思いがけず聖女になってしまったので、吸血鬼の義兄には黙っていようと思います

薄影メガネ

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本編

14 残された感触

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 院長先生、私はマスタードをもらう前にめげてしまいそうです。ということで、改めて薄い本の総復習をば……。

 ~コミュニケーションマスタードへの道~異種族コミュニケーション三ステップ。

 その一、相手を観察し、互いの違いを認識する。
 その二、相手との違いを理解する。
 その三、相手との違いを認識・理解した上で交流する。

 とりあえず一、二はクリアした。そして残る三は……
 そう、三は相手との交流……
 でも最近、私、あまりちゃんとセオドア様と交流できていないんです……。

 セオドア様に吸血されかけてからここ数日、心なしか、少し距離を取られている気がする。その原因は言うまでもなくハッキリしていた。私に噛み付こうとしてしまったことを、セオドア様が酷く気にされているからだろう。でも、このままではダメだと思った。

 ちなみにアヒルちゃんはお外へお散歩しに出ていっている。今は日中の昼下がり。お天気もいいから、おそらくお散歩ついでにミミズや昆虫を食べ歩いていて当分帰ってこない。そしてきっと、キラキラおめめで嬉しそうにしながら、全身泥だらけになって帰ってくるはず。
 帰ってきたら水浴びさせないと……念のためおけに水をんで、小屋の前に置いておくとして、
 今小屋の中にいるのは私とセオドア様だけだ。そして、話をするなら今がチャンスだと思った。

「あのっ」

 ダイニングを通りかかったセオドア様に話し掛ける。けれど、即座にするどい制止の声が掛かった。

「──君は僕に近寄らない方がいい」
「なぜ、ですか……?」
「僕は君を傷付け食い物にしようとした。そんな男に近寄るものではありませんよ」
「……お義兄様」

 やっぱり私がいくら平気だと言おうとしても、セオドア様は……
 私は肩を落とした。セオドア様は優しい。だからあえて距離を取られてしまった。でも──
 私はセオドア様が好き。
 こんな自分が男の人を、セオドア様を好きになるなんて思ってもみなかった。
 私は使えない聖女で、義妹といえど本来ならセオドア様の傍にいることを許されない存在。ならばせめて、義妹として彼の傍にいられる今を大切にしたい。そう思っていた。
 しかし近寄るなと真正面ましょうめんから言われてしまって食い下がることができるほど、私は強くなかった。





 ──それから更に一週間が経過して、スピアリング卿と院長先生がやってきた。

 連絡用に使用している伝書どり、クルポッポに持たせた近況報告……最近はあまりセオドア様とお話をする機会がないことをつづり、お送りしたのだが、
 私はそれよりも、その前に送った近況報告──料理がげて黒煙を上げてしまったことを、気にしていた。

 それでは狼煙のろしをあげたも同然ではないか! と、烈火れっかのごとくお怒りになって来られたらどうしよう……でも、もう一週間もつし平気よね……? と、もちろん私は逃げ腰だった。というよりすでに……

「今日は貴女あなた小言こごとを言いに来たわけではない。本題は別にあ──エリカ譲、待ちなさい」
「は、はい~っ!」

 いらしたスピアリング卿が、小屋の中で一番広い部屋、ダイニングに不機嫌な顔して立っている。やっぱり、きっと、怒られるんだわ……

 そして、私と一緒に回れ右しようとして、水掻きのついた足を浮かせたまま固まっているアヒルちゃんを、スピアリング卿がにらみ付けるようにした。

「アヒルは行ってもいい……ん? その姿はどうしたんだ?」
「ぐわ……」

 気まずげなオムツ姿のアヒルちゃんと怪訝けげんな顔のスピアリング卿。緊迫した雰囲気に、私はおそるおそるフォローに入る。

「こ、これはアヒルちゃんの優しさです」
「……まあいい」

 スピアリング卿はほらあっち行けと、院長先生の方へとアヒルちゃんを追い払った。どうやら二人だけで話があるらしい。

「ではエリカ譲、貴女の部屋まで案内してくれるか?」
「は、はいっ!」

 しかしそうしてダイニングから出ていこうとしたとき、自室にいたはずのセオドア様がいつの間にかやって来ていた。

「スピアリング卿、エリカにいったい何のご用でしょうか?」
「…………」

 対峙たいじするなりまるで敵対するような二人に驚いて、私は目を丸くする。

「手短に終わらせる。フォンベッシュバルト公、貴方が心配するようなことはしない」
「そうですか、では部屋の外にでも僕は待たせてもらいますよ」

 セオドア様はあっさり承諾しょうだくした。けれど人の良い笑みを浮かべながら、全く信用していないのが丸分かりの返答に、前科ぜんかのあるスピアリング卿が顔をしかめる。

「……記憶を失っても貴方は人が悪い」

 苦虫にがむしを噛み潰した。というのが正しいのだろうか、
 一触即発いっしょくそくはつとまではいかないが、しかし、見ているこちらの方が緊張してしまうくらいの、二人の間に流れる火と油のような相容あいいれない雰囲気……
 そしてこの、敬遠するというよりは、遠慮がちなスピアリング卿の態度……

「ぁ……」

 分かった。スピアリング卿はきっと……セオドア様が嫌い。なのではなく、苦手なだけなのだ。覚えがある。それは、昔私がセオドア様に抱いていた感情と同じだった。





 私はスピアリング卿を自分の部屋へ案内すると、怖いはずの彼を前にくすくす笑いをこぼしてしまった。

「ふふっ」
「なんだ?」
「スピアリング卿も苦手なのですね? お義兄様が」
「…………」

 スピアリング卿の不機嫌な顔が、更にくらかげりを帯びて、ひゃあっ!? と、なる。調子に乗るんじゃなかった……。と後悔にぷるぷる震えていると、ため息が聞こえてきた。

「まったく、こんな役回りをさせられることになるとはな……」
「え……?」

 やれやれとうなるスピアリング卿の表情は、怖いというより少し疲れているように見えた。

「先日は貴女に失礼な態度を取ったことをおびする」

 おしかりではなく、突然の謝罪に恐れ多いとこちらの方が恐縮してしまう。目を白黒させて、私はスピアリング卿の次の言葉を待った。

「彼の貴女への気持ちまで忘れてしまっていないか、貴女に強く出ることで、あの人の真意をためしてみたのだが……前回は見事にあの人の怒りを買ったからな。心配は無用だと思っていたんだが」
「お義兄様の真意……?」
「少なくとも、フォンベッシュバルト公が貴女を大切に思っていることは確かだ。あんなに感情をき出しに、女性をかばうあの人を、俺は今まで見たことがないからな」
「ですが私は……最近お義兄様に避けられていますから……」

 血の渇望かつぼうに悩まされていたことや、何があったかは簡易的にではあるが、一応伝書どり、クルポッポでスピアリング卿には報告してある。

「本当に、益々ますますあの人らしくない」

 ははっと、楽しそうに笑われて、肩透かたすかしをらった気分になる。

「もっと、実践的じっせんてきなやり方で試す手もあるが……俺には最愛の妻がいる。申し訳ないが、あれで限界だ」
「い、いえそれ以上は……」

 もちろん冗談だとは分かっていたが、されたらどんなことになるか、恐ろしいのでご遠慮した。
 手慣れた様子。流石さすが、元プレイボーイの噂がえなかったスピアリング卿だ。
 それにちゃんと話してみると、思っていたよりも雰囲気が……優しい。スピアリング卿はそんなに悪い人ではないのかもしれない。
 そうして気後きおくれしている私に、スピアリング卿は言った。

「数年前にあの人から発破はっぱをかけられた身としては、見て見ぬふりは心苦しいが……貴女は特に、あの人には気を付けた方がいい」
「お義兄様と何があったのですか?」
「愛している女性から好きと言われて逃がすなど、どこの朴念仁ぼくねんじんだと言われたことがある」
「…………」

 スピアリング卿相手に朴念仁ぼくねんじんと言えるセオドア様って……スゴいです……
 
 おそらくそんなことがスピアリング卿に言えるのは、数限られた人間だけだ。

「まさかその言葉をあの人に返すことになるとは思いもしなかったが……」
「愛している女性って、ユイリー様のことですよね? スピアリング卿の奥さまへの溺愛できあいぶりは有名ですから」
「そうか、貴族や庶民の間でも娯楽でありもしない話が流れていると聞いたことはある」
「あ、それに関しては大丈夫です。噂ではなく、ちゃんとこの本を読んである程度は承知しております」

 私が棚から取り出して見せたのは一冊の本、「愛と蹂躙じゅうりん其方そなた」。
 まるで黒豹くろひょうのように野性味あふれるスピアリング卿と、か弱い乙女のユイリー様とのお話である。
 ──が、実物を前にすると、野性味あふれ過ぎてて怖い……。
 野生の黒豹くろひょうそのものの印象のスピアリング卿は、美しすぎて怖い。セオドア様も美しいが、セオドア様の美しさは聖騎士のような洗礼された規律を感じるのに対して、スピアリング卿は規律から外れた自由な命の美しさのようなものを感じる。二人は火と水のように全く正反対の印象なのだ。

「…………どこでそれを」

 頭痛そうにスピアリング卿が片頬かたほおをヒクつかせている。

「あの、さ、サイン……いただけますでしょうか?」
「…………」

 そう、きっと言うなら今だわ。怒られないだろうか……。とハラハラしながら頭を下げつつ、本を両手で持ってスピアリング卿に差し出す。

「書いた奴を見つけたら殺す…………」とか怖い顔してギリッと奥歯を噛み締める音。物騒ぶっそうつぶやきに、私の方はビクリと肩が跳ね上がってしまったが、スピアリング卿は本を受け取ってくれた。
 羽根ペンをお渡しすると、さらさらと書いたものを無言で返される。

 わ、わ~~っ! ついにサイン、いただいちゃった……!

 やはり著者はスピアリング卿ではないようだ。とすると奥さまが……? どちらにしても、不機嫌そうなお顔でサインはしてくれたので、スピアリング卿はやはり悪い方ではなさそうだ。あ、少し耳が赤いのはきっと照れていらっしゃるのね。

 油断したらとって食われるんじゃないかという印象のスピアリング卿と、油断しても全然とって食われなさそうなセオドア様。スピアリング卿も美しい方だけれど、私はやっぱりセオドア様の傍にいる方が安心する。

「ふふっ……」
「どうかしたのか?」

 突然なんの脈絡みゃくらくもなしにまた笑われたので、スピアリング卿がキョトンとしている。少しずつ、私はスピアリング卿に親しみを覚え始めていた。

「大丈夫ですよ。お義兄様は私に興味など持っておりません。人間のお義兄様は誰にでも優しいのです」

 そもそも私は自分がいかに地味でダメな娘か、よく理解していた。いつまでたっても平均値を越えられない、基準以下の自分に不釣り合いな甘い夢など見ないことだ。こんな私が間違っても美形から行為を抱かれることなどないのだから……。
 しかし、そんな私の考えを否定するように、スピアリング卿が目をすがめた。何だか少し……年上のお兄さんみたいな顔をしている。

「本気か? そんなことを言って……知らないぞ」

 あきれ口調のスピアリング卿に、「え?」と、返す。

「あの人から昔聞いたことがある。貴女は唯一、自分が大失態を犯した女性のときと同じ間違いを繰り返してしまった相手だと」
「お義兄様が?」
「なんでも想定外におチビの行動力がありすぎて、屋敷に毎日出没しゅつぼつした挙げ句、そのうち諦めるだろうと思っていたら、最後は雪に埋もれて死にかけていたと」
「…………」

 お、おチビ……って言われていたの? 昔の私……

「雪まみれの姿を発見して、吸血鬼の心臓が凍ったとか……余裕を失っていたにしても、意識を取り戻したおチビをその後、屋敷から閉め出してしまったとか」
「それは……」

 覚えがありすぎる。きっとあの雪の日のことだ。

「キツく言い聞かせたところ、それ以来、あれほど自分たちに付きまとっていたおチビが消えて、肩透かしを食らったらしい。それからはあの人自ら貴女の様子を見に行っていたようだが……」
「………………………………え?」

 様子を見に行っていた? 遠目から見られていた? 私を?

「話し掛けることもせず、遠目から見守るだけの生活を、貴女が大人になった今の今まで続けていたんだ。だからあの人は、大人になった貴女の姿も当然知っている」
「嘘……です、そんな……」
「本当のことだ。それだけ気にかけている女性を、男が何とも想わないと、エリカ譲は思うのか?」

 固まっている私に、スピアリング卿は少し表情をゆるめた。

「エリカ譲、貴女は妻に少し気質が似ているようだ」

 だから危なっかしくて、少し手助けしてしまいたくなるのかもしれない。と言われて、められていないことは分かった。

「あの人と俺はよく正反対だと言われるが……その内面は酷く似ているようだ、だから手を取るように分かる。一度、深く愛してしまった女性を、俺もあの人もけして逃がしはしないということを」

 ──だから気を付けた方がいい。再度そう言われて、いつの間にか全身に鳥肌が立っていたことに、私は少しってから気が付いた。

「そ、それは違います! お義兄様は私のことをただの妹としか思っておりません!」

 放心からめて言いつのる。

「ただの妹の血を吸いたがる吸血鬼ヴァンパイアなどいない。むしろ本気で貴女のことを妹だと思っていたら、血を吸いたがったりなどしないはずだ」

 妹ではなく女として見られている。そうスピアリング卿に指摘してきされて、しかしそれこそあり得ないことだった。

「あれはっ! ……お義兄様が寝ぼけてらしたからで、たまたま……」

 必死に首を横に振るが、スピアリング卿はふっと鼻で笑った。

「ならば試してみればいい。貴女の口から愛していると、話せばいい。だが……記憶を失っていても、あの人の大元は変わらないはず。その言葉を口にした瞬間から、彼はけして貴女を逃がさないだろう」

 その覚悟があるのなら、その言葉を口にするといい……
 誤魔化しも、嘘もない。真実のみを口にしているような、スピアリング卿の黄金色おうごんしょくの瞳。射抜かれて、途端、体が震えた。

「わ、私がお義兄様を愛していると何故思うのです……?」

 そこまでは報告していないし、言うつもりもなかったことなのに……何故……?

「書簡の内容を見れば容易よういに想像はつく。貴女の文面は、あの人への好意にあふれていたからな。愛する手前で立ち往生おうじょうしているなら、どう自覚させるべきかと思っていたが……その必要はないようだ」

 話を聞いている最中さなかにも、顔が真っ赤に染まる。
 駄々漏だだもれだったなんて……恥ずかしい……
 ほとほと困り果てて、スピアリング卿の顔を見ることができず、うつむくしかない。

「いくら綺麗でも相手は男だ。愛している女性を欲しいという欲求は誰しも抱くものだよ、エリカ譲。あの、体裁ていさいつくろうのが誰よりも上手いあの人が、寝ぼけていたとはいえ、貴女の血を吸おうとした。それが何より明確な答えにはならないか?」

 ふっと大人の顔して笑ったスピアリング卿の、あまりにストレートな話に、ついには耳まで赤くなる。

「ですが、今のセオドア様は記憶を失っています……私の事など……」
「そう簡単に愛した女性を綺麗さっぱり忘れてくれるほど、あの男は甘くない」
「……っ!」

 そう言われて、セオドア様に首筋をまれたときの感触がまざまざとよみがえる。
 躊躇ためらいと優しさと……獰猛どうもうなセオドア様の本能。あのときの首筋に残された感触……自分の行動が信じられないというように驚き、私を見つめていた。セオドア様の顔を、私は思い出していた。
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