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第三章~新妻扱編~
061 貴方はわたしのもの
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……こいびと? こいびとって、なに? エレン様がフェルディナンの元恋人で婚約者? それって、つまりは恋人同士のあれこれがあったってことだよね?
それも有名になるくらいにラブラブだったってことっ!?
私を膝上に抱き締めて王座に鎮座しているフェルディナンを振り返りその顔をジーッと見つめること数分。根負けしたフェルディナンが気まずそうな面持ちで口を開いた。何時も余裕があるフェルディナンにしては珍しいことだ。だからこそ余計に信じられなくなる。
「君は何か勘違いをしているから、言っておくが……」
「いいえ陛下。これ以上、陛下とツェザーリ様とのお話し合いにお邪魔する訳にはいきませんもの。わたくしは自室へ退室いたしますから、陛下はごゆっくり会談なさってくださいな」
微笑を浮かべて自室に退室すると言いながら私はかなり怒っていた。というか嫉妬で心の中は大いに荒れていた。ムーと顔を顰めそうになるけれど辛うじて王妃の仮面を被り。ニッコリと微笑んで。それからもうこの場に用はないと、あからさまにプイッと横を向いて視線を外す。
膝上から下ろして欲しいという私からの催促にフェルディナンは応えず。目線を合わせようとしない私の顎に手を当ててクイッと顔を上向かせた。
「……私としては君をこのまま野放しにするのはあまり気が進まないんだが」
野に放たれた野生動物が二度と人の元へ帰ってこないことを恐れるようにフェルディナンは私を抱く手に力を入れた。そうして暗に牽制してくるけれど。私はお構いなしにツンッとその牽制を遠ざけた。
「まあ陛下。お疑いになられますの? わたくしは陛下とツェザーリ様の会合のお邪魔をしたくないだけですわ。それにエレン様とは積もる話も沢山お有りになるようですし? わたくしのことはどうか気にせずごゆっくりお話なさって下さいませ」
「君が怒っているように見えるのは私の気のせいか?」
「いやですわ陛下。わたくしまったく怒ってなどおりません」
「怒っているだろう……」
「怒ってなどおりません。そのように見えたのでしたら謝罪致しますがそれは陛下の気のせいですわ」
「…………」
棘のある言葉を遠慮無く吐き続ける私にフェルディナンは大きな溜息を付いて、それから声を落としてツェザーリの方へ面倒臭そうな顔で告げた。
「すまないが少し席を外す」
「はい。……あの、寧ろ私から月瑠様にご説明申し上げた方がよろしいのではないでしょうか?」
「その心配は無用だ。彼女には私から説明する」
「畏まりました。それではこちらはこちらでのんびりと過ごさせて頂きますので我々のことは気にならさないで下さい」
「悪いな……」
「いえ、元はと言えば私達が招いた事態のようなので」
苦笑しているツェザーリにあとは目だけで意思を疎通させると。フェルディナンは有無を言わせず私をスッと抱き上げた。まるで軽い荷物でも持っているような感覚なのだろうか? 少しも持っているものの重さを感じさせない流れるような動きに私は反応するのが遅れてしまった。
抵抗する間もなく、あっという間の出来事だったものだから私は余計必死になって制止の声を上げてしまった。それもいとも容易く私の”逃亡する”という選択肢を潰しに掛かる徹底ぶりには正直感心すら覚える。
「陛下っ!? 下ろして下さい!」
「それは聞けない」
「陛下っ! わたくしは一人で部屋に戻ります! 陛下はエレン様とゆっくりお話でもなさっていればよろしいでしょう? 安心して下さいお邪魔なことは一切いたしませんからっ!」
「月瑠、これ以上訳の分からないことを言うつもりならその唇を塞いだまま部屋まで戻るぞ?」
「陛下!」
「これ以上君の話は聞かない」
「イヤです! 下ろして下さい~!」
どうしてもフェルディナンのペースを崩すことが出来ない。フェルディナンの忠告も無視してジタバタとその腕の中で暴れる私を軽々と押さえ込みながら、フェルディナンは悠々とした足取りで王座を離れて行く。そして王座の間を出る扉の前でふと足を止めて振り返った。
「レイン、後は任せたぞ?」
「はい陛下。ツェザーリ様とエレン様のことは私共に任せて下さい。ツェザーリ様のおっしゃるとおり、こちらのことはお気になさらず。ご緩りと月瑠様とお過ごし下さい。夫婦喧嘩は犬も食わないといいますから」
フェルディナンの視線の先で後方に控えていたレインとイリヤが苦笑してこちらを見ている。ツェザーリとエレンが申し訳なさそうに表情を曇らせて、でも何処か興味深げに私達を見送っている姿を確認すると、いよいよ腹の虫が治まらなくなってしまう。
私はフェルディナンの腕の中から一瞬、嫉妬の衝動に駆られてフーッと威嚇にも似た表情でエレンを見返してしまった。そしてそれの意図するところに気付いたのか。エレンはハッとしたような顔をしてそれから何故かとても温かい眼差しを向けられて。私は思わずえっ? と、首を傾げてしまう。そんな複雑な心境を抱えたまま、私はフェルディナンに無理矢理抱き上げられて王座の間を後することになった。
*******
そうして部屋に着いたら着いたで修羅場のような展開が発生していた。フェルディナンの腕に抱き上げられている状態で私はジタバタと暴れ回った。部屋に戻るといっても私とフェルディナンは寝室を共にしている。だから互いの陣地に戻った瞬間、私達は完全に素に戻っていた。
「大人しくしていなさい。そうしないと優しく出来ない」
「優しくなんてしなくて結構です!」
「月瑠!」
「フェルディナンなんて嫌い――っ!」
「こらっ、暴れるな」
「イヤっ! フェルディナンなんて嫌いだもの! 下ろしてくれないと本当に大っ嫌いになるから――っ!」
「そうか。俺を嫌いになるというのならそれ相応の覚悟が出来ているんだろうな?」
「か、かくご?」
「君が逃げないように檻に入れる。生涯出さないぞ?」
「おりっ!? なにソレっ!? フェルディナンのバカっ! そんなことされたら絶対に脱走するっ! それで他の人と駆け落ちでも何でもして見返してやるんだからっ!」
「駆け落ちだと? どんな見返し方なんだそれは。だいたいそんな相手が何処にいる?」
「これから作るの~っ!」
「ふざけたことを言うなっっ!!! そんなことを俺が許す筈ないだろうがっ!」
「なによっ! ふざけてないもの! 本気だもの! フェルディナンこそ檻に入れるなんて酷いこという方が悪いんでしょ!」
夫婦喧嘩は犬も食わないというけれど。それは確かだ。最近の私達は喧嘩する時は今まで以上に遠慮がなくなっていた。それもお互いに言い合いしながらヒートアップするのは何時もの事だった。だから分かる。雷鳴が轟いたと思うくらいに激しい言葉はフェルディナンが動揺している証。本気で怒っていると言うよりも不意を突かれすぎて困っている感情の裏返しだと。
フェルディナンは私が本気で怒っている時も、それと同等に単に怒っているだけという事は殆どない。咄嗟には対処できないくらいの突拍子もない展開にたじろいでいるだけで。だから結局どんなに酷い喧嘩でも最後にはフェルディナンの方が頭の中で幾分か冷静な分、大人の対応でだいたい先にフェルディナンが折れることが多い。
「君はどうしてそうなんだ……」
「全部フェルディナンのせいでしょ!」
「俺のせいなのか……?」
「フェルディナンが他に恋人なんて作るから悪いのよ!」
言っていることが滅茶苦茶だ。それは分かっていてもどうにも抑えられなかった。モテる伴侶を持つことがこんなに辛いとは想像以上だ。
「あれは婚約者という立場上の問題で……」
「婚約者兼、恋人なんてさらに悪いじゃないの!」
「月瑠少しは話を聞いて……」
「やだっ! そんなことよりもとにかくわたしを下ろして~!」
「……分かった」
フェルディナンはやっと私をベッドの上に下ろした。私とフェルディナンが共に使用する広々としたベッドは二人で寝てもまだ余裕でスペースが余るくらいに大きい。その大きなベッドの上に下ろされてから直ぐに感情の赴くまま私はフェルディナンに怒りをぶつけた。でもってベッドに置かれた複数の枕をフェルディナンに向かって思いっきり投げつける。
「フェルディナンのバカ――ッ!」
「月瑠っ! 少し落ち着きなさい。こらっ! 枕を投げるなっ」
ボカスカと遠慮無く枕を投げまくる私の手を最終的にはフェルディナンが掴んで止めた。止められたといってもそこまでフェルディナンの手には力が入っていない。だから今度は手に持っていた枕を使って直接フェルディナンをサンドバッグにしてボフボフ叩いた。そうして小さな攻撃を繰り返していたら、頭上からはぁっと大きな溜息が聞こえてきた。
「月瑠、落ち着いて話を聞きなさい」
大人しくサンドバッグになりながら、私の攻撃を片手で止めているフェルディナンの余裕っぷりが見ていて腹立たしい。
「イヤったらイヤッ! フェルディナンの昔の恋人の話なんて聞きたくないもの!」
そう言って私はベッドの上で身体を丸くすると、ガバッと枕を両耳に当てながら聞かぬ存ぜぬを貫き通した。ベッドの上に突っ伏して枕を耳に押し当てながら絶対に聞きません! っと固く意思表示をする。そうして枕を耳に当てていると本当にフェルディナンが何を言っているのか聞こえないから逆にどうしているのか気になってしまうけれど。ここは我慢だと自分に言い聞かす。
そうして暫く我慢比べのような状態が続くかと思っていたら、背中を優しくフェルディナンに抱き締められた。枕を耳に押し当てた格好で後ろからふわっと抱き上げられてその力強く逞しい腕の中にスッポリと収められてしまう。
「え……っ?」
何事? っと振り返り。思わず耳に当てていた枕を取り落とす。背中から抱き締められる形で顔だけをフェルディナンに向けると、フェルディナンは見ているこっちが切なくなるくらいの、色気が漂う切ない表情を浮かべていた。それも心底困った顔で。
どうしてこの人いっつも色っぽいの……?
困ったことにその顔、すごくわたしの好みですごく好きな顔だったりするんだよね……
「あの……どうしてそんな顔してるの?」
「君が全く話を聞いてくれないからだ」
「だって、フェルディナンの恋人の話なんて聞きたくないもの」
「それでは俺は君にどう弁明すればいいんだ?」
「……だってイヤなんだもの。エレン様綺麗だし。フェルディナンと何かあったなんてそんな話聞いたら……」
「何なんだ?」
「フェルディナンこと好きなのは私なのに。それが薄れてしまうような気がしてイヤなの。フェルディナンのこと愛しているのは私なのに。エレン様に取られちゃうみたいでイヤなの。フェルディナンは私のものなのに……!」
フェルディナンの事を自分のものだと思いを吐き出してから。私はシュンッとまた落ち込んで涙ぐみながら口を噤んでしまった。フェルディナンの体温が温かくて気持ち良くて。だから考えている間、少しだけ体重を預けてしまった。フェルディナンは何処も彼処も気持ちいいところしかない。何処を触っても触られても気持ちいいとしか感じないなんて。まるで存在自体が罠みたいな人だと思う。
……フェルディナンってどうして全部気持ちいいんだろう?
そうしていると今度はフェルディナンの身体からふわりと良い香りがしてきて。思わずクンッと鼻を鳴らして匂いを嗅いでみる。
……フェルディナンって良い匂いがする。
男の人なのにどうしてだかフェルディナンからは何時も良い匂いがする。良い匂いと言っても全く女っぽくない。男の人に似合った良い香りで。それを嗅いでいると気持ちが少し落ち着いた。
「月瑠?」
腕の中で静かになった私の様子が気になって、私の背中を優しく摩りながらフェルディナンが私の名前を呼ぶ声すらも心地いいと思ってしまう。相当に重傷だ。それもかなり重度のもの。
――フェルディナンを自分のものだとハッキリとさせるにはどうしたらいいんだろう? フェルディナンがしているような事をすればいいのかな? やっぱり定期的に首筋にキスマーク付けるとか?
抱かれる度に毎回付けられている首筋の赤い痕。途切れることのないそれは私がフェルディナンのものだという印だった。
独占欲がここまで強いとは自分でも予想外だ。フェルディナンを誰にも取られたくない。それが過去の出来事であったとしてもこうも許せなくなるなんて。こんなにも強く嫉妬してしまうなんて思いもしなかったと。そうまで考えて私はぴんっと閃いた。思わずワクワクとフェルディナンへ顔を向ける。
「フェルディナンは私のものだから好きにしていいんだよね?」
「……今度は何を思いついたんだ?」
フェルディナンが不安で額に汗をかくような姿を私は初めてみた。
「フェルディナンのそれにキスマークつける!」
それとは勿論、フェルディナンの身体の中心部にある巨大な一物のことだ。
「……断る。確かその提案については以前にもそう結論が出ている筈だが?」
「じゃあそれに輪っかをつける!」
「駄目だと言っている」
「じゃあ……」
「駄目だ」
「わたしまだ何も言ってない!」
「ろくな事じゃないのは分かりきっているからな」
「聞いてみないとそうとは分からないじゃない!」
「……ならば聞こうか」
どうせろくな事じゃないとフェルディナンが思っていることは確認しなくてもハッキリと見て分かる。そして私も自分がこれから出す提案が、フェルディナンが言うところのろくでもない提案の一つだと言うことを薄々分かってはいた。
「黙って縛られてくれますか?」
「……断る」
「じゃあわたしが何をしても手は出さないで大人しくしていてくれればいいので……」
「断る」
「お願いフェルディナン痛くしないからっ」
「……君は俺に何をするつもりなんだ?」
「私がフェルディナンを縛って抱く!」
「…………」
絶句する人というのを私はこれまで何度も見てきたけれど。今日ほど驚いた顔をされたのは初めてだ。フェルディナンは紫混じった青い瞳を大きく見開いて、口を半ば開きながら呆然とした顔で微動だにせず。時が止まったかのように硬直している。その綺麗な顔を縁取る金の髪が僅かに揺れているのは脈拍が早くなったせいなのか、それとも空気の流れに触れただけなのか。どちらにしろ思考が停止する程の酷い衝撃にフェルディナンは動けないでいる。
あっ、……まずい、よね? 多分。これ、かなり直球すぎた……かな?
フェルディナン少ししてからようやく硬直を解いた。眉間を手で押さえながら静かに口を開く。それも低すぎる程の低音で。
「……俺を抱くだと?」
「う、ん……そうしたいなって、思ったりして……」
覚悟を決めて。おそるおそる頷いたら予想通りの怒号が飛んできた。
「一体どうしたらそういう発想が出てくるんだ君はっっっ!!!」
「きゃんっ!」
「冗談じゃないぞっっ!!」
「ふわぁっ」
私は咄嗟に頭を抱え込んだ。怒られるのを覚悟していたとはいえ。フェルディナンの膝上でそれも後ろから抱き締められている状態での近すぎる場所から発せられた怒号に、フルフル震えながら怒られて身の所在が分からなくなっている子犬のようにキューンと身を縮こませる。私は大慌てで謝った。
「ごっ、ごめんなさい~~~っ!!」
フェルディナンの怒鳴り声はやっぱり他の人と迫力が違う。怒られ慣れているからまだしも。初めて怒鳴られた時は涙が出るくらい相当に怖かった。けれど今では怖いと言うよりもその迫力に押されて身体がビクついてしまうだけで、心情的にはひたすら嵐が過ぎ去るのを待つような心境だ。
つまり迫力に押されて謝罪はしていても。その実まったく反省していないということになる。だからその後も反論することを私は止めない。そしてその事をフェルディナンは嫌と言うほどよく知っていた。何故ならそれがここ最近の夫婦生活に組み込まれている行事のようなものになりつつあったからだ。
口喧嘩や抗論が日常茶飯事のケンカップル(もう結婚しているけど)だと言うことは既にイリヤ含む側近の人達には当たり前のように知れ渡っている。
想像は、していたのよね。……なんだか出会った当初からちょっと噛み合わない感じでお互いに理解できなくて抗論になりかけたり喧嘩したりしてたから。
でもまさかこういう形で夫婦生活に組み込まれるとは思ってもいなかったけど……
「でもね。フェルディナンがわたしのこと抱いて自分のものって印付けてるのに、わたしはフェルディナンのこと自分のものだって印が一つも無いんだもの。おそろいの指輪は一般的なものだし……もっと特別なそういうのやりたかったの! だからちょっとは譲歩してくれても……」
フェルディナンが怒るのも無理はないと今更になって思う部分もある。それはそうだろう。女の身体でフェルディナンを抱くとか言い出した人は多分、私が初めてなのではないだろうか? いくらなんでも御免だ。とフェルディナンが思っているのは明白で。
とはいえ、私も今更引くつもりはなかった。だからフェルディナンの腕をヒシッと掴んで私の意見も聞いて欲しいと訴える。けれどもそれすらもフェルディナンの怒りに触れる劇薬以外の何物でもなかった。
「――それがどうして俺を抱くという発想になるんだっ!」
「だってフェルディナンと同じようなことをしたら少しはフェルディナンがわたしのものになるんじゃないかと思ったんだもの!」
「そもそもどうやって抱くつもりだ? 俺が女体化しているならまだしも男の俺を抱くなどと何のつもりなんだ君は!」
「だからっ! わたしに男の人と同じような事出来ない事くらい分かってるよ! そんなの持ってないし! だから代わりにフェルディナンを縛って動けないようにしてからフェルディナンのそれを刺激して何時間かイカせ続けたりとかしてみれば少しはフェルディナンの心に残るだろうし、いいんじゃないかと思ったの!」
「凄いことを言うな……」
「だってそれフェルディナンが普段わたしにしていることだよ? どうしてわたしがやっちゃいけないの?」
「その可愛い口からそこまで卑猥な言葉が出てくると、正直なところ手加減無しに壊れるまで君を犯して抱き潰してしまおうかと今俺は本気で思ったぞ?」
「ふ、ふだんからそんなに手加減してない癖に!」
「そもそもだ、君が先程提案した内容だが。それは抱くとは言わない」
「そうなの?」
「世間一般では玩ぶと言うんだ」
そう言われた瞬間私の頭に浮かんだのは玩具のぬいぐるみやらお飯事の道具やらで。何とも間抜けな気分になる。
「ちっ、違うよ! 玩ぶつもりなんてないもの。わたしはフェルディナンを愛したいだけで……それに縛ったりとか拘束したりしないとフェルディナン、絶対に耐えきれなくてわたしのこといつも通り抱いちゃうでしょ?」
「当たり前だ」
「ほらやっぱり」
「……なぜそんなに嬉しそうなんだ?」
「だって思った通りだったから」
「…………」
「とにかく、わたしにこれからフェルディナンをだ……」
「断る」
「フェルディナンおねがい! 観念してわたしに身を任せて」
「嫌だ」
「そんなにわたしに触られるのイヤ?」
「違う。そう言う意味じゃない。君に触れられるのを嫌だと思う筈が無いだろう?」
「だったら……」
「断る」
「短時間でもいいの!」
「駄目だ」
「フェルディナン~!」
「…………」
フェルディナンがとうとう聞く耳持たないと黙り込んでしまった。それでもフェルディナンに後ろから抱き締められてベッドの上にいる体勢は変わらず。あれだけ怒っている間もずっと同じ体勢のまま離そうとはしてくれないのだから。フェルディナンも相当に独占欲が強い。というよりももしかして私の逃げ癖を警戒しているだけ? なのかもしれないが。
「させてくれないなら浮気する! フェルディナンと同じように恋人作って婚約する」
「それは解消したといっただろうが。それも25年も前の話だぞ?」
「年数なんて関係ないもの。フェルディナンが他の人のものだったってことでしょ?」
「たとえ過去がそうでも、俺の妻は君しかいない。だからそんなことを気にする必要は……」
「でもこの世界では結婚していても他の人と恋愛するのは自由なんでしょ? 多重結婚しても他の人と恋愛してもそこら辺は個人の見解に任せられているって聞いたよ? わたしも自由にフェルディナン以外の人と恋愛してもダメとはならないよね?」
「…………」
「それが嫌なら抱かせて」
「……月瑠」
「痛くしないから、ね? おねがい」
本気で嫌がっているフェルディナンの顔を見ていると。その可愛さに少しずつ気持ちが軽くなっていく。互いの口調が少しずつ和らいできているのはこの状況に少し飽きてきたからなのか。それとも諦めが付いてきたからなのか。
何にしても怒るのにはエネルギーを酷く使う。少しでも距離を取れればその分心に余裕が出来るだろうし、怒ったまま戦線離脱も出来るだろう。けれどここまで近距離の状態ではそれは叶わないし何より怒り続けることは難しい。
そして私とフェルディナンには残念ながら距離を取っての喧嘩ということが殆どない。捕獲癖がしっかり付いてしまったフェルディナンと逃げ癖の直らない私とでは結論として、毎回何時も近距離でひっついたまま喧嘩をすることになるからだ。
そうして近距離で喧嘩をしている最中に少しだけ優しい気持ちが戻ってくる。私はフェルディナンの腕の中でゆっくりと身体を反転させてフェルディナンの方へと向き直った。
困った顔をして私の行動を見守っているフェルディナンの方へと手を伸ばして綺麗な輪郭にそっと触れてみる。熱っぽい視線を交わしながら、顔を包み込むように優しく触ってそのまま唇にチュッと口づけて軽く舌を差し入れるとフェルディナンは応えてくれた。互いの舌を絡ませながらゆっくりと唇を離す。そうして喧嘩中でもフェルディナンが拒否することなく受け入れてくれたから、今度はその首筋に両腕を回してキュッと抱きついてみたら。そのままベッドに押し倒されてしまった。
「きゃっ、フェルディナン……?」
指と指とを絡ませてフェルディナンは優しさを含んだ眼差しで私を見下ろしている。
「……君はどうしてそう事あるごとに立場が逆のことばかり言うんだ」
「フェルディナンを愛してるから。だから抱きたいの。貴方をわたしのものにさせて?」
「君は本当にどうかしてる……」
「過去の話なら余計にどうにも出来ないもの。愛してるの。フェルディナンが好きなの。だから知りたくないの。でも……いま、貴方はわたしのもの。そう思っていいんだよね?」
「ああ」
「だったらおねがい。わたしの好きにさせて? 一度くらいさせてくれてもいいでしょ?」
「断ると言っているだろう。女を抱くのは男の役割だ。間違っても逆はない」
「……浮気してやるんだからっ!」
「駄目だと言っている。何度聞いても答えは変わらないし、君が浮気をするのを許すつもりはない。それを本気で実行するつもりなら完全に外界から隔離した場所に生涯閉じ込めるぞ?」
「…………」
フェルディナンは冗談ではなく本気で言っていた。そして困った事に、フェルディナンはそれを実行出来る力を持っている。
「月瑠?」
「貴方はわたしのものなのにどうしてダメなの?」
「良い子だから少し聞き分けてくれないか?」
「いやっ」
「そうまで聞き分けようとしないなら。君の身体に直接言うことを聞かせることになるぞ?」
「……フェルディナンなんか嫌い」
ちょっとだけムカッとして何となくプイッと横を向いて視線を外すとフェルディナンが私の服を脱がせ始めた。
「……っ! あっ、やっフェルディナンちょっとまっ……――んっ」
私の制止を無視してフェルディナンが強引に口づけてくる。あっという間に衣服を脱がされて結局、私はこのあと滅茶苦茶フェルディナンに抱かれた。
それも有名になるくらいにラブラブだったってことっ!?
私を膝上に抱き締めて王座に鎮座しているフェルディナンを振り返りその顔をジーッと見つめること数分。根負けしたフェルディナンが気まずそうな面持ちで口を開いた。何時も余裕があるフェルディナンにしては珍しいことだ。だからこそ余計に信じられなくなる。
「君は何か勘違いをしているから、言っておくが……」
「いいえ陛下。これ以上、陛下とツェザーリ様とのお話し合いにお邪魔する訳にはいきませんもの。わたくしは自室へ退室いたしますから、陛下はごゆっくり会談なさってくださいな」
微笑を浮かべて自室に退室すると言いながら私はかなり怒っていた。というか嫉妬で心の中は大いに荒れていた。ムーと顔を顰めそうになるけれど辛うじて王妃の仮面を被り。ニッコリと微笑んで。それからもうこの場に用はないと、あからさまにプイッと横を向いて視線を外す。
膝上から下ろして欲しいという私からの催促にフェルディナンは応えず。目線を合わせようとしない私の顎に手を当ててクイッと顔を上向かせた。
「……私としては君をこのまま野放しにするのはあまり気が進まないんだが」
野に放たれた野生動物が二度と人の元へ帰ってこないことを恐れるようにフェルディナンは私を抱く手に力を入れた。そうして暗に牽制してくるけれど。私はお構いなしにツンッとその牽制を遠ざけた。
「まあ陛下。お疑いになられますの? わたくしは陛下とツェザーリ様の会合のお邪魔をしたくないだけですわ。それにエレン様とは積もる話も沢山お有りになるようですし? わたくしのことはどうか気にせずごゆっくりお話なさって下さいませ」
「君が怒っているように見えるのは私の気のせいか?」
「いやですわ陛下。わたくしまったく怒ってなどおりません」
「怒っているだろう……」
「怒ってなどおりません。そのように見えたのでしたら謝罪致しますがそれは陛下の気のせいですわ」
「…………」
棘のある言葉を遠慮無く吐き続ける私にフェルディナンは大きな溜息を付いて、それから声を落としてツェザーリの方へ面倒臭そうな顔で告げた。
「すまないが少し席を外す」
「はい。……あの、寧ろ私から月瑠様にご説明申し上げた方がよろしいのではないでしょうか?」
「その心配は無用だ。彼女には私から説明する」
「畏まりました。それではこちらはこちらでのんびりと過ごさせて頂きますので我々のことは気にならさないで下さい」
「悪いな……」
「いえ、元はと言えば私達が招いた事態のようなので」
苦笑しているツェザーリにあとは目だけで意思を疎通させると。フェルディナンは有無を言わせず私をスッと抱き上げた。まるで軽い荷物でも持っているような感覚なのだろうか? 少しも持っているものの重さを感じさせない流れるような動きに私は反応するのが遅れてしまった。
抵抗する間もなく、あっという間の出来事だったものだから私は余計必死になって制止の声を上げてしまった。それもいとも容易く私の”逃亡する”という選択肢を潰しに掛かる徹底ぶりには正直感心すら覚える。
「陛下っ!? 下ろして下さい!」
「それは聞けない」
「陛下っ! わたくしは一人で部屋に戻ります! 陛下はエレン様とゆっくりお話でもなさっていればよろしいでしょう? 安心して下さいお邪魔なことは一切いたしませんからっ!」
「月瑠、これ以上訳の分からないことを言うつもりならその唇を塞いだまま部屋まで戻るぞ?」
「陛下!」
「これ以上君の話は聞かない」
「イヤです! 下ろして下さい~!」
どうしてもフェルディナンのペースを崩すことが出来ない。フェルディナンの忠告も無視してジタバタとその腕の中で暴れる私を軽々と押さえ込みながら、フェルディナンは悠々とした足取りで王座を離れて行く。そして王座の間を出る扉の前でふと足を止めて振り返った。
「レイン、後は任せたぞ?」
「はい陛下。ツェザーリ様とエレン様のことは私共に任せて下さい。ツェザーリ様のおっしゃるとおり、こちらのことはお気になさらず。ご緩りと月瑠様とお過ごし下さい。夫婦喧嘩は犬も食わないといいますから」
フェルディナンの視線の先で後方に控えていたレインとイリヤが苦笑してこちらを見ている。ツェザーリとエレンが申し訳なさそうに表情を曇らせて、でも何処か興味深げに私達を見送っている姿を確認すると、いよいよ腹の虫が治まらなくなってしまう。
私はフェルディナンの腕の中から一瞬、嫉妬の衝動に駆られてフーッと威嚇にも似た表情でエレンを見返してしまった。そしてそれの意図するところに気付いたのか。エレンはハッとしたような顔をしてそれから何故かとても温かい眼差しを向けられて。私は思わずえっ? と、首を傾げてしまう。そんな複雑な心境を抱えたまま、私はフェルディナンに無理矢理抱き上げられて王座の間を後することになった。
*******
そうして部屋に着いたら着いたで修羅場のような展開が発生していた。フェルディナンの腕に抱き上げられている状態で私はジタバタと暴れ回った。部屋に戻るといっても私とフェルディナンは寝室を共にしている。だから互いの陣地に戻った瞬間、私達は完全に素に戻っていた。
「大人しくしていなさい。そうしないと優しく出来ない」
「優しくなんてしなくて結構です!」
「月瑠!」
「フェルディナンなんて嫌い――っ!」
「こらっ、暴れるな」
「イヤっ! フェルディナンなんて嫌いだもの! 下ろしてくれないと本当に大っ嫌いになるから――っ!」
「そうか。俺を嫌いになるというのならそれ相応の覚悟が出来ているんだろうな?」
「か、かくご?」
「君が逃げないように檻に入れる。生涯出さないぞ?」
「おりっ!? なにソレっ!? フェルディナンのバカっ! そんなことされたら絶対に脱走するっ! それで他の人と駆け落ちでも何でもして見返してやるんだからっ!」
「駆け落ちだと? どんな見返し方なんだそれは。だいたいそんな相手が何処にいる?」
「これから作るの~っ!」
「ふざけたことを言うなっっ!!! そんなことを俺が許す筈ないだろうがっ!」
「なによっ! ふざけてないもの! 本気だもの! フェルディナンこそ檻に入れるなんて酷いこという方が悪いんでしょ!」
夫婦喧嘩は犬も食わないというけれど。それは確かだ。最近の私達は喧嘩する時は今まで以上に遠慮がなくなっていた。それもお互いに言い合いしながらヒートアップするのは何時もの事だった。だから分かる。雷鳴が轟いたと思うくらいに激しい言葉はフェルディナンが動揺している証。本気で怒っていると言うよりも不意を突かれすぎて困っている感情の裏返しだと。
フェルディナンは私が本気で怒っている時も、それと同等に単に怒っているだけという事は殆どない。咄嗟には対処できないくらいの突拍子もない展開にたじろいでいるだけで。だから結局どんなに酷い喧嘩でも最後にはフェルディナンの方が頭の中で幾分か冷静な分、大人の対応でだいたい先にフェルディナンが折れることが多い。
「君はどうしてそうなんだ……」
「全部フェルディナンのせいでしょ!」
「俺のせいなのか……?」
「フェルディナンが他に恋人なんて作るから悪いのよ!」
言っていることが滅茶苦茶だ。それは分かっていてもどうにも抑えられなかった。モテる伴侶を持つことがこんなに辛いとは想像以上だ。
「あれは婚約者という立場上の問題で……」
「婚約者兼、恋人なんてさらに悪いじゃないの!」
「月瑠少しは話を聞いて……」
「やだっ! そんなことよりもとにかくわたしを下ろして~!」
「……分かった」
フェルディナンはやっと私をベッドの上に下ろした。私とフェルディナンが共に使用する広々としたベッドは二人で寝てもまだ余裕でスペースが余るくらいに大きい。その大きなベッドの上に下ろされてから直ぐに感情の赴くまま私はフェルディナンに怒りをぶつけた。でもってベッドに置かれた複数の枕をフェルディナンに向かって思いっきり投げつける。
「フェルディナンのバカ――ッ!」
「月瑠っ! 少し落ち着きなさい。こらっ! 枕を投げるなっ」
ボカスカと遠慮無く枕を投げまくる私の手を最終的にはフェルディナンが掴んで止めた。止められたといってもそこまでフェルディナンの手には力が入っていない。だから今度は手に持っていた枕を使って直接フェルディナンをサンドバッグにしてボフボフ叩いた。そうして小さな攻撃を繰り返していたら、頭上からはぁっと大きな溜息が聞こえてきた。
「月瑠、落ち着いて話を聞きなさい」
大人しくサンドバッグになりながら、私の攻撃を片手で止めているフェルディナンの余裕っぷりが見ていて腹立たしい。
「イヤったらイヤッ! フェルディナンの昔の恋人の話なんて聞きたくないもの!」
そう言って私はベッドの上で身体を丸くすると、ガバッと枕を両耳に当てながら聞かぬ存ぜぬを貫き通した。ベッドの上に突っ伏して枕を耳に押し当てながら絶対に聞きません! っと固く意思表示をする。そうして枕を耳に当てていると本当にフェルディナンが何を言っているのか聞こえないから逆にどうしているのか気になってしまうけれど。ここは我慢だと自分に言い聞かす。
そうして暫く我慢比べのような状態が続くかと思っていたら、背中を優しくフェルディナンに抱き締められた。枕を耳に押し当てた格好で後ろからふわっと抱き上げられてその力強く逞しい腕の中にスッポリと収められてしまう。
「え……っ?」
何事? っと振り返り。思わず耳に当てていた枕を取り落とす。背中から抱き締められる形で顔だけをフェルディナンに向けると、フェルディナンは見ているこっちが切なくなるくらいの、色気が漂う切ない表情を浮かべていた。それも心底困った顔で。
どうしてこの人いっつも色っぽいの……?
困ったことにその顔、すごくわたしの好みですごく好きな顔だったりするんだよね……
「あの……どうしてそんな顔してるの?」
「君が全く話を聞いてくれないからだ」
「だって、フェルディナンの恋人の話なんて聞きたくないもの」
「それでは俺は君にどう弁明すればいいんだ?」
「……だってイヤなんだもの。エレン様綺麗だし。フェルディナンと何かあったなんてそんな話聞いたら……」
「何なんだ?」
「フェルディナンこと好きなのは私なのに。それが薄れてしまうような気がしてイヤなの。フェルディナンのこと愛しているのは私なのに。エレン様に取られちゃうみたいでイヤなの。フェルディナンは私のものなのに……!」
フェルディナンの事を自分のものだと思いを吐き出してから。私はシュンッとまた落ち込んで涙ぐみながら口を噤んでしまった。フェルディナンの体温が温かくて気持ち良くて。だから考えている間、少しだけ体重を預けてしまった。フェルディナンは何処も彼処も気持ちいいところしかない。何処を触っても触られても気持ちいいとしか感じないなんて。まるで存在自体が罠みたいな人だと思う。
……フェルディナンってどうして全部気持ちいいんだろう?
そうしていると今度はフェルディナンの身体からふわりと良い香りがしてきて。思わずクンッと鼻を鳴らして匂いを嗅いでみる。
……フェルディナンって良い匂いがする。
男の人なのにどうしてだかフェルディナンからは何時も良い匂いがする。良い匂いと言っても全く女っぽくない。男の人に似合った良い香りで。それを嗅いでいると気持ちが少し落ち着いた。
「月瑠?」
腕の中で静かになった私の様子が気になって、私の背中を優しく摩りながらフェルディナンが私の名前を呼ぶ声すらも心地いいと思ってしまう。相当に重傷だ。それもかなり重度のもの。
――フェルディナンを自分のものだとハッキリとさせるにはどうしたらいいんだろう? フェルディナンがしているような事をすればいいのかな? やっぱり定期的に首筋にキスマーク付けるとか?
抱かれる度に毎回付けられている首筋の赤い痕。途切れることのないそれは私がフェルディナンのものだという印だった。
独占欲がここまで強いとは自分でも予想外だ。フェルディナンを誰にも取られたくない。それが過去の出来事であったとしてもこうも許せなくなるなんて。こんなにも強く嫉妬してしまうなんて思いもしなかったと。そうまで考えて私はぴんっと閃いた。思わずワクワクとフェルディナンへ顔を向ける。
「フェルディナンは私のものだから好きにしていいんだよね?」
「……今度は何を思いついたんだ?」
フェルディナンが不安で額に汗をかくような姿を私は初めてみた。
「フェルディナンのそれにキスマークつける!」
それとは勿論、フェルディナンの身体の中心部にある巨大な一物のことだ。
「……断る。確かその提案については以前にもそう結論が出ている筈だが?」
「じゃあそれに輪っかをつける!」
「駄目だと言っている」
「じゃあ……」
「駄目だ」
「わたしまだ何も言ってない!」
「ろくな事じゃないのは分かりきっているからな」
「聞いてみないとそうとは分からないじゃない!」
「……ならば聞こうか」
どうせろくな事じゃないとフェルディナンが思っていることは確認しなくてもハッキリと見て分かる。そして私も自分がこれから出す提案が、フェルディナンが言うところのろくでもない提案の一つだと言うことを薄々分かってはいた。
「黙って縛られてくれますか?」
「……断る」
「じゃあわたしが何をしても手は出さないで大人しくしていてくれればいいので……」
「断る」
「お願いフェルディナン痛くしないからっ」
「……君は俺に何をするつもりなんだ?」
「私がフェルディナンを縛って抱く!」
「…………」
絶句する人というのを私はこれまで何度も見てきたけれど。今日ほど驚いた顔をされたのは初めてだ。フェルディナンは紫混じった青い瞳を大きく見開いて、口を半ば開きながら呆然とした顔で微動だにせず。時が止まったかのように硬直している。その綺麗な顔を縁取る金の髪が僅かに揺れているのは脈拍が早くなったせいなのか、それとも空気の流れに触れただけなのか。どちらにしろ思考が停止する程の酷い衝撃にフェルディナンは動けないでいる。
あっ、……まずい、よね? 多分。これ、かなり直球すぎた……かな?
フェルディナン少ししてからようやく硬直を解いた。眉間を手で押さえながら静かに口を開く。それも低すぎる程の低音で。
「……俺を抱くだと?」
「う、ん……そうしたいなって、思ったりして……」
覚悟を決めて。おそるおそる頷いたら予想通りの怒号が飛んできた。
「一体どうしたらそういう発想が出てくるんだ君はっっっ!!!」
「きゃんっ!」
「冗談じゃないぞっっ!!」
「ふわぁっ」
私は咄嗟に頭を抱え込んだ。怒られるのを覚悟していたとはいえ。フェルディナンの膝上でそれも後ろから抱き締められている状態での近すぎる場所から発せられた怒号に、フルフル震えながら怒られて身の所在が分からなくなっている子犬のようにキューンと身を縮こませる。私は大慌てで謝った。
「ごっ、ごめんなさい~~~っ!!」
フェルディナンの怒鳴り声はやっぱり他の人と迫力が違う。怒られ慣れているからまだしも。初めて怒鳴られた時は涙が出るくらい相当に怖かった。けれど今では怖いと言うよりもその迫力に押されて身体がビクついてしまうだけで、心情的にはひたすら嵐が過ぎ去るのを待つような心境だ。
つまり迫力に押されて謝罪はしていても。その実まったく反省していないということになる。だからその後も反論することを私は止めない。そしてその事をフェルディナンは嫌と言うほどよく知っていた。何故ならそれがここ最近の夫婦生活に組み込まれている行事のようなものになりつつあったからだ。
口喧嘩や抗論が日常茶飯事のケンカップル(もう結婚しているけど)だと言うことは既にイリヤ含む側近の人達には当たり前のように知れ渡っている。
想像は、していたのよね。……なんだか出会った当初からちょっと噛み合わない感じでお互いに理解できなくて抗論になりかけたり喧嘩したりしてたから。
でもまさかこういう形で夫婦生活に組み込まれるとは思ってもいなかったけど……
「でもね。フェルディナンがわたしのこと抱いて自分のものって印付けてるのに、わたしはフェルディナンのこと自分のものだって印が一つも無いんだもの。おそろいの指輪は一般的なものだし……もっと特別なそういうのやりたかったの! だからちょっとは譲歩してくれても……」
フェルディナンが怒るのも無理はないと今更になって思う部分もある。それはそうだろう。女の身体でフェルディナンを抱くとか言い出した人は多分、私が初めてなのではないだろうか? いくらなんでも御免だ。とフェルディナンが思っているのは明白で。
とはいえ、私も今更引くつもりはなかった。だからフェルディナンの腕をヒシッと掴んで私の意見も聞いて欲しいと訴える。けれどもそれすらもフェルディナンの怒りに触れる劇薬以外の何物でもなかった。
「――それがどうして俺を抱くという発想になるんだっ!」
「だってフェルディナンと同じようなことをしたら少しはフェルディナンがわたしのものになるんじゃないかと思ったんだもの!」
「そもそもどうやって抱くつもりだ? 俺が女体化しているならまだしも男の俺を抱くなどと何のつもりなんだ君は!」
「だからっ! わたしに男の人と同じような事出来ない事くらい分かってるよ! そんなの持ってないし! だから代わりにフェルディナンを縛って動けないようにしてからフェルディナンのそれを刺激して何時間かイカせ続けたりとかしてみれば少しはフェルディナンの心に残るだろうし、いいんじゃないかと思ったの!」
「凄いことを言うな……」
「だってそれフェルディナンが普段わたしにしていることだよ? どうしてわたしがやっちゃいけないの?」
「その可愛い口からそこまで卑猥な言葉が出てくると、正直なところ手加減無しに壊れるまで君を犯して抱き潰してしまおうかと今俺は本気で思ったぞ?」
「ふ、ふだんからそんなに手加減してない癖に!」
「そもそもだ、君が先程提案した内容だが。それは抱くとは言わない」
「そうなの?」
「世間一般では玩ぶと言うんだ」
そう言われた瞬間私の頭に浮かんだのは玩具のぬいぐるみやらお飯事の道具やらで。何とも間抜けな気分になる。
「ちっ、違うよ! 玩ぶつもりなんてないもの。わたしはフェルディナンを愛したいだけで……それに縛ったりとか拘束したりしないとフェルディナン、絶対に耐えきれなくてわたしのこといつも通り抱いちゃうでしょ?」
「当たり前だ」
「ほらやっぱり」
「……なぜそんなに嬉しそうなんだ?」
「だって思った通りだったから」
「…………」
「とにかく、わたしにこれからフェルディナンをだ……」
「断る」
「フェルディナンおねがい! 観念してわたしに身を任せて」
「嫌だ」
「そんなにわたしに触られるのイヤ?」
「違う。そう言う意味じゃない。君に触れられるのを嫌だと思う筈が無いだろう?」
「だったら……」
「断る」
「短時間でもいいの!」
「駄目だ」
「フェルディナン~!」
「…………」
フェルディナンがとうとう聞く耳持たないと黙り込んでしまった。それでもフェルディナンに後ろから抱き締められてベッドの上にいる体勢は変わらず。あれだけ怒っている間もずっと同じ体勢のまま離そうとはしてくれないのだから。フェルディナンも相当に独占欲が強い。というよりももしかして私の逃げ癖を警戒しているだけ? なのかもしれないが。
「させてくれないなら浮気する! フェルディナンと同じように恋人作って婚約する」
「それは解消したといっただろうが。それも25年も前の話だぞ?」
「年数なんて関係ないもの。フェルディナンが他の人のものだったってことでしょ?」
「たとえ過去がそうでも、俺の妻は君しかいない。だからそんなことを気にする必要は……」
「でもこの世界では結婚していても他の人と恋愛するのは自由なんでしょ? 多重結婚しても他の人と恋愛してもそこら辺は個人の見解に任せられているって聞いたよ? わたしも自由にフェルディナン以外の人と恋愛してもダメとはならないよね?」
「…………」
「それが嫌なら抱かせて」
「……月瑠」
「痛くしないから、ね? おねがい」
本気で嫌がっているフェルディナンの顔を見ていると。その可愛さに少しずつ気持ちが軽くなっていく。互いの口調が少しずつ和らいできているのはこの状況に少し飽きてきたからなのか。それとも諦めが付いてきたからなのか。
何にしても怒るのにはエネルギーを酷く使う。少しでも距離を取れればその分心に余裕が出来るだろうし、怒ったまま戦線離脱も出来るだろう。けれどここまで近距離の状態ではそれは叶わないし何より怒り続けることは難しい。
そして私とフェルディナンには残念ながら距離を取っての喧嘩ということが殆どない。捕獲癖がしっかり付いてしまったフェルディナンと逃げ癖の直らない私とでは結論として、毎回何時も近距離でひっついたまま喧嘩をすることになるからだ。
そうして近距離で喧嘩をしている最中に少しだけ優しい気持ちが戻ってくる。私はフェルディナンの腕の中でゆっくりと身体を反転させてフェルディナンの方へと向き直った。
困った顔をして私の行動を見守っているフェルディナンの方へと手を伸ばして綺麗な輪郭にそっと触れてみる。熱っぽい視線を交わしながら、顔を包み込むように優しく触ってそのまま唇にチュッと口づけて軽く舌を差し入れるとフェルディナンは応えてくれた。互いの舌を絡ませながらゆっくりと唇を離す。そうして喧嘩中でもフェルディナンが拒否することなく受け入れてくれたから、今度はその首筋に両腕を回してキュッと抱きついてみたら。そのままベッドに押し倒されてしまった。
「きゃっ、フェルディナン……?」
指と指とを絡ませてフェルディナンは優しさを含んだ眼差しで私を見下ろしている。
「……君はどうしてそう事あるごとに立場が逆のことばかり言うんだ」
「フェルディナンを愛してるから。だから抱きたいの。貴方をわたしのものにさせて?」
「君は本当にどうかしてる……」
「過去の話なら余計にどうにも出来ないもの。愛してるの。フェルディナンが好きなの。だから知りたくないの。でも……いま、貴方はわたしのもの。そう思っていいんだよね?」
「ああ」
「だったらおねがい。わたしの好きにさせて? 一度くらいさせてくれてもいいでしょ?」
「断ると言っているだろう。女を抱くのは男の役割だ。間違っても逆はない」
「……浮気してやるんだからっ!」
「駄目だと言っている。何度聞いても答えは変わらないし、君が浮気をするのを許すつもりはない。それを本気で実行するつもりなら完全に外界から隔離した場所に生涯閉じ込めるぞ?」
「…………」
フェルディナンは冗談ではなく本気で言っていた。そして困った事に、フェルディナンはそれを実行出来る力を持っている。
「月瑠?」
「貴方はわたしのものなのにどうしてダメなの?」
「良い子だから少し聞き分けてくれないか?」
「いやっ」
「そうまで聞き分けようとしないなら。君の身体に直接言うことを聞かせることになるぞ?」
「……フェルディナンなんか嫌い」
ちょっとだけムカッとして何となくプイッと横を向いて視線を外すとフェルディナンが私の服を脱がせ始めた。
「……っ! あっ、やっフェルディナンちょっとまっ……――んっ」
私の制止を無視してフェルディナンが強引に口づけてくる。あっという間に衣服を脱がされて結局、私はこのあと滅茶苦茶フェルディナンに抱かれた。
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