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第二部

12 胸騒ぎの前夜

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 ガロンが出ていった後の夫婦の寝室で、クーペを真ん中にルーカスとラーティと三人一緒に就寝したはずが、ルーカスは何やら胸騒ぎを覚えて夜中に目を覚ました。

 ラーティとクーペが寝ているのを確認すると、一人静かにベッドから出た。物音を立てないようスリッパを履いて、ベビーベッドで眠るナディルを確認する。

 よく寝ているのに安心してルーカスはそっと場を離れた。

 暗いバルコニーへ出ると、そこにいるガロンの使い魔──黄金の羽に頬っぺたは赤いチークをまぶしたようなプリティ系の魔獣、オカメンコインにガロンへの伝言を託す。

 サイズは大型のインコ程あるオカメンコインが、ルーカスの伝言をたずさえパタパタと星空を飛んでいく。

 普段はガロンの近くにいるか、屋敷の回りの監視に放たれているこの魔獣が、たまたまルーカス達のいる寝室のバルコニーにいたのは丁度よかった。

 オカメンコインはラスクールのご家庭に一匹はいて欲しい、伝書鳩ならぬ伝書インコだ。言ったことをそのまま伝えにいく。しかし難点なのが一つある。

 伝えにいく途中で他者の話を聞いてしまうと、内容がそれにり替わってしまうことがあるのだ。

 ちゃんと話が伝わるかは五分五分という伝言ゲームさながらの、可愛いけれどとっても刺激的エキサイティングな魔獣なのだ。

 一説によれば、このオカメンコインを使った魔獣使いのカップルが、破局を狙ったライバルに間違った伝言を刷り込ませられて、危うく破局しそうになったという。

 愛くるしい見た目からは想像もできない、三角関係のいわくつき。まさに今のルーカス達にぴったりの魔獣を使うのもどうかと思ったが、今は深夜だ。

 この時間帯なら途中で出会でくわす相手もいない。伝言を間違えることもないだろう。

 それになるべく早くガロンへ伝言を届けたかった。

 伝言を託してから程なくして、オカメンコインがガロンの返事を伝えにパタパタと戻ってきた。正確に伝わったのを確認したルーカスは室内へ戻る。

 子供達のいる室内に外気が入らないよう掃き出し窓をきっちり閉め、窓辺に立つ。

 腕を組み外を一望しながら、これまでの軌跡きせきを暫し思い起こしていると──声が掛かった。

「良かったのか?」

 ラーティが起きてしまった。

 すぐ後ろまできていることに気付かなかったのは迂闊うかつだったが仕方ない。相手は現在勇者だ。

 ルーカスより大きな体で軽やかな身のこなしのラーティに若さを感じる。

「良かったとは騎士の称号をクーペに渡したことでしょうか、それとも……」

 ラーティがルーカスを抜きにした、ウルスラとの二人きりの面会を承諾したことを言いたいのか。ルーカスは彼を振り返り、探る。

 今回聞かれているのはおそらく後者だったが、ルーカスはあえてその話題かられた。

「貴方は知りたいですか? 私の過去を」

 父セザンのことは、ラーティにも話していない。これほどの月日が経ち、当時のことを知っているのはもう、かつての勇者パーティーの仲間達くらいなものだろう。

 それに……そのことに触れるのなら、必然的にオルガノとの関係も話さなくてはならなくなる。

「ルーカス?」

「すみません。少し私は疲れているようだ」

 もう寝ましょう。

 らしくない。今は些末さまつなことに気を取られている時ではないと、ルーカスはラーティの隣を通り過ぎるところで──けれど足を止める。

「私は貴方を愛している。たとえどのようなことになろうとも、それは忘れないで欲しい」

 オルガノのときに痛感した。自分では足りないこともある。それを補うために必要だとラーティが判断したのなら、ルーカスは従う以外の選択肢を持たない。

 その場にひざまずく。

「貴方を主とし、生涯の忠誠を誓う従者であると同時に、私は貴方を夫と思っています。ですのでどうか、ウルスラ様を正妻に迎え入れることとなった折りには、まず私に教えて頂きたい」

 どうか心の準備はさせてほしい。

 懇願こんがんにラーティが瞠目どうもくする。見るのを避けるように、ルーカスは視線を床に落とした。





 ルーカスは自らが側室に追いやられるのを覚悟で、ウルスラの元へラーティを送り出そうとしている。

 ラーティは雷に打たれたような衝撃を受けた。

「……お前はいったい何の覚悟をしている?」

 狼狽ろうばいし明らかに強張ったラーティの声に、ルーカスがハッと身を硬くする。

 しまったと思った。責めるつもりなど毛頭なかったというのに。

 ラーティを夫と呼びながら跪き、うつむくルーカスの息を呑む気配。クーペとナディルが眠る静かな室内に緊張が走る。異様な空気にラーティは目をすがめた。

 二人が起きないよう互いに極力声を潜めるも、これは子供達のいる部屋でする話ではなかった。

 かといってルーカスを連れて第二の寝室へ行くには、今のルーカスはあまりに張り詰めた状態にある。

 陛下との過去があったから、今度は私に捨てられると思っているのか?

 ひたすら下を向き、ルーカスはラーティの反応を恐れている。側室に追いやられるなどと、何故そこまでのことをされると思っても、ルーカスは反論の一つもしないのか。

 怒らず、嫌だと感情をあらわにすることもしない。ひたすらに傍にいることだけに注力して、それではまるで……

 今までお前はどれだけ傷付いてきたんだ……?

 ラーティはグッと拳を握る。

 不甲斐ふがいない夫だ。

 窮地にある娘に会うななどと、ルーカスが相手を見捨てるような発言をけしてしないことは、分かりきっていたことだったではないか。彼はそういう男だ。

 だからこそ、ラーティはルーカスに心底惚れたのだ。だがそれによって自らが傷付けられることを前提としている妻に、ラーティは歯噛みする。

 何故もっとルーカスの心情を推し量ってやれなかったのだ。

 安易に信用しろなどと、とても言えない。ラーティは実際一度、ルーカスを追放という形で追いやり、捨てたも同然のことをした。

 傷付けたのはオルガノだけではない。ラーティ自身もルーカスに同じことをしたのだ。これ以上のミスは許されない。

「ルーカス、おいで」

 手を差し出す。辛抱強く待つと、やがてルーカスはラーティの手を取り、立ち上がると傍に寄った。

 ラーティより一回り以上小さな、もう戦士ではない細身の体を腕に抱く。

「お前に信用してもらうには、私はどうすればいい?」

 何を捧げればいいのかときながら、ラーティはルーカスの黒髪を丁寧にく。

 答えの代わりに困った顔をされて、ラーティはただ切なに表情を染めるしかできなかった。

 妻に信じてもらうには行動で示すより他はない。そうして妻を腕に強く抱き締めていたら、ツンツンと足元で服を引っ張られる感覚があった。
 
「ルーカス、クーペが起きてしまった……」

 寝ぼけているのだろう。眠そうに半目でうつらうつらしながら、ルーカスではなくラーティの服を引っ張っている。もしくはママ大好きなクーペは、ルーカスからラーティを引き剥がしたいのか。

 クーペが「きゅいっ」と寝ぼけまなこにずんぐりむっくりしたお手々を上げた。これは最近覚えたばかりの抱っこのポーズだ。

 ラーティがルーカスを抱く腕をゆるめると、ルーカスはクーペを抱き上げた。よしよしとあやしながら、その胸元に抱え入れる。

 ラーティが再びクーペごとギュッと強く抱き締めると……

 小声で「ラーティ様」とルーカスが呟く。

「すまない。強くし過ぎたか?」

 想いが募り、中にいるクーペを潰してしまったかとラーティは手を離そうとしたが、ルーカスは違うと首を横に振る。

「いえ、クーペが……ものすごく喜んでいる」

「ん?」

 いつもふんわり抱っこのルーカスから、外的な要因によって、未だかつてないぎゅうぎゅうと力のこもった抱擁ほうようを受けた。クーペはお口を大きく開けて、嬉しそうにおめめをキラキラさせている。

 思わず「良い子だな」と言うと、普段はパパ嫌いで触れただけで半眼になる息子が、ご機嫌に鳴いた。どうやらすっかり目を覚ましてしまったようだ。

 子供の夜更よふかしは体に悪い。ラーティは覚醒しておめめをキラキラさせている息子と、不安を抱える妻をベッドに寝かしつけることにした。

 恵まれた幸せの中にいる。

 ラーティは翌朝、ルーカスとの会話もそこそこに子供達との挨拶も済ませると、さっさとわずらわしい用事を終わらせてしまおうと城へ向かった。
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