思いがけず聖女になってしまったので、吸血鬼の義兄には黙っていようと思います

薄影メガネ

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本編

26 ご自宅訪問

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 馬車にられること数時間が経過した。辺りはすっかり暗く、セオドア様が日傘ひがさを差さずに外を自由に歩き回れる時間帯に差し掛かったとき、大きくて立派な門が見えてきた。
 到着するとすぐに開門されて、馬車は屋敷の中へと進んでいく。長い中庭を数分走って、ようやく抜けた先に見えてきたのは……

「あれって、まさか……」

 扉の左右にともされた松明たいまつの炎。その光に照らされたタコの銅像が三体。大きなタコと小さなタコが仲良さそうに並んでいる。
 うち二体はおそらく夫婦タコとおぼしき銅像。そして残る小さな一体は子供のタコだろう。さらにその隣には布でおおわれた、制作中の銅像が二体。おそらく新しいタコの銅像と思われる。

「タコ! ということは、ここは……」
「小屋にいるのはもう安全ではないからな。ここはうちの屋敷だ」
「スピアリング卿の!?」

 R十八指定恋愛小説「愛と蹂躙じゅうりん其方そなた」に出てくるタコの銅像を、この目でおがめる日が来るとは…………感動でうっすら目元に涙が浮かんでくる。が、
 スピアリング卿には溺愛できあいする奥様がいる。身重みおもでこれから双子の出産も近いというのに……

「あの、私たちを受け入れて本当によろしいのですか……? 危険では……」

 問いかけに、私の向かいに座ってるスピアリング卿があからさまに顔をしかめた。

「……確かに、妻の出産が近いこともあるが、何より……」
「何より?」
「あまり時間が掛かると、あの人のことだから心配して直接こちらに出向いてくる、くらいのことはやりかねない。と思うと気が気じゃない」

 スピアリング卿が気難しそうに腕を組んだ。

「あの人……とはいったいどなたの事で…?」
「俺の妻だ」

 奥様が乗り込んでくる……──え、妊婦がっ!? それも双子のっ!? 

「それは、気がかりですね……」
「ああ、そうなんだ」
「「…………」」

 はかない乙女とはいったい……どうやら小説と違い、スピアリング卿もユイリー様も実際とは少し違うようだ。

 やっぱりスピアリング卿は苦労性な方らしい。しかしそのわりに、性格はさばさばしていて好感が持てる。根が真面目まじめな方なのだろう。一時期はプレイボーイの名をほしいままにしていたと、聞いたことがあるけれど……どうやら奥様には頭が上がらないらしい。

「そもそも今は他の場所にいられるよりも、俺の屋敷にいた方が安全だ。何といってもローツェルルツの民の半数が、シンフォルースへ向かって押し寄せて来ているからな」
「半数!?」

 私とセオドア様が小屋で隠れている間に、シンフォルースの情勢じょうせいは急激に変わっていたようだ。

「国境付近で多発している小競こぜいといい、ローツェルルツの民の大移動といい、タイミングがかさなりすぎている」
「誰かが裏で糸を引いている。ということですか?」
首謀者しゅぼうしゃを見つけないことにはらちが明かない。だから陛下自らが動かれたのだ。崩壊した国との外交というのもおかしな話ではあるが、致し方ないだろう」

 私は気持ちを落ち着かせるため、私の膝上ひざうえでお腹を上にグースカいびきをかいて寝ているアヒルちゃんのお腹ポンポンでる。ふわふわだ。

「捕らえていたオーガの内の一人が話した。国が崩壊したらシンフォルースへ向かえと、元ローツェルルツの王族である俺を受け入れた国だ。お前たちも受け入れてくれるだろうと、国王自らが逝去せいきょする前に、民にそううながしたそうだ。そして押し寄せて来ているほとんどの民が、シンフォルースへの滞在を望む事態となっている」

 ローツェルルツの民はシンフォルースの人口のおよそ三倍。そのほとんどが奴隷出身で、民と言うより浮浪者ふろうしゃに近い。
 その半数が押し寄せているだなんて……そんな無茶苦茶な……
 背筋にゾッと悪寒おかんが走った。

「……あ、でもそんな最中さなかにイヴリン王女が獄中死ごくちゅうししたと聞いたら……」
「裏切られたと思って民はいきどおるだろうな。その怒りはシンフォルースではなく、まずローツェルルツと遺恨いこんのある俺たち家族に向かうだろう」
「スピアリング卿とユイリー様が狙われるということですか……それって逆恨さかうらみじゃないですか!」
「それが民意というものだ。元ローツェルルツの王族である俺の屋敷は一番ねらわれやすい。だからこそ、陛下が自らの兵をいて派遣されたのだ」
「国王直属の近衛兵団このえへいだん……では先程男たちを捕らえたのは、本物のお城の兵士なのですね?」

 懐妊かいにん中のユイリー様とお子様の命が危ない。それが分かっているからこそ、スピアリング卿は私たちもまとめて受け入れたのだ。
 ねらわれている者を分散するよりは、一か所にまとめた方が守りやすい。もちろんそれは敵も同じ。ねらいやすく、けれど落としがたい牙城がじょうというわけだ。
 シンフォルースの民と同等、もしくはそれ以上の人数の敵が徘徊はいかいする町中に身を隠すのは、もはや良策りょうさくではない。木を隠すなら森という時期はとうに過ぎてしまっていた。

「その通り。だから心配するな。貴女あなたはここで守られていればいい──ああ、着いたな」

 馬車が止まり、ドアが開かれる。まず先にスピアリング卿が下りた。私は相変あいかわらず膝上ひざうえで爆睡しているアヒルちゃんを片手に抱え直す。
 エスコートするようにスピアリング卿から差し出された手に手を重ねて下りる。それからスピアリング卿に「あのっ」と、耳打ちする。

「スピアリング卿、以前おっしゃっていた通り、いたしましたが、その……」

 書簡は男たちに取られてしまったから、体の関係を持ってもセオドア様の記憶が戻らなかったことは、スピアリング卿に伝わっていない。念の為コソッと「セオドア様の記憶は戻っておりません」とお耳に入れたところ……
 
「ああ、それか……百%とは言っていないからな」
「っ!」

 ニヤッと悪ガキみたいな笑顔をされて気付いた。この方……もしかして最初から効果を期待していなかったの!?
 いで下りて来たセオドア様に聞かれてしまうと、急ぎ口を閉ざしたら、今度はセオドア様におやおやという顔をされてしまった。

「彼女をからかって遊ぶのはよしてくださいスピアリング卿」
「それは貴方あなたがいつまでもエリカ嬢に本当のことを告げないから、こうややこしくなっているんだろう」

 俺のせいではないと返すスピアリング卿に、私は首をかしげる。

「本当の事?」
「吸血鬼の聴力をめない方がいいという話だ」
「それはいったい……セオドア様?」

 スピアリング卿が楽しそうな顔で、私の胸元で爆睡中のアヒルちゃんを引き取った。

「少し二人で話した方がいい。俺はアヒルとすみにでもひかえている」

 ──と、言葉通り。スピアリング卿は扉の前のゆるやかな階段に座って、のんびりとくつろぎ始めてしまった。アヒルちゃんのお腹をでているところを見ると、どうやらスピアリング卿もモフモフは嫌いではないらしい。

「エリカ……」
「は、はい!」

 肩をビクリとさせてセオドア様を振り返ると、セオドア様が私の腰に腕を回して、引き寄せた。優しくほほでられる。けれど何故だろう。酷く緊張するのは。
 ここは開かれた景色が続くお屋敷の扉の前。私にはあまりにも場違いな場所にいるから、緊張するのはきっとそのせいだわ……と、無理矢理納得する。──が、

「嘘を付くつもりはありませんでした」
「セオドア様が私に嘘を……?」

 いつの間に? と、目をパチクリさせる。全く身に覚えがないからだ。そもそも嘘とはどのような? セオドア様をそんな調子でジッと見つめたら、少しひるんだように、セオドア様が目をせがちにした。

「僕は最初から君が聖女だという事も、全て知っていたのです」
「全部、ご存じだった……?」
「吸血鬼の聴力は人間のそれをはるかにしのぎますから、扉を何枚かへだてたところで聞こえてしまうのです」
「私の内緒話ないしょばなしは全て、筒抜つつぬけだった……ということでしょうか?」
「はい」

 あっさりコクリとうなずかれて、最初にいたのは──

「エリカ!?」
 
 シュゥゥゥゥゥと顔がタコで状態になって、セオドア様の腕から抜け出す。あまりの恥ずかしさに、この場から逃げ出すはずが……しかし私はそのまま地面にへたり込んでしまった。

「大丈夫ですか?」

 セオドア様が珍しく慌てている。衣服が汚れるのも構わず地面にひざをついて、心配そうに私の様子をうかがっている。

「どうして、教えて下さらなかったのです……?」

 こそこそ院長先生と会話していたときのことも、スピアリング卿と聖女の体を使ってセオドア様の記憶を取り戻そうとしていたことも。セオドア様には全て筒抜つつぬけ……。それも最初から……なのに私は、必死に隠そうとしていたなんて……!
 顔を真っ赤に涙目で聞く私に、セオドア様は本当に心底困った顔で答えた。

「すみません、いつお話ししようかと思ってはいたのですが……」

 確かに目が覚めてぐ。だしから、聞いてはいけないことを止める間もなく聞かされてしまったのだ。タイミングも何もあったものではなかっただろう。
 それも院長先生と会話をしていたあの時……

『そもそも、こんなふうにコソコソ話をしていても意味はな……』

 と、院長先生が話途中だったのに、私がそのまま会話を突っ切りしゃべってしまったのだった。院長先生は教えてくれようとしていたのに……
 それにセオドア様だって、何も知らないと思っている私に恥をかかせまいと言えなかったのだろうし……
 申し訳なさ過ぎて穴があったら入りたい。なければ自分専用の穴を掘り起こしたい。今すぐに。

「私がセオドア様と体の関係を持ったのは……その……」

 記憶を取り戻すためだなんて、動機が不純だと分かっていて、どうしてセオドア様は私を抱いて下さったのだろうか。

「動機が何であっても、僕は君をそれで手に入れることができた。喜びこそすれ、責めることなどありえませんが」

 当然とセオドア様が答えた。
 うるんだ瞳で見つめていると徐々に互いの距離が近付いて……そして…………

 ──バタバタバタバタバタバタ

 突然の羽音。が聞こえてきた。と思ったら、私の視界をさえぎるように、まっちろいフワフワの球体が出現。
 それも一度じゃない。一か~い、二か~い、三か~いと、反復運動するように、下から上へ羽音を立てながら、その球体は地面と私の眼前までを行き来している。
 これは……この丸くて白くて究極に可愛いフォルムは……見間違えようがない。アヒルちゃんのお尻……アヒルちゃんのお尻が宙に浮いている……スゴい……アヒルって空飛べたんだ……!

 バタバタバタバタバタバタ

 驚きから段々と感心へ変わっていく、流石さすがアヒルちゃん……! 自力で飛ぶなんてすごい! これは沢山めなくては…………──ハッ!?
 じゃなくて、これはいったい何事っ!? アヒルちゃんっ!? 

 さっきまでスピアリング卿のおひざで爆睡していたはずなのに……どうやらアヒルちゃんは、主人の危機──恥ずかしいの極地きょくち。で腰を抜かしてしまったのを感じとって、起きてしまったらしい。

 それにしても……アヒルは飛べない鳥なのだ。なのになぜ、私は宙を上下するアヒルちゃんのお尻をドアップで見ているのだろうか? しかし疑問はすぐにけた。
 アヒルちゃんは水掻きのついた足で地面を蹴りあげ、その勢いで飛べない翼を広げて、私とセオドア様の間を懸命けんめいにバタバタと飛び上がっていたのだ。力業で。

 きっとスピアリング卿との訓練で、脚力きゃくりょくが増したお陰だろう。
「なんてストロングなおみ足なんでしょう……!」と、見る人みんなが絶賛ぜっさんして、普段ならめるところだけれど。もちろん私はそこまで空気を読めない人間ではない。
 まっちろいお尻が宙に浮いている。きっとこれは、緊張している私を助けるためにやってくれているのだ。──が、私から見える部分がお尻ということは、すなわち、アヒルちゃんの顔はセオドア様に向けられているわけで……

 アヒルちゃんはいったいどんな顔をセオドア様に向けているんだろう……と不安がよぎる。奇跡の飛翔ひしょうにはしゃいでいる場合じゃなかった。

「──さて、話がまとまったところで、そろそろ行くか。晩餐ばんさんの前に部屋を用意させるから、それまでくつろいでいるといい」

 スピアリング卿の一声で、アヒルちゃんは飛ぶのを止めた。満足そうに私の足元で「ぐわっ」と一吠ひとぼえする。
 え、今のでまとまったのですか……? アヒルちゃんのお尻で?
 超ドアップのアヒルちゃんのお顔を拝見はいけんしたセオドア様が、どんな表情をしたか知りたい。けれど、それよりも何よりも、私……スピアリング卿のいる前でキスしようとしていたの!?

 恥ずかしいに歯止めが掛からない。
 晩餐ばんさんにウキウキステップなアヒルちゃんと違い、あまりの事態にまごついていると、今度は別方向から不意打ちが来た。──バアンッと、勢いよく扉がき、

「あなたお帰りなさい!」

 物凄い勢いで屋敷の中から走って来る、女人にょにんが一人……お腹の大きいあの方は………………──妊婦っ!?

「ユイリー走るな! 危ないっ!」
「きゃっ!」
「ユイリー!」

 階段の上でけたその人を、泡を食ったスピアリング卿がすんでのところで抱き上げた。
 救われて、お姫様抱っこされている女性──「愛と蹂躙じゅうりん其方そなた」のヒロインで主人公ユイリー・ケープハルト・ラ・フェリシテ・フィリスティアその人だった。
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