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本編
25 再会の後で
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変化は突然訪れる事もある。それが自ら動いた結果かどうかはさておき、今回これから起こることは、自分で動いて引き起こしたことに違いない。何故なら私はセオドア様に吸血された後、彼の目を盗んで、スピアリング卿に書簡を送ったからだ。
セオドア様の記憶がセックスをしても戻らなかったことを綴り、アヒルちゃんをお迎えしたいとも書いた。だから早くてあと二、三日。もしくは一週間後くらいには、遅かれ早かれアヒルちゃんを連れたスピアリング卿がやって来るはずだ。それかアヒルちゃんが直接ここに戻ってくる可能性もある。
どう転ぶにしても、いずれはここへ訪問しにくる彼らに、裸でセオドア様といちゃいちゃしている姿を見せる訳にはいかない。
特にアヒルちゃんが目撃したときの反応を考えると……胃が痛い。きっと、あの可愛らしい喙をあんぐり開けて、暫くは開いた口が塞がらないだろう。信じられないものを見るような目で、放心しながら私を見上げ続けるアヒルちゃんのお姿が目に浮かぶ。
──ということで、
セックスが終わった後でスピアリング卿へ書簡を送ったこと、そしてアヒルちゃんが来るかもしれないことを私は彼に告げた。もちろん、セオドア様と体の関係を持つに至った動機については伏せてのご報告だったけれど……
「──構いませんよ、エリカが僕の恋人であることに変わりはありませんから」
と、セオドア様はあっさり承諾した。「え、いいんですか?」と多少咎められることを覚悟していた私を、責めるどころかセオドア様は益々甘くなる。
「他に隠し事はありませんか? 怒ったりしませんから話したくなったらいつでも話して下さい」
「…………い、今のところは間に合っております、です……」
「そうですか」
途中、おかしな口調になった私をさして気にした様子もなく、セオドア様は「いつでもどうぞ」とにっこり優しく微笑んだ。私は怪しさを感じて多少怯んだけれど……。
当然と私を自らの膝上に乗せているセオドア様の、その麗しい胸元に頭を預ける。
まるで私に隠し事があるのを前提でお話をされていたような気がするのだけれど……気のせいよね?
先ほどお昼ご飯をセオドア様に見守られながら食べ終えた私は今、食休み中。暖炉の前に配置したままのベッドをソファー代わりに、セオドア様とのんびり一緒に寛いでいる。
ちゃんとお互い服を着ているのが、何だか不思議で、新鮮で、
関係が恋人から更に先へと進んでしまったような、そんな気がしてしまった。けれど、二人きりの生活もあと少しで終わりになるんだなぁと、そう思うと何だが酷く物悲しい気分にもなった。
ここ数日のことを振り返り、そうしてぼんやりとしていたら、やることがなくて甘えたくなってきた。何となく、セオドア様の胸元に頭をグリグリ押し付けるみたいにして、ギュッと抱き付いていると──コンコンっとノックをする音が聞こえてきた。
アヒルちゃんが帰ってきたのかと思って、私は頭を撫でてくれているセオドア様の膝上から、反射的に下りた。
「誰か来たみたいです……!」
スピアリング卿か院長先生か、はたまたアヒルちゃんか、誰にしても出なければと、私は急ぎドアノブに手をかけた。
「──エリカっ開けては駄目です!」
「え……?」
セオドア様の鋭い制止の声が耳朶を打つ。──が、遅かった。同時にガチャリと開くドアの音がして、そこに待っていたのは──
「ようやく見つけたぞ、お嬢さん」
「──っ!」
見覚えのある黒衣の衣装に身を包んだ男の顔、その後ろにも似たような服装の男たちが数人。それも、男の手には私がスピアリング卿に飛ばしたはずのクルポッポがいた。
*
私の姿を目にした途端、男の手元でクルポッポがバタバタと暴れ出した。その羽が地面に落ちるのを目で追う。
男がクルポッポを捕まえたということは、私が書いた書簡はスピアリング卿に届いていない。そして……セオドア様が記憶喪失だと、男たちにバレてしまったということだ。
そういえば、ノックの音が聞こえてきた場所が、背の低いアヒルちゃんにしては随分と高い位置から聞こえてきたと思ってはいたのだが……
──バタン、ガチャガチャ。うん、これでよし……!
「は……? ちょっお嬢さん? 話の途中どころか始まってもいないうちからドアを閉めるな! くっそ、このっ……開けないか~~っ!」
男がドンドン猛烈にドアを叩く音で、怒りのほどが知れる。
確かに私は、お話の途中どころか始まってもいないときに、男の鼻先でドアを閉めた。そして、後悔はしていない。それを私の後ろで見ていたセオドア様が、目をパチパチしているけれど、しかし今は非常事態……。空気など読んでいられません! と、ご丁寧に鍵までかけ直しておいたから、少しは持つだろう。部屋の奥にいるセオドア様のところへ、私は駆け足で戻った。
「セオドア様っ! 逃げますよ!」
「ええ……」
それから「急いでくださいっ!」とセオドア様の手を引いたところで、可笑しそうにくすくす笑われてしまった。
「セオドア様っ笑っている場合ではありません!」
「すみません、そうでしたね」
なあんてのんびり会話をしていたら、ドアが蹴破られた。何てこと! この小屋のドアを蹴破ってもいいのはアヒルちゃんだけよ! と、私は内心意気込んだが、内心なのでもちろん伝わらない。
そして締め出し食らって怒り心頭の男は、セオドア様を一目見るなりニヤリと厚顔を歪めた。
「いいかお前らっ! 最古の吸血鬼といえど今は記憶喪失の若造だ! 力の使い方なんて覚えちゃいない! どちらも捕縛してさっさとずらかるぞッ!」
オオッ! と呼応する声がして、次いで男が私へ視線を移す。
「それにしても、まさかお嬢さんがあのリアード様の妹君だったとわな」
「何故それを……」
「アヒルちゃんを連れた見習い奉仕者は有名だからな。少し事情を知ってさえいれば、お嬢さんの出自がリアード様と繋がっていることは直ぐ知れる」
え、アヒルちゃんにちゃんとちゃん付けされているっ!? 何だか舌噛みそう! じゃなかった。え、私たち有名だったのっ!?
「アヒルちゃんは可愛いからな」
「!」
あ、やっぱり私じゃなくてアヒルちゃんが……いや、それ以前に、アヒルちゃんが敵に褒められているっ!? ──そういえば、アヒルちゃんは昔からそうだった。私ではなくアヒルちゃんは、どこへ行っても大人気! 思えば私はアヒルちゃんの陰で、毎日奉仕活動に明け暮れていたわね……
アヒルちゃんは顔は丸いが顔が広い、魔性のアヒルなのだ……。
「だが、最近ではアヒルちゃんに負けず劣らず、お嬢さんも十分注目を浴びているのは知らないようだな。その男のお陰で聖女の力に目覚めたことも、今じゃ裏の世界では大分有名だぞ?」
「っ!」
とんでもない不意打ちだった。私の後ろにいるセオドア様の方を、思わず振り返る。驚いた顔のセオドア様と目が合う。完全に、私が聖女だということを知られてしまった……
それも、
「聖女のお嬢さんはその体を使って、フォンベッシュバルト公の記憶を取り戻そうとしたんだろうが、数日前の書簡の内容通り、今も記憶喪失のままか。無駄に終わったみたいで安心したぜ」
「っ……!」
セオドア様に聞かせたくなかったことまで、他人の口から吐かれてしまった。もうセオドア様の顔を振り返る勇気はない。けれど男が、「やっちまいな!」と配下と思しき男たちに号令を掛けた。
「やめてっ!」
号令を皮切りに、迫り来る男たちからセオドア様を後ろに庇う格好で叫んだ瞬間──白い玉が猛直球で飛んできた。火球の如く、リーダー格の男の頭をドガァッ! と直撃。吹っ飛ばした。
「……………………え?」
更には男たちがこちらへ向かってこようと踏み出したその足を、片っ端から蹴り飛ばしている白いモフモフ。
リーダー格の男に蹴破られて、入口の枠に辛うじてプラプラと繋がっている程度になってしまったドアを、次いでやってきたお城の兵士らしき人が敬礼してからそっと閉めた。
パタン。
そして再び「ぐわわわわわわわわっ」と騒ぎが聞こえてきて、おさまって、前回ノックされたときよりも、もう少し下の方から今度はノック音が聞こえてきた。
念の為許可を求めてセオドア様の方を見る。コクリと頷かれて、もう一度、ドアを開けると──
にぱっと笑顔できらきらおめめのアヒルちゃんがいた。
*
舗装があまり行き届いていない道を走る馬車。ガタガタと揺れるその狭い馬車の座席に座った私を、丸くて白い、可愛い子が見上げている。
あれから私は、スピアリング卿に連れられてやって来た、半泣きのアヒルちゃんとの涙の再会を果たしたのだが……程なくして、スピアリング卿から通達されることとなった。
「もうこの小屋に貴殿方を置いておくわけにはいかない。今すぐ小屋を出るぞ」「では準備を……」「──駄目だ。私物は置いていけ、この件が終わったら後でいくらでも取りに戻れる。早急に貴殿方を別の場所で保護する必要がある」ということで、急遽私たちは着の身着のまま、スピアリング卿が用意した馬車に乗り込むこととなり、
男たちを捕縛したスピアリング卿とその配下の兵と共に、小屋を出ることになったのだが──
クルポッポは捕まってしまったのに、どうしてスピアリング卿は小屋に来たのか聞くと、答えたのはスピアリング卿ではなくセオドア様だった。
「ここ数日、小屋の外に不審な気配を感じていましたので、念のためスピアリング卿に書簡を飛ばしておいたのですよ」
それも私がスピアリング卿に書簡を送る前に飛ばしていたそうだ。
私のことを少しも咎められないはずだ。呆然としている私に、「間に合ってよかったですね」とにっこり微笑むセオドア様。対するスピアリング卿は「ギリギリで動かされたこちらの身にもなってくれ」と、ため息混じりだが、安心したように頬を緩めた。
そして、先ほどから私を見上げている、感動の再会を果たしたアヒルちゃんはというと。結果的に追い出されるようにしてスピアリング卿に預けられてしまったことを、全然拗ねていたなかった。寧ろ──
「鍛えられている……?」
馬車の床で屈伸運動をするアヒルちゃん。目が爛々と燃えている。そして、水掻きのついた足をシュッシュッシュッシュッと宙に蹴り上げているではないか。
「す、スピアリング卿……? これはいったい……」
「そのアヒル、なかなか筋がいい」
私と丁度対面する形で向かい側に座っているスピアリング卿。この人、いったい今までアヒルちゃんと何を……
「……そう、ですか……それは良かった……です」
馬車に揺られながらヒクついていると、今度はセオドア様が口を開いた。
「いい子ですね。アヒルちゃんは雌だったんですか」
馬車の床でいつの間にか卵を咥えて「んっ」と私に差し出しているアヒルちゃんを、私の隣に座っているセオドア様がしげしげと眺めている。
アヒルちゃんは朝になるとよく卵を取ってきてくれる。
普通の鶏の卵と違い、アヒルの卵は一回り大きくて、色も少し青い。栄養価も鶏より多く味はクリーミー。
今回も、アヒルちゃんは卵持参でやってきた。それも、アヒルちゃんにはこちらから謝罪をするはずが、逆に気遣われて仲直りの印と言わんばかりに差し出されている。
「いいえ、セオドア様、この子は雄です」
「…………」
ではいったい、この卵はどこから持ってきたのだろうか……? というセオドアの沈黙を肌で感じながら、それは私もずっと知りたかったことです。と私は心の中で深く頷くに留めた。
飼い主としてはメスアヒルちゃんにいつもの卵のお礼をしたいところだが、アヒルちゃんは尾っぽはフリフリ見せても、尻尾は掴ませてくれない。やはりアヒルちゃんは非常に頭のいいアヒルである。
アヒルちゃんに「ありがとう」とお礼を言って卵を受け取る。床に落とさないよう気を付けてハンカチに包む。
久々の再会に、私の足元で嬉しそうに「ぐわぐわ」言っているアヒルちゃんを抱っこして、私はとりあえず椅子に座り直した。それから何気なくアヒルちゃんの向きをセオドア様からそらす。
お膝に乗せた途端、隣のセオドア様をジーッと半眼で見ているこの目は……
どうやら具体的には分からなくとも、私たちの間で何かが変わったことを感じ取っているようだ。
それにしても……逞しいことこの上ないけど、アヒルちゃん、まさかこれでいつでもセオドア様を蹴り飛ばせるとか、思ってないわよね……?
スピアリング卿に鍛えられて強くなったアヒルちゃんは、バージョンアップしてファイティングアヒルへと進化を遂げた。流石アヒルちゃんだ。飼い主がピンチの時に駆け付けることもできる。アヒルちゃんは出来るアヒルなのだ。
そしてアヒルちゃんは私の膝上から下りると、セオドア様と私の間に割り込んだ。その柔らかくてふわふわの丸いフォルムを駆使して、何の躊躇いもなくズズズと入ってくれたお陰で助かった。
何故なら、聖女と思わぬところでバレてしまったのに、セオドア様の反応が全然普通で、どう切り出したらいいのか困っていたからだ。
そしてアヒルちゃんは私たちの間に挟まりながら、最初はキリッとしたお顔で微動だにせず。だったのだが……
──数十分後、馬車の揺れ心地が気持ちいいのか、アヒルちゃんは遊んでいた。私とセオドア様の膝上を寝転がって馬車が大きく揺れる度、ゴロゴロゴロゴロ右に左に移動している。ふにゃふにゃごろごろしながら、終いにはポンポンのまっちろいお腹を上にしてグースカいびきをかいて、気持ち良さそうに寝始めた。野生とは……欠片も感じられない可愛さに胸がキュンとなる。
最初はまるで借りてきた猫みたいに、大人しかったのに……
って、キュンとかしている場合じゃないのよ~~っ! ううっ、何だか色々、私はセオドア様にどうご説明したらいいの……?
*すみません、長引いております。おそらくあと、四話か五話くらいで完結かと思われます……(多分)
セオドア様の記憶がセックスをしても戻らなかったことを綴り、アヒルちゃんをお迎えしたいとも書いた。だから早くてあと二、三日。もしくは一週間後くらいには、遅かれ早かれアヒルちゃんを連れたスピアリング卿がやって来るはずだ。それかアヒルちゃんが直接ここに戻ってくる可能性もある。
どう転ぶにしても、いずれはここへ訪問しにくる彼らに、裸でセオドア様といちゃいちゃしている姿を見せる訳にはいかない。
特にアヒルちゃんが目撃したときの反応を考えると……胃が痛い。きっと、あの可愛らしい喙をあんぐり開けて、暫くは開いた口が塞がらないだろう。信じられないものを見るような目で、放心しながら私を見上げ続けるアヒルちゃんのお姿が目に浮かぶ。
──ということで、
セックスが終わった後でスピアリング卿へ書簡を送ったこと、そしてアヒルちゃんが来るかもしれないことを私は彼に告げた。もちろん、セオドア様と体の関係を持つに至った動機については伏せてのご報告だったけれど……
「──構いませんよ、エリカが僕の恋人であることに変わりはありませんから」
と、セオドア様はあっさり承諾した。「え、いいんですか?」と多少咎められることを覚悟していた私を、責めるどころかセオドア様は益々甘くなる。
「他に隠し事はありませんか? 怒ったりしませんから話したくなったらいつでも話して下さい」
「…………い、今のところは間に合っております、です……」
「そうですか」
途中、おかしな口調になった私をさして気にした様子もなく、セオドア様は「いつでもどうぞ」とにっこり優しく微笑んだ。私は怪しさを感じて多少怯んだけれど……。
当然と私を自らの膝上に乗せているセオドア様の、その麗しい胸元に頭を預ける。
まるで私に隠し事があるのを前提でお話をされていたような気がするのだけれど……気のせいよね?
先ほどお昼ご飯をセオドア様に見守られながら食べ終えた私は今、食休み中。暖炉の前に配置したままのベッドをソファー代わりに、セオドア様とのんびり一緒に寛いでいる。
ちゃんとお互い服を着ているのが、何だか不思議で、新鮮で、
関係が恋人から更に先へと進んでしまったような、そんな気がしてしまった。けれど、二人きりの生活もあと少しで終わりになるんだなぁと、そう思うと何だが酷く物悲しい気分にもなった。
ここ数日のことを振り返り、そうしてぼんやりとしていたら、やることがなくて甘えたくなってきた。何となく、セオドア様の胸元に頭をグリグリ押し付けるみたいにして、ギュッと抱き付いていると──コンコンっとノックをする音が聞こえてきた。
アヒルちゃんが帰ってきたのかと思って、私は頭を撫でてくれているセオドア様の膝上から、反射的に下りた。
「誰か来たみたいです……!」
スピアリング卿か院長先生か、はたまたアヒルちゃんか、誰にしても出なければと、私は急ぎドアノブに手をかけた。
「──エリカっ開けては駄目です!」
「え……?」
セオドア様の鋭い制止の声が耳朶を打つ。──が、遅かった。同時にガチャリと開くドアの音がして、そこに待っていたのは──
「ようやく見つけたぞ、お嬢さん」
「──っ!」
見覚えのある黒衣の衣装に身を包んだ男の顔、その後ろにも似たような服装の男たちが数人。それも、男の手には私がスピアリング卿に飛ばしたはずのクルポッポがいた。
*
私の姿を目にした途端、男の手元でクルポッポがバタバタと暴れ出した。その羽が地面に落ちるのを目で追う。
男がクルポッポを捕まえたということは、私が書いた書簡はスピアリング卿に届いていない。そして……セオドア様が記憶喪失だと、男たちにバレてしまったということだ。
そういえば、ノックの音が聞こえてきた場所が、背の低いアヒルちゃんにしては随分と高い位置から聞こえてきたと思ってはいたのだが……
──バタン、ガチャガチャ。うん、これでよし……!
「は……? ちょっお嬢さん? 話の途中どころか始まってもいないうちからドアを閉めるな! くっそ、このっ……開けないか~~っ!」
男がドンドン猛烈にドアを叩く音で、怒りのほどが知れる。
確かに私は、お話の途中どころか始まってもいないときに、男の鼻先でドアを閉めた。そして、後悔はしていない。それを私の後ろで見ていたセオドア様が、目をパチパチしているけれど、しかし今は非常事態……。空気など読んでいられません! と、ご丁寧に鍵までかけ直しておいたから、少しは持つだろう。部屋の奥にいるセオドア様のところへ、私は駆け足で戻った。
「セオドア様っ! 逃げますよ!」
「ええ……」
それから「急いでくださいっ!」とセオドア様の手を引いたところで、可笑しそうにくすくす笑われてしまった。
「セオドア様っ笑っている場合ではありません!」
「すみません、そうでしたね」
なあんてのんびり会話をしていたら、ドアが蹴破られた。何てこと! この小屋のドアを蹴破ってもいいのはアヒルちゃんだけよ! と、私は内心意気込んだが、内心なのでもちろん伝わらない。
そして締め出し食らって怒り心頭の男は、セオドア様を一目見るなりニヤリと厚顔を歪めた。
「いいかお前らっ! 最古の吸血鬼といえど今は記憶喪失の若造だ! 力の使い方なんて覚えちゃいない! どちらも捕縛してさっさとずらかるぞッ!」
オオッ! と呼応する声がして、次いで男が私へ視線を移す。
「それにしても、まさかお嬢さんがあのリアード様の妹君だったとわな」
「何故それを……」
「アヒルちゃんを連れた見習い奉仕者は有名だからな。少し事情を知ってさえいれば、お嬢さんの出自がリアード様と繋がっていることは直ぐ知れる」
え、アヒルちゃんにちゃんとちゃん付けされているっ!? 何だか舌噛みそう! じゃなかった。え、私たち有名だったのっ!?
「アヒルちゃんは可愛いからな」
「!」
あ、やっぱり私じゃなくてアヒルちゃんが……いや、それ以前に、アヒルちゃんが敵に褒められているっ!? ──そういえば、アヒルちゃんは昔からそうだった。私ではなくアヒルちゃんは、どこへ行っても大人気! 思えば私はアヒルちゃんの陰で、毎日奉仕活動に明け暮れていたわね……
アヒルちゃんは顔は丸いが顔が広い、魔性のアヒルなのだ……。
「だが、最近ではアヒルちゃんに負けず劣らず、お嬢さんも十分注目を浴びているのは知らないようだな。その男のお陰で聖女の力に目覚めたことも、今じゃ裏の世界では大分有名だぞ?」
「っ!」
とんでもない不意打ちだった。私の後ろにいるセオドア様の方を、思わず振り返る。驚いた顔のセオドア様と目が合う。完全に、私が聖女だということを知られてしまった……
それも、
「聖女のお嬢さんはその体を使って、フォンベッシュバルト公の記憶を取り戻そうとしたんだろうが、数日前の書簡の内容通り、今も記憶喪失のままか。無駄に終わったみたいで安心したぜ」
「っ……!」
セオドア様に聞かせたくなかったことまで、他人の口から吐かれてしまった。もうセオドア様の顔を振り返る勇気はない。けれど男が、「やっちまいな!」と配下と思しき男たちに号令を掛けた。
「やめてっ!」
号令を皮切りに、迫り来る男たちからセオドア様を後ろに庇う格好で叫んだ瞬間──白い玉が猛直球で飛んできた。火球の如く、リーダー格の男の頭をドガァッ! と直撃。吹っ飛ばした。
「……………………え?」
更には男たちがこちらへ向かってこようと踏み出したその足を、片っ端から蹴り飛ばしている白いモフモフ。
リーダー格の男に蹴破られて、入口の枠に辛うじてプラプラと繋がっている程度になってしまったドアを、次いでやってきたお城の兵士らしき人が敬礼してからそっと閉めた。
パタン。
そして再び「ぐわわわわわわわわっ」と騒ぎが聞こえてきて、おさまって、前回ノックされたときよりも、もう少し下の方から今度はノック音が聞こえてきた。
念の為許可を求めてセオドア様の方を見る。コクリと頷かれて、もう一度、ドアを開けると──
にぱっと笑顔できらきらおめめのアヒルちゃんがいた。
*
舗装があまり行き届いていない道を走る馬車。ガタガタと揺れるその狭い馬車の座席に座った私を、丸くて白い、可愛い子が見上げている。
あれから私は、スピアリング卿に連れられてやって来た、半泣きのアヒルちゃんとの涙の再会を果たしたのだが……程なくして、スピアリング卿から通達されることとなった。
「もうこの小屋に貴殿方を置いておくわけにはいかない。今すぐ小屋を出るぞ」「では準備を……」「──駄目だ。私物は置いていけ、この件が終わったら後でいくらでも取りに戻れる。早急に貴殿方を別の場所で保護する必要がある」ということで、急遽私たちは着の身着のまま、スピアリング卿が用意した馬車に乗り込むこととなり、
男たちを捕縛したスピアリング卿とその配下の兵と共に、小屋を出ることになったのだが──
クルポッポは捕まってしまったのに、どうしてスピアリング卿は小屋に来たのか聞くと、答えたのはスピアリング卿ではなくセオドア様だった。
「ここ数日、小屋の外に不審な気配を感じていましたので、念のためスピアリング卿に書簡を飛ばしておいたのですよ」
それも私がスピアリング卿に書簡を送る前に飛ばしていたそうだ。
私のことを少しも咎められないはずだ。呆然としている私に、「間に合ってよかったですね」とにっこり微笑むセオドア様。対するスピアリング卿は「ギリギリで動かされたこちらの身にもなってくれ」と、ため息混じりだが、安心したように頬を緩めた。
そして、先ほどから私を見上げている、感動の再会を果たしたアヒルちゃんはというと。結果的に追い出されるようにしてスピアリング卿に預けられてしまったことを、全然拗ねていたなかった。寧ろ──
「鍛えられている……?」
馬車の床で屈伸運動をするアヒルちゃん。目が爛々と燃えている。そして、水掻きのついた足をシュッシュッシュッシュッと宙に蹴り上げているではないか。
「す、スピアリング卿……? これはいったい……」
「そのアヒル、なかなか筋がいい」
私と丁度対面する形で向かい側に座っているスピアリング卿。この人、いったい今までアヒルちゃんと何を……
「……そう、ですか……それは良かった……です」
馬車に揺られながらヒクついていると、今度はセオドア様が口を開いた。
「いい子ですね。アヒルちゃんは雌だったんですか」
馬車の床でいつの間にか卵を咥えて「んっ」と私に差し出しているアヒルちゃんを、私の隣に座っているセオドア様がしげしげと眺めている。
アヒルちゃんは朝になるとよく卵を取ってきてくれる。
普通の鶏の卵と違い、アヒルの卵は一回り大きくて、色も少し青い。栄養価も鶏より多く味はクリーミー。
今回も、アヒルちゃんは卵持参でやってきた。それも、アヒルちゃんにはこちらから謝罪をするはずが、逆に気遣われて仲直りの印と言わんばかりに差し出されている。
「いいえ、セオドア様、この子は雄です」
「…………」
ではいったい、この卵はどこから持ってきたのだろうか……? というセオドアの沈黙を肌で感じながら、それは私もずっと知りたかったことです。と私は心の中で深く頷くに留めた。
飼い主としてはメスアヒルちゃんにいつもの卵のお礼をしたいところだが、アヒルちゃんは尾っぽはフリフリ見せても、尻尾は掴ませてくれない。やはりアヒルちゃんは非常に頭のいいアヒルである。
アヒルちゃんに「ありがとう」とお礼を言って卵を受け取る。床に落とさないよう気を付けてハンカチに包む。
久々の再会に、私の足元で嬉しそうに「ぐわぐわ」言っているアヒルちゃんを抱っこして、私はとりあえず椅子に座り直した。それから何気なくアヒルちゃんの向きをセオドア様からそらす。
お膝に乗せた途端、隣のセオドア様をジーッと半眼で見ているこの目は……
どうやら具体的には分からなくとも、私たちの間で何かが変わったことを感じ取っているようだ。
それにしても……逞しいことこの上ないけど、アヒルちゃん、まさかこれでいつでもセオドア様を蹴り飛ばせるとか、思ってないわよね……?
スピアリング卿に鍛えられて強くなったアヒルちゃんは、バージョンアップしてファイティングアヒルへと進化を遂げた。流石アヒルちゃんだ。飼い主がピンチの時に駆け付けることもできる。アヒルちゃんは出来るアヒルなのだ。
そしてアヒルちゃんは私の膝上から下りると、セオドア様と私の間に割り込んだ。その柔らかくてふわふわの丸いフォルムを駆使して、何の躊躇いもなくズズズと入ってくれたお陰で助かった。
何故なら、聖女と思わぬところでバレてしまったのに、セオドア様の反応が全然普通で、どう切り出したらいいのか困っていたからだ。
そしてアヒルちゃんは私たちの間に挟まりながら、最初はキリッとしたお顔で微動だにせず。だったのだが……
──数十分後、馬車の揺れ心地が気持ちいいのか、アヒルちゃんは遊んでいた。私とセオドア様の膝上を寝転がって馬車が大きく揺れる度、ゴロゴロゴロゴロ右に左に移動している。ふにゃふにゃごろごろしながら、終いにはポンポンのまっちろいお腹を上にしてグースカいびきをかいて、気持ち良さそうに寝始めた。野生とは……欠片も感じられない可愛さに胸がキュンとなる。
最初はまるで借りてきた猫みたいに、大人しかったのに……
って、キュンとかしている場合じゃないのよ~~っ! ううっ、何だか色々、私はセオドア様にどうご説明したらいいの……?
*すみません、長引いております。おそらくあと、四話か五話くらいで完結かと思われます……(多分)
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