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第三章~新妻扱編~
083 古びた日記
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男の人を小悪魔的やり方で落とす方法を学んでから数日――
私はイリヤと二人で自室のソファーにのんびり座りながらボーッと過ごしていた。
「ツェザーリ様も帰っちゃったし、フェルディナンは急な用事で出かけちゃっていないし……とっても退屈なんだけど」
「そうだね。でも大人しくしてろって言われたんだから月瑠は待ってないと駄目だよ?」
「うん、分かってる。でもイリヤを置いていったってことは、つまりフェルディナンはわたしのこと信用していないってことよね?」
「まあ、そういうことだよね」
仕方ないじゃん? と、当然のように返された。
「月瑠が暴走するのは何時もの事だけど、今はお腹に子供がいるんだからさ。月瑠の突拍子もない行動に慣れているとはいえ、フェルディナンが心配して俺を置いていくのは当然の処置だよね」
ううっと私は言葉を詰まらせた。こうも正論で返されては文句の付けようがない。確かにまだ3ヶ月とはいえ今までのようにあまり無茶な行動をしてはいけないと言われるのは当然だし。自分一人の身体ではないのだからと口を酸っぱくしてフェルディナンには注意されている。
「で、でもわたしちょっとは気分転換したいなぁと思ったり……」
「だーめだよ?」
「う~」
「唸ってもだ~め! 月瑠がいくら可愛くても俺はそう簡単に懐柔されないからね?」
「イリヤ! だってすごく暇で暇で暇で暇で……」
「あのさ、何時まで暇って言い続けるつもり?」
「ここから出してくれるまでずっと?」
「……だから駄目だってば」
イリヤが呆れたようにソファーから身を起こす。肩肘を背もたれに付いてこちらをジッと見つめてくる。
「えっと、どうしたの?」
「監視してるだけだよ」
「監視って言うよりも何だか観察されているみたいなんだけど?」
「そうとも言うね。月瑠って小動物みたいにちょこまか動いて何だか見てるだけでも楽しいし」
「…………」
どうやらイリヤは私を見てこの暇な状況を少しは楽しんでいるらしい。何だかずるいなぁと思いながらも私はソファーにめり込むくらい深く腰掛けてまた同じ事を口にした。
「どうしようイリヤとっても退屈なんだけど……」
「月瑠、それは俺も同じだよ。月瑠を見ている以外にやる事もないしね……」
「わたしがこのまま退屈で死んじゃったらフェルディナンのせいだよね?」
「あ~まあそうなるのかな」
「ねえ、いまどうでもいいって思って適当な返事を返さなかった?」
同じソファーの上で不審の目を向けてくる私の頭をイリヤは面倒見の良いお兄さんのような顔をしてポンポンと叩いた。返答を返す気も無いらしい。どうやらイリヤも相当に暇を持て余しているようだった。
「……暇だな」
「外、出たいね……」
「そうだよな……」
「「…………」」
二人してはぁっと溜息を付いてから再び沈黙を繰り返していると、コンコンというノックの音がしてその開いた扉の先から待ち望んでいた人物が現れた。
「あっ! フェルディナン~!」
「月瑠っ! 走るなってば! 危ないだろ!」
嬉しくてついソファーを飛び下りてイリヤの制止も振り切り駆け寄ると、フェルディナンが困ったように眉根を寄せて表情だけで「走るな」と軽く注意しながら私をふわっとその強靱な両腕で抱き上げた。
「おかえりなさい!」
「大人しくしていたか?」
「うんっ! ちゃんと大人しくしてた」
「イリヤに迷惑は掛けなかったか?」
「……えっとね。迷惑はかけてないよ?」
迷惑は掛けていない。それは嘘じゃない。
「駄々はこねたけどね? 外出たいって」
イリヤにバラされて思わずキュ~と目を瞑ってしまった。猫みたいに耳が生えていたらきっと垂れている。両耳とも。何を言われるんだろう? と少ししてから怖々目を開けるとフェルディナンは笑って私を見ていた。
「えっとぉ~怒らないの?」
「君がそう言うのは予想していた。それにイリヤが許可しないのは当然だからな。別に怒る程のことでもない。本当に無断で外出したのならそれなりの対応は必要だと思うが」
「それなりの対応?」
はて? それはどのような? と怖いもの知らずで聞き返しても、フェルディナンはふっと余裕のある笑みを浮かべるばかりでそれについては詳しく答えてくれなかった。
「それにしても急な用事って? 何があったの?」
「ああ、それについてだが……」
フェルディナンが後方へ僅かに顔を向けて呼びかける。
「例の物をここへ」
「はい、陛下」
それに答えて室内に入ってきた人物は本当に久しぶりに見る顔だった。
入ってきたその人に私は心底驚かされて思わずポカンと口を開けてしまう。
「……ライル、さん?」
「お久しぶりですね。月瑠様」
姿を現したのは栗色の髪にエメラルドのような緑の瞳、そして全体的に色素の薄い女性のような顔立ちをした美男子、ライル・エーベルハルトだった。
*******
『女の子を産まないと帰れない!?~乙女ゲームの世界に転移しちゃいました~』略してプレイヤーの間では「のをない」(女の子を産まないと帰れないの略)と呼ばれている乙女ゲーム。
男しか存在していない完全な逆ハーレム世界で18禁のエロゲー。
この世界に出てくる攻略対象キャラの内の一人、ライル・エーベルハルトとは前回会った時から一年以上が経過していた。
ライルは普段、王宮の図書館で司書をして静かに暮らしているのだが。その実態は王宮への反逆行為を持つ者の監視役であり、あらゆる組織に忍び込みその内情を暴き出す腕利きの密偵でもある。
確か以前会った時は灰色の外套を着ていたが、今回は王宮の図書館司書らしく長くゆったりとした白いローブを纏っている。その高価な白いローブには細かな金の刺繍が施されていて、一見すると僧侶や神に仕える司祭といった洋装のそれは王宮の図書館司書の制服でもある。
ライルの身長は私と同じ160㎝位で男性にしては少し低め。その上童顔で小柄な体付きと少し低めの身長から信じられないくらい外見年齢が若い美少年キャラでもあった。
そして今、もうすっかり忘れていたその人物が目の前にして。それも御年39歳で18歳の私とは21歳差なのに何故か同年代の若者にも見える男性が、久方ぶりにとても穏やかな表情で私を見ているのだから驚くなと言う方が無理がある。
「……お、お久しぶりです。ライルさん……一年ぶり、以上ですよね?」
「ええ、月瑠様もご存知のとおり私の本職は陛下の手足となること。月瑠様の近くにもいたのですがこちらから姿を見せることはまずありませんので」
フェルディナンの手足となり国内の情勢を探っているライルには図書館にでも行かない限り滅多に会うことがない。
それにしてもだ、今ここにそのライルがいる意味が分からない。思わず私を抱き上げているフェルディナンに目線を向けるとフェルディナンは小さく頷いた。
「ライルは月瑠に渡す物があってここへきた」
「渡す物?」
それって何だろう? それが何なのか全く思いつかなくてもう一度ライルを振り返る。すると、彼は懐から一冊の古びた本を取り出した。それを静かに差し出されて受け取っていいものかと迷って、何度も差し出されたライルの手と本の辺りを視線が行き来してしまう。
「……えっと、あの……ライルさんがわたしに? これを?」
「ええ、本当はもっと早くにお渡し出来れば良かったのですが、月瑠様はその、ここ数ヶ月いろいろとお忙しい状況でしたので」
ライルの言葉を聞いて私は思わず笑ってしまった。確かにここ数ヶ月はツェザーリの来訪から始まって獣人化やら妊娠やら元婚約者問題やら等々で色々と忙しかった。それをライルは気遣って随分と丁寧にオブラートに包んでくれたようだ。
「コホンッ、えっとそのー……この本は? 何なんでしょうか?」
「きっと、この本を解読出来るのも、理解出来るのも月瑠様以外にはいない。そう判断しての陛下の配慮です」
「フェルディナンの……?」
言っている事が分からない。フェルディナンを振り返り探るような目で見つめると、不安を表した私の背中を撫でながら私の代わりにフェルディナンがライルから本を受け取った。
「君に隠していたところで、いずれは探し出されてしまいそうだからな。興味を持つのは必然だと考えて決断したことだ」
「あのっもしかして急な用事ってこの本のことだったの?」
何も言わずにコクリと頷くとフェルディナンは改めてその古びた本を私に差し出してきた。そして今度こそ古びた本を受け取ると、何だかとても怖い物を手にしたような気持ちになって表情が暗くなってしまう。すると、慰めるようにフェルディナンが私を抱き寄せて頬や額に口づけてきた。
「フェルディナン……?」
「不安ならまだそれを開けなくてもいい。急ぐことでもないからな」
だいぶ年季の入ったその本は薄汚れている。タイトルが書かれていない表紙が白紙の本は小説といった類いの物ではなく。誰かの日記のようだった。
「……日記なのかな? どこでこれを?」
「これはライルが見つけたものだ」
「ライルさんが……?」
「はい、陛下のおっしゃるとおり。私は副業として王宮の図書館司書の役柄に付いていますので、この日記を見つけたのも私が王宮の図書館で本の陳列を行っていた時なのですが……たまたま本棚の間に落ちていたものを拾ったのですが。念のため内容を確認したところ、どうやら別の世界の文字が綴られているようなのです」
「別の世界の文字……?」
私は何となく気味の悪いような何とも言えない不快な感覚に襲われた。
「多分ですが、これは月瑠様のいた世界の文字ではありませんか?」
そう言われて私は思わず古びた日記を開いた。そしてパラパラと捲って中身を確認して愕然とする。
「……っ!? これって……!」
日記の中に書かれていた文字は、確かにこの乙女ゲーム世界には存在しない文字。
懐かしい日本の文字だった――
*******
私は古びた日記に書かれている文字を見て、少しの間放心していた。そして混乱する頭で私は必死に考えを巡らせた。
この乙女ゲームの世界では主流となる言語は元の世界と異なっている。私がこの世界の言葉を理解出来るのは、神様がこの世界に転移させるときに分かるように力を使ってくれたからだ。
この世界で書かれている文字は日本語ではなく魔術師が使用する魔術文字のような形をしていて。それを私が読み書き出来るようになったのはお妃様教育の賜物であり自力での習得となる。
つまり、この古びた日記に書かれている日本の文字を読み書きできるのは、私か他に日本から転移してきた異邦人しかいないという事になる。
そうして一人で考え込んでいた私に、ライルは古びた日記に視線を落として静かに考察を語った。
「しかしどうにも1つ不可解なことがあるのです」
「不可解なことですか? それってこの日記が図書館にあったことでしょうか?」
「はい、それもありますが。……私は普段から館内の隅々まで目を配っています。そのような異物があれば直ぐに気が付きそうなものなのですが、今のこのタイミングで何故それが出てきたのか。それが不可解でならないのです」
「このタイミング……わたしが妊娠したタイミングでってこと、ですか?」
「多分この日記の内容を記した人物は月瑠さんの前に来ていた異邦人の内の誰かだと思われます」
「わたしの、前……」
思いつく人物は一人だけ。
――卯佐美結良。
同じ日本人でこの世界に転移してきた人物を私は彼女しか知らない――そして多分、生前の結良と共に同じ時を過ごした事のあるフェルディナンやイリヤも私と同じことを思った筈だ。
「すみません、私にはどの異邦人かは分かりかねます。ですがこの日記は貴方が持っていた方が良いような気がしたのです。それで本日、陛下とのお話し合いの末、伺ったというわけなんです」
どの異邦人なのか私に心当たりがあると知らないライルは、申し訳なさそうに緑の瞳を細めて心配そうに私を見ている。
「そう、ですか……」
話の展開についていけなくて呆然としている私を抱き上げたまま、フェルディナンがそっと私の頬に触れて額をコツンと合わせてきた。瞳を優しく覗き込まれると。縋りたいくらいに不安な気持ちが抑え切れなくて少しだけ目に涙が滲んでしまう。
「それは落ち着いてから読めばいい。無理はするな」
分かったな? と再度念押しされて私は何とか小さな声で返事を返した。
「……うん」
どうしようもない不安に胸が締め付けられるような感覚を覚えて。私はフェルディナンの胸元に身体を預けながら、古びた日記を抱え込むようにギュッと握り締めていた。
私はイリヤと二人で自室のソファーにのんびり座りながらボーッと過ごしていた。
「ツェザーリ様も帰っちゃったし、フェルディナンは急な用事で出かけちゃっていないし……とっても退屈なんだけど」
「そうだね。でも大人しくしてろって言われたんだから月瑠は待ってないと駄目だよ?」
「うん、分かってる。でもイリヤを置いていったってことは、つまりフェルディナンはわたしのこと信用していないってことよね?」
「まあ、そういうことだよね」
仕方ないじゃん? と、当然のように返された。
「月瑠が暴走するのは何時もの事だけど、今はお腹に子供がいるんだからさ。月瑠の突拍子もない行動に慣れているとはいえ、フェルディナンが心配して俺を置いていくのは当然の処置だよね」
ううっと私は言葉を詰まらせた。こうも正論で返されては文句の付けようがない。確かにまだ3ヶ月とはいえ今までのようにあまり無茶な行動をしてはいけないと言われるのは当然だし。自分一人の身体ではないのだからと口を酸っぱくしてフェルディナンには注意されている。
「で、でもわたしちょっとは気分転換したいなぁと思ったり……」
「だーめだよ?」
「う~」
「唸ってもだ~め! 月瑠がいくら可愛くても俺はそう簡単に懐柔されないからね?」
「イリヤ! だってすごく暇で暇で暇で暇で……」
「あのさ、何時まで暇って言い続けるつもり?」
「ここから出してくれるまでずっと?」
「……だから駄目だってば」
イリヤが呆れたようにソファーから身を起こす。肩肘を背もたれに付いてこちらをジッと見つめてくる。
「えっと、どうしたの?」
「監視してるだけだよ」
「監視って言うよりも何だか観察されているみたいなんだけど?」
「そうとも言うね。月瑠って小動物みたいにちょこまか動いて何だか見てるだけでも楽しいし」
「…………」
どうやらイリヤは私を見てこの暇な状況を少しは楽しんでいるらしい。何だかずるいなぁと思いながらも私はソファーにめり込むくらい深く腰掛けてまた同じ事を口にした。
「どうしようイリヤとっても退屈なんだけど……」
「月瑠、それは俺も同じだよ。月瑠を見ている以外にやる事もないしね……」
「わたしがこのまま退屈で死んじゃったらフェルディナンのせいだよね?」
「あ~まあそうなるのかな」
「ねえ、いまどうでもいいって思って適当な返事を返さなかった?」
同じソファーの上で不審の目を向けてくる私の頭をイリヤは面倒見の良いお兄さんのような顔をしてポンポンと叩いた。返答を返す気も無いらしい。どうやらイリヤも相当に暇を持て余しているようだった。
「……暇だな」
「外、出たいね……」
「そうだよな……」
「「…………」」
二人してはぁっと溜息を付いてから再び沈黙を繰り返していると、コンコンというノックの音がしてその開いた扉の先から待ち望んでいた人物が現れた。
「あっ! フェルディナン~!」
「月瑠っ! 走るなってば! 危ないだろ!」
嬉しくてついソファーを飛び下りてイリヤの制止も振り切り駆け寄ると、フェルディナンが困ったように眉根を寄せて表情だけで「走るな」と軽く注意しながら私をふわっとその強靱な両腕で抱き上げた。
「おかえりなさい!」
「大人しくしていたか?」
「うんっ! ちゃんと大人しくしてた」
「イリヤに迷惑は掛けなかったか?」
「……えっとね。迷惑はかけてないよ?」
迷惑は掛けていない。それは嘘じゃない。
「駄々はこねたけどね? 外出たいって」
イリヤにバラされて思わずキュ~と目を瞑ってしまった。猫みたいに耳が生えていたらきっと垂れている。両耳とも。何を言われるんだろう? と少ししてから怖々目を開けるとフェルディナンは笑って私を見ていた。
「えっとぉ~怒らないの?」
「君がそう言うのは予想していた。それにイリヤが許可しないのは当然だからな。別に怒る程のことでもない。本当に無断で外出したのならそれなりの対応は必要だと思うが」
「それなりの対応?」
はて? それはどのような? と怖いもの知らずで聞き返しても、フェルディナンはふっと余裕のある笑みを浮かべるばかりでそれについては詳しく答えてくれなかった。
「それにしても急な用事って? 何があったの?」
「ああ、それについてだが……」
フェルディナンが後方へ僅かに顔を向けて呼びかける。
「例の物をここへ」
「はい、陛下」
それに答えて室内に入ってきた人物は本当に久しぶりに見る顔だった。
入ってきたその人に私は心底驚かされて思わずポカンと口を開けてしまう。
「……ライル、さん?」
「お久しぶりですね。月瑠様」
姿を現したのは栗色の髪にエメラルドのような緑の瞳、そして全体的に色素の薄い女性のような顔立ちをした美男子、ライル・エーベルハルトだった。
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『女の子を産まないと帰れない!?~乙女ゲームの世界に転移しちゃいました~』略してプレイヤーの間では「のをない」(女の子を産まないと帰れないの略)と呼ばれている乙女ゲーム。
男しか存在していない完全な逆ハーレム世界で18禁のエロゲー。
この世界に出てくる攻略対象キャラの内の一人、ライル・エーベルハルトとは前回会った時から一年以上が経過していた。
ライルは普段、王宮の図書館で司書をして静かに暮らしているのだが。その実態は王宮への反逆行為を持つ者の監視役であり、あらゆる組織に忍び込みその内情を暴き出す腕利きの密偵でもある。
確か以前会った時は灰色の外套を着ていたが、今回は王宮の図書館司書らしく長くゆったりとした白いローブを纏っている。その高価な白いローブには細かな金の刺繍が施されていて、一見すると僧侶や神に仕える司祭といった洋装のそれは王宮の図書館司書の制服でもある。
ライルの身長は私と同じ160㎝位で男性にしては少し低め。その上童顔で小柄な体付きと少し低めの身長から信じられないくらい外見年齢が若い美少年キャラでもあった。
そして今、もうすっかり忘れていたその人物が目の前にして。それも御年39歳で18歳の私とは21歳差なのに何故か同年代の若者にも見える男性が、久方ぶりにとても穏やかな表情で私を見ているのだから驚くなと言う方が無理がある。
「……お、お久しぶりです。ライルさん……一年ぶり、以上ですよね?」
「ええ、月瑠様もご存知のとおり私の本職は陛下の手足となること。月瑠様の近くにもいたのですがこちらから姿を見せることはまずありませんので」
フェルディナンの手足となり国内の情勢を探っているライルには図書館にでも行かない限り滅多に会うことがない。
それにしてもだ、今ここにそのライルがいる意味が分からない。思わず私を抱き上げているフェルディナンに目線を向けるとフェルディナンは小さく頷いた。
「ライルは月瑠に渡す物があってここへきた」
「渡す物?」
それって何だろう? それが何なのか全く思いつかなくてもう一度ライルを振り返る。すると、彼は懐から一冊の古びた本を取り出した。それを静かに差し出されて受け取っていいものかと迷って、何度も差し出されたライルの手と本の辺りを視線が行き来してしまう。
「……えっと、あの……ライルさんがわたしに? これを?」
「ええ、本当はもっと早くにお渡し出来れば良かったのですが、月瑠様はその、ここ数ヶ月いろいろとお忙しい状況でしたので」
ライルの言葉を聞いて私は思わず笑ってしまった。確かにここ数ヶ月はツェザーリの来訪から始まって獣人化やら妊娠やら元婚約者問題やら等々で色々と忙しかった。それをライルは気遣って随分と丁寧にオブラートに包んでくれたようだ。
「コホンッ、えっとそのー……この本は? 何なんでしょうか?」
「きっと、この本を解読出来るのも、理解出来るのも月瑠様以外にはいない。そう判断しての陛下の配慮です」
「フェルディナンの……?」
言っている事が分からない。フェルディナンを振り返り探るような目で見つめると、不安を表した私の背中を撫でながら私の代わりにフェルディナンがライルから本を受け取った。
「君に隠していたところで、いずれは探し出されてしまいそうだからな。興味を持つのは必然だと考えて決断したことだ」
「あのっもしかして急な用事ってこの本のことだったの?」
何も言わずにコクリと頷くとフェルディナンは改めてその古びた本を私に差し出してきた。そして今度こそ古びた本を受け取ると、何だかとても怖い物を手にしたような気持ちになって表情が暗くなってしまう。すると、慰めるようにフェルディナンが私を抱き寄せて頬や額に口づけてきた。
「フェルディナン……?」
「不安ならまだそれを開けなくてもいい。急ぐことでもないからな」
だいぶ年季の入ったその本は薄汚れている。タイトルが書かれていない表紙が白紙の本は小説といった類いの物ではなく。誰かの日記のようだった。
「……日記なのかな? どこでこれを?」
「これはライルが見つけたものだ」
「ライルさんが……?」
「はい、陛下のおっしゃるとおり。私は副業として王宮の図書館司書の役柄に付いていますので、この日記を見つけたのも私が王宮の図書館で本の陳列を行っていた時なのですが……たまたま本棚の間に落ちていたものを拾ったのですが。念のため内容を確認したところ、どうやら別の世界の文字が綴られているようなのです」
「別の世界の文字……?」
私は何となく気味の悪いような何とも言えない不快な感覚に襲われた。
「多分ですが、これは月瑠様のいた世界の文字ではありませんか?」
そう言われて私は思わず古びた日記を開いた。そしてパラパラと捲って中身を確認して愕然とする。
「……っ!? これって……!」
日記の中に書かれていた文字は、確かにこの乙女ゲーム世界には存在しない文字。
懐かしい日本の文字だった――
*******
私は古びた日記に書かれている文字を見て、少しの間放心していた。そして混乱する頭で私は必死に考えを巡らせた。
この乙女ゲームの世界では主流となる言語は元の世界と異なっている。私がこの世界の言葉を理解出来るのは、神様がこの世界に転移させるときに分かるように力を使ってくれたからだ。
この世界で書かれている文字は日本語ではなく魔術師が使用する魔術文字のような形をしていて。それを私が読み書き出来るようになったのはお妃様教育の賜物であり自力での習得となる。
つまり、この古びた日記に書かれている日本の文字を読み書きできるのは、私か他に日本から転移してきた異邦人しかいないという事になる。
そうして一人で考え込んでいた私に、ライルは古びた日記に視線を落として静かに考察を語った。
「しかしどうにも1つ不可解なことがあるのです」
「不可解なことですか? それってこの日記が図書館にあったことでしょうか?」
「はい、それもありますが。……私は普段から館内の隅々まで目を配っています。そのような異物があれば直ぐに気が付きそうなものなのですが、今のこのタイミングで何故それが出てきたのか。それが不可解でならないのです」
「このタイミング……わたしが妊娠したタイミングでってこと、ですか?」
「多分この日記の内容を記した人物は月瑠さんの前に来ていた異邦人の内の誰かだと思われます」
「わたしの、前……」
思いつく人物は一人だけ。
――卯佐美結良。
同じ日本人でこの世界に転移してきた人物を私は彼女しか知らない――そして多分、生前の結良と共に同じ時を過ごした事のあるフェルディナンやイリヤも私と同じことを思った筈だ。
「すみません、私にはどの異邦人かは分かりかねます。ですがこの日記は貴方が持っていた方が良いような気がしたのです。それで本日、陛下とのお話し合いの末、伺ったというわけなんです」
どの異邦人なのか私に心当たりがあると知らないライルは、申し訳なさそうに緑の瞳を細めて心配そうに私を見ている。
「そう、ですか……」
話の展開についていけなくて呆然としている私を抱き上げたまま、フェルディナンがそっと私の頬に触れて額をコツンと合わせてきた。瞳を優しく覗き込まれると。縋りたいくらいに不安な気持ちが抑え切れなくて少しだけ目に涙が滲んでしまう。
「それは落ち着いてから読めばいい。無理はするな」
分かったな? と再度念押しされて私は何とか小さな声で返事を返した。
「……うん」
どうしようもない不安に胸が締め付けられるような感覚を覚えて。私はフェルディナンの胸元に身体を預けながら、古びた日記を抱え込むようにギュッと握り締めていた。
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