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第二章~恋人扱編~
044 飼い殺された籠の鳥
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9年前の4月2日――私の前にいた異邦人、卯佐美結良が獣人との抗争に巻き込まれ命を失ったと言われているその日。それと同日の9年後に再び何かが起ころうとしていた。
そして私はその何かが起ころうとしているのを気付きもしなかった。何も知らなかった。否、何も知ろうとしなかったから失った……
私は生殖時期が終わってすっかり落ち着きを取り戻したフェルディナンと二人っきりで、彼の部屋に置かれている大きな革張りのソファーに寝そべりのんびりと寛いでいた。
辺りは暗闇に包まれて夜の静けさに虫の羽音が涼やかな鈴の音色を奏でている。もう寝なければいけない時間にもかかわらず私はフェルディナンの部屋に滞在したまま彼の胸元に寄り添っていた。ピッタリと互いの身体を合わせて寄り添う事に大分慣れてきたこの頃。フェルディナンはどれだけ私に慣れても変わらず壊れ物を扱うように優しく触れてくる。
歴戦の古傷を沢山抱えたフェルディナンの武骨な男の手。その雄々しく大きな手は包容力に溢れていて触れるととても温かい。
「フェルディナンって私よりも体温が高いよね?」
正直こんなことを言うのはちょっと恥ずかしい。少しだけ顔を赤くしながら私を片手に抱えて自身の胸元に抱き留めているフェルディナンを見上げると想像と違う反応が待っていた。質問をされたフェルディナンは私を胸元に抱きながら片手に持った本に御執心のようだ。読み物に熱中していて全く返事を返してくれない。
これもフェルディナンと恋人になってよく彼の部屋に来るようになってから気が付いた事なのだけれど――フェルディナンは相当な読書家だ。本を読む時だけ眼鏡を掛けて、私とこうしてのんびり過ごしている時や寝る前にも片手に本や仕事に関連した書物を持っている事が多い。恋人になってからはギリギリの時間まで一緒にいて寝る時は互いの部屋で別々に就寝している。とはいえ同じ部屋で一緒に眠る日はそう遠くないような気がしていた。
「フェルディナン? ……フェルディナン? ……フェルディナン~っ!」
こっちを見て? とフェルディナンの胸元の服をキュッと掴んで名前を必死に連呼するとフェルディナンがその紫混じった青い瞳を文面から離して私の方へと向けてくれた。ゆっくりとした動作でレンズ越しに向けられた瞳の色は相変わらず綺麗でそれを見る度に鼓動が高まるのを感じて胸が熱くなる。
「……どうした?」
う~、ただでさえ格好いいのに眼鏡を掛けてると印象がもっと大人っぽくなってヤバい……
整った鼻梁に堀の深い顔立ち。知的な印象の面差しは45歳には見えない。もっとずっととても若く見える。その顔に眼鏡を掛けると落ち着いた雰囲気が合わさって絶妙な均衡が生まれるようだ。若く見えるのは変わらず。聖騎士のような誠実で律法に殉ずるような印象からガラッと変わる。
何て言うのかな? うーん、あっ! そっか!
「フェルディナンって眼鏡を掛けてると大学教授とか塾の先生みたい!」
「ダイガク? キョウ、ジュ? ……何だそれは?」
ポンッと手を打って一人納得している私にフェルディナンは聞いた事のない単語を片言で返して不思議そうな顔をしている。
「えっとですね。簡単に言うと学校の先生、かな?」
一応、この世界にも学校はあるようでそれらしき建物を幾つか王城の傍で確認していた。若い学生と思しき人達が同じ建物に入って行くのを何度か見たことがある。
「……月瑠のいた世界の学校はどんな風になってるんだ? ここと似たようなものか?」
「う~んとね。多分、基本的には同じだと思う。一緒に先生から授業を受けて同じ時間に行動して――って、それよりも!」
「?」
「フェルディナンは私と一緒にいる時くらいもう少し私を見て下さい。普段は軍務で忙しくて屋敷に帰ってくることが少ないんだから。それにもうそろそろ私は部屋に帰らなきゃいけない時間なのに……」
興味津々で私の元いた世界について聞いて来るフェルディナンに、私はむーんと拗ねた様に頬を膨らませて上目遣いにフェルディナンを見上げた。
フェルディナンは生殖時期などの特別な時を除いて日中は軍務で屋敷を留守にする事が多い。だから私は大抵屋敷でバートランドとイリヤとシャノンに警護されながらのんびりと過ごしているか、軍務に明け暮れるフェルディナンがいる王城の兵舎に赴いてフェルディナンの仕事が終わるまで待っていたりしている。それかフェルディナンが外出する用事ある時は一緒にくっ付いて行ったり、ちょっとした休憩時間に一緒に外を散策したりして過ごしている。もちろん警護付きで。
そうしてようやく仕事が終わって帰宅する頃には夜になっていることが多い。だから二人でのんびりと寛いだりして過ごせる頃には大抵の時間帯が夜になってしまう。
「何時も俺は君しか見ていないが……」
「嘘、今迄ずっとこれに夢中だったでしょ?」
フェルディナンから本を取り上げて後ろ手に隠すと、フェルディナンはやれやれと眼鏡を外してソファーの前にあるテーブルの上に置いた。
「俺が夢中になるのは君しかいない。だから機嫌を直してくれないか?」
そう言われても許す気になれなくて私は顔をフェルディナンから逸らした。完全に機嫌を損ねてしまったのを不味いと思ったのか、フェルディナンは私が先程彼から取り上げて後ろ手に隠していた本を掴んで離させると、そのままテーブルの上に置かれている眼鏡と一緒に並べて置いた。
フェルディナンはその大きな温かい男の手で私が彼の腕の中にいる事を確かめるように慎重に私の身体に触れてくる。そうして手を這わせながら背中に手を回すとその太くガッチリとした両腕でギュッと強く抱きしめてきた。子供扱いされていた時とは違う。恋人として触れてくるその手の感触の気持ち良さに、機嫌を悪くしたことも忘れてついうっとりと和んでしまった。
「暖めてやろうか?」
「…………へっ?」
何の話だと間抜けな声を出してから、私はついさっきフェルディナンに自分が聞いた台詞を思い出した。自分より体温が高いと言っても手元にある本に夢中で、返事を一向に返してくれなかったフェルディナンに拗ねて頬を膨らませて――まさかあの時、しっかりと私の話を聞いていたとは思ってもいなかった。
「ちゃんと、話聞いてたの?」
「ああ」
優しくそう言ってくるフェルディナンの大人で穏やかな落ち着いた口調に負けて、私はポスッとその分厚い胸元に顔を埋めた。先程私が質問した通りフェルディナンは私よりも体温が高い。こうして触れ合っている間もその熱さが伝わって自分の体温が高まるのを感じる。そうしてフェルディナンの胸元に耳を押し当てて力強い心臓の鼓動を聞いていると守られている感じがして、安心して小さな子供のように眠ってしまいそうになる。
フェルディナンと二人きりの室内を薄っすらと照らす赤みがかった茶色の蝋燭の灯りと、空気の流れに蝋燭の炎が揺れる度に生じる仄かな陰りが、夜独特の雰囲気と暗さを生み出して妙にアダルトな雰囲気を作り出している。もう少し早い時間帯ならそれに呑まれそうになっていたかもしれない。けれど今の私はそれよりも眠気の方が勝っていた。
「……あの、せっかくなのですが。暖めるのはまた今度でお願いします……」
「いいのか?」
フェルディナンが揶揄う様にくすくす笑っているのが触れている胸元から伝わってくる。その振動すら私には心地良くて眠い目を擦りながら「……うん」と返事を返すと、フェルディナンがそっと私の身体に回していた手の位置を変えてそのままゆっくりとした動作で抱き上げた。私を私の部屋まで抱き上げて連れて行こうとフェルディナンがソファーを立ち上がった時、それは起きた――
暗闇に包まれた野外。蝋燭の炎だけが照らす屋敷の廊下をドタバタと鳴り響く乱れた複数の足音。「お待ちください!」と誰かを制止する声と共に近づく混乱の気配に、私は眠くなっていた意識を再び浮上させた。その混乱の気配はフェルディナンの部屋の前まで来ると一度ピタリと止まった。息を切らせたような荒い呼吸音が聞こえてきてそれから扉を遠慮がちにノックする音が数回、室内に木霊した。
「フェルディナン様、夜分遅くに申し訳ございません。只今王城からの使者が参りまして、至急の要件があり取次ぎを願いたいと申されています。今既にこちらにいらしていますがこのままお通ししてもよろしいですか?」
屋敷の使用人が扉越しにフェルディナンに話掛けて来る。
「……入れ」
フェルディナンはそのただならぬ様子に私を抱き上げた格好のまま入室を許可した。
「失礼します。夜分遅くに申し訳ございません。しかし事は火急を呈し――」
「形式はいい。その身形、ユーリー陛下直属の配下の者か。何があった?」
遠慮がちに開かれた扉。そこから現れた人は獅子の紋章が施された黄金の甲冑を着た若い兵士だった。ユーリーの直属の配下となる者は全員、誰が見ても一目で分かるように王権の象徴とされている獅子の紋章を何かしらの形で身に付けている。この目の前で片膝を折り敬礼の姿勢を崩さない若い兵士はフェルディナンから再び許可が下りると、少し乱れた息を整えてから勢いよく口早に事態を告げた。
「はっ! 恐れながら申し上げます。先刻、イリヤ・コールフィールドが反旗を翻しユーリー陛下を拘束し逃亡。更には逃亡の際王城に火を放った模様。混乱の中、王城は炎に飲まれ古代貴族の当主はレインウォーター殿下を除き全員が行方を知れず、もはや収拾がつかない状況に陥っています。今王城はレインウォーター殿下が指揮をとっていますが、それも何時までもつかどうか……クロス将軍のお力添えを何卒お願いしたく窺った次第です」
フェルディナンが私を抱えている両腕が一瞬だけ震えたように感じたけれど、若い兵士の必死の形相に相反してフェルディナンは目を軽く見開きながらも始終落ち着いた様子で話を聞いていた。
「……古代貴族が行方不明だと?」
「恐らくはイリヤ・コールフィールドによって殺害されたかユーリー陛下と同じく何処かに拘束されているものと思われます」
「分かった。私も準備が出来次第、至急王城へ向かう。お前はレインウォーター殿下にそれとなく伝えておいてくれ」
「はっ!」
フェルディナンの前に跪いていた王城からの使者は一礼するとさっと踵を返して部屋を出て行った。
残された室内に漂う不穏な空気。そして次の瞬間――
「――あんのっ……大馬鹿者がっ!!」
憤りを隠せず声を張り上げたフェルディナンに私は震える声で聞いた。今迄にもフェルディナンが本気で怒った時の怒号は何度か聞いた事がある。けれどここまで悲しそうな叫びにも似た罵倒は初めて聞いた気がした。
「フェルディナン? 教えて。何がどうなってるの……?」
整った顔に影を落としてフェルディナンは私を抱き上げたまま苦しそうな表情を浮かべている。
「フェルディナンお願い教えてっ! 何がどうなってるの? イリヤが反旗を翻したって何? お願い私だけ蚊帳の外に置いていかないで!」
私はフェルディナンの顔に両手を添えてこちらを向くように促した。
「フェルディナン?」
「……イリヤはきっと俺の代わりにそうしたんだ」
「代わりって何? フェルディナンは何をしようとしていたの?」
「君がこの世界に来てから……いや、これはもうずっと前から決まっていた事だった」
「決まっていた? 何が? 何が決まっていたの?」
「異邦人は基本的には自由に何処へでも出入りが出来る――世界でそれが保証された唯一の存在だということは君も知っているだろう? ……だがそれが許されるのは王室に入るまでの話だ」
「……王室に入るまで? あの、それってどういうこと?」
「異邦人はこの世界へ神によって転送させられると殆ど全員が王族に連なる者と結婚することになる。しかしそれは転移してきた異邦人の特性上、王族が必然的に接触する機会が多い為であって王族と結ばれる事が多いのは偶然だと一般的には言われている」
「言われているって……?」
私は嫌な予感にごくりと唾を飲み込んだ。フェルディナンの何時もは優しく伏し目がちに私へと向けられる紫混じった青い瞳は、何時もなら宝石のような輝きに吸い込まれるように私を魅了して止まないのに。今は何だかとても重たく氷のように冷たい。どす黒く冷え切った重さと冷たさが不安と言う名の恐怖を伴って深々と私の心に侵食していくようだ。
「事実は違う。故意にそうなるように仕向けられるんだ」
「……フェルディナン、あのっ、……いったいなにを言ってるの?」
「王族と結婚させてそれに連なるものとなれば、異邦人といえど王族の制約から逃れられなくなる」
「……王族の、制約?」
「制約に縛られることのない自由人でありながらも王族としての制約に縛られることになる」
「王族としての制約って? 異邦人は何から逃れられなくなるっていうの?」
「王城には王だけが出入りすることを許された場所がある。しかしそれは飽く迄も人が定めた制約であり、神が定めた法律はその影響を受けない」
「それって異邦人なら王様しか入れないような場所にも入れるってことだよね? つまり王様のユーリーしか入れない場所にも私なら一緒に入ることが出来るってこと?」
「ああ、その通りだ。そして人が定めた制約を受けず、律法を無視して何処にでも出入りする事が出来る唯一の存在として異邦人を確立した法が”神解き”によって神が国の統治を離れた後も失われず、異邦人は何の制約を受ける事も無い自由人として何処にでも出入りが可能と神が定めた法律が今も世界に統一されたまま残されている事が問題なんだ」
「えっと、それがどうして問題なの? 何だかいろいろと小難しい話でちょっと頭が混乱しているんだけど……」
不安気に顔を傾けた私をフェルディナンは両腕に抱き上げたまま少しだけ腕に力を入れて自身の方へと引き寄せた。
「フェルディナン……?」
何時ものフェルディナンらしからぬ余裕のない様子に心配して彼の頬に手を当てると、当てた手の内側にフェルディナンはチュッと優しく口づけてきた。そうして静かな足取りでフェルディナンはベッドの方まで歩いて行って私をベッドの上にそっと降ろすと、そのまま姿勢を低くして床に片膝を付き私と同じ目線の高さに合わせながら辛そうな表情を浮かべて口を開いた。
「その異邦人が持つ特性を利用して異邦人は王族と結婚した後、王族に課せられる制約であり義務と称して強制的にその王しか入れない場所へ移されることになる」
「……強制的に移される……」
「異邦人という神からの賜物を王族に迎えた以上、国の最も安全な場所で保護下に置く必要があるという名目だが。それは国の権威を保つ為の虚言にすぎない。異邦人を保有する国と言うだけで神の寵愛を受けたも同じ扱いになるからな。他国からの優位性を確実にしそれも安易に保てる手段をそう簡単に逃す訳がない」
「……異邦人は単なる外交手段の一つってことなの?」
震える声で問いかける私をフェルディナンはグイっと引き寄せて強く抱きしめた。
「神の力の象徴のような伝説の存在である異邦人は外交官としては最高の道具になる。故に王族と連なる者となった後、異邦人は事実上そこへ監禁されることになる――何処までも自由に生きる事を許された異邦人がそれを許されず、一生を王室と言う名の牢獄で過ごすことになる。つまり籠の鳥として一生そこで飼い殺されることになるんだ」
「飼い、殺し……」
「今から25年前、反乱の徒として追放され後に全ての獣人の王となる先代の王の実弟、オルデンベルク・テオドール――その妻だった異邦人リリエンクローン・アークライトはその悪政によって夫と引き離され王室へ幽閉された。元々身体の弱かった彼女はそれに耐え切れずそのまま命を落とした」
事態の重さに怯えて身体を固くして震えている私をフェルディナンは更に強く抱きしめてからあやすように額に口づけて気遣うように視線を合わせて来る。
「リリエンクローンは飼い殺された。だから獣人達は反乱を起こしたんだ」
「……どうして獣人だけが反乱を起こすことになるの? ……あっ! あのっ、もしかしてリリエンクローンさんって……」
「夫のオルデンベルク・テオドールは人間だが、リリエンクローンは異邦人であると同時に生粋の獣人だったからだ」
そして私はその何かが起ころうとしているのを気付きもしなかった。何も知らなかった。否、何も知ろうとしなかったから失った……
私は生殖時期が終わってすっかり落ち着きを取り戻したフェルディナンと二人っきりで、彼の部屋に置かれている大きな革張りのソファーに寝そべりのんびりと寛いでいた。
辺りは暗闇に包まれて夜の静けさに虫の羽音が涼やかな鈴の音色を奏でている。もう寝なければいけない時間にもかかわらず私はフェルディナンの部屋に滞在したまま彼の胸元に寄り添っていた。ピッタリと互いの身体を合わせて寄り添う事に大分慣れてきたこの頃。フェルディナンはどれだけ私に慣れても変わらず壊れ物を扱うように優しく触れてくる。
歴戦の古傷を沢山抱えたフェルディナンの武骨な男の手。その雄々しく大きな手は包容力に溢れていて触れるととても温かい。
「フェルディナンって私よりも体温が高いよね?」
正直こんなことを言うのはちょっと恥ずかしい。少しだけ顔を赤くしながら私を片手に抱えて自身の胸元に抱き留めているフェルディナンを見上げると想像と違う反応が待っていた。質問をされたフェルディナンは私を胸元に抱きながら片手に持った本に御執心のようだ。読み物に熱中していて全く返事を返してくれない。
これもフェルディナンと恋人になってよく彼の部屋に来るようになってから気が付いた事なのだけれど――フェルディナンは相当な読書家だ。本を読む時だけ眼鏡を掛けて、私とこうしてのんびり過ごしている時や寝る前にも片手に本や仕事に関連した書物を持っている事が多い。恋人になってからはギリギリの時間まで一緒にいて寝る時は互いの部屋で別々に就寝している。とはいえ同じ部屋で一緒に眠る日はそう遠くないような気がしていた。
「フェルディナン? ……フェルディナン? ……フェルディナン~っ!」
こっちを見て? とフェルディナンの胸元の服をキュッと掴んで名前を必死に連呼するとフェルディナンがその紫混じった青い瞳を文面から離して私の方へと向けてくれた。ゆっくりとした動作でレンズ越しに向けられた瞳の色は相変わらず綺麗でそれを見る度に鼓動が高まるのを感じて胸が熱くなる。
「……どうした?」
う~、ただでさえ格好いいのに眼鏡を掛けてると印象がもっと大人っぽくなってヤバい……
整った鼻梁に堀の深い顔立ち。知的な印象の面差しは45歳には見えない。もっとずっととても若く見える。その顔に眼鏡を掛けると落ち着いた雰囲気が合わさって絶妙な均衡が生まれるようだ。若く見えるのは変わらず。聖騎士のような誠実で律法に殉ずるような印象からガラッと変わる。
何て言うのかな? うーん、あっ! そっか!
「フェルディナンって眼鏡を掛けてると大学教授とか塾の先生みたい!」
「ダイガク? キョウ、ジュ? ……何だそれは?」
ポンッと手を打って一人納得している私にフェルディナンは聞いた事のない単語を片言で返して不思議そうな顔をしている。
「えっとですね。簡単に言うと学校の先生、かな?」
一応、この世界にも学校はあるようでそれらしき建物を幾つか王城の傍で確認していた。若い学生と思しき人達が同じ建物に入って行くのを何度か見たことがある。
「……月瑠のいた世界の学校はどんな風になってるんだ? ここと似たようなものか?」
「う~んとね。多分、基本的には同じだと思う。一緒に先生から授業を受けて同じ時間に行動して――って、それよりも!」
「?」
「フェルディナンは私と一緒にいる時くらいもう少し私を見て下さい。普段は軍務で忙しくて屋敷に帰ってくることが少ないんだから。それにもうそろそろ私は部屋に帰らなきゃいけない時間なのに……」
興味津々で私の元いた世界について聞いて来るフェルディナンに、私はむーんと拗ねた様に頬を膨らませて上目遣いにフェルディナンを見上げた。
フェルディナンは生殖時期などの特別な時を除いて日中は軍務で屋敷を留守にする事が多い。だから私は大抵屋敷でバートランドとイリヤとシャノンに警護されながらのんびりと過ごしているか、軍務に明け暮れるフェルディナンがいる王城の兵舎に赴いてフェルディナンの仕事が終わるまで待っていたりしている。それかフェルディナンが外出する用事ある時は一緒にくっ付いて行ったり、ちょっとした休憩時間に一緒に外を散策したりして過ごしている。もちろん警護付きで。
そうしてようやく仕事が終わって帰宅する頃には夜になっていることが多い。だから二人でのんびりと寛いだりして過ごせる頃には大抵の時間帯が夜になってしまう。
「何時も俺は君しか見ていないが……」
「嘘、今迄ずっとこれに夢中だったでしょ?」
フェルディナンから本を取り上げて後ろ手に隠すと、フェルディナンはやれやれと眼鏡を外してソファーの前にあるテーブルの上に置いた。
「俺が夢中になるのは君しかいない。だから機嫌を直してくれないか?」
そう言われても許す気になれなくて私は顔をフェルディナンから逸らした。完全に機嫌を損ねてしまったのを不味いと思ったのか、フェルディナンは私が先程彼から取り上げて後ろ手に隠していた本を掴んで離させると、そのままテーブルの上に置かれている眼鏡と一緒に並べて置いた。
フェルディナンはその大きな温かい男の手で私が彼の腕の中にいる事を確かめるように慎重に私の身体に触れてくる。そうして手を這わせながら背中に手を回すとその太くガッチリとした両腕でギュッと強く抱きしめてきた。子供扱いされていた時とは違う。恋人として触れてくるその手の感触の気持ち良さに、機嫌を悪くしたことも忘れてついうっとりと和んでしまった。
「暖めてやろうか?」
「…………へっ?」
何の話だと間抜けな声を出してから、私はついさっきフェルディナンに自分が聞いた台詞を思い出した。自分より体温が高いと言っても手元にある本に夢中で、返事を一向に返してくれなかったフェルディナンに拗ねて頬を膨らませて――まさかあの時、しっかりと私の話を聞いていたとは思ってもいなかった。
「ちゃんと、話聞いてたの?」
「ああ」
優しくそう言ってくるフェルディナンの大人で穏やかな落ち着いた口調に負けて、私はポスッとその分厚い胸元に顔を埋めた。先程私が質問した通りフェルディナンは私よりも体温が高い。こうして触れ合っている間もその熱さが伝わって自分の体温が高まるのを感じる。そうしてフェルディナンの胸元に耳を押し当てて力強い心臓の鼓動を聞いていると守られている感じがして、安心して小さな子供のように眠ってしまいそうになる。
フェルディナンと二人きりの室内を薄っすらと照らす赤みがかった茶色の蝋燭の灯りと、空気の流れに蝋燭の炎が揺れる度に生じる仄かな陰りが、夜独特の雰囲気と暗さを生み出して妙にアダルトな雰囲気を作り出している。もう少し早い時間帯ならそれに呑まれそうになっていたかもしれない。けれど今の私はそれよりも眠気の方が勝っていた。
「……あの、せっかくなのですが。暖めるのはまた今度でお願いします……」
「いいのか?」
フェルディナンが揶揄う様にくすくす笑っているのが触れている胸元から伝わってくる。その振動すら私には心地良くて眠い目を擦りながら「……うん」と返事を返すと、フェルディナンがそっと私の身体に回していた手の位置を変えてそのままゆっくりとした動作で抱き上げた。私を私の部屋まで抱き上げて連れて行こうとフェルディナンがソファーを立ち上がった時、それは起きた――
暗闇に包まれた野外。蝋燭の炎だけが照らす屋敷の廊下をドタバタと鳴り響く乱れた複数の足音。「お待ちください!」と誰かを制止する声と共に近づく混乱の気配に、私は眠くなっていた意識を再び浮上させた。その混乱の気配はフェルディナンの部屋の前まで来ると一度ピタリと止まった。息を切らせたような荒い呼吸音が聞こえてきてそれから扉を遠慮がちにノックする音が数回、室内に木霊した。
「フェルディナン様、夜分遅くに申し訳ございません。只今王城からの使者が参りまして、至急の要件があり取次ぎを願いたいと申されています。今既にこちらにいらしていますがこのままお通ししてもよろしいですか?」
屋敷の使用人が扉越しにフェルディナンに話掛けて来る。
「……入れ」
フェルディナンはそのただならぬ様子に私を抱き上げた格好のまま入室を許可した。
「失礼します。夜分遅くに申し訳ございません。しかし事は火急を呈し――」
「形式はいい。その身形、ユーリー陛下直属の配下の者か。何があった?」
遠慮がちに開かれた扉。そこから現れた人は獅子の紋章が施された黄金の甲冑を着た若い兵士だった。ユーリーの直属の配下となる者は全員、誰が見ても一目で分かるように王権の象徴とされている獅子の紋章を何かしらの形で身に付けている。この目の前で片膝を折り敬礼の姿勢を崩さない若い兵士はフェルディナンから再び許可が下りると、少し乱れた息を整えてから勢いよく口早に事態を告げた。
「はっ! 恐れながら申し上げます。先刻、イリヤ・コールフィールドが反旗を翻しユーリー陛下を拘束し逃亡。更には逃亡の際王城に火を放った模様。混乱の中、王城は炎に飲まれ古代貴族の当主はレインウォーター殿下を除き全員が行方を知れず、もはや収拾がつかない状況に陥っています。今王城はレインウォーター殿下が指揮をとっていますが、それも何時までもつかどうか……クロス将軍のお力添えを何卒お願いしたく窺った次第です」
フェルディナンが私を抱えている両腕が一瞬だけ震えたように感じたけれど、若い兵士の必死の形相に相反してフェルディナンは目を軽く見開きながらも始終落ち着いた様子で話を聞いていた。
「……古代貴族が行方不明だと?」
「恐らくはイリヤ・コールフィールドによって殺害されたかユーリー陛下と同じく何処かに拘束されているものと思われます」
「分かった。私も準備が出来次第、至急王城へ向かう。お前はレインウォーター殿下にそれとなく伝えておいてくれ」
「はっ!」
フェルディナンの前に跪いていた王城からの使者は一礼するとさっと踵を返して部屋を出て行った。
残された室内に漂う不穏な空気。そして次の瞬間――
「――あんのっ……大馬鹿者がっ!!」
憤りを隠せず声を張り上げたフェルディナンに私は震える声で聞いた。今迄にもフェルディナンが本気で怒った時の怒号は何度か聞いた事がある。けれどここまで悲しそうな叫びにも似た罵倒は初めて聞いた気がした。
「フェルディナン? 教えて。何がどうなってるの……?」
整った顔に影を落としてフェルディナンは私を抱き上げたまま苦しそうな表情を浮かべている。
「フェルディナンお願い教えてっ! 何がどうなってるの? イリヤが反旗を翻したって何? お願い私だけ蚊帳の外に置いていかないで!」
私はフェルディナンの顔に両手を添えてこちらを向くように促した。
「フェルディナン?」
「……イリヤはきっと俺の代わりにそうしたんだ」
「代わりって何? フェルディナンは何をしようとしていたの?」
「君がこの世界に来てから……いや、これはもうずっと前から決まっていた事だった」
「決まっていた? 何が? 何が決まっていたの?」
「異邦人は基本的には自由に何処へでも出入りが出来る――世界でそれが保証された唯一の存在だということは君も知っているだろう? ……だがそれが許されるのは王室に入るまでの話だ」
「……王室に入るまで? あの、それってどういうこと?」
「異邦人はこの世界へ神によって転送させられると殆ど全員が王族に連なる者と結婚することになる。しかしそれは転移してきた異邦人の特性上、王族が必然的に接触する機会が多い為であって王族と結ばれる事が多いのは偶然だと一般的には言われている」
「言われているって……?」
私は嫌な予感にごくりと唾を飲み込んだ。フェルディナンの何時もは優しく伏し目がちに私へと向けられる紫混じった青い瞳は、何時もなら宝石のような輝きに吸い込まれるように私を魅了して止まないのに。今は何だかとても重たく氷のように冷たい。どす黒く冷え切った重さと冷たさが不安と言う名の恐怖を伴って深々と私の心に侵食していくようだ。
「事実は違う。故意にそうなるように仕向けられるんだ」
「……フェルディナン、あのっ、……いったいなにを言ってるの?」
「王族と結婚させてそれに連なるものとなれば、異邦人といえど王族の制約から逃れられなくなる」
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「王城には王だけが出入りすることを許された場所がある。しかしそれは飽く迄も人が定めた制約であり、神が定めた法律はその影響を受けない」
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「ああ、その通りだ。そして人が定めた制約を受けず、律法を無視して何処にでも出入りする事が出来る唯一の存在として異邦人を確立した法が”神解き”によって神が国の統治を離れた後も失われず、異邦人は何の制約を受ける事も無い自由人として何処にでも出入りが可能と神が定めた法律が今も世界に統一されたまま残されている事が問題なんだ」
「えっと、それがどうして問題なの? 何だかいろいろと小難しい話でちょっと頭が混乱しているんだけど……」
不安気に顔を傾けた私をフェルディナンは両腕に抱き上げたまま少しだけ腕に力を入れて自身の方へと引き寄せた。
「フェルディナン……?」
何時ものフェルディナンらしからぬ余裕のない様子に心配して彼の頬に手を当てると、当てた手の内側にフェルディナンはチュッと優しく口づけてきた。そうして静かな足取りでフェルディナンはベッドの方まで歩いて行って私をベッドの上にそっと降ろすと、そのまま姿勢を低くして床に片膝を付き私と同じ目線の高さに合わせながら辛そうな表情を浮かべて口を開いた。
「その異邦人が持つ特性を利用して異邦人は王族と結婚した後、王族に課せられる制約であり義務と称して強制的にその王しか入れない場所へ移されることになる」
「……強制的に移される……」
「異邦人という神からの賜物を王族に迎えた以上、国の最も安全な場所で保護下に置く必要があるという名目だが。それは国の権威を保つ為の虚言にすぎない。異邦人を保有する国と言うだけで神の寵愛を受けたも同じ扱いになるからな。他国からの優位性を確実にしそれも安易に保てる手段をそう簡単に逃す訳がない」
「……異邦人は単なる外交手段の一つってことなの?」
震える声で問いかける私をフェルディナンはグイっと引き寄せて強く抱きしめた。
「神の力の象徴のような伝説の存在である異邦人は外交官としては最高の道具になる。故に王族と連なる者となった後、異邦人は事実上そこへ監禁されることになる――何処までも自由に生きる事を許された異邦人がそれを許されず、一生を王室と言う名の牢獄で過ごすことになる。つまり籠の鳥として一生そこで飼い殺されることになるんだ」
「飼い、殺し……」
「今から25年前、反乱の徒として追放され後に全ての獣人の王となる先代の王の実弟、オルデンベルク・テオドール――その妻だった異邦人リリエンクローン・アークライトはその悪政によって夫と引き離され王室へ幽閉された。元々身体の弱かった彼女はそれに耐え切れずそのまま命を落とした」
事態の重さに怯えて身体を固くして震えている私をフェルディナンは更に強く抱きしめてからあやすように額に口づけて気遣うように視線を合わせて来る。
「リリエンクローンは飼い殺された。だから獣人達は反乱を起こしたんだ」
「……どうして獣人だけが反乱を起こすことになるの? ……あっ! あのっ、もしかしてリリエンクローンさんって……」
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