今の貴方なら分かるはずだ」
「…………」
俯き、それまでピクリとも動かなかったフォルケが、のろのろと顔を上げる。
ルーカスと同じ、漆黒の目に映るのは、絶望しきった行き場のない感情そのもの。触れれば火傷ではすまされない。しかしルーカスは淡々と告げる。
「ティアーナは貴方を愛していた」
──瞬間、俯き物言わぬフォルケの体から、ゾワッとどす黒く禍々しい何かが湧いた。殺意に似た、それは憎しみだった。
「黙れ……」
ギリッと奥歯を噛み締め、フォルケの震える手が剣の柄へと伸びる。暴走寸前の負の感情に晒されながら、けれどルーカスは引かない。
「私を殺すつもりなら、オフィーリアス卿に扮して城に潜入していたときにもできただろう。それをしなかったのは、今もまだ、貴方が彼女を愛しているからだ」
「黙れと言っているッ!」
恐れないルーカスに、フォルケは遂に怒りを露にする。
耳元をヒュッと風が鳴り、彼の放った剣先がルーカスの頬を掠め、うっすら切れた。
皮膚から流れる血の感覚が頬を伝っていく間も、ルーカスはフォルケから目を離さなかったが、
十数歩後方にいるクーペは、どうやらバルバーニの腕の中から出ようと、水から引き上げられた魚のようにビチビチ大暴れしているらしい。クーペの「きゅいきゅい」抗議する声と、びっくりしているナディルの「あー」という声が重なる。
剣を突きつけられた状態では、後方を振り返ることはできない。代わりに前方の視界に入る、ルーカスを包囲する妖精達に、チラリと目をやる。彼らは一部の賑やかな事態ももちろん傍観していたが、連携は揺るぎなく。感情を表出することもない。代わりに、各々手にした剣を構え、一層警戒を強めた。
……ああ、そうか。妖精には冗談が通じないのだったな。
思い出す。妖精の国で出会った予言の妖精ベルギリウスも、最初のうちは勇者パーティーの仲間が戯れ合う姿を、不思議な顔をして見ていたものだ。
冗談が通じないというより、冗談という文化に馴染みがない。妖精は真面目な種族なのだ。
こちらを睨み付けるフォルケと、遠い昔の記憶が重なって、内心やれやれと苦笑する。自分が真面目な部類だと自覚はあるが、妖精はそれの遥か上をいく。
張り詰めた空気に時折交じる、息子達の声を耳に、ルーカスは一度目を閉じる。
一呼吸置いてから、ルーカスは妖精の風習に従い、己を改め。触れれば火傷ではすまされないその場所へと、一歩を踏み出す。
「妖精の国を追われ、呪いに体を蝕まれ、一人孤独に小屋で過ごしながらも。ティアーナは最期まで貴方に信じて欲しいと願っていた。彼女の望んでいたことはそれだけだった」
「……黙れと、言ったはずだ」
最後の忠告だと、フォルケの怒気を孕んだ低い声に、空気が震えたような錯覚を感じる。
肌がビリビリするような感覚に、普通なら恐れを抱くところだ。けれどルーカスは覚悟を決めていた。瞬き一つせず、粛々とフォルケを見据え、口を開く。
「ティアーナの命の受け手である貴方が呪いを完遂させた。そして生者必滅の呪いは、相思相愛でなければ掛けることは出来ない。ティアーナは本当に貴方を愛し──っぅ!」
再度言い切る前に、フォルケの手がルーカスへと伸びた。
片手で喉を荒々しく掴まれ、ギリギリと絞め上げられる。下ろした剣の柄を他方の手で強く握るフォルケの、長年矛先を失い続けた、愛憎の念が入り混じった想いが、ルーカスに向けられる。
「私が今まで何を糧に、地下の牢獄で時を過ごしていたと思う? 尽きることのないティアーナへの憎しみだ。だというのに、今更ただお前の話を信じろというのか?」
「…………」
ルーカスの話を信じてしまえば、フォルケはこれまでの生き方を否定することになる。簡単に受け入れられるとは、ルーカスも思っていない。しかしそれでも、
……ティアーナとの約束だ。私はこれを受け止めるために、ここにいる。
オルガノにも、そして夫であり主でもあるラーティにも、口を閉ざし続けた。救えなかった命──ティアーナとの約束を果たすことは、ルーカスの真髄そのものだ。自分の命より大切だと言い切れる存在、オルガノとラーティであっても、覆すことはできない。
「まだ貴方は、信じるつもり、は……ない、……と、語る、のか……」
息も絶え絶えに言うと、益々ルーカスの喉を絞め上げる手に、力が込められる。ルーカスの話を聞いて、酷く反応してしまう自身の想いを認められず、フォルケは苦しんでいた。
……やはり貴方は今も……ティアーナを愛しているのだな。愛を憎しみにすり替えなければ生きていられない程に。
甘受するルーカスの体から、次第に力が抜けていく。呼吸に支障をきたし、終いにはぐったりとした母親の姿に、とうとう「きゅい──ッ!!」と、クーペが甲高い鳴き声を上げた。
広い中庭を反響する鳴き声に、ルーカスは半ば失いかけていた意識を取り戻す。
ジタバタ大暴れするクーペと、放心しているナディルをバルバーニは片手で器用にまとめて抱えながら、空いた方の手に剣を構える。ルーカスはそれを掠れる視界の端に捉え、身振りで大丈夫だと止める。
ヒリつく空気とフォルケの暴走に、周囲を囲う妖精達が彼を止めるべきか判断に迷い、動揺を見せたからだ。優位を守るため、子供達が人質にでも取られたら事だ。
ルーカスはベルギリウスに予知夢を告げられたときから、フォルケとの対峙は逃れることのできない定めだと理解していた。
ナディルを産んでまだ三月も経っていないが、体は治療師のフェリスによって、定期的に癒されている。万全とまではいかないまでも、ほとんど本調子に戻りつつある。とはいえ、バルバーニの助けがあっても、フォルケから逃げるのは容易ではない。無理に逃亡を図れば、子供達に危険が及ぶだろう。
子供達が巻き込まれるかもしれない予知をベルギリウスから聞かされたとき、ルーカスは「健康に産まれ、この子達が幸せであるのなら、今はそれ以上の吉報はない」と返答したものの。突然の話に当惑もしていた。
しかし体は戦士の力を失っても、ルーカスは母親だ。大切な家族を守るために、ルーカスは自身がどうあるべきかを、十分過ぎるほど分かっていた。
──向けられるべき矛先は、私一人でなくてはならない。
ギリギリと喉に指が食い込み、圧迫される意識の中で、ルーカスは確信していた。フォルケは二度も愛した女性を殺せない。その一部を宿したルーカスを、殺すことはできない。
ティアーナの望みを、どうか忘れてくれるなとルーカスは切に思い、口を開く。
『──フォルケ、貴方を愛してる』
「!」
ルーカスの姿とティアーナの姿が重なったかのように発せられた、それが──
「ティアーナが、最期に、残した……言葉だ……そして、永遠、に、……口を、閉ざした」
*
ルーカスを絞め付ける手の力が緩んだ。
「かはっ!」と息を吐き、ルーカスは地面に両膝をつく。体に力が入らない。咳き込みながら、解放された喉に手を当てる。
フォルケの両親にティアーナは汚名を着せられ追放された。その上、呪いによって彼女が最愛とする相手に殺させたのだ。
だからティアーナは最期に酷い言葉を使って、フォルケを突き放した。真実を知ったとき、彼の中の罪悪が少しでも薄れるようにと……
息を整えながら、ルーカスは目前で立ち尽くしているフォルケを見上げる。目が合ったそのすぐ後に、彼は狼狽し、恐れるように、肩で息をするルーカスから離れた。
ティアーナの想いに気付いたフォルケの体からは、怒気が抜け。放心したように開かれた瞳孔は、やがて地面へと向けられた。彼はガクッと膝を折り、その場に頽れる。
「ティアーナは最後まで、貴方に信じてほしいと願っていた。そして私も……貴方がティアーナを信じるときを、私の中にいる彼女の一部と共に待っていた」
──ドクンッ
ようやく愛する者の元に戻れたことを喜ぶように、体の中のティアーナが反応する。額にじんわりと汗が滲み出てきた。
ルーカスは若干よろめきながら立ち上がり、互いの距離を埋めるように、大人しくなったフォルケに向かっていく。
フォルケの前まで来ると、ルーカスは地面に両膝をつく彼の前に屈み、地面に片膝をつく。熱くなった腹部に手をあてがい、惑う彼と目の高さを合わせた。
「でなければこんなにも、私の中にいる彼女が貴方に反応するはずがない」
腹部に手を当てるルーカスを前に、フォルケは驚愕に目を大きく見開く。
「私に……反応している、だと?」
「……貴方は、今度こそ彼女を信じてくれるだろうか」
最期に見たティアーナの笑顔を思い出して、ルーカスは目を細め、悲しく笑う。すると──
「フォルケ……?」
沈黙の後に、ルーカスは腕を引かれ、キツく抱き締められる。ルーカスの肩に顔を埋め、フォルケは声を押し殺して泣いていた。人知れず泣く彼を受け止め、ルーカスはゆっくりと目を閉じる。
ティアーナ、貴女はこれでもう……なんの蟠りもなく安らぐことができるだろうか……
長い月日を経て、ようやくティアーナの想いは、最愛の者へ届いたのだ。
*
落ち着きを取り戻したフォルケは起立し、剣を腰元の鞘に戻すと、軽く手をかざした。周囲を囲っていた妖精達に、警戒を解除するよう促す。
それに合わせてルーカスも腰を上げ、後方にいるバルバーニ達をチラリと顧みる。
ずっとこちらを見ていたのだろう。振り返ると、途端、バルバーニに抱えられたナディルと目が合った。ようやく母親と目を合わせることができたナディルは、こちらに手を伸ばし「あーうーあーうー」とルーカスの元へ来たそうにウズウズしている。
隣のクーペに至っては、今にもバルバーニの腕から零れ落ちそうなほど身を乗り出している。辛うじて尻尾をバルバーニに掴まれてはいるが、背筋をピーンと伸ばし、背中の羽をバタバタと羽ばたかせ、手は前ならえの姿勢で前方に伸ばしている。クーペは半ば飛んでいた。
飛んでいるドラゴンの尻尾を掴む巨漢の戦士が、目を丸くしている。
普段から大人しく、発言も控えめなバルバーニは、滅多なことでは動揺しない。そんな彼にしては珍しく、「待てっ」とクーペを制止する声に、焦りが含まれている。
……尻尾を離したら、そのまま吹っ飛んできそうだな。という感想が頭をよぎる。
全員必死の様相だ。そんな彼らを前にして、ルーカスは申し訳ないと思いながら、苦笑する。
流石バルバーニだ。巨人族最後の生き残り、ロキシナ・グレイの血を引くだけのことはある。子供とはいえ、クーペは元魔王でドラゴンだ、力は強い。そのクーペが暴れるのを止められる者は、そういない。
しっかり抱き締めて子供達を安心させてやらなければ……と思いながらも、ルーカスは「少し待て」と表情で伝え、フォルケに向き直る。
「真実を知って、貴方はこれからどうする気だ?」
「…………」
こちらを向くフォルケの表情に憎しみの色はなく、すっきりとした面立ちには、止まっていた時間が動き出したのを感じる。
フォルケはここまで辿り着いた。そしてルーカスはティアーナとの約束を守ることができた。解放されたような心地に、ルーカスが穏やかな顔をしていると……始終真面目な顔をしていた彼は表情を緩め、降参したように小さく溜息を吐く。
「お前からは彼女と同じ匂いがする」
「匂い……?」
少し言いづらそうな顔をするフォルケを横目に、ルーカスは自ら片腕を上げ、鼻を近づけて嗅いでみたものの。やはり自分ではよく分からなかった。
腕を下ろしたところで、そういえばと、ルーカスはメイドのタリヤから言われたことを思い出す。
子宮の影響か、体からは男の体臭ではなく、時折花のような香りがするとタリヤにも言われたことがあったのだ。ルーカスの体は、子宮から出るフェロモンで、ティアーナと似たような香りを発しているのかもしれない。
次いで、ふとフォルケと周りを囲う妖精達の、人とは違う麗しい容姿が目に入った。
妖精は人間よりも五感が遥かに鋭い。優れた嗅覚を持つフォルケはより強く、ティアーナの匂いを感じ取ってしまうのかもしれない。
そうして考え込んでいると、フォルケが徐にルーカスの頬へ軽く指先を当てた。彼の剣先が掠めた頬の血は、すでに止まっている。
「ああ、傷ならたいしたことはな……」
──ドクンッ
触れられてからほどなくして、体の中のティアーナが反応した。けれど今までの温かいものとは何か違う、ザワつくような感覚に、ルーカスは動きを止める。
ルーカスの異変にフォルケが首を傾げる。「何でもない」そう言おうとして──頭の中で、暗く、重々しい声が響いた。
……──そう簡単に、逃れられると思うのか?
「なん、だ……?」
……ティアーナ……お前は産まれてはならなかったのだ。
それは、突如としてルーカスの影からうねり、出でた。顕現した呪いの残渣──黒い闇が、視界を、そして全身を覆うようにルーカスを襲う。
ハッとするフォルケの「逃げろ!」という叫び声と同時に聞こえてきた、今日何度目かに耳にする、クーペの鳴き声。周りを囲う妖精達のざわつきに混じって、ナディルが泣いている。
ルーカスは逃れられない呪縛に抗い、手を伸ばす。
ラーティ様っ……!
頭の中で反響する子供達の声は次第に遠のき、そして以前ティアーナを襲ったものと同じ闇が、ルーカスに訪れた。
噂では、フォルケの手に掛かってティアーナが亡くなった後、妖精の国は妖精王の失脚を望む純血の一派との間で真っ二つに分かれてしまったと聞いている。それから妖精の国がどうなったのかを、ルーカスは知らない。
「ティアーナの望みは何だったのか、呪いから解放された今の貴方なら分かるはずだ」
「…………」
俯き、それまでピクリとも動かなかったフォルケが、のろのろと顔を上げる。
ルーカスと同じ、漆黒の目に映るのは、絶望しきった行き場のない感情そのもの。触れれば火傷ではすまされない。しかしルーカスは淡々と告げる。
「ティアーナは貴方を愛していた」
──瞬間、俯き物言わぬフォルケの体から、ゾワッとどす黒く禍々しい何かが湧いた。殺意に似た、それは憎しみだった。
「黙れ……」
ギリッと奥歯を噛み締め、フォルケの震える手が剣の柄へと伸びる。暴走寸前の負の感情に晒されながら、けれどルーカスは引かない。
「私を殺すつもりなら、オフィーリアス卿に扮して城に潜入していたときにもできただろう。それをしなかったのは、今もまだ、貴方が彼女を愛しているからだ」
「黙れと言っているッ!」
恐れないルーカスに、フォルケは遂に怒りを露にする。
耳元をヒュッと風が鳴り、彼の放った剣先がルーカスの頬を掠め、うっすら切れた。
皮膚から流れる血の感覚が頬を伝っていく間も、ルーカスはフォルケから目を離さなかったが、
十数歩後方にいるクーペは、どうやらバルバーニの腕の中から出ようと、水から引き上げられた魚のようにビチビチ大暴れしているらしい。クーペの「きゅいきゅい」抗議する声と、びっくりしているナディルの「あー」という声が重なる。
剣を突きつけられた状態では、後方を振り返ることはできない。代わりに前方の視界に入る、ルーカスを包囲する妖精達に、チラリと目をやる。彼らは一部の賑やかな事態ももちろん傍観していたが、連携は揺るぎなく。感情を表出することもない。代わりに、各々手にした剣を構え、一層警戒を強めた。
……ああ、そうか。妖精には冗談が通じないのだったな。
思い出す。妖精の国で出会った予言の妖精ベルギリウスも、最初のうちは勇者パーティーの仲間が戯れ合う姿を、不思議な顔をして見ていたものだ。
冗談が通じないというより、冗談という文化に馴染みがない。妖精は真面目な種族なのだ。
こちらを睨み付けるフォルケと、遠い昔の記憶が重なって、内心やれやれと苦笑する。自分が真面目な部類だと自覚はあるが、妖精はそれの遥か上をいく。
張り詰めた空気に時折交じる、息子達の声を耳に、ルーカスは一度目を閉じる。
一呼吸置いてから、ルーカスは妖精の風習に従い、己を改め。触れれば火傷ではすまされないその場所へと、一歩を踏み出す。
「妖精の国を追われ、呪いに体を蝕まれ、一人孤独に小屋で過ごしながらも。ティアーナは最期まで貴方に信じて欲しいと願っていた。彼女の望んでいたことはそれだけだった」
「……黙れと、言ったはずだ」
最後の忠告だと、フォルケの怒気を孕んだ低い声に、空気が震えたような錯覚を感じる。
肌がビリビリするような感覚に、普通なら恐れを抱くところだ。けれどルーカスは覚悟を決めていた。瞬き一つせず、粛々とフォルケを見据え、口を開く。
「ティアーナの命の受け手である貴方が呪いを完遂させた。そして生者必滅の呪いは、相思相愛でなければ掛けることは出来ない。ティアーナは本当に貴方を愛し──っぅ!」
再度言い切る前に、フォルケの手がルーカスへと伸びた。
片手で喉を荒々しく掴まれ、ギリギリと絞め上げられる。下ろした剣の柄を他方の手で強く握るフォルケの、長年矛先を失い続けた、愛憎の念が入り混じった想いが、ルーカスに向けられる。
「私が今まで何を糧に、地下の牢獄で時を過ごしていたと思う? 尽きることのないティアーナへの憎しみだ。だというのに、今更ただお前の話を信じろというのか?」
「…………」
ルーカスの話を信じてしまえば、フォルケはこれまでの生き方を否定することになる。簡単に受け入れられるとは、ルーカスも思っていない。しかしそれでも、
……ティアーナとの約束だ。私はこれを受け止めるために、ここにいる。
オルガノにも、そして夫であり主でもあるラーティにも、口を閉ざし続けた。救えなかった命──ティアーナとの約束を果たすことは、ルーカスの真髄そのものだ。自分の命より大切だと言い切れる存在、オルガノとラーティであっても、覆すことはできない。
「まだ貴方は、信じるつもり、は……ない、……と、語る、のか……」
息も絶え絶えに言うと、益々ルーカスの喉を絞め上げる手に、力が込められる。ルーカスの話を聞いて、酷く反応してしまう自身の想いを認められず、フォルケは苦しんでいた。
……やはり貴方は今も……ティアーナを愛しているのだな。愛を憎しみにすり替えなければ生きていられない程に。
甘受するルーカスの体から、次第に力が抜けていく。呼吸に支障をきたし、終いにはぐったりとした母親の姿に、とうとう「きゅい──ッ!!」と、クーペが甲高い鳴き声を上げた。
広い中庭を反響する鳴き声に、ルーカスは半ば失いかけていた意識を取り戻す。
ジタバタ大暴れするクーペと、放心しているナディルをバルバーニは片手で器用にまとめて抱えながら、空いた方の手に剣を構える。ルーカスはそれを掠れる視界の端に捉え、身振りで大丈夫だと止める。
ヒリつく空気とフォルケの暴走に、周囲を囲う妖精達が彼を止めるべきか判断に迷い、動揺を見せたからだ。優位を守るため、子供達が人質にでも取られたら事だ。
ルーカスはベルギリウスに予知夢を告げられたときから、フォルケとの対峙は逃れることのできない定めだと理解していた。
ナディルを産んでまだ三月も経っていないが、体は治療師のフェリスによって、定期的に癒されている。万全とまではいかないまでも、ほとんど本調子に戻りつつある。とはいえ、バルバーニの助けがあっても、フォルケから逃げるのは容易ではない。無理に逃亡を図れば、子供達に危険が及ぶだろう。
子供達が巻き込まれるかもしれない予知をベルギリウスから聞かされたとき、ルーカスは「健康に産まれ、この子達が幸せであるのなら、今はそれ以上の吉報はない」と返答したものの。突然の話に当惑もしていた。
しかし体は戦士の力を失っても、ルーカスは母親だ。大切な家族を守るために、ルーカスは自身がどうあるべきかを、十分過ぎるほど分かっていた。
──向けられるべき矛先は、私一人でなくてはならない。
ギリギリと喉に指が食い込み、圧迫される意識の中で、ルーカスは確信していた。フォルケは二度も愛した女性を殺せない。その一部を宿したルーカスを、殺すことはできない。
ティアーナの望みを、どうか忘れてくれるなとルーカスは切に思い、口を開く。
『──フォルケ、貴方を愛してる』
「!」
ルーカスの姿とティアーナの姿が重なったかのように発せられた、それが──
「ティアーナが、最期に、残した……言葉だ……そして、永遠、に、……口を、閉ざした」
*
ルーカスを絞め付ける手の力が緩んだ。
「かはっ!」と息を吐き、ルーカスは地面に両膝をつく。体に力が入らない。咳き込みながら、解放された喉に手を当てる。
フォルケの両親にティアーナは汚名を着せられ追放された。その上、呪いによって彼女が最愛とする相手に殺させたのだ。
だからティアーナは最期に酷い言葉を使って、フォルケを突き放した。真実を知ったとき、彼の中の罪悪が少しでも薄れるようにと……
息を整えながら、ルーカスは目前で立ち尽くしているフォルケを見上げる。目が合ったそのすぐ後に、彼は狼狽し、恐れるように、肩で息をするルーカスから離れた。
ティアーナの想いに気付いたフォルケの体からは、怒気が抜け。放心したように開かれた瞳孔は、やがて地面へと向けられた。彼はガクッと膝を折り、その場に頽れる。
「ティアーナは最後まで、貴方に信じてほしいと願っていた。そして私も……貴方がティアーナを信じるときを、私の中にいる彼女の一部と共に待っていた」
──ドクンッ
ようやく愛する者の元に戻れたことを喜ぶように、体の中のティアーナが反応する。額にじんわりと汗が滲み出てきた。
ルーカスは若干よろめきながら立ち上がり、互いの距離を埋めるように、大人しくなったフォルケに向かっていく。
フォルケの前まで来ると、ルーカスは地面に両膝をつく彼の前に屈み、地面に片膝をつく。熱くなった腹部に手をあてがい、惑う彼と目の高さを合わせた。
「でなければこんなにも、私の中にいる彼女が貴方に反応するはずがない」
腹部に手を当てるルーカスを前に、フォルケは驚愕に目を大きく見開く。
「私に……反応している、だと?」
「……貴方は、今度こそ彼女を信じてくれるだろうか」
最期に見たティアーナの笑顔を思い出して、ルーカスは目を細め、悲しく笑う。すると──
「フォルケ……?」
沈黙の後に、ルーカスは腕を引かれ、キツく抱き締められる。ルーカスの肩に顔を埋め、フォルケは声を押し殺して泣いていた。人知れず泣く彼を受け止め、ルーカスはゆっくりと目を閉じる。
ティアーナ、貴女はこれでもう……なんの蟠りもなく安らぐことができるだろうか……
長い月日を経て、ようやくティアーナの想いは、最愛の者へ届いたのだ。
*
落ち着きを取り戻したフォルケは起立し、剣を腰元の鞘に戻すと、軽く手をかざした。周囲を囲っていた妖精達に、警戒を解除するよう促す。
それに合わせてルーカスも腰を上げ、後方にいるバルバーニ達をチラリと顧みる。
ずっとこちらを見ていたのだろう。振り返ると、途端、バルバーニに抱えられたナディルと目が合った。ようやく母親と目を合わせることができたナディルは、こちらに手を伸ばし「あーうーあーうー」とルーカスの元へ来たそうにウズウズしている。
隣のクーペに至っては、今にもバルバーニの腕から零れ落ちそうなほど身を乗り出している。辛うじて尻尾をバルバーニに掴まれてはいるが、背筋をピーンと伸ばし、背中の羽をバタバタと羽ばたかせ、手は前ならえの姿勢で前方に伸ばしている。クーペは半ば飛んでいた。
飛んでいるドラゴンの尻尾を掴む巨漢の戦士が、目を丸くしている。
普段から大人しく、発言も控えめなバルバーニは、滅多なことでは動揺しない。そんな彼にしては珍しく、「待てっ」とクーペを制止する声に、焦りが含まれている。
……尻尾を離したら、そのまま吹っ飛んできそうだな。という感想が頭をよぎる。
全員必死の様相だ。そんな彼らを前にして、ルーカスは申し訳ないと思いながら、苦笑する。
流石バルバーニだ。巨人族最後の生き残り、ロキシナ・グレイの血を引くだけのことはある。子供とはいえ、クーペは元魔王でドラゴンだ、力は強い。そのクーペが暴れるのを止められる者は、そういない。
しっかり抱き締めて子供達を安心させてやらなければ……と思いながらも、ルーカスは「少し待て」と表情で伝え、フォルケに向き直る。
「真実を知って、貴方はこれからどうする気だ?」
「…………」
こちらを向くフォルケの表情に憎しみの色はなく、すっきりとした面立ちには、止まっていた時間が動き出したのを感じる。
フォルケはここまで辿り着いた。そしてルーカスはティアーナとの約束を守ることができた。解放されたような心地に、ルーカスが穏やかな顔をしていると……始終真面目な顔をしていた彼は表情を緩め、降参したように小さく溜息を吐く。
「お前からは彼女と同じ匂いがする」
「匂い……?」
少し言いづらそうな顔をするフォルケを横目に、ルーカスは自ら片腕を上げ、鼻を近づけて嗅いでみたものの。やはり自分ではよく分からなかった。
腕を下ろしたところで、そういえばと、ルーカスはメイドのタリヤから言われたことを思い出す。
子宮の影響か、体からは男の体臭ではなく、時折花のような香りがするとタリヤにも言われたことがあったのだ。ルーカスの体は、子宮から出るフェロモンで、ティアーナと似たような香りを発しているのかもしれない。
次いで、ふとフォルケと周りを囲う妖精達の、人とは違う麗しい容姿が目に入った。
妖精は人間よりも五感が遥かに鋭い。優れた嗅覚を持つフォルケはより強く、ティアーナの匂いを感じ取ってしまうのかもしれない。
そうして考え込んでいると、フォルケが徐にルーカスの頬へ軽く指先を当てた。彼の剣先が掠めた頬の血は、すでに止まっている。
「ああ、傷ならたいしたことはな……」
──ドクンッ
触れられてからほどなくして、体の中のティアーナが反応した。けれど今までの温かいものとは何か違う、ザワつくような感覚に、ルーカスは動きを止める。
ルーカスの異変にフォルケが首を傾げる。「何でもない」そう言おうとして──頭の中で、暗く、重々しい声が響いた。
……──そう簡単に、逃れられると思うのか?
「なん、だ……?」
……ティアーナ……お前は産まれてはならなかったのだ。
それは、突如としてルーカスの影からうねり、出でた。顕現した呪いの残渣──黒い闇が、視界を、そして全身を覆うようにルーカスを襲う。
ハッとするフォルケの「逃げろ!」という叫び声と同時に聞こえてきた、今日何度目かに耳にする、クーペの鳴き声。周りを囲う妖精達のざわつきに混じって、ナディルが泣いている。
ルーカスは逃れられない呪縛に抗い、手を伸ばす。
ラーティ様っ……!
頭の中で反響する子供達の声は次第に遠のき、そして以前ティアーナを襲ったものと同じ闇が、ルーカスに訪れた。
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退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
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