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第二部
11 城からの使者
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母はセザンに逃げることを提案した。無実を明らかにするには、当時の王族は腐りきっていたからだ。
けれど騎士道精神を重んじるセザンは忠誠を誓った王族に最後まで従い、逃げることなく主君を信じて場に留まった。それから審議は数ヶ月行われたが、セザンの主は一度も彼を擁護することはなく、刑は下された。
セザンを喪い、ルーカスは罪人の子供として母と二人、身を寄せ合い貧しさの中で生きてきた。
「これは私の父セザン・フォリンの形見だ。私が戦士であった頃、ずっと肌身離さず持っていたものだ」
自分が留守の間、弟のナディルを守ってほしい。これはクーペにしか任せられない重要なことだと、ルーカスはクーペを腕に抱えながら説く。
「どうだ? 頼めるか?」
魔王化し魔獣を従えることができるクーペと違い、当時のルーカスは何の力もないただの庶民の子供だった。
父の雪辱を果たすこともできない。ルーカスは形見の騎士の称号を握り締め、自分の力のなさを呪い、遠方の城を眺め続けた。
事情を知ったオルガノは、魔王討伐を果たしてから程なくして、腐敗した旧王族を一掃するだけでなく、父セザンの失われた名誉を取り戻してくれた。だからルーカスは今もラスクールの民であり続けることができるのだ。
「今度から出かけるときはちゃんとお前に声を掛ける。だから今回は許してくれないか?」
ルーカスの差し出した騎士の称号に、クーペが手を伸ばしてきた。
それまで頑なに持っていたルーカスの下着と交換するように、クーペも握り締めてしわしわのしおしおになったルーカスの下着を差し出してくれた。
騎士の称号を受け取ったクーペは、両手の平に大切そうに乗っけて一心に眺めている。大きなおめめをキラキラさせて、言葉もない様子だ。
騎士の称号について、説明したのはこれが初めてだった。
しかしルーカスにとってそれが非常に大切なものであることを、クーペは何となく分かっているらしい。あるいはルーカスが密かに身に付けていたのを知っていたのだろうか、感動ですっかりご機嫌が直ったようだ。
持ち歩きしやすいよう、後で何かに加工してやるか。
よしよし頭を撫でてやると「本当にくれるの?」と確認するみたいに、両手で騎士の称号を持ちながらキラキラおめめを向けてきた。
「いいんだ。私にはこれがある」
ルーカスが首から提げているネックレスの先端──ぶら下がる血入りの小瓶を見せるように言う。この小瓶はラーティに血の交換をして貰ったときのものだ。ペンダントトップ代わりに彼も首から提げている。
それまで隣でやり取りを見守っていたラーティが「頼んだぞ」と言うように、クーペの頭に手をポンッと乗せた。途端パパ嫌でムッと半眼になったクーペだったが、「きゅいっ!」と気合いのお返事はちゃんとした。
「良い子だ。クーペはもうすっかりお兄ちゃんだな」
見比べるように、すやすやと健やかにベビーベッドで眠っているナディルとクーペをのんびり交互に眺めていたら、持っていた下着はラーティが回収して使用人に手渡した。
しわしわのしおしおになった下着は、きっとまた洗い直してくれるだろう。
*
どうにか騒動が収まって使用人達がいなくなった寝室で、ルーカスがクーペを寝かしつけるのを見守りながら、ガロンは気になっていたことを口にした。
「あのさ、城に行ったときウルスラ様と会ったのか?」
今ラーティは急な来客があったとかで、貴賓室に赴いている。クーペのお世話係りのタリヤは来客の準備に追われ、ドリスは屋敷の警備に戻り、ガロンはラーティの代わりにルーカスに付いていた。
ウルスラのことはラーティがいない今の方が聞きやすい。丁度良いタイミングだった。
騎士の称号を手にぎゅっと握り締めながら、毛布に包まってうとうとしているクーペの頭をルーカスは愛おしそうに撫で、それから考えるように少し止まった。
「いや、ウルスラ様はいなかった」
「そっか」
ガロン達が危惧していたことがなかったなら良かった。
英雄を軽んじるような言動を、ルーカスが受けずに済んで安心したが、代わりに大陸の末端にある最果ての国エストラザと隣国イーグリッドの現状を説明されて、ガロンは寝耳に水だと目を丸くした。
それも逃亡した妖精貴族フォルケを誘き寄せる囮になってほしいと、ギルドの総裁スクルドに申し入れをされたとか、訊くまでもなくラーティが許すはずがない。
念のためどうするつもりなのか訊こうとしたところに、屋敷の主人が戻ってきた。
「──ルーカス」
「ラーティ様、お客様はもうお帰りになったのですか?」
来たのは城からの使者だと聞いていた。城から帰ってきたばかりの二人にもう使者を寄越すとは、よっぽどの緊急なのだろうと、だから執事長を通すこともなくラーティが直接出向いたのだ。
「明日、私はウルスラ様に会いに行くことになった」
使者はオルガノからではなかった。今度こそピタリとルーカスの動きが止まる。
現在ウルスラは民を逃がすため殿を務めたときの傷が思わしくなく、ラスクールの城内で療養中の身だと聞いていた。
「それでは私も一緒に同行を……」
ウルスラは前回勇者オルガノが率いたパーティーの一人、ロザリンドの娘だ。ルーカスにとっては旧友の娘に当たる。その様子を伺うのは別段おかしいことではない。しかしラーティは首を横に振る。
「いや、ウルスラ様が面会したいと言っているのは私だけのようだ」
「ラーティ様だけにお会いしたいと?」
「……今のウルスラ様は、多人数での対応は疲れてしまうそうだ」
ガロンはラーティの話を聞いてギョッとした。
ルーカスはラーティの妻である以前に、一時代前の偉大な英雄の一人だ。安易に断っていい相手ではない。その同行を断られたのだ。
ルーカスがいては困る話をウルスラはラーティにしたいわけだ。
ルーカスは短い沈黙の後に「そうですか、分かりました」と、そ知らぬ顔をして答えていたが……察しがつかないわけがない。
自国の民が大変なときだからこそ、今回の件が解決した後の支援も欲しいとそれを視野に動くのは分かる。だが──
何だよおい、やっぱりウルスラ様ってそういうことなのか?
負傷した相手を刺激するのはよくないと、ラーティは承諾せざるを得なかったのだろう。
ウルスラが怪我を理由に故意にルーカスの来訪を断り、ラスクールの後ろ盾欲しさに、ラーティの側室の座を狙って誘惑するなど万が一にも考えているとしたら?
その不安を誰よりも抱えているのはきっと、ルーカス自身だろう。
けれど騎士道精神を重んじるセザンは忠誠を誓った王族に最後まで従い、逃げることなく主君を信じて場に留まった。それから審議は数ヶ月行われたが、セザンの主は一度も彼を擁護することはなく、刑は下された。
セザンを喪い、ルーカスは罪人の子供として母と二人、身を寄せ合い貧しさの中で生きてきた。
「これは私の父セザン・フォリンの形見だ。私が戦士であった頃、ずっと肌身離さず持っていたものだ」
自分が留守の間、弟のナディルを守ってほしい。これはクーペにしか任せられない重要なことだと、ルーカスはクーペを腕に抱えながら説く。
「どうだ? 頼めるか?」
魔王化し魔獣を従えることができるクーペと違い、当時のルーカスは何の力もないただの庶民の子供だった。
父の雪辱を果たすこともできない。ルーカスは形見の騎士の称号を握り締め、自分の力のなさを呪い、遠方の城を眺め続けた。
事情を知ったオルガノは、魔王討伐を果たしてから程なくして、腐敗した旧王族を一掃するだけでなく、父セザンの失われた名誉を取り戻してくれた。だからルーカスは今もラスクールの民であり続けることができるのだ。
「今度から出かけるときはちゃんとお前に声を掛ける。だから今回は許してくれないか?」
ルーカスの差し出した騎士の称号に、クーペが手を伸ばしてきた。
それまで頑なに持っていたルーカスの下着と交換するように、クーペも握り締めてしわしわのしおしおになったルーカスの下着を差し出してくれた。
騎士の称号を受け取ったクーペは、両手の平に大切そうに乗っけて一心に眺めている。大きなおめめをキラキラさせて、言葉もない様子だ。
騎士の称号について、説明したのはこれが初めてだった。
しかしルーカスにとってそれが非常に大切なものであることを、クーペは何となく分かっているらしい。あるいはルーカスが密かに身に付けていたのを知っていたのだろうか、感動ですっかりご機嫌が直ったようだ。
持ち歩きしやすいよう、後で何かに加工してやるか。
よしよし頭を撫でてやると「本当にくれるの?」と確認するみたいに、両手で騎士の称号を持ちながらキラキラおめめを向けてきた。
「いいんだ。私にはこれがある」
ルーカスが首から提げているネックレスの先端──ぶら下がる血入りの小瓶を見せるように言う。この小瓶はラーティに血の交換をして貰ったときのものだ。ペンダントトップ代わりに彼も首から提げている。
それまで隣でやり取りを見守っていたラーティが「頼んだぞ」と言うように、クーペの頭に手をポンッと乗せた。途端パパ嫌でムッと半眼になったクーペだったが、「きゅいっ!」と気合いのお返事はちゃんとした。
「良い子だ。クーペはもうすっかりお兄ちゃんだな」
見比べるように、すやすやと健やかにベビーベッドで眠っているナディルとクーペをのんびり交互に眺めていたら、持っていた下着はラーティが回収して使用人に手渡した。
しわしわのしおしおになった下着は、きっとまた洗い直してくれるだろう。
*
どうにか騒動が収まって使用人達がいなくなった寝室で、ルーカスがクーペを寝かしつけるのを見守りながら、ガロンは気になっていたことを口にした。
「あのさ、城に行ったときウルスラ様と会ったのか?」
今ラーティは急な来客があったとかで、貴賓室に赴いている。クーペのお世話係りのタリヤは来客の準備に追われ、ドリスは屋敷の警備に戻り、ガロンはラーティの代わりにルーカスに付いていた。
ウルスラのことはラーティがいない今の方が聞きやすい。丁度良いタイミングだった。
騎士の称号を手にぎゅっと握り締めながら、毛布に包まってうとうとしているクーペの頭をルーカスは愛おしそうに撫で、それから考えるように少し止まった。
「いや、ウルスラ様はいなかった」
「そっか」
ガロン達が危惧していたことがなかったなら良かった。
英雄を軽んじるような言動を、ルーカスが受けずに済んで安心したが、代わりに大陸の末端にある最果ての国エストラザと隣国イーグリッドの現状を説明されて、ガロンは寝耳に水だと目を丸くした。
それも逃亡した妖精貴族フォルケを誘き寄せる囮になってほしいと、ギルドの総裁スクルドに申し入れをされたとか、訊くまでもなくラーティが許すはずがない。
念のためどうするつもりなのか訊こうとしたところに、屋敷の主人が戻ってきた。
「──ルーカス」
「ラーティ様、お客様はもうお帰りになったのですか?」
来たのは城からの使者だと聞いていた。城から帰ってきたばかりの二人にもう使者を寄越すとは、よっぽどの緊急なのだろうと、だから執事長を通すこともなくラーティが直接出向いたのだ。
「明日、私はウルスラ様に会いに行くことになった」
使者はオルガノからではなかった。今度こそピタリとルーカスの動きが止まる。
現在ウルスラは民を逃がすため殿を務めたときの傷が思わしくなく、ラスクールの城内で療養中の身だと聞いていた。
「それでは私も一緒に同行を……」
ウルスラは前回勇者オルガノが率いたパーティーの一人、ロザリンドの娘だ。ルーカスにとっては旧友の娘に当たる。その様子を伺うのは別段おかしいことではない。しかしラーティは首を横に振る。
「いや、ウルスラ様が面会したいと言っているのは私だけのようだ」
「ラーティ様だけにお会いしたいと?」
「……今のウルスラ様は、多人数での対応は疲れてしまうそうだ」
ガロンはラーティの話を聞いてギョッとした。
ルーカスはラーティの妻である以前に、一時代前の偉大な英雄の一人だ。安易に断っていい相手ではない。その同行を断られたのだ。
ルーカスがいては困る話をウルスラはラーティにしたいわけだ。
ルーカスは短い沈黙の後に「そうですか、分かりました」と、そ知らぬ顔をして答えていたが……察しがつかないわけがない。
自国の民が大変なときだからこそ、今回の件が解決した後の支援も欲しいとそれを視野に動くのは分かる。だが──
何だよおい、やっぱりウルスラ様ってそういうことなのか?
負傷した相手を刺激するのはよくないと、ラーティは承諾せざるを得なかったのだろう。
ウルスラが怪我を理由に故意にルーカスの来訪を断り、ラスクールの後ろ盾欲しさに、ラーティの側室の座を狙って誘惑するなど万が一にも考えているとしたら?
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