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本編
21 関係の上書き(麗子視点)
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つい数秒前まで塞がれていた口を思わず手で押さえるとか、どこの乙女だと思っていたことを、麗子は咄嗟にしてしまった。そうせざるを得ないほど硬直した麗子に、けれど一は後頭部へ回していた手を、今度は麗子の頬に移した。更には他方の手を腰に回される。
「えっ? えっ?」と、戸惑いに声を上擦らせる麗子の反応すらも、一は楽しんでいるように見えた。
普段は全然緩々なくせに……!
痛感する。今までどれだけ手加減して、優しく一緒にいてくれたのかを。
「そっか、麗子さんって結構繊細なんだ。その上、口悪いけど、実はかなり真面目な人だったんだね。融通が利かない不器用な世渡り下手かタイプか。それってさ、知ってる? 苦労性な人間の典型的なパターンなんだけど」
男の子の顔をして、一はいつもの軽い調子で話ながらも、その内容にはトゲがある。それも皮肉という特大のトゲだ。
なんでキスされた後に、それも一の腕の中で皮肉を言われているんだろうと思いながらも、麗子は混乱と羞恥に固まっていた。顔を真っ赤に、あまりの事態に一から目を逸らせないでいる。
「それに……──麗子さんの冷たい手も、俺は好きだよ? そういうのも丸ごと全部好きなんだ。だから俺と付き合ってよ」
そう言って間近で目線を合わせながら、手を握られた。
最初はこの子、病気のせいで遂に頭がおかしくなったのかと思った。それとも手が冷たい人は心が温かいとかって迷信、信じてるとか……?
ともかく、マトモな告白でないことは確かだった。
けれどそれで、一は麗子に考える時間も猶予も与えず、あっさり恋人の立場を獲得したのだ。
「返事、もらえる?」
「…………」
「ちなみに答えてくれるまで、離さないけど……」
「……っ!?」
申し訳なさそうな顔で言われた。
そういう手もあるのかと、麗子は目を瞠る。耳まで熱い。低体温症で普段は寒がりな麗子が、もう自分ではどこまで赤くなっているのか分からないくらい熱くなっている。
その反応に苦笑した一に、次いで「OKなら頷くだけでいいから」と、最小限の動作で選択を求められた。
麗子の答えを促しながら、一はただ優しく見つめてくる。だから好きになったのだ。一は姉弟でもないのに、麗子の限界をよく理解している。理解した上で、それ以上の負担になるような要求をしてこない。仕事中も、いつも配慮されているのは分かっていた。でなければ一の傍にいることが、こんなにも居心地が良いと思えなかったはずだ。
今回も、無理に「好き」と言葉にすることを求められなかったのに安堵する。それはまだ、麗子にはかなり勇気のいることだ。
優しい一の期待に応えたい気持ちが押し寄せて、言葉の代わりにコクりと頷くと──そこでもう一度、顔を寄せられた。
互いの唇が触れるか触れないかのギリギリのところで目を合わせて、ジッと見つめられる。麗子が静かに目を閉じると、教会で誓いのキスをするみたいに、一に唇を重ねられた。
二度目のキスは、一を受け入れる麗子の反応を確かめるための、確認のキスだった。
仕事の同僚、もしくは先輩と後輩から恋人へ。すっかり関係を上書きして、もう戻れないようにするための。
ただの同僚に戻ろうと提案しても、きっともう、一は許してくれないだろう。普段は緩いのに、肝心の部分では芯の強い一に、麗子は内心たじたじだ。
少ししてからゆっくり唇を離される。
そして一は言ったのだ。この「冷たい手」と恋人繋ぎをしたい。手を繋ぐのを誕生日プレゼントにしてほしいと早速甘えられては、これまでの麗子のトラウマが一気に吹っ飛んだ気がした。
一は本当にこの手でいいのだろうか?
不思議と思った矢先、一に手の指と指とを交互に絡め取られて、麗子はもう完全に逃げられなくなった。
*
「え、麗子さんとはじめっちのなり染めってそんなにシビアだったんすか?」
お店も終わった帰りの休憩室で、
一と麗子、そして三太の三人で居合わせたとき、徐に三太に聞かれた。どうして二人は付き合うことになったのかと、
季節は七月の半ばを丁度過ぎたところ。すっかり夏の陽気になり、夜間でも外に出れば暑さでだれる。だからお店が二十時に閉店した後は、こうして冷房の効いた休憩室で少し涼んでから帰宅するのが、みんなの日課になっている。
顔を合わせて働きはじめてから三太ともそこそこ経つし。基本的に噛み合わないというか、性格的には合わないのだろうけれど、三太の人柄が良いことは分かっている。麗子はそろそろ話してもいい頃合いかと思った。もちろんキスしたこと等はかなり端折って成り行きを話したのだが……
「今も毎日何かと喧嘩し通しなのに、よく続くなぁって感心してたんすよ」
「…………」
お陰で三太からすると、一と麗子は喧嘩から始まった喧嘩ップルというイメージがすっかりついてしまったらしい。
「ははっ麗子さん不器用だからねー」
休憩室の畳の上で、胡座をかいてケラケラと笑う一に、三太が何だ? と首を傾げる。
「麗子さんはさ、俺に丸め込まれたんだよ、ね? 麗子さん」
「…………」
ホント、その通りだった。一の調子にすっかり呑まれた。呑み込まれて挙げ句、付き合うことになった。でも──
余計なこと言うんじゃないわよ。と、麗子にジロッと睨まれて一は「おっと」と口を噤む。お調子者で、でも何故だか憎めない一の青い目を見つめながら、麗子はハアッと重く息を吐く。
「あのイカスミ馬鹿を撃退したお礼返すまでの、これはあくまでお礼よお礼」
お礼で付き合ってるのよ。と強気で嘘を返す麗子の不器用さを、一は熟知している。だから一は笑って返す。
「ふーん、お礼っていつまで続くんだろー」
わざとらしく呟く一を横目に、そんなのこっちが知りたいわよ! と麗子はそっぽを向く。
関係が元に戻るどころか勢いで進められてしまった。あのときは、こんなことになるなんて思いもしなかったのに、一との関係は未だに続いている。そして今となっては、この小生意気で無邪気な恋人とずっと一緒にいたい。そう思ってしまうのだ。
「えっ? えっ?」と、戸惑いに声を上擦らせる麗子の反応すらも、一は楽しんでいるように見えた。
普段は全然緩々なくせに……!
痛感する。今までどれだけ手加減して、優しく一緒にいてくれたのかを。
「そっか、麗子さんって結構繊細なんだ。その上、口悪いけど、実はかなり真面目な人だったんだね。融通が利かない不器用な世渡り下手かタイプか。それってさ、知ってる? 苦労性な人間の典型的なパターンなんだけど」
男の子の顔をして、一はいつもの軽い調子で話ながらも、その内容にはトゲがある。それも皮肉という特大のトゲだ。
なんでキスされた後に、それも一の腕の中で皮肉を言われているんだろうと思いながらも、麗子は混乱と羞恥に固まっていた。顔を真っ赤に、あまりの事態に一から目を逸らせないでいる。
「それに……──麗子さんの冷たい手も、俺は好きだよ? そういうのも丸ごと全部好きなんだ。だから俺と付き合ってよ」
そう言って間近で目線を合わせながら、手を握られた。
最初はこの子、病気のせいで遂に頭がおかしくなったのかと思った。それとも手が冷たい人は心が温かいとかって迷信、信じてるとか……?
ともかく、マトモな告白でないことは確かだった。
けれどそれで、一は麗子に考える時間も猶予も与えず、あっさり恋人の立場を獲得したのだ。
「返事、もらえる?」
「…………」
「ちなみに答えてくれるまで、離さないけど……」
「……っ!?」
申し訳なさそうな顔で言われた。
そういう手もあるのかと、麗子は目を瞠る。耳まで熱い。低体温症で普段は寒がりな麗子が、もう自分ではどこまで赤くなっているのか分からないくらい熱くなっている。
その反応に苦笑した一に、次いで「OKなら頷くだけでいいから」と、最小限の動作で選択を求められた。
麗子の答えを促しながら、一はただ優しく見つめてくる。だから好きになったのだ。一は姉弟でもないのに、麗子の限界をよく理解している。理解した上で、それ以上の負担になるような要求をしてこない。仕事中も、いつも配慮されているのは分かっていた。でなければ一の傍にいることが、こんなにも居心地が良いと思えなかったはずだ。
今回も、無理に「好き」と言葉にすることを求められなかったのに安堵する。それはまだ、麗子にはかなり勇気のいることだ。
優しい一の期待に応えたい気持ちが押し寄せて、言葉の代わりにコクりと頷くと──そこでもう一度、顔を寄せられた。
互いの唇が触れるか触れないかのギリギリのところで目を合わせて、ジッと見つめられる。麗子が静かに目を閉じると、教会で誓いのキスをするみたいに、一に唇を重ねられた。
二度目のキスは、一を受け入れる麗子の反応を確かめるための、確認のキスだった。
仕事の同僚、もしくは先輩と後輩から恋人へ。すっかり関係を上書きして、もう戻れないようにするための。
ただの同僚に戻ろうと提案しても、きっともう、一は許してくれないだろう。普段は緩いのに、肝心の部分では芯の強い一に、麗子は内心たじたじだ。
少ししてからゆっくり唇を離される。
そして一は言ったのだ。この「冷たい手」と恋人繋ぎをしたい。手を繋ぐのを誕生日プレゼントにしてほしいと早速甘えられては、これまでの麗子のトラウマが一気に吹っ飛んだ気がした。
一は本当にこの手でいいのだろうか?
不思議と思った矢先、一に手の指と指とを交互に絡め取られて、麗子はもう完全に逃げられなくなった。
*
「え、麗子さんとはじめっちのなり染めってそんなにシビアだったんすか?」
お店も終わった帰りの休憩室で、
一と麗子、そして三太の三人で居合わせたとき、徐に三太に聞かれた。どうして二人は付き合うことになったのかと、
季節は七月の半ばを丁度過ぎたところ。すっかり夏の陽気になり、夜間でも外に出れば暑さでだれる。だからお店が二十時に閉店した後は、こうして冷房の効いた休憩室で少し涼んでから帰宅するのが、みんなの日課になっている。
顔を合わせて働きはじめてから三太ともそこそこ経つし。基本的に噛み合わないというか、性格的には合わないのだろうけれど、三太の人柄が良いことは分かっている。麗子はそろそろ話してもいい頃合いかと思った。もちろんキスしたこと等はかなり端折って成り行きを話したのだが……
「今も毎日何かと喧嘩し通しなのに、よく続くなぁって感心してたんすよ」
「…………」
お陰で三太からすると、一と麗子は喧嘩から始まった喧嘩ップルというイメージがすっかりついてしまったらしい。
「ははっ麗子さん不器用だからねー」
休憩室の畳の上で、胡座をかいてケラケラと笑う一に、三太が何だ? と首を傾げる。
「麗子さんはさ、俺に丸め込まれたんだよ、ね? 麗子さん」
「…………」
ホント、その通りだった。一の調子にすっかり呑まれた。呑み込まれて挙げ句、付き合うことになった。でも──
余計なこと言うんじゃないわよ。と、麗子にジロッと睨まれて一は「おっと」と口を噤む。お調子者で、でも何故だか憎めない一の青い目を見つめながら、麗子はハアッと重く息を吐く。
「あのイカスミ馬鹿を撃退したお礼返すまでの、これはあくまでお礼よお礼」
お礼で付き合ってるのよ。と強気で嘘を返す麗子の不器用さを、一は熟知している。だから一は笑って返す。
「ふーん、お礼っていつまで続くんだろー」
わざとらしく呟く一を横目に、そんなのこっちが知りたいわよ! と麗子はそっぽを向く。
関係が元に戻るどころか勢いで進められてしまった。あのときは、こんなことになるなんて思いもしなかったのに、一との関係は未だに続いている。そして今となっては、この小生意気で無邪気な恋人とずっと一緒にいたい。そう思ってしまうのだ。
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