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第三章~新妻扱編~
060 機嫌が直らない理由
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――獣王ツェザーリ・アークライト。目の前にいる人物にそう名乗られて。
私はフェルディナンとの密やかな攻防を水面下で行っている最中に突然訪れた衝撃に、目を白黒させてキョトンとした表情で身体を硬直させてしまった。そうして私が放心しているのをいいことに。王座にゆったりと座り堂々とした王者の風格を漂わせながらフェルディナンは当然とばかりに私をその逞しい腕の中にガッチリと閉じ込めた。
油断した隙を突いての捕獲作業は完璧で。どうにも抜け出せない状況に私は一時休戦を余儀なくされた。小さく溜息を付いてそれから責める代わりにフェルディナンに問うような目を向けると、フェルディナンは穏やかな口調で説明してくれた。
「獣王自らが出向いて来るとは思っていなかったが、来たいと切望している者を拒む理由はないからな。彼等の来訪の目的は長年断絶されてきた獣人達との関係の修復と国同士の友好関係を築くためだ。徐々にだが獣人の国内への移住も行われてきているが、獣人達の身体能力はその種族によって多少の違いはあるもののそれぞれに超人的な特有の能力を持っている。繁殖能力は低く、数では人間の方が勝っているが個々の能力は獣人の方が上だ。保安上の問題からも彼等との話し合いは必要不可欠なものとなる」
「……そうですか、ユーリーが獣人達との絆を取り戻すために奮闘されていたのは知っています。陛下はそれを受け継がれたのですね」
フェルディナンの言うとおり神の国では”神解き”の一件以来、獣人の姿を度々見かけるようになっていた。それというのもユーリーが獣人達の入国を許可する法令を出したからなのだが、まだ獣人との確執を拭え切れていないのが現状で。その溝を埋めるためにどうすればいいのかをユーリーが生前の頃に日夜問わず、獣人達との話し合いを行っているとそれとなく皆から聞いて知っていた。そしてそれをフェルディナンが引き継いでいることを私はこの時初めて知った。
私が王座の間に入室した時に獣人を目にしても驚かなかったのは、目の前にいる青年もそういった友好関係を結ぶべく訪れた関係者なのかと思っていたからだった。と言っても目の前にいる青年は文句を付けようがない程の美青年で。こうして真っ向から見ると纏う雰囲気も他の獣人達と何処か違う。何というか別の世界に生きている人のようで少しフェルディナンに近いものを感じるのだ。
透けるように綺麗な光を放つ黄金の髪と瞳。猫のような形状の耳と尻尾は金と黒と白の縞模様。その光によって収縮の変わる開いた瞳孔は猫のそれと同じもの。そして艶々とした毛並みが見目麗しい容貌に生えて美しい。獣人と言うだけあって骨格もしっかりしていて見栄えも良く、外見年齢は20歳くらいに見える。
ツェザーリは獣人の中でも群を抜い美しく立派ではあるけれど獣王という割には格好が如何せん簡素で王様らしからぬ装いに騙されたというせいもある。もしかしたら正式な謁見という形で公に訪問していないからあまり目立ってはいけないのかもしれない。あえて簡素な格好での訪問という形をとり目立つのを避けたようにも見える。獣人との諍いが以前より緩和されつつあるとはいえ、今はまだ敏感な時期。余計な刺激を与えない配慮なのかもしれない。
ツェザーリの上半身は上腕部から胸元にかけてそれと同じ毛色の獣の毛で覆われている。上半身の半分近くを獣と同じ形態の毛に覆われている為、上に着ている服は軽装で短い前の開いたベストを羽織っている。下半身には伸縮性に優れた素材のズボンに簡易的な長い布を腰に巻き付けていて、余った長い布を太股の横で垂たらしている。
この目の前にいる獣人に限らず、殆どの獣人は似たような形態をしているせいもあってか普段から皆同じような恰好をしている。体毛や尻尾や耳と言った特徴的部位を収納させる利便性の高い格好というとだいたいの形が決まってくるのだろう。
――そしてまごうことなくハッキリと分かる。
獣王ツェザーリ・アークライト、この人は――虎の獣人だと。
けれどその獣人達の王である獣王自らがこうもあっさりと出向いてくるとは想像していなかった。獣王であるツェザーリが両国の友好の架け橋となるべく、シャノンを私の警護に当たらせる為派遣したと言われた時から彼は気になる存在ではあったけれど。
そして目の前の獣王ツェザーリ・アークライトと名乗る人物が昔のような人間と獣人の関係に戻すことを望んでいる。それは私も望む平和だった。穏便に済ませられるのならそうして欲しいし、そうしたい。そこまで思って私はふとあることに気が付いた。
んっ? もしかしてこれってフェルディナンから逃げるチャンス?
このままツェザーリ様の方へ親交を深めるのが目的の名目で近づけばいいのでは? はじめまして的な感じで握手を求める感じならフェルディナンもダメっていえないかも!
悶々と一人考え事をして黙り込んでから、やっとフェルディナンの膝上から下りる理由を見つけ出した私は。それを実行しようとワクワクと目を輝かせて私を抱き締めているフェルディナンの腕をキュッと握りながらフェルディナンを振り返った。けれどそこにあったのは私の想像していたものとは別のものだった。
振り返った先にはフェルディナンの不審に満ちた、見るからに不機嫌そうな顔が待っていた。それもものすごく疑っている。というか疑い以外何の感情も抱いていない眼差し。紫混じった青い宝石のような瞳を細めて瞬き一つせずに半眼でこちらを見ている。
「へ、陛下? どうされたのですか?」
「どうとは?」
「いえ、ですからその……」
「そんなに焦っていると言うことは、君はまた何か良からぬ事を考えていたのか?」
紫混じった青い瞳に薄らと光が反射するその刹那に伝わってくる感情。その全てがどうしたものかとちょっと怒っているようにも感じられてダラダラと冷や汗が背中を伝う。
きゃー! なんでか分からないけど完全にバレてるっ!?
不味い! なんか不味いよねこれっ!? フェルディナンの顔なんか怖いもの!
フェルディナンの疑いの目から逃れるべく私は早急に話を切り替えた。
「――いいえ陛下、そのようなことはございませんわ。獣人達との協力関係を結び和平を築く為であるのならば、ツェザーリ様の来訪は喜ばしい限りです。こんなに早くツェザーリ様とお会い出来るとは思っておりませんでしたが、わたくしもいずれはお会いしたいと思っておりました」
お妃様らしく丁寧でゆっくりとした口調で。なるべく女性らしく優しく。柔和な笑みを心掛けて私はツェザーリに華のような笑み(をしているつもり)を浮かべてニッコリと微笑んだ。まろやかな女性を目指して日々奮闘しているけれど。いざそれを実践するとなると話が違う。なんというか気恥ずかしさで毎回顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
「月瑠様にそう言って頂けるとは恐悦至極に存じます。今回は陛下との会合の折にお顔を拝見させて頂く形になりましたが、今度ゆっくりとお話をさせてい頂ければと思います。勿論、陛下の許可が頂ければですが」
様子を確認するようにツェザーリはチラリとフェルディナンの方を見た。許可を頂ければといいながらも、ツェザーリはそれが貰えるかどうかはフェルディナンの機嫌次第という事をよく分かっている。対するフェルディナンはというと我関せずと言った様子で全くツェザーリを見ようとしない。
この二人の関係は同じ王でもフェルディナンの方が上位を取っているのは傍から見ても明らかだった。
そして私はその微妙なやり取りにくすくすと笑いながらあえてフェルディナンを無視して答えた。そうしないとツェザーリと話をする機会を奪われてしまいそうだったからだ。
「はい、わたくしも楽しみにしておりますわ」
「月瑠……」
咎めるような目を向けてくるフェルディナンが可愛くて。思わずその胸元にキュッと抱きついて上機嫌で甘えるようにすりすりと頬を寄せる。
――不機嫌そうな顔のフェルディナンを見るのは好き。怖いときもあるけど、拗ねてるときは可愛いからすごく好き。
愛おしさに負けて人前でも平気で私が甘えているとフェルディナンは少しだけ機嫌を良くしたようだった。
「……ユーリーが逝去した時に獣人達の件についてはそのまま引き継いでいたんだ。だがそれを君に話すのは時期をみてとも思っていた。君はあの時まだ話を聞ける状態ではなかったからな」
「すみません。もっと早くにお話をお聞きできれば良かったのですが……」
大切なものを慈しむように頬をフェルディナンに触れられて申し訳ない気持ちになる。確かに私はユーリーが亡くなってから暫くの間。ショックで色んな事柄を受け入れることがなかなか出来なくて暗い思いを抱えていた。大切な人達にも心を砕いて接することが出来ないくらいに余裕がない状態だった。
そんな自分が嫌でそう見せないように必死に振る舞ってはいたけれど、バートランドやシャノン、イリヤ達に四六時中監視されているしバレない訳がない。ユーリーが亡くなって直ぐの時期は特に忙しくて、国営に勤しんでいたフェルディナンが私の傍にいられない事も多々あったけれど、会えていない時の私の状況については皆からそれなりに報告が上がっている筈だ。
それにフェルディナンはどんなに忙しくても夜は殆ど帰ってきてくれたから。夜中はずっと共に過ごしていたし。何よりも私の監視に余念のないフェルディナンが私の沈んだ気持ちに、心の変化に気付かないわけがなかった。
「――そんな事を気にする必要はない。最近になってようやく君が心穏やかに過ごせるようになったのをまた陰らせる必要はないんだ」
「……はい」
ションボリと力無く答えながら私がフェルディナンの胸元に顔を埋め込んだ瞬間、フェルディナンはそれまでの優しさを覆すような事を口にした。
「それに悲しみで不安定にまどろみながら私を求める君を抱くのも嫌いじゃない」
「っ!? 陛下!? お客様の前でなにをおっしゃっているのですか!?」
「本当の事だ。愛らしい君を抱くことを何故恥じる必要がある?」
「……陛下、お戯れも程々になさって下さい」
「戯れなどではない。そもそも妻を抱くのは当たり前の事だろう?」
「で、ですが……それとこれとは話が別ですわ」
「子作りは王族の義務と認識している者達が多いからな。それを話されたからと言って気にする者などこの場にはいない。寧ろ夜の営みが順調かどうかを知りたがっている者達なら腐るほどいるが」
「……っ! わたくしはそんなことを他の方々に知られたくはありません!」
「ああ、それに関しては安心してくれ。夜な夜な寝室から聞こえる君の可愛らしい声で私が君をどれだけ愛しているかは言わずとも周りには疾うに知れている」
聞くまでもなく私が毎日欠かさずフェルディナンに抱かれている事を皆知っていると言われて、死にそうなくらいの恥ずかしさに目が回りそうになる。
「あの……」
これ以上、人前でフェルディナンに強く出る訳にはいかなくて。私は顔を真っ赤にしながら途方に暮れた。どうすればフェルディナンの口から出る言葉を止めることが出来るのか思いつかない。最終的にはう~と泣きそうな顔で唸って。フルフルと震えながらフェルディナンの胸元の布をギュッと掴んで見上げるしかなかった。すると今度はポンポンと優しく頭を叩かれた。
「すまない。君があんまり愛らしい反応をするから少しからかいたくなっただけだ」
「本当に……?」
「ああ、もう言わないよ」
うそじゃない……? と、念には念を入れて確認してくる私にフェルディナンは眉根を寄せてとても困ったような優しい表情を浮かべている。王妃の演技が崩れて素の部分を曝け出すまで私を追い詰めてしまったことを、フェルディナンは少し反省しているようだった。
「私が悪かった」
もうやらない……? と最後は目だけでフェルディナンに問うと。今度は見ているこっちがとろけそうになるくらい甘く綺麗な顔をしてくすっと笑った。そんな顔をされて見惚れないわけがない。更には頭にそっと置かれている手が酷く優しくて怒るに怒れないからものすごく困る。
「月瑠、私が悪かった」
もう一度謝罪されて、最終的には謝罪を受け入れる意思表示に私はその分厚い筋肉に覆われた温かい胸板に身体をそっと預けておずおずと遠慮がちに抱きついた。とは言えやっぱりまだ意地が邪魔をしてしまう。どうしても素直になれなくて照れ隠しにいじけた顔をしてプイッと横を向いて黙り込む。
だってそんな話、それも人前でされると本当に何て言っていいのか分からない。
皆とはだいぶ慣れているから普通の話だったら少しは出来るけど、そもそもわたしはそんなに口が上手い方じゃないもの……
そうして思ってションボリとフェルディナンに抱きついていたら。フェルディナンの背中に回した腕ごとグイッと何時もより強い力で、まるでさらわれるように強引に引き寄せられて口づけられる。形の良いフェルディナンの唇が私の唇にしっとりと触れて一瞬だけ舌を絡め取られて思わず甘い吐息が唇から漏れてしまう。
「……んっ」
そうして直ぐに離れたフェルディナンの唇に仄かな熱を残されて、頬をピンク色に染めながら唖然としてしまう。
急な展開にビックリして放心していたら今度は頭上に唇を落とされた。そのくすぐったさに思わず身動いでフェルディナンを見上げると、紫混じった青い瞳と目が合ってその酷く優しい眼差しに抱えている恋心を思いっきり射貫かれる。
「フェルディナン……?」
思わず小さな声で話し掛けるとフェルディナンは私の肩を強く抱き寄せて、それからチュッと優しく額に口づけてくる。
なんでこの人ってこんな恥ずかしいことを平然と人前で出来るのよ――っ!
人前だろうとなんだろうとフェルディナンは普段から人の目など全く気にしない。何時もところ構わず余りにも堂々と触れてくるから困る。
けれど私もその鍛え抜かれた逞しい身体に強く抱き締められて、大きな男の人の手に背中をトントンと優しく叩かれると、どんなに強引にされても結局フェルディナンに流されてそれを許してしまう。毎回最後にはその包容力の高さに少しホッとして、思わず顔が少し緩んでしまうから。私はその胸元にポスッと顔を埋め込んで表情を隠した。
「もうそろそろ許してくれるか?」
「うん……」
フェルディナンの胸元にすりすりと頬を気持ちよさそうに擦り寄せながらも。上手い返し方なんて知らない。と、フェルディナンの腕の中でちょっといじけて。でも寂しいからキュッと抱きついて。まるで素直になれない子供のように胸元で甘えている私を、フェルディナンは何時も際限なく受け入れてくれるから。どうしても怒ったりした後はフェルディナンに甘えることが多くなる。それもフェルディナンが嫌がる様子を全く見せないから余計にだ。
そうしてしおらしくフェルディナンの腕の中で黙り込んで甘えている私の代わりに、ツェザーリが驚いた様子で口を開いた。
「これは何というか……陛下が夢中になられるのも無理はないですね」
「分かるか?」
「ここまで可憐で愛らしい方となると、私だけでなく月瑠様に好意を寄せるものは多いでしょうね。人嫌いで有名なシャノンですら警護に付けた当初は少し心配しておりましたが、珍しく月瑠様には心を開いているようですし……」
「困った事に彼女には何度いっても全くそれを認識してはくれないがな」
一体何の会話をしているのかと不思議そうにフェルディナンを見ると、顎に手を添えられてクイッと顔を上向かされた。フェルディナンから愛おしい視線を注がれていることが嬉しくて思わずほわっと微笑み返してしまった。
私の機嫌を直すのなんてよっぽどの理由が無い限り簡単だ。フェルディナンに優しい声で囁かれて愛おしい視線が注がれれば現金にも一発で直ってしまう。
「元来、人に興味を示さなかった陛下がそうまで振り回されているお相手だと噂には聞いておりました。何時もの陛下ならそのような相手、視界に入ることすら許さないでしょう? それを許しているだけでも驚愕するところですが、それを承知で月瑠様を手放そうとなさらないのですから陛下の心中はお察し致します。とは言え、もし陛下がお休みになられたい時がおありでしたら私が代わりを務めましょうか?」
代われるものなら代わると、ツェザーリがそれを含めた話をするとフェルディナンはふっと鼻で笑って軽く一蹴する。
「私以外で彼女に触れようとする者がいるとしたらその者の今後が危ぶまれるだろう。最もそんな愚か者がいるのか私も知りたいところではあるが」
「恐れ多くも陛下の逆鱗に触れることを厭わず、奥深くに隠された庭園の花を愛でたいと願望する者達は数多く存在するでしょう。それを実行するしないに関わらず」
ツェザーリは率直に物を言うフェルディナンとは全く逆の印象だ。獣王というのだからもっと荒々しい人なのかと想像していたけれど。その想像はあっさりと裏切られた。ツェザーリはとても優しい。
大きい生き物程、抱くときは優しく相手を抱くと聞くけれど。フェルディナンは優しくも有り激しくもある。フェルディナンに迫る立派な体格のツェザーリもまた似たような部分を持っているのだろうかとついつい余計な事まで考えて、私は頬が赤くなってくるのを何とか必死に抑えた。
「奇しくも彼女に関わると全ての事柄がままならなくなることは確かに事実ではあるな。害虫駆除は当たり前だが彼女は害虫に気が付いていない。特に表っ面を仮面で覆い隠した二面性のある者達の悪意には特にな」
ふんっと鼻で笑って。フェルディナンはツェザーリに好戦的な目を向けた。つらつらと重ねられる洗練された言葉の数々。その内容はよく分からないけれど自分の事を話されているのにそれに参加出来ないのがまた悔しい。
……フェルディナンまた楽しそうな顔で話してる。男の人って皆こうなの?
少しずつ不満がまた募り始めた。ムーンと頬をちょっとだけ膨らませてフェルディナンとツェザーリを交互に見ながらどうにも出来ない歯痒さに何だか胸がムカムカする。
「陛下、残念ながら強弱の違いはあれど誰しも二面性を持ち合わせているものです。私もその害虫の一人と見做されていらっしゃるのでしょうか?」
「さあな。それともそう思う心当たりでもあるのか?」
「ご冗談を。単に私は陛下のお言葉を掬い取っただけのこと」
「そうか、今まで余りに多くの詭弁を耳にしてきた分少々疑り深くなっていたのかもしれないが。貴殿の言葉に嘘偽りはないとその信頼に足るだけのものを私は貴殿から提示されていないのもまた事実だ」
「ええ、ですから今の所は私のことを信頼されなくても構いません。始めから信頼しろという方が無理な話です。それはこれから我々獣人と人間との交友が本格的に進められていく中で努力しましょう。貴方の信頼を勝ち得る為の嘘偽りない絆を結ぶべく尽力を尽くす所存です」
「それは楽しみだな。丁度国営も落ち着いてきて少し退屈していたところだ」
「はい、貴方はただ私のすることを眺めていればいい」
ツェザーリはフェルディナンに負けず劣らず。とんでもなく好戦的な人物だった。柔らかな物腰で優しく人懐っこい笑みを湛えながらフェルディナンに平気で喧嘩を売っているのだから。そしてそれをぶつけられたフェルディナンも動じること無く軽い口調で受け流している。この二人はもしかしたら私が思っている以上に周りからするとどうにも厄介な存在なのかもしれない。
「言ったな? これは貴殿が望むべくして招いた事態だぞ?」
「ご心配なく。それは十分に承知しております」
本人を置いてきぼりにして頭上で優雅にやり取りされているフェルディナンとツェザーリの難しい言葉の応酬に、自分の事を話されているのは分かっていても今の私ではとても付いていけない。
何となく置いてきぼりにされているのが寂しくて話を理解出来ていないことがちょっと不安で、構って欲しいとフェルディナンの胸元の布を少しだけ引っ張った。
「……月瑠? どうした?」
「あの、陛下……そちらの方は?」
――誰なんだろう?
フェルディナンの気を引いてから私は先程からずっと気になっている事を口にした。私達の前にはツェザーリの他にもう一人、獣人がいる。獣王ツェザーリ・アークライトの隣に少しも見劣りすることなく悠然と佇んでフェルディナン達の話を聞いている人物。
赤髪に左目は金、右目は青という珍しい色違いの瞳。そして耳と尻尾はツェザーリと同じ猫の形状をしているけれど、獣人にしては毛深くなく細身で儚げな印象の美形。
尋ねた私にふわりと優しく微笑んだその表情は英国紳士的でとても穏やかな性格の人に見える。その人はツェザーリの肩を慣れた様子でポンッと親しげに叩いた。
「失礼しました。月瑠様、これはエレン・テオドール。私の父であり、以前は陛下と懇意にしておりましたもので、久しぶりの祖国訪問も兼ねて一緒に伺わせて頂きました」
「……こん、い?」
獣王であるツェザーリに紹介を気軽に求められるなんて相当の人物なのだとは思っていたけれど。何だか変な雲行きに私は変に身体が強張るのを感じた。
えっとぉ~何だか嫌な予感がする。気のせいかな……?
「はい。あの、陛下からお聞きになっておりませんか?」
「?」
「解消はされましたが、当時は陛下の婚約者であり恋人としても有名だったようですよ? と言ってももう25年も前の事ですが」
「こいびと?」
なにソレ? おいしいの?
身体の何処かでビキッと変な音がしたような気がした。
私の機嫌を直すのなんてよっぽどの理由が無い限り簡単だ。フェルディナンに優しい声で囁かれて愛おしい視線が注がれれば現金にも一発で直ってしまう。そう思っていた。そんな事態になることは然う然うないだろうと。
けれども、これは機嫌が直らないよっぽどの理由の内に入る部類のものだった。
私はフェルディナンとの密やかな攻防を水面下で行っている最中に突然訪れた衝撃に、目を白黒させてキョトンとした表情で身体を硬直させてしまった。そうして私が放心しているのをいいことに。王座にゆったりと座り堂々とした王者の風格を漂わせながらフェルディナンは当然とばかりに私をその逞しい腕の中にガッチリと閉じ込めた。
油断した隙を突いての捕獲作業は完璧で。どうにも抜け出せない状況に私は一時休戦を余儀なくされた。小さく溜息を付いてそれから責める代わりにフェルディナンに問うような目を向けると、フェルディナンは穏やかな口調で説明してくれた。
「獣王自らが出向いて来るとは思っていなかったが、来たいと切望している者を拒む理由はないからな。彼等の来訪の目的は長年断絶されてきた獣人達との関係の修復と国同士の友好関係を築くためだ。徐々にだが獣人の国内への移住も行われてきているが、獣人達の身体能力はその種族によって多少の違いはあるもののそれぞれに超人的な特有の能力を持っている。繁殖能力は低く、数では人間の方が勝っているが個々の能力は獣人の方が上だ。保安上の問題からも彼等との話し合いは必要不可欠なものとなる」
「……そうですか、ユーリーが獣人達との絆を取り戻すために奮闘されていたのは知っています。陛下はそれを受け継がれたのですね」
フェルディナンの言うとおり神の国では”神解き”の一件以来、獣人の姿を度々見かけるようになっていた。それというのもユーリーが獣人達の入国を許可する法令を出したからなのだが、まだ獣人との確執を拭え切れていないのが現状で。その溝を埋めるためにどうすればいいのかをユーリーが生前の頃に日夜問わず、獣人達との話し合いを行っているとそれとなく皆から聞いて知っていた。そしてそれをフェルディナンが引き継いでいることを私はこの時初めて知った。
私が王座の間に入室した時に獣人を目にしても驚かなかったのは、目の前にいる青年もそういった友好関係を結ぶべく訪れた関係者なのかと思っていたからだった。と言っても目の前にいる青年は文句を付けようがない程の美青年で。こうして真っ向から見ると纏う雰囲気も他の獣人達と何処か違う。何というか別の世界に生きている人のようで少しフェルディナンに近いものを感じるのだ。
透けるように綺麗な光を放つ黄金の髪と瞳。猫のような形状の耳と尻尾は金と黒と白の縞模様。その光によって収縮の変わる開いた瞳孔は猫のそれと同じもの。そして艶々とした毛並みが見目麗しい容貌に生えて美しい。獣人と言うだけあって骨格もしっかりしていて見栄えも良く、外見年齢は20歳くらいに見える。
ツェザーリは獣人の中でも群を抜い美しく立派ではあるけれど獣王という割には格好が如何せん簡素で王様らしからぬ装いに騙されたというせいもある。もしかしたら正式な謁見という形で公に訪問していないからあまり目立ってはいけないのかもしれない。あえて簡素な格好での訪問という形をとり目立つのを避けたようにも見える。獣人との諍いが以前より緩和されつつあるとはいえ、今はまだ敏感な時期。余計な刺激を与えない配慮なのかもしれない。
ツェザーリの上半身は上腕部から胸元にかけてそれと同じ毛色の獣の毛で覆われている。上半身の半分近くを獣と同じ形態の毛に覆われている為、上に着ている服は軽装で短い前の開いたベストを羽織っている。下半身には伸縮性に優れた素材のズボンに簡易的な長い布を腰に巻き付けていて、余った長い布を太股の横で垂たらしている。
この目の前にいる獣人に限らず、殆どの獣人は似たような形態をしているせいもあってか普段から皆同じような恰好をしている。体毛や尻尾や耳と言った特徴的部位を収納させる利便性の高い格好というとだいたいの形が決まってくるのだろう。
――そしてまごうことなくハッキリと分かる。
獣王ツェザーリ・アークライト、この人は――虎の獣人だと。
けれどその獣人達の王である獣王自らがこうもあっさりと出向いてくるとは想像していなかった。獣王であるツェザーリが両国の友好の架け橋となるべく、シャノンを私の警護に当たらせる為派遣したと言われた時から彼は気になる存在ではあったけれど。
そして目の前の獣王ツェザーリ・アークライトと名乗る人物が昔のような人間と獣人の関係に戻すことを望んでいる。それは私も望む平和だった。穏便に済ませられるのならそうして欲しいし、そうしたい。そこまで思って私はふとあることに気が付いた。
んっ? もしかしてこれってフェルディナンから逃げるチャンス?
このままツェザーリ様の方へ親交を深めるのが目的の名目で近づけばいいのでは? はじめまして的な感じで握手を求める感じならフェルディナンもダメっていえないかも!
悶々と一人考え事をして黙り込んでから、やっとフェルディナンの膝上から下りる理由を見つけ出した私は。それを実行しようとワクワクと目を輝かせて私を抱き締めているフェルディナンの腕をキュッと握りながらフェルディナンを振り返った。けれどそこにあったのは私の想像していたものとは別のものだった。
振り返った先にはフェルディナンの不審に満ちた、見るからに不機嫌そうな顔が待っていた。それもものすごく疑っている。というか疑い以外何の感情も抱いていない眼差し。紫混じった青い宝石のような瞳を細めて瞬き一つせずに半眼でこちらを見ている。
「へ、陛下? どうされたのですか?」
「どうとは?」
「いえ、ですからその……」
「そんなに焦っていると言うことは、君はまた何か良からぬ事を考えていたのか?」
紫混じった青い瞳に薄らと光が反射するその刹那に伝わってくる感情。その全てがどうしたものかとちょっと怒っているようにも感じられてダラダラと冷や汗が背中を伝う。
きゃー! なんでか分からないけど完全にバレてるっ!?
不味い! なんか不味いよねこれっ!? フェルディナンの顔なんか怖いもの!
フェルディナンの疑いの目から逃れるべく私は早急に話を切り替えた。
「――いいえ陛下、そのようなことはございませんわ。獣人達との協力関係を結び和平を築く為であるのならば、ツェザーリ様の来訪は喜ばしい限りです。こんなに早くツェザーリ様とお会い出来るとは思っておりませんでしたが、わたくしもいずれはお会いしたいと思っておりました」
お妃様らしく丁寧でゆっくりとした口調で。なるべく女性らしく優しく。柔和な笑みを心掛けて私はツェザーリに華のような笑み(をしているつもり)を浮かべてニッコリと微笑んだ。まろやかな女性を目指して日々奮闘しているけれど。いざそれを実践するとなると話が違う。なんというか気恥ずかしさで毎回顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
「月瑠様にそう言って頂けるとは恐悦至極に存じます。今回は陛下との会合の折にお顔を拝見させて頂く形になりましたが、今度ゆっくりとお話をさせてい頂ければと思います。勿論、陛下の許可が頂ければですが」
様子を確認するようにツェザーリはチラリとフェルディナンの方を見た。許可を頂ければといいながらも、ツェザーリはそれが貰えるかどうかはフェルディナンの機嫌次第という事をよく分かっている。対するフェルディナンはというと我関せずと言った様子で全くツェザーリを見ようとしない。
この二人の関係は同じ王でもフェルディナンの方が上位を取っているのは傍から見ても明らかだった。
そして私はその微妙なやり取りにくすくすと笑いながらあえてフェルディナンを無視して答えた。そうしないとツェザーリと話をする機会を奪われてしまいそうだったからだ。
「はい、わたくしも楽しみにしておりますわ」
「月瑠……」
咎めるような目を向けてくるフェルディナンが可愛くて。思わずその胸元にキュッと抱きついて上機嫌で甘えるようにすりすりと頬を寄せる。
――不機嫌そうな顔のフェルディナンを見るのは好き。怖いときもあるけど、拗ねてるときは可愛いからすごく好き。
愛おしさに負けて人前でも平気で私が甘えているとフェルディナンは少しだけ機嫌を良くしたようだった。
「……ユーリーが逝去した時に獣人達の件についてはそのまま引き継いでいたんだ。だがそれを君に話すのは時期をみてとも思っていた。君はあの時まだ話を聞ける状態ではなかったからな」
「すみません。もっと早くにお話をお聞きできれば良かったのですが……」
大切なものを慈しむように頬をフェルディナンに触れられて申し訳ない気持ちになる。確かに私はユーリーが亡くなってから暫くの間。ショックで色んな事柄を受け入れることがなかなか出来なくて暗い思いを抱えていた。大切な人達にも心を砕いて接することが出来ないくらいに余裕がない状態だった。
そんな自分が嫌でそう見せないように必死に振る舞ってはいたけれど、バートランドやシャノン、イリヤ達に四六時中監視されているしバレない訳がない。ユーリーが亡くなって直ぐの時期は特に忙しくて、国営に勤しんでいたフェルディナンが私の傍にいられない事も多々あったけれど、会えていない時の私の状況については皆からそれなりに報告が上がっている筈だ。
それにフェルディナンはどんなに忙しくても夜は殆ど帰ってきてくれたから。夜中はずっと共に過ごしていたし。何よりも私の監視に余念のないフェルディナンが私の沈んだ気持ちに、心の変化に気付かないわけがなかった。
「――そんな事を気にする必要はない。最近になってようやく君が心穏やかに過ごせるようになったのをまた陰らせる必要はないんだ」
「……はい」
ションボリと力無く答えながら私がフェルディナンの胸元に顔を埋め込んだ瞬間、フェルディナンはそれまでの優しさを覆すような事を口にした。
「それに悲しみで不安定にまどろみながら私を求める君を抱くのも嫌いじゃない」
「っ!? 陛下!? お客様の前でなにをおっしゃっているのですか!?」
「本当の事だ。愛らしい君を抱くことを何故恥じる必要がある?」
「……陛下、お戯れも程々になさって下さい」
「戯れなどではない。そもそも妻を抱くのは当たり前の事だろう?」
「で、ですが……それとこれとは話が別ですわ」
「子作りは王族の義務と認識している者達が多いからな。それを話されたからと言って気にする者などこの場にはいない。寧ろ夜の営みが順調かどうかを知りたがっている者達なら腐るほどいるが」
「……っ! わたくしはそんなことを他の方々に知られたくはありません!」
「ああ、それに関しては安心してくれ。夜な夜な寝室から聞こえる君の可愛らしい声で私が君をどれだけ愛しているかは言わずとも周りには疾うに知れている」
聞くまでもなく私が毎日欠かさずフェルディナンに抱かれている事を皆知っていると言われて、死にそうなくらいの恥ずかしさに目が回りそうになる。
「あの……」
これ以上、人前でフェルディナンに強く出る訳にはいかなくて。私は顔を真っ赤にしながら途方に暮れた。どうすればフェルディナンの口から出る言葉を止めることが出来るのか思いつかない。最終的にはう~と泣きそうな顔で唸って。フルフルと震えながらフェルディナンの胸元の布をギュッと掴んで見上げるしかなかった。すると今度はポンポンと優しく頭を叩かれた。
「すまない。君があんまり愛らしい反応をするから少しからかいたくなっただけだ」
「本当に……?」
「ああ、もう言わないよ」
うそじゃない……? と、念には念を入れて確認してくる私にフェルディナンは眉根を寄せてとても困ったような優しい表情を浮かべている。王妃の演技が崩れて素の部分を曝け出すまで私を追い詰めてしまったことを、フェルディナンは少し反省しているようだった。
「私が悪かった」
もうやらない……? と最後は目だけでフェルディナンに問うと。今度は見ているこっちがとろけそうになるくらい甘く綺麗な顔をしてくすっと笑った。そんな顔をされて見惚れないわけがない。更には頭にそっと置かれている手が酷く優しくて怒るに怒れないからものすごく困る。
「月瑠、私が悪かった」
もう一度謝罪されて、最終的には謝罪を受け入れる意思表示に私はその分厚い筋肉に覆われた温かい胸板に身体をそっと預けておずおずと遠慮がちに抱きついた。とは言えやっぱりまだ意地が邪魔をしてしまう。どうしても素直になれなくて照れ隠しにいじけた顔をしてプイッと横を向いて黙り込む。
だってそんな話、それも人前でされると本当に何て言っていいのか分からない。
皆とはだいぶ慣れているから普通の話だったら少しは出来るけど、そもそもわたしはそんなに口が上手い方じゃないもの……
そうして思ってションボリとフェルディナンに抱きついていたら。フェルディナンの背中に回した腕ごとグイッと何時もより強い力で、まるでさらわれるように強引に引き寄せられて口づけられる。形の良いフェルディナンの唇が私の唇にしっとりと触れて一瞬だけ舌を絡め取られて思わず甘い吐息が唇から漏れてしまう。
「……んっ」
そうして直ぐに離れたフェルディナンの唇に仄かな熱を残されて、頬をピンク色に染めながら唖然としてしまう。
急な展開にビックリして放心していたら今度は頭上に唇を落とされた。そのくすぐったさに思わず身動いでフェルディナンを見上げると、紫混じった青い瞳と目が合ってその酷く優しい眼差しに抱えている恋心を思いっきり射貫かれる。
「フェルディナン……?」
思わず小さな声で話し掛けるとフェルディナンは私の肩を強く抱き寄せて、それからチュッと優しく額に口づけてくる。
なんでこの人ってこんな恥ずかしいことを平然と人前で出来るのよ――っ!
人前だろうとなんだろうとフェルディナンは普段から人の目など全く気にしない。何時もところ構わず余りにも堂々と触れてくるから困る。
けれど私もその鍛え抜かれた逞しい身体に強く抱き締められて、大きな男の人の手に背中をトントンと優しく叩かれると、どんなに強引にされても結局フェルディナンに流されてそれを許してしまう。毎回最後にはその包容力の高さに少しホッとして、思わず顔が少し緩んでしまうから。私はその胸元にポスッと顔を埋め込んで表情を隠した。
「もうそろそろ許してくれるか?」
「うん……」
フェルディナンの胸元にすりすりと頬を気持ちよさそうに擦り寄せながらも。上手い返し方なんて知らない。と、フェルディナンの腕の中でちょっといじけて。でも寂しいからキュッと抱きついて。まるで素直になれない子供のように胸元で甘えている私を、フェルディナンは何時も際限なく受け入れてくれるから。どうしても怒ったりした後はフェルディナンに甘えることが多くなる。それもフェルディナンが嫌がる様子を全く見せないから余計にだ。
そうしてしおらしくフェルディナンの腕の中で黙り込んで甘えている私の代わりに、ツェザーリが驚いた様子で口を開いた。
「これは何というか……陛下が夢中になられるのも無理はないですね」
「分かるか?」
「ここまで可憐で愛らしい方となると、私だけでなく月瑠様に好意を寄せるものは多いでしょうね。人嫌いで有名なシャノンですら警護に付けた当初は少し心配しておりましたが、珍しく月瑠様には心を開いているようですし……」
「困った事に彼女には何度いっても全くそれを認識してはくれないがな」
一体何の会話をしているのかと不思議そうにフェルディナンを見ると、顎に手を添えられてクイッと顔を上向かされた。フェルディナンから愛おしい視線を注がれていることが嬉しくて思わずほわっと微笑み返してしまった。
私の機嫌を直すのなんてよっぽどの理由が無い限り簡単だ。フェルディナンに優しい声で囁かれて愛おしい視線が注がれれば現金にも一発で直ってしまう。
「元来、人に興味を示さなかった陛下がそうまで振り回されているお相手だと噂には聞いておりました。何時もの陛下ならそのような相手、視界に入ることすら許さないでしょう? それを許しているだけでも驚愕するところですが、それを承知で月瑠様を手放そうとなさらないのですから陛下の心中はお察し致します。とは言え、もし陛下がお休みになられたい時がおありでしたら私が代わりを務めましょうか?」
代われるものなら代わると、ツェザーリがそれを含めた話をするとフェルディナンはふっと鼻で笑って軽く一蹴する。
「私以外で彼女に触れようとする者がいるとしたらその者の今後が危ぶまれるだろう。最もそんな愚か者がいるのか私も知りたいところではあるが」
「恐れ多くも陛下の逆鱗に触れることを厭わず、奥深くに隠された庭園の花を愛でたいと願望する者達は数多く存在するでしょう。それを実行するしないに関わらず」
ツェザーリは率直に物を言うフェルディナンとは全く逆の印象だ。獣王というのだからもっと荒々しい人なのかと想像していたけれど。その想像はあっさりと裏切られた。ツェザーリはとても優しい。
大きい生き物程、抱くときは優しく相手を抱くと聞くけれど。フェルディナンは優しくも有り激しくもある。フェルディナンに迫る立派な体格のツェザーリもまた似たような部分を持っているのだろうかとついつい余計な事まで考えて、私は頬が赤くなってくるのを何とか必死に抑えた。
「奇しくも彼女に関わると全ての事柄がままならなくなることは確かに事実ではあるな。害虫駆除は当たり前だが彼女は害虫に気が付いていない。特に表っ面を仮面で覆い隠した二面性のある者達の悪意には特にな」
ふんっと鼻で笑って。フェルディナンはツェザーリに好戦的な目を向けた。つらつらと重ねられる洗練された言葉の数々。その内容はよく分からないけれど自分の事を話されているのにそれに参加出来ないのがまた悔しい。
……フェルディナンまた楽しそうな顔で話してる。男の人って皆こうなの?
少しずつ不満がまた募り始めた。ムーンと頬をちょっとだけ膨らませてフェルディナンとツェザーリを交互に見ながらどうにも出来ない歯痒さに何だか胸がムカムカする。
「陛下、残念ながら強弱の違いはあれど誰しも二面性を持ち合わせているものです。私もその害虫の一人と見做されていらっしゃるのでしょうか?」
「さあな。それともそう思う心当たりでもあるのか?」
「ご冗談を。単に私は陛下のお言葉を掬い取っただけのこと」
「そうか、今まで余りに多くの詭弁を耳にしてきた分少々疑り深くなっていたのかもしれないが。貴殿の言葉に嘘偽りはないとその信頼に足るだけのものを私は貴殿から提示されていないのもまた事実だ」
「ええ、ですから今の所は私のことを信頼されなくても構いません。始めから信頼しろという方が無理な話です。それはこれから我々獣人と人間との交友が本格的に進められていく中で努力しましょう。貴方の信頼を勝ち得る為の嘘偽りない絆を結ぶべく尽力を尽くす所存です」
「それは楽しみだな。丁度国営も落ち着いてきて少し退屈していたところだ」
「はい、貴方はただ私のすることを眺めていればいい」
ツェザーリはフェルディナンに負けず劣らず。とんでもなく好戦的な人物だった。柔らかな物腰で優しく人懐っこい笑みを湛えながらフェルディナンに平気で喧嘩を売っているのだから。そしてそれをぶつけられたフェルディナンも動じること無く軽い口調で受け流している。この二人はもしかしたら私が思っている以上に周りからするとどうにも厄介な存在なのかもしれない。
「言ったな? これは貴殿が望むべくして招いた事態だぞ?」
「ご心配なく。それは十分に承知しております」
本人を置いてきぼりにして頭上で優雅にやり取りされているフェルディナンとツェザーリの難しい言葉の応酬に、自分の事を話されているのは分かっていても今の私ではとても付いていけない。
何となく置いてきぼりにされているのが寂しくて話を理解出来ていないことがちょっと不安で、構って欲しいとフェルディナンの胸元の布を少しだけ引っ張った。
「……月瑠? どうした?」
「あの、陛下……そちらの方は?」
――誰なんだろう?
フェルディナンの気を引いてから私は先程からずっと気になっている事を口にした。私達の前にはツェザーリの他にもう一人、獣人がいる。獣王ツェザーリ・アークライトの隣に少しも見劣りすることなく悠然と佇んでフェルディナン達の話を聞いている人物。
赤髪に左目は金、右目は青という珍しい色違いの瞳。そして耳と尻尾はツェザーリと同じ猫の形状をしているけれど、獣人にしては毛深くなく細身で儚げな印象の美形。
尋ねた私にふわりと優しく微笑んだその表情は英国紳士的でとても穏やかな性格の人に見える。その人はツェザーリの肩を慣れた様子でポンッと親しげに叩いた。
「失礼しました。月瑠様、これはエレン・テオドール。私の父であり、以前は陛下と懇意にしておりましたもので、久しぶりの祖国訪問も兼ねて一緒に伺わせて頂きました」
「……こん、い?」
獣王であるツェザーリに紹介を気軽に求められるなんて相当の人物なのだとは思っていたけれど。何だか変な雲行きに私は変に身体が強張るのを感じた。
えっとぉ~何だか嫌な予感がする。気のせいかな……?
「はい。あの、陛下からお聞きになっておりませんか?」
「?」
「解消はされましたが、当時は陛下の婚約者であり恋人としても有名だったようですよ? と言ってももう25年も前の事ですが」
「こいびと?」
なにソレ? おいしいの?
身体の何処かでビキッと変な音がしたような気がした。
私の機嫌を直すのなんてよっぽどの理由が無い限り簡単だ。フェルディナンに優しい声で囁かれて愛おしい視線が注がれれば現金にも一発で直ってしまう。そう思っていた。そんな事態になることは然う然うないだろうと。
けれども、これは機嫌が直らないよっぽどの理由の内に入る部類のものだった。
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