思いがけず聖女になってしまったので、吸血鬼の義兄には黙っていようと思います

薄影メガネ

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本編

06 基準値以上の必要な存在

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 セオドア様にいくつかの問診をした後、院長先生が出した診断はこうだった。

「記憶が、ない……?」

 院長先生に呼ばれて入った部屋には、先程と同じベッドで半身を起こしたセオドア様が、カーテンの閉じられた薄暗い窓辺を静かに眺めていた。ベッド横に置かれた椅子には院長先生。その手前の床には、立ってこちらを見上げている白いもふもふのかたまり──たんこぶの治療が終わったアヒルちゃんがいた。

 私は入れてきた三人分の湯気立つお茶をサイドテーブルに置いて、吸血鬼ってお茶は飲めるのかしら? と思いつつ「どうぞ」とすすめる。

 確か吸血鬼は人間と同じ食事はできないはず。
 セオドア様はこちらへ顔を向けて一礼すると、また窓辺へ視線を戻してしまった。
 カテーンのわずかな隙間からこぼれている日差しに目をやって、淡白な反応。それにお茶に手をつけないところを見ると、やっぱりお茶はダメなのかも……。そう思っていたら、何やら足元にモフッと柔らかい感触が……

「……ん?」

 いつの間にか私の足元にやって来ていたアヒルちゃんが、私の足に羽毛をモフッとうずめるようにくっつけて、ジーっとつぶらな瞳でこちらを見上げている。

「忘れちゃイヤ」と言わんばかりのつぶらな瞳。催促さいそくに応じて、お茶と一緒に持ってきたアヒルちゃんのオヤツ──ミルクビスケットを細かく割ったものを与えると、アヒルちゃんは尾っぽをちぎれんばかりにふりふりさせて、「ぐわっ」とお礼を言ってから食べ始めた。実に礼儀正しいアヒルである。

 私がおびのお野菜、キュウリとキャベツをアヒルちゃんに振る舞った後、
 セオドア様の問診が始まる前に、念のため、アヒルちゃんのたんこぶの治療を院長先生にお願いしたのはつい一時間前のこと。
 いったいその丸い体のどこに? と不思議になるくらいの食欲だ。丸さが増しているわけでもないのに……可愛いままでうらやましい。

 そうして改めて、お茶とオヤツをくばり終えて空になったトレーを体の前にかかえ直すと、私は椅子に座ってお茶を飲んでいる院長先生の隣に立った。何気なにげにセオドア様とこうから対面しないよう、気持ち半歩ほど下がりながら。

「ええ、どうやらフォンベッシュバルト公は記憶を喪失しているようですね。それもあるのは人であった頃の記憶だけのようです」
「人間のときの記憶……」
「体は吸血鬼ですが、心は人間に戻ってしまっている。ということです」

 なるほど、それでさっきの展開に……
 だからかと納得した。セオドア様は目を覚ましたとき、私に「君は誰?」と聞いてきた。
 つまり私は、記憶喪失の相手になぐさめられ、心配されていたということだ。申し訳なさすぎる事実に衝撃を受ける。どうりでセオドア様の口数が少なかったわけだ。
 それもどうやら、最後に人間だったときの年齢──十八歳まで記憶が戻ってしまっているらしく、今のセオドア・フォンベッシュバルト公は心と体の年齢が一致していることになる。
 更には院長先生の話だと、今の彼はまだ、爵位を継ぐ前・・・・・・……なのだそうだ。
 若き日の、爵位を授爵じゅしゃくする以前の、正真正銘しょうしんしょうめい身も心も青年のセオドア様と対面するとは、何とも不思議な気分だ。

 今の彼には何のしがらみもない。
 そして何より、かつてないほど自由な彼が、よりにもよって同い年! まさかそこまでさかのぼられてしまうとは……これは「良かったですね。同年代ですよ」と院長先生が茶化ちゃかしそうなところだ。

「フォンベッシュバルト公、彼女が先程お話しした、孤児院の門前で倒れていた貴方あなたを助けた娘のエリカです」

 窓辺を眺めているセオドア様に、院長先生から突然紹介されて、ギョッとする。
 そうだった。院長先生とアヒルちゃんは問診していたときに名乗ったようだけど、私はアヒルちゃんのたんこぶの治療を院長先生にお願いした後、お茶をれに行っていた。問診中、ずっと席をはずしていたので、私の自己紹介はまだでした。
 とはいえ、この雰囲気は不味まずい気がする……

「院長先生、私のことはそれ以上、説明する必要はな……」
「──エリカは貴方の義妹ですよ」
「っ!」

「義妹」という単語が出てしまった瞬間、しまった! と思った。セオドア様に記憶がないのは想定外で、院長先生に今回の件を事前説明してくれた副院長先生とも、全然打ち合わせをしていない部分だったと青くなる。
 でもそこは、今まで通り基準値未満で家族外の、通りすがりの証人Aとか町娘その一とか、モブキャラ扱い当然に紹介してほしかった。なのにまさかのド直球で義妹ですってっ!?
 私は自分が聖女になってしまったことばかりに、捕らわれ過ぎていたようだ。

「院長先生……」

 ──失礼します。
 一言断りを入れて、私は椅子に座っている院長先生を部屋のすみっこへと連れ出した。

『どおしてそんなっ一番言ってはいけない、み嫌われることを言うんですかっ!』(小声)
『大丈夫ですよ、義妹と名乗っても。記憶が戻れば記憶喪失だったときの記憶は消えてしまうそうなので。今あの方に必要なのは安全だと認識できる相手です』(小声)
『っ!』

 それってまるで、信頼できる家族、みたいな……
 困った。院長先生、それって私の地雷です。平和ボケした村娘Aみたいにしていたかったけれど、この話に関してはそうボケていられなかった。
 だってあり得ないことだ。この場にリアードがいたら、リアードは私が義妹としてセオドア様に関わることをきっと望まない。こうして一緒にいることすら、よくは思わないだろう。そしてそれは、記憶を喪失する以前のセオドア様も同じ考えのはずだった。

『そもそも、こんなふうにコソコソ話をしていても意味はな……』
『──ダメなんです』
『エリカ?』
『院長先生、私は……セオドア様にとってそんな資格のある……上等な人間ではありません……』

 それは私じゃダメなんです。
 自然と体が震えてきて、ぎゅっと両手の平を握る。

『……エリカ、そこまで肩肘かたひじを張らなくても、今のフォンベッシュバルト公なら問題なく貴女あなたを受け入れてくれるように思えるのですが……』

 院長先生の言いたいことは分かる。
 でもそれでは、弱っている相手の弱点を突くことと同じになってしまう。
 長年、家族と認めてもらいたいと思っていた気持ちは確かにある。しかしそれを、記憶を失っている相手の弱味につけこんで、通していいわけがなかった。
 それに距離があるとはいえ、セオドア様がいるこの部屋で話していい内容ではない。聞こえていなくても、泣きそうな顔は見られているかもしれないし、きっといい感じはしないだろう。
 窓辺を引き続き眺めていてください……と、祈りつつ、これ以上この話を続けるなら場所を変える提案をした方がよさそうだ、しかしそう思った矢先やさきだった。

『不安、なのですね』

 気遣う院長先生の声に、私はせがちになっていた顔を上げた。

『ですが今は少しでも近しい人物がそばにいる方が、あの方も安心するでしょう。何しろあの方のご家族がいたのは五百年も前のことですし、ご当主のフォンベッシュバルト公が屋敷を不在の今、リアード様は屋敷を留守にはできません』
『!』

 今のセオドア様には家族がいない……
 そして、人間の記憶しかないのなら、リアードのことも当然覚えていないはずだ。私が断れば、彼は一人ぼっちになってしまう。
 恥ずかしい。私は自分のことばかり考えていた。

『それに近しい相手が傍にいる方が、記憶が戻るのも早まる可能性があります』

 確かに、それでは院長先生も私が傍いるのが一番適任だと言わざるおえないだろう。
 セオドア様を助けた私は、敵ではないとハッキリしている人間で、一応、彼と親類のつながりがある、数少ない人間でもあるのだから。

『……分かりました。セオドア様の記憶が戻るまでなら、私はセオドア様の義妹として振る舞います。……それであの、セオドア様の記憶はいつ頃戻るのでしょうか?』
『残念ですが、それに関してはハッキリしたことは分かりません。明日かもしれないし、一週間後かもしれない、はたまた一年後、もしくは一生ということもありえます。ですが、あの方は吸血鬼ですから、並みの人間よりも早く回復されると思いますよ』
『そうですか……』

 確かにこればかりは運というか、一日も早くセオドア様の記憶が戻るよう、祈る他ないようだ。

『ああそれと、もう一点伝えなければならないことが。もしかしたら貴女のその聖女の力は、……《決死の一撃スーサイドアタック》かもしれません』

 え、今なんと? ちゃんと聞き取れなかった。突然言われた聞き慣れない言葉に目が点になる。

『自滅や自爆とも言われていますね』
『……自爆』

 つまり、院長先生の説明に間違いがなければ、私は──

『そのスクワットアタックで私が死ぬかもしれないということですか?』
『……エリカ、屈伸くっしん運動で人は死にません』

 どうやらその、決死の一撃スーサイドアタックとは決死隊という意味もあるらしい。と、院長先生が改めて説明して下さっている最中さなかにも、屈伸くっしん運動と聞いたアヒルちゃんが、何やら私の足元で「いっちにいっちに」と掛け声が聞こえてきそうなくらい軽やかに、上下運動し始めた。




 アヒルちゃんがプリプリのお尻を振りながら、床で器用に足をたたんだり立ち上がったりするのを尻目しりめに、院長先生が咳払いした。

『こほんっ。もし、先刻の爆発が聖女として覚醒したときの余波で力の片鱗が現れただけと仮定しましょう。そして、力の片鱗だけで孤児院と辺り一帯が吹っ飛んだだけだとしたら……』
『……!』

 しんに発動したとき、その威力はいったいどれほどのものになるのだろうか。

『あくまで仮定の話です。しかし、いいですか? その力が何なのか、ちゃんと確定するまではけして使ってはいけませんよ。でなければ貴女は命を落としてしまうかもしれない』
『使ってはいけない力……』
『今のところはですが。だからこそ、今回の件で貴女が聖女になってしまったことを明かした方がいいと思うのですよ。もちろん、こちらも貴女が嫌がるのを承知で話しています』

 私が動揺に肩を揺らすと、院長先生は苦笑して私の頭にポンと手を置いた。どうやら明かすか明かさないかは、私の意思に任せてくれるようだ。
 問診中、院長先生がセオドア様に伝えたことは、おおやけになっている事柄のみ。つまり今はまだ、セオドア様はご自身の状況を、反政府勢力の襲撃と爆破に巻き込まれたせいで記憶喪失なった。と認識されている。私が聖女になって爆発したせいで孤児院が半壊した……という事実はセオドア様には伝わっていない。

『聖女となり、その力を覚醒することになってしまった引き金──要因はフォンベッシュバルト公にもあるのですから』
『それは……』

 院長先生は今こそセオドア様を義兄として頼れと言っているのだ。
 昔は対立していた教会と吸血鬼も、今の時代では異種族間での交流が進み、その関係は大分だいぶ緩和してきている。とはいえ、犬猿の仲であることに変わりはないし、何より古くから聖女と吸血鬼は仇敵きゅうてきの間柄。その時点でとても明かすこと何てできない。
 それに、人間の記憶しかないセオドア様に吸血鬼の自覚がなくても、吸血鬼と仇敵きゅうてきの間柄である聖女が義妹だということに疑念を抱かないわけがなかった。

 そもそも聖女の力が一度しか使えない自爆能力だ何て、おそらくこれは教会からも必要とされていない力だろう。役立たずの聖女として放置してもらえるならまだしも、むしろ危険視されて一生教会から出してもらえない予感すらある。

 教会に奉仕者ギルティとして入信して、人の役に立ちながら生きていくことは、リアードを失ってからやっと見つけた未来だった。
 けれど聖女としても基準を満たせていない私にはきっともう……そんな穏やかな未来は、残されていないのだろう。

 そして、こんな面倒な義妹のことで病み上がりのセオドア様を悩ませる訳にはいかなかった。
 いつ記憶が戻るかも分からないし、今のセオドア様に負担をかけるようなことはしたくない。余計な混乱を招くようなことはしない方がいいだろう。
 何より私はセオドア様に引き取られていない。私は本当の家族ではないのだ。

 これからどうすればいいかを、一緒に悩んでもらうなんて……そんなことは贅沢ぜいたくだわ……。

 必要のない情報私のことをわざわざ話すべきではない。これは私一人の問題なのだから。

『すみません……院長先生、それでも私は黙っていようと思います。聖女になってしまったことは私の……私だけの問題です。セオドア様には関係ありません』

 いくらセオドア様が記憶を失なって私に優しいからって、そこはちゃんと線引きしておかないと……。おおやけに触れていることだけ彼に告げてくれればいい。どう転んでも私たちは本当の家族にはなれないのだから。偽物にせもので固められた関係の、今の私たちに真実は必要なかった。

 ……村娘Aの格好に着替え直しててよかった。じゃないと一発で、私が聖職者を目指していたこともセオドア様にバレていただろうし……

 ふと、下を見る。私の足元で変わらず屈伸くっしん運動を続けているアヒルちゃん……どうやらたんこぶの方はすっかりいいらしい。つぶらな黒いおめめがキラキラしている──を向けられて、こんな時なのに癒されてほんわかしてしまう。ガンバローと私は小さく拳を握った。

 うん。きっと私は大丈夫だ。
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