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1巻
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よし、少し声が震えたけど言えた。ということでさようなら。
これで長年の悩みから解放される。
実は、引きこもり用の別邸に、権力をフル活用してちょっとした図書館を造らせておいたのだ。悠々自適な隠居生活ならぬ引きこもり生活を想像して、心が躍る。
ラース。あなたのことは確かに大切だけど、ごめんなさい。読書も大切なの。
すると、それまで余裕の表情でソファーに座っていたラースが、驚いたように目を丸くした。
互いに息を潜め、妙な空気が流れる。
流石にこれはなにか言われるだろうな、と覚悟していたら――
「ふーん。そう」
「…………え? それだけ?」
「好きにすれば? 姉さんの人生なんだし」
興味なしといった風にすげなく返事をされ、拍子抜けする。
だって、そんな、あっさり? いや、確かにわたしもサラッと許してくれるはず! なんて思ってルンルンで来たんだけどね? でも、他にもっとなにか……その……
物足りなさにモジモジとカーテンの裾を握って、チラッとラースを見る。
「で? 他になにか用でもあるの? 俺、忙しいんだけど」
「――っ。そう……そうよね。明日から家督を継いでラースは色々と忙しくなるんだし……あははっ、ごめんなさい。邪魔しちゃって……」
疑うまでもなく、やっぱりわたしは、義弟に相当嫌われていたようだ。
わたしのことなんて娶りたくもないのに、お父様への恩義でその条件を呑もうとしていた。しかし、目障りなわたしが自ら出ていくと宣言してくれたのだ。冷静に考えれば、ラースがわたしを止める理由などあるわけなかったのに。
形だけでもいいから気にかけてほしかった、だなんて、なにを期待してたんだか。
まるでわたしに興味の欠片もないと言われているみたいだ。「いらない」って改めて突き放されたことに、指先が微かに震える。
ショックで血の気が引いていき、目に涙が盛り上がってくる。
顔面蒼白でフラフラしている姿を見せるなんてみっともないから、わたしはラースの顔も見ないで逃げるように部屋を後にした。
第三章 正当な立ち位置
ラースに告白する前から玉砕した衝撃に、廊下をクラゲのようにふらつくこと数分。そうして廊下を漂っているうちにようやく頭が働くようになってきた。
ふぅー。さっきはラースにコテンパンにヤられちゃったけど、それでも大人のわたしは至極冷静だわ。だってほら、さっきまでの出来事がなかったかのように、当初の予定通り書斎の掃除にとりかか――る前に、クルリと方向転換。
ああ、そうよね……。まずは調理場へ行かないと……
そして、料理長から受け取った大きなタコ壺を両脇に抱えたわたしは、スタスタと自分の部屋に戻った。
まあ、あれよ。今回ばかりは、幼き頃のムカつくたびにタコを茹で上げる習慣が発動しちゃったのも致し方ないと思うのよ。
そんなわけで、後はベッドの上でいつも通り、茹で上がったばかりの赤くて丸い球体をひたすら頬張る。うん、塩味が効いて美味しいわ。
うっぷ。もうそろそろお腹の限界が近付いて……でもあと一匹、タコ壺の底にタコ足が残ってる……
『ダメよ、わたし! 泣き言なんか言っちゃダメ! 分かっていたことでしょう? 最初から。そんなことしたらこうなるって……』
『くぅっ、当然分かってたわよ。でもっ、でもね? こうする以外に方法がなかったの!』
『いい? 毎回、毎回、一人劇場で気を紛らわしてるけど。何度繰り返せば気がすむの?』
『はぁっ……仕方ないわね。とにかく今は耐えるのよ。お腹のタコが消化されるそのときまで!』
――そう、シリアスになり切れないわたしは、一人脳内で議論を繰り広げつつ、タコの食べ過ぎでハライタを起こしていた。
とりあえず寝間着で腰回りがゆるゆるしてるから安心だわ。限界の限界に挑戦してあと一匹……とタコ茹でに手を伸ばしたところで、わたしはハッと手を止めた。
この最後の一匹を食べて、盛大にハライタを起こしたら……噂を聞き付けたお小言魔人ラースがやってくるかもしれない。最近のラースは口うるさいからきっと怒られる。
……うーむ。
ベッドの上でタコ壺抱えて思案している時間は五分もなかった。
あれからすぐ、わたしは潔くタコ壺の中から手を引っこ抜いて抱え直すと、自室を後にした。タコ壺片手に素早く移動して、当初の予定通り書斎に到着。さっそく掃除にとりかかった。
「ラースはわたしのいる場所には基本近寄らないから、今まで好き勝手にBL本を置いておくことができたけど……わたしがいなくなったら流石に書斎は使うわよね」
当主になる人間が書斎を使わないわけがないので、ここに残っている本は全てラースが目にしても問題ないものに差し替えてある。
わたしは書棚を見つめながらお気に入りのBL小説に思いをはせた。
わたしが愛読しているBL本の主人公――エリオス・テュンダー。
彼は自身の主君でもある恋人に絶対の忠誠を誓う生粋の騎士で、褐色の肌に金髪、緑の瞳をした美青年だ。
瞳の色は違うけど、エリオス様は優しくて可愛かった頃の、昔のラースに似ている。だからエリオス様がわたしの好きな人なのは確かでも、彼はあくまでもラースの代わりというポジションだ。
そのエリオス様が出てくるBL本は、隠居先の本棚にしっかり収納されている。書斎にBL本は一切残っていないことは掃除中に確認できたから、一安心だ。
本来なら掃除は使用人に任せるところだけど、長年の引きこもり生活でお世話になった場所だもの。屋敷を出る前に自分の手でちゃんと綺麗にしてあげたいじゃない?
害虫防止スプレーは全部ラースに取り上げられちゃったから、はたきでパタパタするしかなかったけど。
一通り掃除が終わった書斎を満足げに眺めながら、わたしは中央に置かれた長椅子に「よいしょ」と腰掛けた。
といっても、屋敷内はいつも使用人が綺麗に保ってくれるから、正直あまり変わった感じはしない。
ちなみに文字の読み書きができる使用人は、最上級の権限を持つ執事長やメイド長に限られるので、そこさえ口止めしておけばBL本があっても安心して掃除を任せられる。
それに、うちの使用人は噂話の一つもせず淡々とお仕事をこなす。融通の利かない堅物な者が多いものの、個人情報保護の面に関しては安全だわ。
というわけなんだけど、聞いてしまったのよね、わたし。その堅物な使用人達が珍しく書斎前でたむろって噂話していたのを……
いけないとは分かっていたけど、ついこっそり話に聞き耳を立ててしまったのだ。
なんでも、ラースには好きな人がいるとかで、正式なお付き合いとやらはことごとく断っているのだとかなんだとか。
ふぅっ……ラースって基本チャラ男なのに、時々妙に真面目なのよね。我が家は主従揃って生真面目な者ばかり。
って、あれ? そうなるとわたし、もしかしなくてもラースの密かな恋路のお邪魔虫?
正式に婚約したわけじゃないけど、婚約者的な立場のわたしがいたらやりにくいものね。でも、わたしが隠居宣言したからこれで恋の障害もなくなる……と。
なるほど、ラースがあっさり隠居を許可するはずね。
そもそもわたし、ちっちゃな頃から徹底的に避けられるくらい嫌われてたのに。最近少しラースが口を利いてくれるように(お小言中心だけど)なったからって、調子に乗ってたんだわ。
ちょっとでもラースが引き止めてくれるんじゃないかって、心のどこかで期待していた自分が恥ずかしい。自意識過剰。
ラースにとってわたしは甘い蜜に集る蟻みたいなもので、ラースの部屋にいた女達と同じ害虫か、目の上のたんこぶだ。
せめてもの償いとしてわたしにできることは、ラースが好きな人と幸せになれるように、一刻も早く屋敷を出て隠居するのみ、なんだけど……
「……どうしよう、美ガエルちゃん。ラースには好きにすればって言われたから言い出せなかったけど、今夜きっかり十二時に屋敷を出る予定です――なんて、ラースは全然興味ないわよね? いつでも好きなときに勝手に出ていけば? って感じだったし」
しゅんと肩を落としながら、長椅子に置かれていたカエルの抱き枕「美ガエルちゃん」を胸元でぎゅっと抱き締める。
勢い任せで隠居宣言したまではよかった。が、最も肝心な部分を言っていないのである。
だって、ラースが至極どうでもよさそうにしていたから……「知りたくもないことをいちいち報告するな」とか「余計な気遣いするな」とか、ぐちぐち言われる気がしたんだものっ。
でも、言わなきゃ言わないで他に文句をつけられるかもしれないし……
数刻前、自分に向けられたラースの冷たい眼差し。目障りだ、さっさと出ていけと言われているようで背筋が凍った。
ラースの冷え切った顔を思い出し、美ガエルちゃんを抱く腕に力が入る。
ちなみにこの美ガエルちゃんとは、お父様が昔、異国から取り寄せた珍しいカエルをモチーフにした抱き枕だ。カエルといっても緑じゃなくて、真っ白な体とつぶらな黒いおめめの可愛いカエルちゃんである。
ラースをいじめるときに使ったような食用ではなく、観賞用に取り寄せられた綺麗なカエル。それをわたしは一目見ていたく気に入り、お父様にねだってそっくりな抱き枕を作ってもらったのだ。
自分と同じ色彩を持つこのカエルが、当時我が儘小娘だったわたしには、ラースに嫌われている自分と重なって見えた。どうにも他人に思えなかったのである。
「もう十年以上経つからところどころ糸がほつれてきてるし、薄汚れて色も大分くすんできてるし……美ガエルちゃんというよりもボロガエルちゃんなんだけど、愛着があってなかなか捨てられないのよね」
あまり好かれない部類の生き物という点でも、わたし達はとてもよく似ている。
就寝時はもちろん、読書中の相棒でもある美ガエルちゃんを、わたしは大人になった今でも愛用してたりする。
「――って、わたしはもう屋敷を出るんだし、もろもろ悩む必要なんてないのよね。じめじめ暗くなっても仕方ないし。十二時になるまで、とにかくこれ以上迷惑かけないように極力気を付けて、見つかる前にとっとこ屋敷から出ていけばいいのよ! うん、大丈夫、大丈夫。なんとかなるなる」
ようやく方向性が決まったところで、ふと窓の外に目を向ける。朱色の空が徐々に宵闇に染まっていくのを眺めながら、わたしはおもむろにスリッパを脱いで裸足になり、読書中いつもかけている眼鏡を外した。
ラースがしてたみたいに、長椅子にゴロンと倒れると、近くのテーブルから本を手元に引き寄せた。表紙をそっと指先でなぞると、気持ちが少し落ち着き、夢見心地で呟く。
「……あと少し。もう間もなくしたらわたしもそちらに参ります。エリオス様」
「――それが想い人の名か」
まあわたしにとってエリオス様はラースの代わりというか、小さな頃のラースみたいな感覚だし……。好きな人(ラース)、イコール、想い人(エリオス様)でも間違いではない?
「えぇ、そうね。想い人といえば想い人だけど……………………ん?」
本来あってはならない返しが聞こえた気がする――ハッ!
「――ら、ラースぅ⁉ あっ――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
勢いよく起き上がった拍子にズルッと滑って、わたしは本と一緒に長椅子から転がり落ちてしまった。床に激突する既のところで、褐色の逞しい腕に抱き留められる。
「……なにをそんな慌ててるんだよ。危ないだろ」
「ご、ごめんなさい。ありがとう……」
床に落としてしまった本から視線を移し、おそるおそる見上げると、不機嫌な顔のラースと目が合った。
「で? またタコの食べ過ぎで動けなくなってるって聞いたけど?」
「うっ……」
テーブルに置かれた空のタコ壺に目をやるラースに、ギクリと体が強張る。
……もう、いったい誰がラースにタコ茹でのことをバラしたのよーっ!
「ムカついたからってタコのどか食いに走るのは控えるよう、日頃から言ってるだろ? すぐに腹痛起こすんだからさ、食べ過ぎで」
「……はい。ごめんなさい」
殊勝に謝ってみせた、その瞬間。
『ぎゅるるるる~~』
「「…………」」
拝啓、反省しても止まないお腹の音。
そう、実は……治まっていたハライタがまたぶり返したのだ。やはり、お掃除しながら最後のタコを我慢できずにつまみ食いしたのがまずかったのだろう。
全部で六匹。ついに限界が来たのねと、書斎の高い天井を仰ぎ見て後悔する。
今朝方、医師に伝えてラース用に調合させておいた腹痛薬を、自分に使うことになるとは情けない。なんでも医師の話では、わたし用に少し調合し直すとかで、できるのに少し時間がかかるようだ。
「ほんと姉さんって懲りないよな……」
確かに、ハライタなのに無理を押して掃除を強行したのは不味かった。お腹は痛いし、当分タコは見たくない。
でも、そもそも、以前なら絶対わたしになんて近付こうともしなかったくせにっ。どうして今日はイレギュラーな行動ばかりとるのよ⁉
くぅっ、一人で書斎にいることに安心して、ラースに気付かないくらい腑抜けていたなんて……最悪だわ。
「……まだそんな物持ってるのか」
美ガエルちゃんを顎で指して、ラースは慣れた手つきでわたしを抱え直すと、長椅子に下ろしてくれた。ついでに落ちた本も拾ってテーブルに戻してくれる。
それから彼は一緒に座るでもなく腕を組み、こちらを見下ろす格好でわたしの前に静かに立っている。その整いすぎた肢体が眼前に迫り、思わず目が泳いだ。
「だってわたしカエル姫だもの……」
先ほどわたしを抱き上げたときの、ラースのわたしへの触れ方が妙に丁寧で優しくて、不覚にもドキッとした。まるで大切な人を扱うみたいに感じてしまった自分が恥ずかしい……。照れ隠しに、ラースから庇うように美ガエルちゃんを抱き締めた。
「わたし、自分が使用人達からなんて言われているかくらい、ちゃんと知ってるもの」
カエル姫は使用人達に陰で呼ばれているわたしのあだ名。昔、我が儘小娘だった頃に、ラースにカエルを投げつけていじめてたから……
「あと、ラースがわたしのこと嫌いなのも知ってるもの。小さい頃、沢山カエルを使っていじめたから。そのせいで今でもラース、カエル嫌いでしょ……?」
「…………」
思わず言ってしまったけど、沈黙するということは、やっぱり本心ではわたしを嫌いということらしい。あとカエルも。
いじめたのは本当にごめんなさい。イケメンなのに、カエルがトラウマとか……わたしのせいで……
「……別にカエルは苦手じゃない」
ラースが口を開いた。
でもわたしを苦手じゃないとは言ってくれないのね。カエルに負けた。つまりわたしはカエル以下。カエルに捕食される虫ということに…………ハエ⁉
物思いに耽るように黙り込むラースの綺麗な瞳を見つめると、ふいに目が合う。そして「フッ……」と静かに笑われた。
「なに?」
「え、あ……なんでもない、です……」
ドキッと心臓が跳ねる。
あまりにも優美な微笑に気後れして、言葉に詰まった。
わたしみたいな並みの容姿でそれをやったら、普通ムカッとされるところよ? もうっ、ほんと、なにしても絵になるなんてズルいなぁ。ラースの目の覚めるような美貌も、これで見納めになるのは本当に残念。
屋敷を出るまで、あと六時間を切った。大人しく自室に引っ込んで待機するには丁度いい頃合いだが……
「カエル姫か……じゃあケロケロ鳴いてみたら?」
「ケロケロ」
「……即答するなよ。なんでそんなところばっかり素直なんだ?」
「ケロケロ」
「もういいって」
「ケロケロケロケロケ――」
「あーっ! もうやめろって! 鳥肌が立つ!」
「ふふっ。やっぱりラースはカエル嫌いなんだ」
「っ!」
意地悪していたら、ラースにプイッと顔を背けられてしまった。
「ラース?」
「話しかけるな」
「ごめんなさい。もうケロケロ言わないから」
「うるさい」
不機嫌に言い捨てながらも、ラースは書斎を出ていこうとはしない。わたしの近くに立ったままそっぽを向いて、視線を逸らし続ける。耳の先がほんのり赤く染まっている。
この反応は……怒ってるというより拗ねてる? ん? 違うな。もしかして……恥ずかしがってるのかしら?
そう思うと、子供みたいなラースの反応が可愛くて、クスクス笑ってしまう。
「……そんなに笑うな」
「ごっ、ごめんなさぃ…………ぷっ、あははっ。無理、だって可愛いっ」
「可愛いとか言うなっ! そして笑うな!」
ようやくこちらを向いたラースが、身を乗り出して怒鳴った。いつもなら委縮してしまうところだが、必死な表情がいつもの居丈高な彼に似つかわしくなく、さらに頬が緩む。
「えー、可愛いのにどうして言っちゃダメなの? あっ、そっか。ラースは男の子だものね? 可愛いは禁句だった?」
「姉さん、いい加減に……」
「ラースがいつになく焦ってて、とっても可愛い」
「なっ!」
唖然と口を開けたラースの顔がみるみるうちに赤くなっていく。
ラースをやり込められたことに満足し、ひとしきり笑った後、わたしは前に立っている彼を見上げた。注意するのを諦めたのか、ラースは少し困った表情を浮かべている。
「ラース、ごめんね?」
「…………」
ラースとのこんな楽しいやり取りは子供の頃以来、久しぶりだわ。お小言魔人の彼は怖いけど、やっぱり好きだと改めて実感する。本当――
「わたし、そういうラースはすごく好き」
「っ⁉」
ん? あれ? 今、ポロッと正直な気持ちが零れ出ちゃった? 満面の笑みで言っちゃった気がする……
でも、大丈夫大丈夫。心配ないない。きっと姉弟として好きという意味で捉えるだろうし。まあ、なんだか固まってるようにも見えるけど。
「……嫌い、の間違いだろ」
「え?」
「あんた雰囲気に流され過ぎなんだよ」
そう吐き捨てる彼の顔には、わたしの言葉など信じないと書かれている。
もしかしてラース、わたしに嫌われてると思ってた? 確かに今まで顔を合わせれば喧嘩ばかりだったし、小さい頃はいじめられるしで散々だったわけだし……不味い。不味いわ。
「ち、違うのよ! わたし、ラースのこと嫌ったりしてないわ。ちゃんと好きよ?」
そりゃ、こんな姉に突然好きとか言われたらビックリするわよね。
急いで否定するが、長年積もり積もった不審はそう簡単に払拭できるものじゃない。
「へえー、どのくらい?」
必死に訴えるわたしに、ラースは目を細め、試すみたいに言う。
「どのくらいって……」
絶句する。まさか好きの規模を聞かれるとは。
でも、「世界で一番愛してます」なんて本心だけど言えないし。ましてや、ラースのためなら死ねるとか、命より大事ですとか、最初に抱かれるならラースがいいです、とか、口が裂けても言えない。
両手を広げて好きの大きさを表現するのもな……。手っ取り早いけど、やったらラースに小突かれそう。
困ったわ。究極の愛の告白だわ。
でも本気だってことがバレない、なにか上手い方法はないものかしらね…………あ。
「姉さん、今度はなにを始めたんだ?」
ラースの疑問を無視して、わたしはテーブルに置かれた紙と羽根ペンを手に、サラサラと書き出した。
「できた! はい、コレっ」
◇ 好きの度合い比較図
(大) ラース > 本 > タコ茹で > カエル (小)
言えないなら書けばいいじゃない。ちなみに絵付き。ラースは棒人間っぽくなっちゃったけど、他はなかなか可愛く描けたわ。
「なにこれ?」
意味分からんという顔で、ラースの眉間の皺が濃くなる。
ラースが怪訝そうに首を傾げているので、わたしは丁寧に説明することにした。
「カエルとタコを合わせても足りないくらい愛してます。ちなみに本(BL本、つまりエリオス様)より上」
我ながらいい感じにできた! と、胸を張るが……
「きゃっ!」
「からかうな」
ピンッとおでこを弾かれた。
そうして悩んだ末の「好きの度合い比較図(絵付き)」は大失敗。わたしは暫く珍獣のごとく見つめられた。
そして色んな衝撃から立ち直ったラースが、額を押さえて開口一番、放った台詞がこれである。
「……正直、取扱説明書が欲しいと思った女性は姉さんが初めてだよ」
言われてすぐに「あるよ!」とリストが頭の中を駆け巡ったところで、はっと我に返った。完全に自分の世界に没入していたわ。
ラースを見ると、彼が探るような強い眼差しをこちらに向けていて、ぴしっと体が固まった。
「姉さんがなに考えてるんだか、さっぱり分からないんだけど」
「そ、そうなの?」
小さくため息を吐きながら項垂れるラース。
わたしは小首を傾げながら、目を瞬かせた。
「女性から『好き』の度合いを人間以外の生き物と比較されたのも初めてだよ。せめて友達とか人と比較してほしいんだけど」
呆れた顔で言われて困った。だって。
「わたし友達いない……」
ズーン、と落ち込む。
「っ! ごめん……」
やたらと重苦しい雰囲気が漂う中、ラースがコホンッと咳払いをして、気を取り直すように「好きの度合い比較図(絵付き)」を折り畳んで懐のポケットに入れた。一応捨てずに持ち帰ってくれるみたいだ。ちょっぴり嬉しい。
「つーかさ、なんでそんなに嬉しそうな顔してるんだよ?」
浮き立つ心のままラースを眺めていると、ラースが無愛想に言い放った。
「随分と余裕だな」と指摘されて気付いた。ここ最近ずっと沈んでいたはずなのに、知らず知らずのうちに自分が笑っていたことに。
今そういう状況だったか? とラースが困惑している。不思議そうに首を傾げている姿は少し可愛い。
「ごめんなさい。その……楽しくて」
「楽しい?」
「こんなに楽しい会話を誰かとしたの、何年ぶりだろうなって思って。確か最後は……」
これで長年の悩みから解放される。
実は、引きこもり用の別邸に、権力をフル活用してちょっとした図書館を造らせておいたのだ。悠々自適な隠居生活ならぬ引きこもり生活を想像して、心が躍る。
ラース。あなたのことは確かに大切だけど、ごめんなさい。読書も大切なの。
すると、それまで余裕の表情でソファーに座っていたラースが、驚いたように目を丸くした。
互いに息を潜め、妙な空気が流れる。
流石にこれはなにか言われるだろうな、と覚悟していたら――
「ふーん。そう」
「…………え? それだけ?」
「好きにすれば? 姉さんの人生なんだし」
興味なしといった風にすげなく返事をされ、拍子抜けする。
だって、そんな、あっさり? いや、確かにわたしもサラッと許してくれるはず! なんて思ってルンルンで来たんだけどね? でも、他にもっとなにか……その……
物足りなさにモジモジとカーテンの裾を握って、チラッとラースを見る。
「で? 他になにか用でもあるの? 俺、忙しいんだけど」
「――っ。そう……そうよね。明日から家督を継いでラースは色々と忙しくなるんだし……あははっ、ごめんなさい。邪魔しちゃって……」
疑うまでもなく、やっぱりわたしは、義弟に相当嫌われていたようだ。
わたしのことなんて娶りたくもないのに、お父様への恩義でその条件を呑もうとしていた。しかし、目障りなわたしが自ら出ていくと宣言してくれたのだ。冷静に考えれば、ラースがわたしを止める理由などあるわけなかったのに。
形だけでもいいから気にかけてほしかった、だなんて、なにを期待してたんだか。
まるでわたしに興味の欠片もないと言われているみたいだ。「いらない」って改めて突き放されたことに、指先が微かに震える。
ショックで血の気が引いていき、目に涙が盛り上がってくる。
顔面蒼白でフラフラしている姿を見せるなんてみっともないから、わたしはラースの顔も見ないで逃げるように部屋を後にした。
第三章 正当な立ち位置
ラースに告白する前から玉砕した衝撃に、廊下をクラゲのようにふらつくこと数分。そうして廊下を漂っているうちにようやく頭が働くようになってきた。
ふぅー。さっきはラースにコテンパンにヤられちゃったけど、それでも大人のわたしは至極冷静だわ。だってほら、さっきまでの出来事がなかったかのように、当初の予定通り書斎の掃除にとりかか――る前に、クルリと方向転換。
ああ、そうよね……。まずは調理場へ行かないと……
そして、料理長から受け取った大きなタコ壺を両脇に抱えたわたしは、スタスタと自分の部屋に戻った。
まあ、あれよ。今回ばかりは、幼き頃のムカつくたびにタコを茹で上げる習慣が発動しちゃったのも致し方ないと思うのよ。
そんなわけで、後はベッドの上でいつも通り、茹で上がったばかりの赤くて丸い球体をひたすら頬張る。うん、塩味が効いて美味しいわ。
うっぷ。もうそろそろお腹の限界が近付いて……でもあと一匹、タコ壺の底にタコ足が残ってる……
『ダメよ、わたし! 泣き言なんか言っちゃダメ! 分かっていたことでしょう? 最初から。そんなことしたらこうなるって……』
『くぅっ、当然分かってたわよ。でもっ、でもね? こうする以外に方法がなかったの!』
『いい? 毎回、毎回、一人劇場で気を紛らわしてるけど。何度繰り返せば気がすむの?』
『はぁっ……仕方ないわね。とにかく今は耐えるのよ。お腹のタコが消化されるそのときまで!』
――そう、シリアスになり切れないわたしは、一人脳内で議論を繰り広げつつ、タコの食べ過ぎでハライタを起こしていた。
とりあえず寝間着で腰回りがゆるゆるしてるから安心だわ。限界の限界に挑戦してあと一匹……とタコ茹でに手を伸ばしたところで、わたしはハッと手を止めた。
この最後の一匹を食べて、盛大にハライタを起こしたら……噂を聞き付けたお小言魔人ラースがやってくるかもしれない。最近のラースは口うるさいからきっと怒られる。
……うーむ。
ベッドの上でタコ壺抱えて思案している時間は五分もなかった。
あれからすぐ、わたしは潔くタコ壺の中から手を引っこ抜いて抱え直すと、自室を後にした。タコ壺片手に素早く移動して、当初の予定通り書斎に到着。さっそく掃除にとりかかった。
「ラースはわたしのいる場所には基本近寄らないから、今まで好き勝手にBL本を置いておくことができたけど……わたしがいなくなったら流石に書斎は使うわよね」
当主になる人間が書斎を使わないわけがないので、ここに残っている本は全てラースが目にしても問題ないものに差し替えてある。
わたしは書棚を見つめながらお気に入りのBL小説に思いをはせた。
わたしが愛読しているBL本の主人公――エリオス・テュンダー。
彼は自身の主君でもある恋人に絶対の忠誠を誓う生粋の騎士で、褐色の肌に金髪、緑の瞳をした美青年だ。
瞳の色は違うけど、エリオス様は優しくて可愛かった頃の、昔のラースに似ている。だからエリオス様がわたしの好きな人なのは確かでも、彼はあくまでもラースの代わりというポジションだ。
そのエリオス様が出てくるBL本は、隠居先の本棚にしっかり収納されている。書斎にBL本は一切残っていないことは掃除中に確認できたから、一安心だ。
本来なら掃除は使用人に任せるところだけど、長年の引きこもり生活でお世話になった場所だもの。屋敷を出る前に自分の手でちゃんと綺麗にしてあげたいじゃない?
害虫防止スプレーは全部ラースに取り上げられちゃったから、はたきでパタパタするしかなかったけど。
一通り掃除が終わった書斎を満足げに眺めながら、わたしは中央に置かれた長椅子に「よいしょ」と腰掛けた。
といっても、屋敷内はいつも使用人が綺麗に保ってくれるから、正直あまり変わった感じはしない。
ちなみに文字の読み書きができる使用人は、最上級の権限を持つ執事長やメイド長に限られるので、そこさえ口止めしておけばBL本があっても安心して掃除を任せられる。
それに、うちの使用人は噂話の一つもせず淡々とお仕事をこなす。融通の利かない堅物な者が多いものの、個人情報保護の面に関しては安全だわ。
というわけなんだけど、聞いてしまったのよね、わたし。その堅物な使用人達が珍しく書斎前でたむろって噂話していたのを……
いけないとは分かっていたけど、ついこっそり話に聞き耳を立ててしまったのだ。
なんでも、ラースには好きな人がいるとかで、正式なお付き合いとやらはことごとく断っているのだとかなんだとか。
ふぅっ……ラースって基本チャラ男なのに、時々妙に真面目なのよね。我が家は主従揃って生真面目な者ばかり。
って、あれ? そうなるとわたし、もしかしなくてもラースの密かな恋路のお邪魔虫?
正式に婚約したわけじゃないけど、婚約者的な立場のわたしがいたらやりにくいものね。でも、わたしが隠居宣言したからこれで恋の障害もなくなる……と。
なるほど、ラースがあっさり隠居を許可するはずね。
そもそもわたし、ちっちゃな頃から徹底的に避けられるくらい嫌われてたのに。最近少しラースが口を利いてくれるように(お小言中心だけど)なったからって、調子に乗ってたんだわ。
ちょっとでもラースが引き止めてくれるんじゃないかって、心のどこかで期待していた自分が恥ずかしい。自意識過剰。
ラースにとってわたしは甘い蜜に集る蟻みたいなもので、ラースの部屋にいた女達と同じ害虫か、目の上のたんこぶだ。
せめてもの償いとしてわたしにできることは、ラースが好きな人と幸せになれるように、一刻も早く屋敷を出て隠居するのみ、なんだけど……
「……どうしよう、美ガエルちゃん。ラースには好きにすればって言われたから言い出せなかったけど、今夜きっかり十二時に屋敷を出る予定です――なんて、ラースは全然興味ないわよね? いつでも好きなときに勝手に出ていけば? って感じだったし」
しゅんと肩を落としながら、長椅子に置かれていたカエルの抱き枕「美ガエルちゃん」を胸元でぎゅっと抱き締める。
勢い任せで隠居宣言したまではよかった。が、最も肝心な部分を言っていないのである。
だって、ラースが至極どうでもよさそうにしていたから……「知りたくもないことをいちいち報告するな」とか「余計な気遣いするな」とか、ぐちぐち言われる気がしたんだものっ。
でも、言わなきゃ言わないで他に文句をつけられるかもしれないし……
数刻前、自分に向けられたラースの冷たい眼差し。目障りだ、さっさと出ていけと言われているようで背筋が凍った。
ラースの冷え切った顔を思い出し、美ガエルちゃんを抱く腕に力が入る。
ちなみにこの美ガエルちゃんとは、お父様が昔、異国から取り寄せた珍しいカエルをモチーフにした抱き枕だ。カエルといっても緑じゃなくて、真っ白な体とつぶらな黒いおめめの可愛いカエルちゃんである。
ラースをいじめるときに使ったような食用ではなく、観賞用に取り寄せられた綺麗なカエル。それをわたしは一目見ていたく気に入り、お父様にねだってそっくりな抱き枕を作ってもらったのだ。
自分と同じ色彩を持つこのカエルが、当時我が儘小娘だったわたしには、ラースに嫌われている自分と重なって見えた。どうにも他人に思えなかったのである。
「もう十年以上経つからところどころ糸がほつれてきてるし、薄汚れて色も大分くすんできてるし……美ガエルちゃんというよりもボロガエルちゃんなんだけど、愛着があってなかなか捨てられないのよね」
あまり好かれない部類の生き物という点でも、わたし達はとてもよく似ている。
就寝時はもちろん、読書中の相棒でもある美ガエルちゃんを、わたしは大人になった今でも愛用してたりする。
「――って、わたしはもう屋敷を出るんだし、もろもろ悩む必要なんてないのよね。じめじめ暗くなっても仕方ないし。十二時になるまで、とにかくこれ以上迷惑かけないように極力気を付けて、見つかる前にとっとこ屋敷から出ていけばいいのよ! うん、大丈夫、大丈夫。なんとかなるなる」
ようやく方向性が決まったところで、ふと窓の外に目を向ける。朱色の空が徐々に宵闇に染まっていくのを眺めながら、わたしはおもむろにスリッパを脱いで裸足になり、読書中いつもかけている眼鏡を外した。
ラースがしてたみたいに、長椅子にゴロンと倒れると、近くのテーブルから本を手元に引き寄せた。表紙をそっと指先でなぞると、気持ちが少し落ち着き、夢見心地で呟く。
「……あと少し。もう間もなくしたらわたしもそちらに参ります。エリオス様」
「――それが想い人の名か」
まあわたしにとってエリオス様はラースの代わりというか、小さな頃のラースみたいな感覚だし……。好きな人(ラース)、イコール、想い人(エリオス様)でも間違いではない?
「えぇ、そうね。想い人といえば想い人だけど……………………ん?」
本来あってはならない返しが聞こえた気がする――ハッ!
「――ら、ラースぅ⁉ あっ――きゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
勢いよく起き上がった拍子にズルッと滑って、わたしは本と一緒に長椅子から転がり落ちてしまった。床に激突する既のところで、褐色の逞しい腕に抱き留められる。
「……なにをそんな慌ててるんだよ。危ないだろ」
「ご、ごめんなさい。ありがとう……」
床に落としてしまった本から視線を移し、おそるおそる見上げると、不機嫌な顔のラースと目が合った。
「で? またタコの食べ過ぎで動けなくなってるって聞いたけど?」
「うっ……」
テーブルに置かれた空のタコ壺に目をやるラースに、ギクリと体が強張る。
……もう、いったい誰がラースにタコ茹でのことをバラしたのよーっ!
「ムカついたからってタコのどか食いに走るのは控えるよう、日頃から言ってるだろ? すぐに腹痛起こすんだからさ、食べ過ぎで」
「……はい。ごめんなさい」
殊勝に謝ってみせた、その瞬間。
『ぎゅるるるる~~』
「「…………」」
拝啓、反省しても止まないお腹の音。
そう、実は……治まっていたハライタがまたぶり返したのだ。やはり、お掃除しながら最後のタコを我慢できずにつまみ食いしたのがまずかったのだろう。
全部で六匹。ついに限界が来たのねと、書斎の高い天井を仰ぎ見て後悔する。
今朝方、医師に伝えてラース用に調合させておいた腹痛薬を、自分に使うことになるとは情けない。なんでも医師の話では、わたし用に少し調合し直すとかで、できるのに少し時間がかかるようだ。
「ほんと姉さんって懲りないよな……」
確かに、ハライタなのに無理を押して掃除を強行したのは不味かった。お腹は痛いし、当分タコは見たくない。
でも、そもそも、以前なら絶対わたしになんて近付こうともしなかったくせにっ。どうして今日はイレギュラーな行動ばかりとるのよ⁉
くぅっ、一人で書斎にいることに安心して、ラースに気付かないくらい腑抜けていたなんて……最悪だわ。
「……まだそんな物持ってるのか」
美ガエルちゃんを顎で指して、ラースは慣れた手つきでわたしを抱え直すと、長椅子に下ろしてくれた。ついでに落ちた本も拾ってテーブルに戻してくれる。
それから彼は一緒に座るでもなく腕を組み、こちらを見下ろす格好でわたしの前に静かに立っている。その整いすぎた肢体が眼前に迫り、思わず目が泳いだ。
「だってわたしカエル姫だもの……」
先ほどわたしを抱き上げたときの、ラースのわたしへの触れ方が妙に丁寧で優しくて、不覚にもドキッとした。まるで大切な人を扱うみたいに感じてしまった自分が恥ずかしい……。照れ隠しに、ラースから庇うように美ガエルちゃんを抱き締めた。
「わたし、自分が使用人達からなんて言われているかくらい、ちゃんと知ってるもの」
カエル姫は使用人達に陰で呼ばれているわたしのあだ名。昔、我が儘小娘だった頃に、ラースにカエルを投げつけていじめてたから……
「あと、ラースがわたしのこと嫌いなのも知ってるもの。小さい頃、沢山カエルを使っていじめたから。そのせいで今でもラース、カエル嫌いでしょ……?」
「…………」
思わず言ってしまったけど、沈黙するということは、やっぱり本心ではわたしを嫌いということらしい。あとカエルも。
いじめたのは本当にごめんなさい。イケメンなのに、カエルがトラウマとか……わたしのせいで……
「……別にカエルは苦手じゃない」
ラースが口を開いた。
でもわたしを苦手じゃないとは言ってくれないのね。カエルに負けた。つまりわたしはカエル以下。カエルに捕食される虫ということに…………ハエ⁉
物思いに耽るように黙り込むラースの綺麗な瞳を見つめると、ふいに目が合う。そして「フッ……」と静かに笑われた。
「なに?」
「え、あ……なんでもない、です……」
ドキッと心臓が跳ねる。
あまりにも優美な微笑に気後れして、言葉に詰まった。
わたしみたいな並みの容姿でそれをやったら、普通ムカッとされるところよ? もうっ、ほんと、なにしても絵になるなんてズルいなぁ。ラースの目の覚めるような美貌も、これで見納めになるのは本当に残念。
屋敷を出るまで、あと六時間を切った。大人しく自室に引っ込んで待機するには丁度いい頃合いだが……
「カエル姫か……じゃあケロケロ鳴いてみたら?」
「ケロケロ」
「……即答するなよ。なんでそんなところばっかり素直なんだ?」
「ケロケロ」
「もういいって」
「ケロケロケロケロケ――」
「あーっ! もうやめろって! 鳥肌が立つ!」
「ふふっ。やっぱりラースはカエル嫌いなんだ」
「っ!」
意地悪していたら、ラースにプイッと顔を背けられてしまった。
「ラース?」
「話しかけるな」
「ごめんなさい。もうケロケロ言わないから」
「うるさい」
不機嫌に言い捨てながらも、ラースは書斎を出ていこうとはしない。わたしの近くに立ったままそっぽを向いて、視線を逸らし続ける。耳の先がほんのり赤く染まっている。
この反応は……怒ってるというより拗ねてる? ん? 違うな。もしかして……恥ずかしがってるのかしら?
そう思うと、子供みたいなラースの反応が可愛くて、クスクス笑ってしまう。
「……そんなに笑うな」
「ごっ、ごめんなさぃ…………ぷっ、あははっ。無理、だって可愛いっ」
「可愛いとか言うなっ! そして笑うな!」
ようやくこちらを向いたラースが、身を乗り出して怒鳴った。いつもなら委縮してしまうところだが、必死な表情がいつもの居丈高な彼に似つかわしくなく、さらに頬が緩む。
「えー、可愛いのにどうして言っちゃダメなの? あっ、そっか。ラースは男の子だものね? 可愛いは禁句だった?」
「姉さん、いい加減に……」
「ラースがいつになく焦ってて、とっても可愛い」
「なっ!」
唖然と口を開けたラースの顔がみるみるうちに赤くなっていく。
ラースをやり込められたことに満足し、ひとしきり笑った後、わたしは前に立っている彼を見上げた。注意するのを諦めたのか、ラースは少し困った表情を浮かべている。
「ラース、ごめんね?」
「…………」
ラースとのこんな楽しいやり取りは子供の頃以来、久しぶりだわ。お小言魔人の彼は怖いけど、やっぱり好きだと改めて実感する。本当――
「わたし、そういうラースはすごく好き」
「っ⁉」
ん? あれ? 今、ポロッと正直な気持ちが零れ出ちゃった? 満面の笑みで言っちゃった気がする……
でも、大丈夫大丈夫。心配ないない。きっと姉弟として好きという意味で捉えるだろうし。まあ、なんだか固まってるようにも見えるけど。
「……嫌い、の間違いだろ」
「え?」
「あんた雰囲気に流され過ぎなんだよ」
そう吐き捨てる彼の顔には、わたしの言葉など信じないと書かれている。
もしかしてラース、わたしに嫌われてると思ってた? 確かに今まで顔を合わせれば喧嘩ばかりだったし、小さい頃はいじめられるしで散々だったわけだし……不味い。不味いわ。
「ち、違うのよ! わたし、ラースのこと嫌ったりしてないわ。ちゃんと好きよ?」
そりゃ、こんな姉に突然好きとか言われたらビックリするわよね。
急いで否定するが、長年積もり積もった不審はそう簡単に払拭できるものじゃない。
「へえー、どのくらい?」
必死に訴えるわたしに、ラースは目を細め、試すみたいに言う。
「どのくらいって……」
絶句する。まさか好きの規模を聞かれるとは。
でも、「世界で一番愛してます」なんて本心だけど言えないし。ましてや、ラースのためなら死ねるとか、命より大事ですとか、最初に抱かれるならラースがいいです、とか、口が裂けても言えない。
両手を広げて好きの大きさを表現するのもな……。手っ取り早いけど、やったらラースに小突かれそう。
困ったわ。究極の愛の告白だわ。
でも本気だってことがバレない、なにか上手い方法はないものかしらね…………あ。
「姉さん、今度はなにを始めたんだ?」
ラースの疑問を無視して、わたしはテーブルに置かれた紙と羽根ペンを手に、サラサラと書き出した。
「できた! はい、コレっ」
◇ 好きの度合い比較図
(大) ラース > 本 > タコ茹で > カエル (小)
言えないなら書けばいいじゃない。ちなみに絵付き。ラースは棒人間っぽくなっちゃったけど、他はなかなか可愛く描けたわ。
「なにこれ?」
意味分からんという顔で、ラースの眉間の皺が濃くなる。
ラースが怪訝そうに首を傾げているので、わたしは丁寧に説明することにした。
「カエルとタコを合わせても足りないくらい愛してます。ちなみに本(BL本、つまりエリオス様)より上」
我ながらいい感じにできた! と、胸を張るが……
「きゃっ!」
「からかうな」
ピンッとおでこを弾かれた。
そうして悩んだ末の「好きの度合い比較図(絵付き)」は大失敗。わたしは暫く珍獣のごとく見つめられた。
そして色んな衝撃から立ち直ったラースが、額を押さえて開口一番、放った台詞がこれである。
「……正直、取扱説明書が欲しいと思った女性は姉さんが初めてだよ」
言われてすぐに「あるよ!」とリストが頭の中を駆け巡ったところで、はっと我に返った。完全に自分の世界に没入していたわ。
ラースを見ると、彼が探るような強い眼差しをこちらに向けていて、ぴしっと体が固まった。
「姉さんがなに考えてるんだか、さっぱり分からないんだけど」
「そ、そうなの?」
小さくため息を吐きながら項垂れるラース。
わたしは小首を傾げながら、目を瞬かせた。
「女性から『好き』の度合いを人間以外の生き物と比較されたのも初めてだよ。せめて友達とか人と比較してほしいんだけど」
呆れた顔で言われて困った。だって。
「わたし友達いない……」
ズーン、と落ち込む。
「っ! ごめん……」
やたらと重苦しい雰囲気が漂う中、ラースがコホンッと咳払いをして、気を取り直すように「好きの度合い比較図(絵付き)」を折り畳んで懐のポケットに入れた。一応捨てずに持ち帰ってくれるみたいだ。ちょっぴり嬉しい。
「つーかさ、なんでそんなに嬉しそうな顔してるんだよ?」
浮き立つ心のままラースを眺めていると、ラースが無愛想に言い放った。
「随分と余裕だな」と指摘されて気付いた。ここ最近ずっと沈んでいたはずなのに、知らず知らずのうちに自分が笑っていたことに。
今そういう状況だったか? とラースが困惑している。不思議そうに首を傾げている姿は少し可愛い。
「ごめんなさい。その……楽しくて」
「楽しい?」
「こんなに楽しい会話を誰かとしたの、何年ぶりだろうなって思って。確か最後は……」
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