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本編
17 同じ土俵
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「なぁっ!?」と大口開けて放心してるそいつの胸ぐらから手を離して、パンパンと手を払う。
「…………お、おまっホントは強っ」
「悪いな俺、黒帯持ってんの」
「っ……!!」
言うなり、静まり返っていた常連さんたちから一斉に拍手が沸いた。
柔道有段者っていうと、よく驚かれる。
俺は一見すると暴力とかには無縁なタイプに見えるらしい。でも大切な人を守るためなら、こっちだって手段に構ってられないんだよ。そう凄んで耳元で囁く。ソイツは大人しくなった。
これで麗子さんも少しは安心してくれるといい。そう思って振り返ると……麗子さんはびっくりした顔で目をぱちぱちしていた。
そうか、麗子さんも俺のこと、頼りない弱っちいヤツと思ってたのか……そりゃないよー。
「だ、だったらお前なんで……」
なんで今まで手加減してたんだっ! て、イカスミ野郎が驚愕に目を剥く。イカ投げるくらいなら今みたいに手を出せば一発だろって、
「あのさー、段位持ってようがいまいが、そもそも手なんか出したら普通に犯罪なんだぞ? 正当防衛でも技術イコール凶器とみなされたり、それなりにリスクはあるんだ。ちゃんとこっちの正当性を立証できる状況でもない限り安易にずぱずぱ人投げらんないの」
そもそも手なんか出せるか。段位剥奪以前の問題だぞ。コイツ、相当感覚ズレてやがる。
「お前、葛野鉄平だっけ?」
すっかり萎縮したと思ったら、問いかけに、今度は無言でメンチ切られた。眉間に皺を寄せて、投げられてもまだこっちを睨み付ける元気は残ってる。
だけどもうすっかりさっきみたいに手を出す気力はなくなっているみたいだ。
「てっぺーお前、マジくずな」
全国の葛野さんごめんなさい。と心の中で謝罪しながら、鉄平の前でヤンキー座りして、はあっと溜息を吐く。本当にこんなヤツの相手しても仕方ないんだけどさ、
同じ土俵には上がりたくない。けど俺は、厨房の冷凍庫に入っているはずのイカスミ入りタッパーを、みんなが注目するなかトコトコ持ってきてくれた猫茶丸から受け取る。
そういえば、イカスミスパゲッティーの注文票がカウンター席にあったっけ。俺が寝落ちしている間にお客さんへお出しする準備で冷凍庫から出されていたそれを、猫茶丸は探しだして持ってきてくれた。
進んで持ってきてくれるとは、どうやら猫茶丸もコイツが相当嫌いのようだ。
冷凍庫でカチカチに固まっていたイカスミは、自然解凍されて程よいくらいになっている。
「あ、そだ。これは麗子さんの分ね」
猫茶丸に引っ掻かれた痕のある顔に、イカスミをペタペタと塗りたくる。
正月の羽根つきで負けたと思ってせいぜいしっかり落とせばいいさ。と、やっぱり最後は同じ土俵に上がって「お返し」してしまったことを、少し反省しようと思った。
*
騒動からの数日後、俺は親父から新しい従業員を紹介された。
「え、親父ソイツって……」
猫茶丸の制服を着た三十過ぎの男。きっちり七三に撫でつけられた髪はどこの会社員ですか? と言いたくなるくらい、時代遅れな見た目は以前よりも大分マトモな感じに変わっているその男は……葛野鉄平だった。
「今日からうちで働くことになった。お前の代わりに色々と手伝いに入る、ウェイター見習いだ」
よりにもよって、どうしてうちに? 口にしない疑問をすくい取り、親父から説明を受けたのは別室でのことだった。
どうやら、事情聴取を受けた内容に関して同情の余地があったらしい。
鉄平の両親はイカ釣り漁業をしている漁師だったが、不作が続き借金を抱え、更には鉄平を残して夜逃げ。残された鉄平は施設育ちで、頼る先もなく、更には最近リストラにあったらしい。
そこで当たり散らす場所を求めて思い当たったのがうちだったってわけだ。
食べ物の恨みは怖いって言うけどさ、
まあイカを投げつけられるなんてそうそうない経験だからなー。リストラされた瞬間、真っ先に浮かんだのが猫茶丸だったそうだ。
じゃあ今回の事の原因は麗子さんじゃなくて俺か。…………ごめん、麗子さん。
それからもう二度と悪さはしないと誓って、親父に無罪放免で釈放してもらったそうだ。代わりに──
「お前が納得できないのも分かるが、麗子さんも承諾済みだ。ビシバシ鍛えてやってくれとの条件付きでな」
不満が顔に出ていた。でもさ、条件付きって言っても麗子さん、人好すぎじゃない? って内心思ったけど、一番の被害者だった彼女がそう決断したのを否定するのは何か違う。
それに麗子さんの承諾済みで、いつも完璧な憧れの親父に「面倒見てやってくれ」と頼まれちゃな……
「……ならいいけどさ」
「地域でもみんなで見張ってくれるそうだ。常連さんたちもうちに交代で来て面倒見てくれるらしい。これからは毎日、誰かしら来店してくれるそうだ」
「ローテーション組んで? すっげぇな。つか、どんだけみんな面倒見いいんだよ」
俺が不満を漏らす前に、こうもきっちりみんなに手を回されたら、笑うしかできない。それも相手は自分の人生を探す機会を与えられなかった人間だと説かれれば尚更だ。
それに原子さんの娘婿に交番でこってり絞られて、更には親父から何やら言われたらしい。鉄平は、見習いで来たときには従順な犬みたいにすっかり大人しくなっていた。あんなに人が変わるなんて、あいつ親父にいったい何を言われたんだろう……
紹介初日は挨拶だけで、正式には翌日から、鉄平は猫茶丸の定員見習いになった。
四人目の定員は、なかなかどうして……不器用だった。なんせ猫の方の猫茶丸には過去、悪戯しようとしたことがあるから、毎日毛を逆立ててシャーされてるし、お皿も何枚か割ってたけど、まあそのうち慣れるっしょ。と思いながら、そして俺も花占い以外に一つやることが増えた。
「あの、はじめさん」
「んー? なにー?」
鉄平が俺をさん付けして呼んでくる。俺より十歳以上年上なのに、舎弟みたいに低姿勢だ。どうやらよっぽど懲りたらしい。
「イカのゲソ食ってるのってもしかして……」
ああ、そんなこと。適当な返事に上乗せして、努めて明るく振る舞う。
「ははっ、わざとに決まってんじゃん」
「…………やっぱり」
笑ったあとは、あえて真顔で答えた。また悪さしたら承知しねーからな。と軽く牽制。
でも、あんま食べてると麗子さんにイカ臭いって嫌われてもやだから、そろそろ止めとくか。
「…………お、おまっホントは強っ」
「悪いな俺、黒帯持ってんの」
「っ……!!」
言うなり、静まり返っていた常連さんたちから一斉に拍手が沸いた。
柔道有段者っていうと、よく驚かれる。
俺は一見すると暴力とかには無縁なタイプに見えるらしい。でも大切な人を守るためなら、こっちだって手段に構ってられないんだよ。そう凄んで耳元で囁く。ソイツは大人しくなった。
これで麗子さんも少しは安心してくれるといい。そう思って振り返ると……麗子さんはびっくりした顔で目をぱちぱちしていた。
そうか、麗子さんも俺のこと、頼りない弱っちいヤツと思ってたのか……そりゃないよー。
「だ、だったらお前なんで……」
なんで今まで手加減してたんだっ! て、イカスミ野郎が驚愕に目を剥く。イカ投げるくらいなら今みたいに手を出せば一発だろって、
「あのさー、段位持ってようがいまいが、そもそも手なんか出したら普通に犯罪なんだぞ? 正当防衛でも技術イコール凶器とみなされたり、それなりにリスクはあるんだ。ちゃんとこっちの正当性を立証できる状況でもない限り安易にずぱずぱ人投げらんないの」
そもそも手なんか出せるか。段位剥奪以前の問題だぞ。コイツ、相当感覚ズレてやがる。
「お前、葛野鉄平だっけ?」
すっかり萎縮したと思ったら、問いかけに、今度は無言でメンチ切られた。眉間に皺を寄せて、投げられてもまだこっちを睨み付ける元気は残ってる。
だけどもうすっかりさっきみたいに手を出す気力はなくなっているみたいだ。
「てっぺーお前、マジくずな」
全国の葛野さんごめんなさい。と心の中で謝罪しながら、鉄平の前でヤンキー座りして、はあっと溜息を吐く。本当にこんなヤツの相手しても仕方ないんだけどさ、
同じ土俵には上がりたくない。けど俺は、厨房の冷凍庫に入っているはずのイカスミ入りタッパーを、みんなが注目するなかトコトコ持ってきてくれた猫茶丸から受け取る。
そういえば、イカスミスパゲッティーの注文票がカウンター席にあったっけ。俺が寝落ちしている間にお客さんへお出しする準備で冷凍庫から出されていたそれを、猫茶丸は探しだして持ってきてくれた。
進んで持ってきてくれるとは、どうやら猫茶丸もコイツが相当嫌いのようだ。
冷凍庫でカチカチに固まっていたイカスミは、自然解凍されて程よいくらいになっている。
「あ、そだ。これは麗子さんの分ね」
猫茶丸に引っ掻かれた痕のある顔に、イカスミをペタペタと塗りたくる。
正月の羽根つきで負けたと思ってせいぜいしっかり落とせばいいさ。と、やっぱり最後は同じ土俵に上がって「お返し」してしまったことを、少し反省しようと思った。
*
騒動からの数日後、俺は親父から新しい従業員を紹介された。
「え、親父ソイツって……」
猫茶丸の制服を着た三十過ぎの男。きっちり七三に撫でつけられた髪はどこの会社員ですか? と言いたくなるくらい、時代遅れな見た目は以前よりも大分マトモな感じに変わっているその男は……葛野鉄平だった。
「今日からうちで働くことになった。お前の代わりに色々と手伝いに入る、ウェイター見習いだ」
よりにもよって、どうしてうちに? 口にしない疑問をすくい取り、親父から説明を受けたのは別室でのことだった。
どうやら、事情聴取を受けた内容に関して同情の余地があったらしい。
鉄平の両親はイカ釣り漁業をしている漁師だったが、不作が続き借金を抱え、更には鉄平を残して夜逃げ。残された鉄平は施設育ちで、頼る先もなく、更には最近リストラにあったらしい。
そこで当たり散らす場所を求めて思い当たったのがうちだったってわけだ。
食べ物の恨みは怖いって言うけどさ、
まあイカを投げつけられるなんてそうそうない経験だからなー。リストラされた瞬間、真っ先に浮かんだのが猫茶丸だったそうだ。
じゃあ今回の事の原因は麗子さんじゃなくて俺か。…………ごめん、麗子さん。
それからもう二度と悪さはしないと誓って、親父に無罪放免で釈放してもらったそうだ。代わりに──
「お前が納得できないのも分かるが、麗子さんも承諾済みだ。ビシバシ鍛えてやってくれとの条件付きでな」
不満が顔に出ていた。でもさ、条件付きって言っても麗子さん、人好すぎじゃない? って内心思ったけど、一番の被害者だった彼女がそう決断したのを否定するのは何か違う。
それに麗子さんの承諾済みで、いつも完璧な憧れの親父に「面倒見てやってくれ」と頼まれちゃな……
「……ならいいけどさ」
「地域でもみんなで見張ってくれるそうだ。常連さんたちもうちに交代で来て面倒見てくれるらしい。これからは毎日、誰かしら来店してくれるそうだ」
「ローテーション組んで? すっげぇな。つか、どんだけみんな面倒見いいんだよ」
俺が不満を漏らす前に、こうもきっちりみんなに手を回されたら、笑うしかできない。それも相手は自分の人生を探す機会を与えられなかった人間だと説かれれば尚更だ。
それに原子さんの娘婿に交番でこってり絞られて、更には親父から何やら言われたらしい。鉄平は、見習いで来たときには従順な犬みたいにすっかり大人しくなっていた。あんなに人が変わるなんて、あいつ親父にいったい何を言われたんだろう……
紹介初日は挨拶だけで、正式には翌日から、鉄平は猫茶丸の定員見習いになった。
四人目の定員は、なかなかどうして……不器用だった。なんせ猫の方の猫茶丸には過去、悪戯しようとしたことがあるから、毎日毛を逆立ててシャーされてるし、お皿も何枚か割ってたけど、まあそのうち慣れるっしょ。と思いながら、そして俺も花占い以外に一つやることが増えた。
「あの、はじめさん」
「んー? なにー?」
鉄平が俺をさん付けして呼んでくる。俺より十歳以上年上なのに、舎弟みたいに低姿勢だ。どうやらよっぽど懲りたらしい。
「イカのゲソ食ってるのってもしかして……」
ああ、そんなこと。適当な返事に上乗せして、努めて明るく振る舞う。
「ははっ、わざとに決まってんじゃん」
「…………やっぱり」
笑ったあとは、あえて真顔で答えた。また悪さしたら承知しねーからな。と軽く牽制。
でも、あんま食べてると麗子さんにイカ臭いって嫌われてもやだから、そろそろ止めとくか。
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