18 / 32
本編
16 扱いづらい女性
しおりを挟む
要件は済んだとばかりに扉を開けて、出て行くスピアリング卿。そして、扉の前で巡回しながら待っていたアヒルちゃんをひょいっと無造作に抱き上げた。何の説明もないまま、アヒルちゃんを小脇に抱えて歩き出す。
確かに私は、アヒルちゃんを回収していくことに同意した。けれど……
スピアリング卿のあまりに素早い行動に、アヒルちゃんは「ぐわっ」とお口を開けっぱなしだし、私もビックリしすぎて唖然と見送ってしまった。
「す、スピアリング卿! アヒルちゃんはとても良い子にしてたんです! 院長先生のお話もちゃんと聞いてくれて、私とお義兄様の仲を取り持ってくれたり……」
「そうか……ちゃんと客人として扱うから安心しろ。飼育係もつける。アヒル、お前も心配するな。取って食ったりはしない」
そう言って少し動きを止めたが、スピアリング卿はアヒルちゃんを横抱きにしたまま、再び歩き出してしまった。
まさか、邪魔をしたら連れ帰ると行っていた院長先生ではなく、スピアリング卿に連れていかれることになるとは……そして、当の本人、アヒルちゃんもビックリしすぎてお口があんぐり空いたまま連行されていたのだが……
「ぐわっ!?」
何で!? 良い子にしてたのに!? と、脇に抱えられたまま覚醒してしまった。
意味不明な状況へのアヒルちゃんの衝撃。やはり、半ば放心状態で、お口があんぐり空いたままである。
「丁重にもてなしてやろう。何といってもフォンベッシュバルト公の妹君のアヒルだからな」
「ぐわぐわわっ!?」
「落ち着けアヒル。羽が散る」
「ぐわわ! ぐわぐわ!」
「分かった分かった怒るな。静かにしてろ」
「ぐげぐわ……」
何故かスピアリング卿とお話し出来ているように見えてしまって目を擦る。
「エリカ、これはいったい……どういう事態なのでしょうかね……」
「院長先生! あのっアヒルちゃんのこと、スピアリング卿に色々と教えて差し上げてください! よろしくお願いします!」
それまで小屋の在庫整理をしていた院長先生が、騒ぎを聞きつけてやってきたので、急いで頭を下げる。良かった! 院長先生がご一緒ならアヒルちゃんも安心だわ……。
「はあ……とりあえず、事情は直接お聞きするしかなさそうですね。では、くれぐれも大人しくしていてくださいね? 火事など起こさないよう火の元に注意して……」
「ぐわわ~~!」
そこで、オムツ姿のアヒルちゃんからSOSが入った。院長先生がアヒルちゃんを抱えたスピアリング卿の隣に慌てて付くと、アヒルちゃんも少しは安心したようだ。悲鳴のように開いていたお口は閉じたが、今度は目がウルウルしているのが遠目にも分かる。
「あ、アヒルちゃんっ! 大丈夫よ! あとでちゃんとお迎えに行きますからね~!」
「ぐわわわ~~!」
アヒルちゃんとの怒涛の涙のお別れ。アヒルちゃんのみならず私もちょっぴり涙ぐんでいたら、ギシッと木製の床が軋む音に、私は事の成り行きを全て見ていた存在に気が付いた。
騒いでいた私たちより一歩下がって、廊下の壁に背を預けたまま、セオドア様は私たちを見守っていたらしい。
おやおやと言った様子で、連れていかれたアヒルちゃんとスピアリング卿が去った廊下の向こうを見つめている。
「それで、用件はすみましたか?」
徐に、今度はその視線がこちらへと向けられて、ドキッと心臓が跳ねる。
「お義兄様……」
自室のドアの前で「どうしよう……」と、間抜けた顔して突っ立っている私の方へ、セオドア様がゆっくりとした足取りで近付いてくる。
「随分楽しそうでしたが、何を話していたのですか?」
目の前まで来ると、凍り付くようなアイスブルーの瞳で私を見下ろすセオドア様。何もかもを見透かすようなその美しい瞳は、何故だか少し苛立っているようにも見えた。
私はこの方に、隠し事など出来ないのかしら……。
「エリカ?」
不思議と顔を覗き込まれて、悲鳴を上げてしまいそうになる。
「い、いえっ、あの……さ、サインを! サインを頂いていたんです!」
「サインを?」
「これで……──あっ!」
一週間ぶりの、顔を合わせての真面な会話。慌てて答えたものの。
……不味いわ。
R十八指定の恋愛本をセオドア様に見せるという恥ずかしいことを、私は危うくするところだった。慌てて背中に隠す。
「いいえっなんでもありません」
私の顔が徐々に赤くなるのを見て、セオドア様は益々興味を持たれたようだ。
「……気になります」
セオドア様から話し掛けて下さった。久々にお話ができて嬉しい。でも……何でよりにもよって会話の冒頭から、エッチな本の話題をしなければならないのか。
無意識に、セオドア様から一歩退いてしまった。それを見て、セオドア様がふっと笑った。
「そう、君は僕から逃げた方がいい……逃げられるうちは」
「えっ?」
寂しそうに笑ったように見えた。そんな顔、させたくなどなかったのに。
どうして? どうしてセオドア様は……まるで私がセオドア様から逃げることを望んでいるような、諦めるようなその言い方ではまるで……
「お義兄様……私は……」
ドクンッとまた、心臓が鳴った。
セオドア様は私を愛しているようなことを、スピアリング卿はおっしゃっていたけれど……
「どうかしましたか? 気分でも悪……」
「──私はお義兄様のことが……っ」
グッと胸の前で両手を祈るように組む。私は怖いことからずっと逃げてきた。今回も同じ、またセオドア様から逃げようとする心が働いてしまっている。
でも今回だけは……神様、私に前に進む勇気を……ください。
「好き、なんです……」
「エリカ……?」
「私はお義兄様のことが好きなんです……!」
*
突然の告白からの長い沈黙、それから──
「ありがとう。僕もエリカのことが好きですよ。可愛い妹ですから」
いつも通り、にっこりと美しい笑みを浮かべるセオドア様。
「妹……」
全く、動揺していない……これって私、全く相手にされていない? ってことよね……?
は、恥ずかしい……
スピアリング卿の後押しもあって、勢いに乗って告白なんてしてしまったけれど、
こんなみすぼらしい私をセオドア様が好きだなんて、やっぱりあるはずがなかったのに。
義兄妹としての意味ではなく、一人の男性としてセオドア様を愛している。そうハッキリ告白する前から、私は怖じ気づいていた。
「それでは、私はこれで失礼しますね。少しやることがありますので」
ちゃんとセオドア様から答えを聞くのが怖い。だって可能性は殆んどないもの……
とにかく今は、R十八指定恋愛小説「愛と蹂躙の其方」を早く棚にしまっておかないと。そうしてゆっくりドアを閉めようとして……──止められた。
ドアに手をかけ、こちらを見下ろしているお義兄様の顔は戸惑っているように見えた。
「お義兄様……?」
どうしたんだろう? そう思っていたら、頬を撫でられた。それも何回も繰り返し、
「ふふっ、お義兄様くすぐったいです」
セオドア様が触れてくれたことが嬉しくて、笑いかける。するとセオドア様は益々その美しい顔を曇らせた。
「すみません……泣かせるつもりはありませんでした」
「泣かせる……? 私を?」
気付かなかった。私はいつの間にか泣いていたようだ。だからセオドア様は咄嗟にドアを閉める手を止めたのだ。
セオドア様の長く綺麗な指が涙を拭っていく、それから最後は慰めるように、おでこに優しくキスされて──広い胸の中にそっと抱き寄せられる。
「ぁっ……」
持っていた本が床に落ちる。
ゆったりとしたセオドア様の物腰、体の感触。お洋服からは良い匂いがして、求めるように私の背中に回された腕に力が入った。
少し触れられただけでも心地よさを感じていたのに、こんなに触れられては……背中がゾクッとするくらいに、体が喜んでいた。
誰かに触れられるってこんなに気持ち良いんだ……
「…………ぃ…………です」
「エリカ?」
「今だけでいいんです。どうか私を……」
今度こそ、ちゃんと言わなくちゃ……!
祈るように胸元で震える手を組み合わせて、私はギュッと目を瞑った。
「……一度だけ、一度だけでいいんです。終わりましたら元の関係にちゃんと戻ります。それ以上のことはけして望みません。どうか、一夜の情けを私にいただけないでしょうか……」
*
一夜過ごしただけで、逃れられると思っているのか、この娘は……
今度は目眩どころか、酷い頭痛に襲われた。
エリカを抱くことで僕が得られるモノが何なのか、僕は知っていた。
何故なら僕は……彼女が聖女であることを既に知っているからだ。
彼女は自分が聖女であることをずっと必死に隠しているが、そもそも僕は最初からそのことを了知していた。彼女はよりにもよって、僕がいる室内でそのことを話してしまったからだ。
狭い室内でこそこそと精一杯壁際に寄り、孤児院の経営者である彼女の恩師と二人で、僕に聞こえないよう距離をとったつもりで話していたが。吸血鬼の人間離れした聴力では、申し訳ないくらい丸聞こえだった。
何故彼女が聖女になってしまったのかも、原因が僕にあることも。詳しくはスピアリング卿に催促して書簡に書き記させた。
負傷した僕を守るために彼女は覚醒した。そして、その力が彼女にとって良くないものであることも全て、僕にとっては既知の事実だ。
だからドアの前で待たせてもらうと言ったとき、スピアリング卿が僕に言った言葉は正しい。
「……記憶を失っても貴方は人が悪い」と、その通りだ。全て聞こえる場所で待機するといっているのだから。しかしそれでも彼は遠慮するどころか、エリカに話してしまった。
聖女との性交。それは、以前より検討してくれと、スピアリング卿から僕も言われていたことだった。
このまま最悪記憶が戻らなければ、シンフォルースは頭脳を失うことになると、
だが僕は断った。気の毒ではあるが、国のためにせっかく出来た可愛い妹を犠牲にする気は更々ない。他の方法を考えればいいだけだと。
しかし、スピアリング卿はその手のことに関して、鋭い観察眼を持っている。彼は僕の本心を知っていた。
彼女を襲いかけたのは、単に寝起きだったからだ。理性が利かないのはきっと、聖女の血のなせる技だと。この胸の内に抱いた感情はまやかしのようなもの。彼女に惹かれるのは、聖女の血の匂いに魅せられているからだと。
そう思い込もうとする度、彼女を自然と目で追ってしまう。惹かれてしまうのは何故なのか、本当は分かっていた。
彼女には嘘がない。隠し事が苦手のようで、すぐ態度に現れる。とても魅力的でこの上なく可愛らしい女性だ。
今まで僕に群がってきた相手は誰も彼もが、僕の外見に心惹かれ、与えられる恩恵を欲しがった。けれどエリカは何も持たない身でありながら、欲しがるどころか更に自身の身を差し出してくる。それも彼女の家族を奪った僕に対してだ。
こんなにも優しく強い女性を、僕は他に知らない。
彼女は自身のことを地味で平凡な、僕の義妹を名乗るに相応しくない娘と思っているようだが……
そしてこの体を使っていて気付いた。僕は、彼女の血なら喜んで吸うだろうと……しかし、そうと分かって、何より困惑したのはこちらの方だった。
血への渇望はある。それを抑えるための物は、スピアリング卿から何度も届いていた。けれど僕は、吸血鬼の体に慣れたとはいえ、それを口にするつもりはなかった。
出来ればあまり口にしたくはないと、人間としての意識が僅かながらに働いて、今日まで口にしないでいたのだが、どうやらこだわっている場合ではないようだ。
まさか飲みたくなかったから飲んでいなかったとはいえず、エリカには咄嗟にスピアリング卿の手配が遅れているなどと嘘をついてしまったが……
後で口裏を合わせるよう、書簡は飛ばしてあるが、スピアリング卿からすればそれが核心的なものになったのかもしれない。
まったく、こんなに扱いづらい女性は初めてだ。
できるなら血を飲まずに、全てを終わらせて記憶を取り戻したかったが……彼女を僕の毒牙にかけるわけにはいかない。
口にするしかないか……。
思わぬ形で克服させられてしまった。
最初は、彼女に惹かれるのは吸血鬼である本来の僕の感情に引きずられているせいだと、そして、彼女の聖女の血に魅せられているせいだと思った。だが、そうじゃないことを僕はもう知っている。
彼女は事が終われば元の義兄妹の関係に戻るつもりだとか、相手がどれだけ貪欲に求めているかも知らないで、とんでもないことを言っていたが。一度行為に達したらもう逃がしてやれる保証はなかった。だから逃げるなら今のうちだとチラつかせたというのに……。
しかし、泣いている彼女をそのままにしておけないと、ドアを閉めようとした彼女を止めた責任は自分にある。彼女の清純を奪うきっかけを僕は自ら作ってしまったのだ。
今はあの孤児院の経営者に、義兄という役割──枷をかけられたことに感謝しよう。でなければ、簡単に箍が外れてしまいそうだ。
確かに私は、アヒルちゃんを回収していくことに同意した。けれど……
スピアリング卿のあまりに素早い行動に、アヒルちゃんは「ぐわっ」とお口を開けっぱなしだし、私もビックリしすぎて唖然と見送ってしまった。
「す、スピアリング卿! アヒルちゃんはとても良い子にしてたんです! 院長先生のお話もちゃんと聞いてくれて、私とお義兄様の仲を取り持ってくれたり……」
「そうか……ちゃんと客人として扱うから安心しろ。飼育係もつける。アヒル、お前も心配するな。取って食ったりはしない」
そう言って少し動きを止めたが、スピアリング卿はアヒルちゃんを横抱きにしたまま、再び歩き出してしまった。
まさか、邪魔をしたら連れ帰ると行っていた院長先生ではなく、スピアリング卿に連れていかれることになるとは……そして、当の本人、アヒルちゃんもビックリしすぎてお口があんぐり空いたまま連行されていたのだが……
「ぐわっ!?」
何で!? 良い子にしてたのに!? と、脇に抱えられたまま覚醒してしまった。
意味不明な状況へのアヒルちゃんの衝撃。やはり、半ば放心状態で、お口があんぐり空いたままである。
「丁重にもてなしてやろう。何といってもフォンベッシュバルト公の妹君のアヒルだからな」
「ぐわぐわわっ!?」
「落ち着けアヒル。羽が散る」
「ぐわわ! ぐわぐわ!」
「分かった分かった怒るな。静かにしてろ」
「ぐげぐわ……」
何故かスピアリング卿とお話し出来ているように見えてしまって目を擦る。
「エリカ、これはいったい……どういう事態なのでしょうかね……」
「院長先生! あのっアヒルちゃんのこと、スピアリング卿に色々と教えて差し上げてください! よろしくお願いします!」
それまで小屋の在庫整理をしていた院長先生が、騒ぎを聞きつけてやってきたので、急いで頭を下げる。良かった! 院長先生がご一緒ならアヒルちゃんも安心だわ……。
「はあ……とりあえず、事情は直接お聞きするしかなさそうですね。では、くれぐれも大人しくしていてくださいね? 火事など起こさないよう火の元に注意して……」
「ぐわわ~~!」
そこで、オムツ姿のアヒルちゃんからSOSが入った。院長先生がアヒルちゃんを抱えたスピアリング卿の隣に慌てて付くと、アヒルちゃんも少しは安心したようだ。悲鳴のように開いていたお口は閉じたが、今度は目がウルウルしているのが遠目にも分かる。
「あ、アヒルちゃんっ! 大丈夫よ! あとでちゃんとお迎えに行きますからね~!」
「ぐわわわ~~!」
アヒルちゃんとの怒涛の涙のお別れ。アヒルちゃんのみならず私もちょっぴり涙ぐんでいたら、ギシッと木製の床が軋む音に、私は事の成り行きを全て見ていた存在に気が付いた。
騒いでいた私たちより一歩下がって、廊下の壁に背を預けたまま、セオドア様は私たちを見守っていたらしい。
おやおやと言った様子で、連れていかれたアヒルちゃんとスピアリング卿が去った廊下の向こうを見つめている。
「それで、用件はすみましたか?」
徐に、今度はその視線がこちらへと向けられて、ドキッと心臓が跳ねる。
「お義兄様……」
自室のドアの前で「どうしよう……」と、間抜けた顔して突っ立っている私の方へ、セオドア様がゆっくりとした足取りで近付いてくる。
「随分楽しそうでしたが、何を話していたのですか?」
目の前まで来ると、凍り付くようなアイスブルーの瞳で私を見下ろすセオドア様。何もかもを見透かすようなその美しい瞳は、何故だか少し苛立っているようにも見えた。
私はこの方に、隠し事など出来ないのかしら……。
「エリカ?」
不思議と顔を覗き込まれて、悲鳴を上げてしまいそうになる。
「い、いえっ、あの……さ、サインを! サインを頂いていたんです!」
「サインを?」
「これで……──あっ!」
一週間ぶりの、顔を合わせての真面な会話。慌てて答えたものの。
……不味いわ。
R十八指定の恋愛本をセオドア様に見せるという恥ずかしいことを、私は危うくするところだった。慌てて背中に隠す。
「いいえっなんでもありません」
私の顔が徐々に赤くなるのを見て、セオドア様は益々興味を持たれたようだ。
「……気になります」
セオドア様から話し掛けて下さった。久々にお話ができて嬉しい。でも……何でよりにもよって会話の冒頭から、エッチな本の話題をしなければならないのか。
無意識に、セオドア様から一歩退いてしまった。それを見て、セオドア様がふっと笑った。
「そう、君は僕から逃げた方がいい……逃げられるうちは」
「えっ?」
寂しそうに笑ったように見えた。そんな顔、させたくなどなかったのに。
どうして? どうしてセオドア様は……まるで私がセオドア様から逃げることを望んでいるような、諦めるようなその言い方ではまるで……
「お義兄様……私は……」
ドクンッとまた、心臓が鳴った。
セオドア様は私を愛しているようなことを、スピアリング卿はおっしゃっていたけれど……
「どうかしましたか? 気分でも悪……」
「──私はお義兄様のことが……っ」
グッと胸の前で両手を祈るように組む。私は怖いことからずっと逃げてきた。今回も同じ、またセオドア様から逃げようとする心が働いてしまっている。
でも今回だけは……神様、私に前に進む勇気を……ください。
「好き、なんです……」
「エリカ……?」
「私はお義兄様のことが好きなんです……!」
*
突然の告白からの長い沈黙、それから──
「ありがとう。僕もエリカのことが好きですよ。可愛い妹ですから」
いつも通り、にっこりと美しい笑みを浮かべるセオドア様。
「妹……」
全く、動揺していない……これって私、全く相手にされていない? ってことよね……?
は、恥ずかしい……
スピアリング卿の後押しもあって、勢いに乗って告白なんてしてしまったけれど、
こんなみすぼらしい私をセオドア様が好きだなんて、やっぱりあるはずがなかったのに。
義兄妹としての意味ではなく、一人の男性としてセオドア様を愛している。そうハッキリ告白する前から、私は怖じ気づいていた。
「それでは、私はこれで失礼しますね。少しやることがありますので」
ちゃんとセオドア様から答えを聞くのが怖い。だって可能性は殆んどないもの……
とにかく今は、R十八指定恋愛小説「愛と蹂躙の其方」を早く棚にしまっておかないと。そうしてゆっくりドアを閉めようとして……──止められた。
ドアに手をかけ、こちらを見下ろしているお義兄様の顔は戸惑っているように見えた。
「お義兄様……?」
どうしたんだろう? そう思っていたら、頬を撫でられた。それも何回も繰り返し、
「ふふっ、お義兄様くすぐったいです」
セオドア様が触れてくれたことが嬉しくて、笑いかける。するとセオドア様は益々その美しい顔を曇らせた。
「すみません……泣かせるつもりはありませんでした」
「泣かせる……? 私を?」
気付かなかった。私はいつの間にか泣いていたようだ。だからセオドア様は咄嗟にドアを閉める手を止めたのだ。
セオドア様の長く綺麗な指が涙を拭っていく、それから最後は慰めるように、おでこに優しくキスされて──広い胸の中にそっと抱き寄せられる。
「ぁっ……」
持っていた本が床に落ちる。
ゆったりとしたセオドア様の物腰、体の感触。お洋服からは良い匂いがして、求めるように私の背中に回された腕に力が入った。
少し触れられただけでも心地よさを感じていたのに、こんなに触れられては……背中がゾクッとするくらいに、体が喜んでいた。
誰かに触れられるってこんなに気持ち良いんだ……
「…………ぃ…………です」
「エリカ?」
「今だけでいいんです。どうか私を……」
今度こそ、ちゃんと言わなくちゃ……!
祈るように胸元で震える手を組み合わせて、私はギュッと目を瞑った。
「……一度だけ、一度だけでいいんです。終わりましたら元の関係にちゃんと戻ります。それ以上のことはけして望みません。どうか、一夜の情けを私にいただけないでしょうか……」
*
一夜過ごしただけで、逃れられると思っているのか、この娘は……
今度は目眩どころか、酷い頭痛に襲われた。
エリカを抱くことで僕が得られるモノが何なのか、僕は知っていた。
何故なら僕は……彼女が聖女であることを既に知っているからだ。
彼女は自分が聖女であることをずっと必死に隠しているが、そもそも僕は最初からそのことを了知していた。彼女はよりにもよって、僕がいる室内でそのことを話してしまったからだ。
狭い室内でこそこそと精一杯壁際に寄り、孤児院の経営者である彼女の恩師と二人で、僕に聞こえないよう距離をとったつもりで話していたが。吸血鬼の人間離れした聴力では、申し訳ないくらい丸聞こえだった。
何故彼女が聖女になってしまったのかも、原因が僕にあることも。詳しくはスピアリング卿に催促して書簡に書き記させた。
負傷した僕を守るために彼女は覚醒した。そして、その力が彼女にとって良くないものであることも全て、僕にとっては既知の事実だ。
だからドアの前で待たせてもらうと言ったとき、スピアリング卿が僕に言った言葉は正しい。
「……記憶を失っても貴方は人が悪い」と、その通りだ。全て聞こえる場所で待機するといっているのだから。しかしそれでも彼は遠慮するどころか、エリカに話してしまった。
聖女との性交。それは、以前より検討してくれと、スピアリング卿から僕も言われていたことだった。
このまま最悪記憶が戻らなければ、シンフォルースは頭脳を失うことになると、
だが僕は断った。気の毒ではあるが、国のためにせっかく出来た可愛い妹を犠牲にする気は更々ない。他の方法を考えればいいだけだと。
しかし、スピアリング卿はその手のことに関して、鋭い観察眼を持っている。彼は僕の本心を知っていた。
彼女を襲いかけたのは、単に寝起きだったからだ。理性が利かないのはきっと、聖女の血のなせる技だと。この胸の内に抱いた感情はまやかしのようなもの。彼女に惹かれるのは、聖女の血の匂いに魅せられているからだと。
そう思い込もうとする度、彼女を自然と目で追ってしまう。惹かれてしまうのは何故なのか、本当は分かっていた。
彼女には嘘がない。隠し事が苦手のようで、すぐ態度に現れる。とても魅力的でこの上なく可愛らしい女性だ。
今まで僕に群がってきた相手は誰も彼もが、僕の外見に心惹かれ、与えられる恩恵を欲しがった。けれどエリカは何も持たない身でありながら、欲しがるどころか更に自身の身を差し出してくる。それも彼女の家族を奪った僕に対してだ。
こんなにも優しく強い女性を、僕は他に知らない。
彼女は自身のことを地味で平凡な、僕の義妹を名乗るに相応しくない娘と思っているようだが……
そしてこの体を使っていて気付いた。僕は、彼女の血なら喜んで吸うだろうと……しかし、そうと分かって、何より困惑したのはこちらの方だった。
血への渇望はある。それを抑えるための物は、スピアリング卿から何度も届いていた。けれど僕は、吸血鬼の体に慣れたとはいえ、それを口にするつもりはなかった。
出来ればあまり口にしたくはないと、人間としての意識が僅かながらに働いて、今日まで口にしないでいたのだが、どうやらこだわっている場合ではないようだ。
まさか飲みたくなかったから飲んでいなかったとはいえず、エリカには咄嗟にスピアリング卿の手配が遅れているなどと嘘をついてしまったが……
後で口裏を合わせるよう、書簡は飛ばしてあるが、スピアリング卿からすればそれが核心的なものになったのかもしれない。
まったく、こんなに扱いづらい女性は初めてだ。
できるなら血を飲まずに、全てを終わらせて記憶を取り戻したかったが……彼女を僕の毒牙にかけるわけにはいかない。
口にするしかないか……。
思わぬ形で克服させられてしまった。
最初は、彼女に惹かれるのは吸血鬼である本来の僕の感情に引きずられているせいだと、そして、彼女の聖女の血に魅せられているせいだと思った。だが、そうじゃないことを僕はもう知っている。
彼女は事が終われば元の義兄妹の関係に戻るつもりだとか、相手がどれだけ貪欲に求めているかも知らないで、とんでもないことを言っていたが。一度行為に達したらもう逃がしてやれる保証はなかった。だから逃げるなら今のうちだとチラつかせたというのに……。
しかし、泣いている彼女をそのままにしておけないと、ドアを閉めようとした彼女を止めた責任は自分にある。彼女の清純を奪うきっかけを僕は自ら作ってしまったのだ。
今はあの孤児院の経営者に、義兄という役割──枷をかけられたことに感謝しよう。でなければ、簡単に箍が外れてしまいそうだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
509
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる