乙女ゲーム世界で少女は大人になります

薄影メガネ

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第四章~大人扱編~

098 あれから……

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 ――あれから2年の月日が流れて、
 フェルディナンは50代一歩手前の49歳、イリヤは36歳になり、
 そしてわたしは元の世界で言う処の成人を迎え、20歳になりました。
 やっぱりフェルディナン達の方が随分と年上だなぁと感じることはしばしばあるものの、この世界の人達の寿命は驚くほど長く。その寿命は150年から200年と、それでもまだまだ全然若い方らしい。
 だから二人の姿は今も変わらず。2年の月日が流れた今でも、周りの人達も同様にそうあまり変わりなく、当たり前のように何時いつもの日常が続いている。そんな変わらない世界に安堵あんどして、何時までもこの時が続いてほしい。そう思えるくらいの平和で幸せな日々の中で、わたしは周りの皆に比べて大分変わったように思える。
 何故ならわたしは……

「まーまっ!」
「は~い、なあに? 一縷いちるちゃん?」

 わたしは無事に女の子を産んでママになりました。
 自室のバルコニーに置かれているゆらゆら揺れるロッキングチェアに腰掛けて、ぽかぽかと暖かな日差しを感じながら、自分の腕の中にいるその存在にゆっくりと視線を落とす。腕の中で小さくもぞもぞと動いて落ち着かない様子でこちらを見上げている娘のおでこにおどこを合わせると、キャッキャと喜んでくっついてきた。 
 のんびりとした陽気がただよう午後。娘を産んだ当初は色々と大変なことばかりで余裕などちっとも持てなかったけれど。だいぶ落ち着いてきた今は、このゆったりした時間が流れるバルコニーで紅茶を飲みながら娘と過ごせるこの時間を、何よりも大切に愛おしく感じている。のだが……

「あのさ、ちょっと気になってたんだけど。一縷いちる随分ずいぶんとぷくぷくしてないか?」

 そう、くまでイリヤというお目付役兼、過保護な保護者が国政もほったらかして常にわたし達のそばにいるので娘と二人っきりということはまずない。そして周りの皆も、特にフェルディナンはそんなイリヤの行動を気にもしていない、というよりもむしろ容認してさえいるような気がする。
 そんなにわたしと娘が二人きりだと危なっかしくうつるのだろうか? 心外だとブツブツ心の中で文句を垂れながら、娘とくっつき合って遊んでいるわたしの直ぐ横で、興味津々にイリヤが顔を近づけてきた。

「そう? ちっちゃい子って皆こんな感じみたいよ? 言うなればお肉の塊?」 
「肉って……それにしても、詰まってる感がすごいな……」

 わたし達の隣に立ち、ちょっとだけ遠慮しがちに一縷の腕をふにふにんでいるイリヤのおっかなびっくりな様子に笑いながら、わたしは我が子の顔をのぞき込んだ。
 瞳は混じりけのない透き通るような紫色。パッチリおめめで睫毛まつげがくりんくりんに長い。この辺りはもうフェルディナンの血が色濃くでているような気がする。そして将来は絶世の美女になる予感がするくらいハッキリとした、とても綺麗な整った顔立ちをしていて。髪の色は黒だけど日本人の黒髪にしては色が薄く、何だか中性的ではかなげなとても綺麗な色をしている。

「一縷ちゃんてやっぱり……」
「やっぱり?」
「やっぱり、ものすごく、カワイィ~! キャー!」
「キャーって……」
 
 あきれたようなイリヤの声。そして……

「キャー!」
「こっちもか……」

 わたしが叫ぶと最近では一縷も一緒になって叫んでくれるようになった。それも笑顔全開で大喜びしてくれる。可愛いのでもう一度、やる。叫ぶ。可愛い。のでもう一度。を、繰り返していたら頼むからやめてくれと片耳をうるさそうに押さえたイリヤが眉根まゆねひそめて止めに入るのが最近の日常になっている。
 
「はいはい、楽しく意思疎通しているのはいいんだけどね。ちょっと抑えてくれない? 耳がキーンてなる」
「そうなの? じゃあもう一度……」
「……何でそうなるんだよ」
「本当に一縷ちゃんはフェルディナンに似て美人さんよね~。わたしに似なくて良かった!」

 本心でそう言ったのに何故だかイリヤは複雑な顔をしてわたしと娘を交互に見た。

「……いや、どう見ても一縷は月瑠似だろう」
「イリヤ何言ってるの? 一縷ちゃんどう見てもフェルディナンにそっくりじゃない」
「顔立ちの問題じゃないんだよ。言動が月瑠にそっくりだって気付かないのか? だからバートランドもレインもフェルディナンも、普段は口出さないシャノンまで二人っきりにするの心配してるんだけど」
「えっ? でもちっちゃい子って皆こんな感じでしょ? わたしに似てる何て今まで一度も思ったこともないんだけど」

 そう聞き返すと、イリヤは小さくため息を付いて黙り込んでしまった。そうしてすっかり諦めモードでいるイリヤを尻目に。そういえばわたしの本当のお父さんはイリヤだということが判明したのだから、わたしの寿命も少しは向こうの世界の人達より長いのかなぁ? なんてことを考えていたら、また良からぬたくらみがポンッと浮かんでしまった。
 
「あ……」
「なに? どうしたの?」

 一度こう呼んでみたかった。

「パパ」
「…………」

 真顔でイリヤの顔を見ながら言うのはシリアスになりすぎていけない。なので悪戯いたずらっ子がするようなニヤリとした意地の悪い顔で、それに満面の笑みを浮かべて呼んでみた。
 そしてイリヤはというと。その単語を聞いた途端にピクッと身体が痙攣けいれんしたような反応をみせた。

「パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、パパ、パパ」
「あーうーあーうーあーうーあーうー」

 パパと言えない娘も必死になって私の口調に合わせてうなり声を上げている。イリヤから期待通りの反応が得られて満足したけれど、面白いのでそのまま娘の手を持って交互にふりながら、二人でそう呼び続けていたらイリヤがとうとう根をあげた。

「だぁっ! もうそれやめろってばっ!」

 日記を読み終えたわたしは、それからしばらくして、結局皆に全部打ち明けることにした。イリヤがわたしの父親であることも、卯佐美うさみ結良ゆらが本物の天嵜あまさき月瑠つきるでわたしのお母さんだということも。全て。
 何故その決断にいたったかというと、あれから何度、神様を呼んでも。もう二度とその姿を見せてくれることはなかったからだ……

「それに本当の父親と混同こんどうするだろうが! 間違ってもフェルディナンが一縷にそう呼ばれる前に俺が呼ばれたなんてことになったらどうなると思ってるんだよ? 確実に機嫌悪くするぞ?」
「そうよねぇ。やっぱりそう思う?」
「思うに決まってるだろうが!」

 わたしが全てを打ち明けたとき、皆もっと驚くものだとばかり思っていた。けれど、実際の反応はただただ静かで。噛み締めるようにゆっくりとその事実を受け入れてくれた。本当の処は皆、何となく分かっていたのかもしれない。特にイリヤは本能的にそれを感じ取っていたような気がする。
 イリヤと出会った当初、彼がどこか懐かしむような目でわたしを見ていたのことを思い出す。

 この乙女ゲーム世界に来てから沢山のことがあった。そうして辿たどった道の先にあった真実に戸惑い涙して、辛さを乗り越えてきたことはけして無駄じゃなかった。だってそれを知った今も皆は以前と変わらない態度でわたしに接してくれる。大切に大事にしてくれるのが分かるから、だからわたしは安心して子供を産むことが出来た。
 そして、わたしが実の娘であることが分かっても、イリヤは何も言わずその話にはそれ以上触れようとはしなかった。
 イリヤがどうしたいのか。わたしとどのような関係でありたいのか。イリヤは相変わらず何も言ってはくれないけれど。今もわたしの大切なお兄ちゃんでお母さんみたいな存在として隣にいてくれて、えず見守ってくれている。だからもうそれだけで十分だった。

「イリヤがパパって呼ばれたらそんなに不味いの? わたしのことはママって呼んでくれるようになったし、もうすぐパパって言えるようになると思うの。だからもしかしたらもうそろそろ……」
「ぱー」
「……えっ?」
 
 さっきまでイリヤをからかって冗談交じりにくすくす笑っていたのに、それを聞いた瞬間、わたしの顔から笑顔が消えたのは言うまでもない。

「ぱぁー」
「まさか……言うなよ? 頼むから……」

 イリヤがものすご~く深刻な顔をして一縷を見た。それまで穏やかな空気が流れていたバルコニーが、一気に不穏な空気に包まれる。

「ちょっ、ちょっとまったぁ! まってぇっ! 一縷ちゃん! それ以上は言っちゃダメ~っ!」
「ぱ~~~~~~」
「キャー! のばさないで――っ!」

 冗談のつもりだったのに。本気でヤバイ単語を吐き出そうとその可愛らしい口を開いている娘は、何だかとっても楽しそうだ。
 冗談を現実にしてくれようとしている。いや、本当にそれは現実にしなくていいんだけど。頼むから止めてちょうだい。お願い。こんなことが娘大好きなあの人にバレたら恐ろしいから。そう思っていたのに――

「ぱーぁ?」
「「…………」」

 確かに今、一縷はイリヤの顔を見ながら言った。
 パパって言った。言っちゃった。ちょい疑問形入ってたけど。確かに……いや、違う。辛うじて言えてない。うん、言ってないことにしよう。じゃないとやっぱり後が不味い、というか怖い。
 悪戯いたずらでやってみただけだったのに。まさか本当にそんなことになるとは思ってもおりませんでした。ごめんなさい。許して下さい。悪気はちょっとだけあったけど、そんなつもりじゃなかったの。
 今ここにいない夫に心の中で深く深く反省して謝りながら、とりあえずちゃんとしたことを教えなくてはと、わたしは気を取り直した。そうして再び娘に視線を戻すと不思議そうな顔をしてジーッと見られていた。

「まーまっ?」

 どうやら、一縷は急に黙り込んでしまったわたしとイリヤの反応が気になったらしい。

「あのね? パパはそう呼ばれるのイヤなんだって」
「月瑠、そうじゃないだろ?」
「えっ? あっ……!」
 
 うわぁっと、違った。イリヤはわたしのパパであって一縷のパパじゃない。またやってしまったと思ってイリヤにそろそろと視線を移すと、苦笑してこちらを見ていた。
 イリヤの血のように赤い瞳が優しい色に染まっている。日の光に反射して輝く長い銀髪も、整った綺麗な顔立ちも、スラリとした肢体も。その全てが優しい何かで出来ているわたしの大切な人。

「あーうー?」

 一縷がわたしの頬をその小さな手でぺしぺし叩いた。また黙り込んでしまったわたしの様子が気になったようだ。人のことをよく見ている。とても賢い子だ。いったい誰に似たんだろう? きっとフェルディナンの血を色濃く継いでいる。わたしよりもよっぽど頭の回転が速そうだ。

「一縷ちゃん、イリヤはね、パパじゃなくてイリヤって呼んでほしいんだって」
「いーにゃ? いーにゃんにゃぁ?」

 一縷は獣人化してないのに何故か妙に猫っぽい話し方をする。ここら辺はわたしの影響だろうか。まさかとは思うが、一縷がまだお腹にいるときに獣酢じゅうすを飲んだりしたから? 尻尾とか耳とか生えてきたらどうしよう……きっとものすごく可愛いけど。と、実はちょっと心配していたりする。

「そうイリヤがいいんだって」
「いーにゃ? ……いーにゃ! いーにゃ! いーにゃんにゃぁ~!」

 わたしの腕の中で盛大せいだいにもり上がっている一縷の頭をでながら、クスクス笑ってイリヤを振り返る。

「あらまぁ、どうやら気に入ったみたいよ? イリヤの名前」
「……妙に猫っぽい名前だな。俺の名前はそんなだったか?」
「ま、まあまあ。まだ舌が追いつかないのよ。そのうちちゃんとイリヤって呼べるようになるから。ねー! 一縷ちゃん?」
「にゃーにゃ!」
「あ、あら? 一縷ちゃん? それは猫の鳴き方で、イリヤの名前じゃないのよ?」
 
 これは本格的に獣酢じゅうすの影響がありそうな気がしてきた。困ってわたわたと一縷にイリヤの名前をもう一度教えていたら、焦っているわたしとは正反対のとても穏やかな声が部屋の方から聞こえてきた。

「――楽しそうにしているところを中断させて申し訳ないが、そろそろ日が暮れるぞ? 中に入ったらどうだ?」

 これでもかというくらいの整った美貌びぼうに、これまた鮮やかな微笑びしょうを浮かべた夫が部屋の中から顔を出した。どうやら少し前に戻って来たようなのに。その気配すら感じなかったのはわたしが焦っていたせいなのか。フェルディナンがわざと気配を消して入ってきたのか。どちらにしてもわたしは素知らぬふりをしてまず一番優先させるべきことを娘に教えることにした。

「フェルディナン! お帰りなさい! ほ~らっ一縷ちゃんパパですよ~」

 あっちが本物! っと娘の耳元でコソッとつぶやいて顔をそっちに向けさせる。

「にゃ?」

 不思議そうな顔をしてジーッとフェルディナンの顔を見ている娘に、夫が静かな足取りで近づくのをわたしは一枚の絵画でも見ているような心境で眺めていた。だってこの二人、何処どこからどう見ても絵になるくらい綺麗なのだ。モブのママは仲間外れです。と、シクシク思いながらもやっぱり綺麗な二人から目が離せない。どうしても目で追ってしまうのは、二人のことを深く愛しているから。

一縷いちる、ただいま」
 
 そう言ってわたしの膝上にチョコンと座っていた一縷をフェルディナンが抱き上げた。そうして夫に抱き上げられた後も暫く、一縷は明るい紫色のまん丸おめめを見開いて、観察するようにフェルディナンの顔を見つめている。対するフェルディナンも始終優しい顔で一縷を見つめていると思ったら。

「キャ~~~~~~~~~~~~ッ!」

 歓喜の悲鳴? を上げて娘がパパに思いっきりひっついた。

「ほんっと一縷ちゃんパパ大好きなんだから……」

 ママはちょっとうらやましいです。だってわたし、あんなに喜んで娘から抱きつかれたことないもの。ハンカチがあったら口にくわえてキーッと嫉妬に駆られた乙女の演技でもしてしまいそうなくらい羨ましい。
 対するフェルディナンもまんざらでもない様子でよしよしと一縷の背中を撫でているし。二人が幸せそうで何よりです、はい。そう傍観していたらフェルディナンが空いた片方の手を差し出してきた。

「月瑠? 部屋に戻るぞ?」
「…………」
「どうした?」

 フェルディナンは娘を片手で抱き上げたまま膝を折り、返事のないわたしと目線を合わせた。そうして再度伸ばされた手で頬を撫でられる。嫉妬で曇っていた視界に入り込んできたフェルディナンの端正な顔立ち。紫混じった青い瞳の穏やかさが息をむくらいに美しいのは何時いつものことだが。毎度毎度その瞳を向けられるとわたしは弱いのだ。

「何でもないもの」

 ちょっとだけむくれた顔をして、それから娘同様、フェルディナンにガバッと抱きついた。すると、それまで黙っていたイリヤが「本当に親子共々フェルディナン大好きなところとかそっくりだよなぁ……」そうボソッと呆れたようにつぶやいたのが聞こえた。
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