君の手は、人生をつなぐ羅針盤

薄影メガネ

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本編

27 音の代わりに

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 花火が打ち上がる音を聞いたような気がした。でも気付いたら、一番最初に視界に入ってきた空は暗かった。
 寝起きでぼんやりとしながら、頭にある柔らかい感触にその先を辿たどる。

「……ごめん。俺どのくらい寝てた?」
「起きた? 大丈夫よ。まだ三十分くらいしかってないから」

 あんまり普通に返された安心感で、彼女の格好を目にしなければ夢心地ゆめごこちにそのまま二度寝するところだった。慣れたもので、当然のように言う麗子さんの格好は、まだ俺がリクエストした青い浴衣ゆかたのままだ。でも場所はさっきいた階段と違う。
 神社を上がった縁側えんがわで、夕涼ゆうすずみするみたいに、俺は横になりながら麗子さんに膝枕ひざまくらされていた。

「はじめ君が寝たときに、ちょうどお祭りから神主かんぬしさんが帰ってきたのよ。上がってもいいって気をかせてくれて、はじめ君をここへ運ぶのも手伝ってくれたの。神主さん、いい人ね」
「お守りの件といい、本当によく気のく人だな……」

 あとでお礼言っといてね。と言う麗子さんは、寝ている俺にうちわまであおいでくれる。いたれりくせりだなぁと苦笑する。それから段々とえてきた頭で自分の失態を自覚した。

「お祭りから帰ってきたってことは……そっか」

 打ち上げはとっくに終わっていた。
 花火大会といっても地元のもので規模もそこまで大きくない。打ち上げの時間はもって十五分がいいところだ。それを見逃した。

 薬は夕方起きた十六時頃に服用ふくようした。さっき賽銭箱さいせんばこの前の階段にいたときは二十時過ぎだったから、薬を服用ふくようしてからまだ四時間半しかっていないことになる。
 今の俺はおそらく一日に四時間も起きていられない。
 自宅と店を兼用していない俺たち親子は、起きている時間が六時間を切った春頃から、俺が寝ている間に親父が車に乗せて猫茶丸に連れてきて、起きるまで別室で寝て起きる生活をしているんだが……

「覚醒強行剤」はそんな俺が飲んでも六、七時間ほど起きっぱなしでいられる強い薬のはずだ。なのに六時間もつどころか四時間半で寝落ちした。動き回ったせいで効果が切れるのが早かったのかもしれない。
 しかし副作用で次の日は丸一日二日起きれないはず、それがかなり眠気はあるものの、寝落ちしてから三十分で起きれたということは、効果が途切れがちにも続いているということだ。とはいえ、おそらくもう一度寝落ちしたら、きっと今日は起きられない。

「ごめん、麗子さん。デート失敗して」

 肝心かんじんの打ち上げ間際まぎわになって、シャットダウンするとか、最悪だな、
 そう言ったら途端とたんひたいを指先でピンッと弾かれた。

「麗子さん……?」

 膝枕ひざまくらされた格好でひたいを押さえて麗子さんを見上げると──何だか雰囲気がいつもと違う。

「違うでしょ」
「え、何が……」

 デートを台無しにされた。なのに麗子さんは少しも気にしたふうを見せない。それどころか妙に大人の顔をした麗子さんに少し焦りを感じて、俺はひたいを押さえたまま少し首をかしげるようにした。すると、麗子さんが重く溜息ためいきいた。
 どうやら俺の反応は彼女の求めるものではなかったらしい。

「あんたは何も悪くない。それに、別にデート失敗してないし、楽しかったのに失敗したとかそれ以上言ったら怒るわよ?」
「……ごめん」

 益々ますます頭が上がらない。
 それから「一緒にいてくれたから、それでいいわよ」と言い切られて、膝枕ひざまくらされていた頭を上げる。体を起こして縁側えんがわの堅い板の上に、俺は座り直した。互いに向き合う形になる。

「強一さんに連絡したら、効き目が切れるのが随分ずいぶん早いから、もしかしたらまた起きるかも知れないって言われたのよ」

 だから花火の打ち上げが終わった後も、そのままにしていてくれたらしい。

 薬を飲めば平気だと思ってた。けど、無理だったか。
 一度眠気が出てくると、連続して起きたり寝たりを繰り返す。それも小刻みだったりして、薬を飲まなければコントロールできない。以前より酷くなってるのは確かだった。
 薬で今はなんとかなってるけど、近いうちにきっと、店にも出られなくなるだろう。
 分かってたし、覚悟はしてたけどー。と、目に見えて落ち込んでいたら「ほらっ」と、何か差し出された。

「あ、これってチョコバナナ? それに──」

 今まで横になっていたから目に入らなかった。すぐそこの床には、公園のベンチに置き去りにしたお土産と、巨大なクマのヌイグルミ。それに──飲みかけの缶ジュースまで置いてある。ってことはつまり、三太と鉄平にも居場所はバレてるってことだ。更には……

「あんたの高校のときの友達が持ってきてくれたのよ、チョコバナナ。それも私の分まで。要領ようりょういいわよね、あんたの友達って。あと他にも何だが沢山置いてったわよ」

 向こうに山積みになってる。と言われた方を見る。縁側えんがわすみっこには、確かに何だが物凄い量の食べ物が、ごった煮の鍋みたいになって置いてあった。どれも縁日えんにち屋台やたいで売ってるヤツだ。

「麗子さんは林檎飴りんごあめ、好きだよね? あの山の中にありそうだけど……」
「今日はチョコバナナの方がいいのよ」

 バランス栄養食だし。と、俺がチョコバナナ好きなの知ってて合わせたのに、もっともな理由ではぐらかす麗子さんは可愛くしか見えない。

「ふーん、そうなんだー」
「変に勘ぐるのは止めて、起きてるうちに食べたらどうなの?」
「はーい、いただきま……あ」

 食べる前に。気付いた事実に眉をひそめる。

「どうしたの?」
「俺の友達って……デート見てたの三太とてっぺーだけじゃなかったのか……」
「お祭りでたまたま会ったらしいわよ?」
「……あのさ、なんで俺の友達のこと、三太とてっぺーが知ってるの?」

 嫌な予感しかしないんだけど。

「それは……はじめ君が寝てる間にみんな猫茶丸に来たりしてたから……」

 麗子さんが気まずそうに話す。

「俺が寝てる間にみんな顔見知りになってたのかよ……」

 文句もんくが言いたい顔して麗子さんを見据みすえる。もちろん文句を言いたい相手は麗子さんじゃない。

「三太たちは?」
「三太も鉄平も高校の友達と一緒に回ってくるって、荷物置いたあとお祭りに戻っていったわよ。私たちの分も楽しんでくるって。時間的にそろそろお祭りも終わった頃だと思うけど……とにかく、みんなが戻るまであんたはここで私と留守番よ。大人しくしてなさい」
「……ったく、そろいもそろって過保護だな」
「それだけみんな、はじめ君が好きってことでしょ。私も同じだからみんなが過保護になる気持ち分かるもの」

 あのさ、どさくさまぎれに今、サラッと言ったけど。

「ねえ、俺が寝てる間にキスした?」
「す、するわけないでしょ!」

 一瞬でほほを赤く染めた彼女の、今日は青い浴衣ゆかた姿が綺麗過ぎてからかい過ぎた。まるで子供みたいだなと、自嘲じちょうする。

「そうだねごめん。麗子さん」
「……はじめ君、今日は謝ってばかりね」

 困ったように、少し悲しそうに細められた彼女の黒目勝ちの瞳が、刹那せつなに揺れた。

「はじめ君は寝てる間にキスして欲しかったの?」

 言われて少し欲が出た。返事する代わりに麗子さんのおでこにおでこをくっ付ける。間近で見つめながらたずねた。

「麗子さん、ちゃんとキスしてもいい?」
「……いい」

 それから少しして。再び訪れた睡魔に目を閉じる。今日聞くはずだった花火の音の代わりに、麗子さんの「お疲れ様」という優しい声が耳に響いた。
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