乙女ゲーム世界で少女は大人になります

薄影メガネ

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第二章~恋人扱編~

031 約束の指切り

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「っん……」

 朝のまぶしい日差ひざしに私はまだ眠い目をこすりながら起きた。いつも起きた時に見る景色とは違う豪華な内装に、私はあれっ? と思わず首をかしげてしまう。着ている服も何時いつものワンピースタイプの夜着よぎではなく、男物の白いシャツで私には大きすぎて布が余ってぶかぶかだった。

「起きたか?」

 寝ぼけてボーとしていたところで、大好きな人の声が聞こえてきて私は全てを思い出した。ここはフェルディナンの部屋でそれも理性で欲情を抑え込んでいる彼に一緒にいたいと無理を言って、嫌がる彼の反対を押し切って私は自分の願望を叶えた。そしてベッドの上でそのままフェルディナンの腕に抱かれながら――

 私フェルディナンの腕の中で眠っちゃったんだっけ……

 少しの間だけと言われていたのに。何だか悪いことをしたような気がして、私はおそるおそる声のした方へと顔を向けた。するとフェルディナンは私から相当な距離を取ってベッドのはしに腰かけて座っていた。

「えっと、フェルディナン? どうしてそんな遠くに、はしっこにいるの?」

 キョトンとした顔でフェルディナンを見ると、彼はベッドのはしに座りながら不機嫌そうな顔付きで眉をひそめた。

 フェルディナンは夜いていたのと同じ黒い光沢のあるズボンに、き出しだった上半身には黒いタートルネックを着ていた。
 紫が混じった青い瞳に金の髪。女の私よりも色気すら感じるその容貌ようぼうはとても45歳には見えない。そして”黒将軍くろしょうぐん”の異名いみょうを持つ彼の肉体美にくたいびは上半身だけだけれど十分過ぎるほど堪能たんのうしてしまっている。あまりにも綺麗な恋人を前にして私が何時いつものように見惚みほれていると、フェルディナンがあきれたような声を出した。

「……君は、好きな女が同じベッドにいて平然と寝られる男がいると思うのか?」
「好きな女って……」

 私のことですか? と聞いてしまいたくなる。思わず顔を赤くする私の様子を見て、フェルディナンが深々ふかぶかと溜息を付いた。そして私はようやく彼が言いたいことに気が付いた。

「あっ、……えっと……その……」

 ようするに私はフェルディナンに生殺し地獄をあじわわせたってことだ。それも一晩中ひとばんじゅう。寝てしまった私のそばに少しだけどころか一晩中ひとばんじゅう一緒にいることを余技よぎなくされて、フェルディナンはどれだけ頭を悩ませていたのだろうか。それを想像するだけで気恥ずかしさにモジモジと落ち着かない気持ちになる。
 
「頼むから少しは自覚じかくしてくれ」

 そうでないとこっちの身が持たない――フェルディナンがあえてせた部分の思いが伝わってくる。申し訳なさに頭が上がらない。

「う~、ごめんなさい」
「あまり自覚じかくが無いようだから一応言っておくが……」
「なんですか?」
「――俺は君が欲しい」
「……っ!?」

 そう言うフェルディナンの目が余りにも真っ直ぐに私に向けられていて、どうしていいのか分からなくなる。

「君を今このまま最後まで抱いて完全に俺のものにしてしまえば、君も少しは大人しく俺の元にいてくれるようになるのか?」
「あ、あのっ……私……」
 
 戸惑いの声を上げてフェルディナンの方を見ると彼はベッドから腰を上げて私に近づいてきた。私の頬に手を伸ばしてそっと触れてくる。切なそうに紫混じった青い宝石のように綺麗な瞳を細めながら、くるおしい程の愛情と獣のような獰猛どうもうさの入り混じった熱い視線を向けられて私はたじろいでしまう。

おりの中にらえてこの細い足首をくさりつなぎ止めて閉じ込めて、君がてるまでくなき欲望を君にぶつけて抱きつぶしてしまいたいと、そういうことを俺が考えていないとでも思っているのか? 俺は君が思う程誠実でもなければ紳士でもないんだが」

 にっこりと笑ってフェルディナンはその整った形の良い唇から、聞いているこっちが赤面せきめんするような言葉を平然と口にした。

「フェル、ディナン……?」

 ツゥーと背中に汗が流れる。

「君が許しをう姿を想像しないとでも? もっとも君が行為の最中さいちゅうてたとしてもそのまま抱き続けてしまいそうなくらい、その時は抑えることが出来そうにないんだが」
「…………」

 フェルディナンは相変わらずにっこりと笑っているけれど、ひしひしと伝わってくるも言われぬ圧力にくっしてしまいそうになる。私は肉食動物に追い詰められて捕獲される寸前の草食動物のように、プルプルと全身を小刻みに震えさせながら半泣きでフェルディナンを見返した。
 するとフェルディナンはおびえた顔で見つめられて少し毒気どくけが抜かれてしまったらしい。

「はぁっ、まったく仕方ないな。……冗談だ。そんなに怖がらなくても今ここで君を無理やり抱いたりはしない」

 そう言ってフェルディナンはポンッと私の頭を軽く叩いた。

「君はよく俺のことを綺麗だと言うが、君が思っているほど俺は綺麗なことを考えてはいないと少しは理解してくれたか?」
「……フェルディナンもしかして怒ってるの? だからそんなこと言うの?」

 私は最近フェルディナンを怒らせてばかりだ。

「どうだろうな。だが君には遠回しに伝えるよりもにごさずはっきりと直接的にいう方が効果的だということはよく分かったよ」
 
 くすっと笑ってフェルディナンは紫混じった青い瞳を細めた。困ったようなあきれたようなそれでいて優しい複雑そうな表情を浮かべている。

「フェルディナン?」
「だが結局、俺は君には甘いということなんだろうな……」
  
 大人の余裕でフェルディナンはふっと笑った。そして私の頭から手を退いて少し考えるように腕を前に組むと彼は次の瞬間、私の意表いひょうく質問をしてきた。

「ああ、そういえば」
「?」
「昨晩は扉の前で何を聞いていた?」
「……へっ? あっ、えっと特には何も。というか細かいところとか全く聞こえなくて……」
「そうか、ならいい」

 あっさりと話を終わらせたフェルディナンに私は慌てて謝った。

「盗み聞きなんてしてごめんなさい。そのっ、そんなつもりじゃなかったんだけど結果的にはそうなってしまったというか……」
「まあいい、もう済んだことだ」
「そんなに重要な話だったの?」
「まあな……」

 それ以上はフェルディナンも答えてくれそうになかったので、私は別の話を切り出すことにした。

「そうだ! あのっ、前から聞きたかったんだけど」
「ん? なんだ?」

 私が急に話題を変えても、フェルディナンはテンポよく返事を返してくれた。

「その左耳に付けているピアスって、誰かからの贈りものかなにか?」

 フェルディナンの左耳にはいつも欠かさず同じ金色のループピアスが付けられている。

「……何故、そんな事を知りたいんだ?」

 いぶかしむような表情で返されて私は少し言葉に詰まってしまう。

「えっと、だって出会ってからずっと付けているから気になって……寝てるときも付けてるでしょ? だからとても大事なものなんじゃないかなって思って」
「これは月瑠の前に来た異邦人ラヴァーズがくれたものだ」
「……それって卯佐美うさみ結良ゆらさんのことですよね? 私と同じ世界から来た」
「ああ、そうだな」
「でも結良さんはイリヤの恋人で結婚を誓い合った仲だったってイリヤから聞いているのですが。フェルディナンとはその……どんな関係だったんですか? ――あっ! まさかっ!」
「?」

 付き合っている人がいるのにそれ以外の人にそれもピアスのような装飾品をプレゼントするなんてよっぽどだ。それなりの関係でないと成立しないことなのではないかと思う。

「まさかの三角関係っ!? 浮気っ!?」
「……違う」
「あはは~ですよね」
「まったく君は……、どうしてそう突拍子とっぴょうしもないことを――そういうんじゃないんだ。彼奴あいつは……」

 何時いつも堂々としているフェルディナンがこんなにも辛そうな顔で口籠くちごもるのを私は初めて見たような気がした。



*******



 それからフェルディナンは静かな声で私の前に来ていた異邦人ラヴァーズ卯佐美うさみ結良ゆらのことを話してくれた。

 彼女は私と同じ16歳でこの乙女ゲーム世界へ神様の力によって転移してきた女の子で――そして彼女は私と同じようにフェルディナンのところへ突如とつじょやってきた。
 とても明るくて元気のいい、人懐ひとなつっこい女の子で、当初フェルディナンは面倒な子供がきたと思っていたらしい。護衛だけ付けて追い返そうとするフェルディナンの冷たい態度にもくっせず、フェルディナンが何を言おうとも全く気にすることなく、その後も何をするでもなく王城の兵舎にいるフェルディナンの元をちょくちょく訪れるようになったそうだ。

彼奴あいつは当時イリヤと付き合っていたからな。王城へは兵舎にいるイリヤに会いに度々たびたび来ていた。そのついでに興味本位で俺のところにも寄っていたようだったが……それも付けている護衛を振り切って彼方此方あちこち歩き回っていた。目立たないようにしてはいたようだが、どうにも放っておけなくてな」
「…………」

 それ、ちょっと覚えがある身としては何にもコメントが出来ないのですが……
 
「誰かに似ているとは思わないか?」
「そ、そうかな?」

 フェルディナンは少し意地が悪そうな顔をして私を揶揄からかうと再び話を再開した。
 そしてフェルディナンは結良が訪れるたびに冷たくあしらってきたのだが、何を言われても屈託くったくなく笑う彼女のことがフェルディナンはとても面倒になって最後は相手にすることを止めた。それでもめげずに堂々と通って来る彼女とそうして顔を会わせていくうちに、彼女とは年の差も関係なく、信頼できる友人のような奇妙な関係が出来ていったそうだ。

彼奴あいつとは親友だった。それ以上でもそれ以外でもなく。大切な存在だったのは確かだな」
「親友……イリヤはそれを知ってたんですか?」
勿論もちろん知っていた。それに俺達が間違っても一線を越えるような関係ではないこともはっきりとしていたからな。イリヤはむしろ喜んでいたように見えたが」
「そう言えば、結良さんがこの世界に神様の力で転移させられて、一番初めに会ったのは誰なんですか? 結良さんも転移した時は私と同じように町中でポツンと立っていたんですか?」
「一番初めに会ったのがイリヤだ。それと転移した時に出現した場所はイリヤの自室だったそうだ」
「い、イリヤの自室!?」
「それもベッドの上でくつろいでいたら上から降ってきたそうだ」
「…………」

 何て無茶苦茶なと驚きに開いた口がふさがらない。それにしても神様は何て場所に転送させるんだろうと思ったところで一つの疑問が頭に浮かんできた。

「……そう、なんですか――って、あれっ? そう言えばどうして異邦人ラヴァーズをこの世界に転送することを神様は事前に教えてくれないんですか? 王様に教えるとかはしてくれないんですか? 私の時もいきなり知らない場所に一人で転移してびっくりして……」
「事前には告知は受けている。だが異邦人ラヴァーズがどの場所に出現するかまでは特定出来ないそうだ。何でもその世界によって時間軸が違うらしい。それを調整して最小限に留めても、毎回必ずといっていいほど若干じゃっかんのズレが生じる」
ズレた結果・・・・・がイリヤの自室ですか……」
 
 ということは私も下手をするとフェルディナンの自室にいきなり転送させられてしまっていた可能性があったということだった。

「月瑠……?」
「いえ、あの……えっと、あっ! そういえば結良さんが亡くなったのは何年前なんですか? 獣人との抗争に巻き込まれて亡くなったって聞きましたけど……」
「もうあと二週間で丁度9年になる」

 ――9年前ということは当時のイリヤは今32歳だから23歳で、フェルディナンは45歳だから36歳ということで。結良さんが16歳で……何だか頭がごちゃごちゃしてきた。

「――んっ? 二週間後? この世界のこよみって不思議なことに私がいた世界と同じなんですよね。お陰で混乱せずに済みましたけど。ということは今から二週間後って――4月2日……」
「どうした?」
「えっ? 何でもないですよ。何というか切りが良いなと思って」
「切りが良い?」
「私がいた世界の学校では法律で4月2日から翌年の4月1日生まれの人が同じ学年なんです。だから始まりでちょっと切りが良いなって思っただけです」
「……そうか」
「それで、あのっ抗争に巻き込まれて結良さんが亡くなった時、イリヤは?」

 どんな様子だったのかと聞かずにはいられなくておそるおそる私はフェルディナンに尋ねた。

彼奴あいつが死ぬ直前にけ付けたのは俺だったんだ・・・・・・
「……えっ?」
「イリヤは結良の死を看取みとっていない」
「それってどういう……」
「イリヤは結良を助けに行けなかった。――いや、行くことが出来なかったというのが正しいな。結良が死にかけている時、イリヤは俺が依頼した仕事に出ていた。だからイリヤは結良の危機に気付くことが出来なかった」
「そんなっ!」
「イリヤの不在中、俺は彼奴あいつを助けてやることが出来なかった。彼奴あいつを最後に看取みとったのは俺だ。このピアスは結良がその最後の時に残していったものだ。本来なら今際いまわきわに彼女の言葉を聞くべきだったのは俺ではなくイリヤの役目だった」

 全てが想定外の方向へと狂ってしまった現実を叩きつけられて、フェルディナン達がどれ程辛い思いをしたのか私には想像も出来ない。フェルディナンは綺麗な顔をくもらせて辛そうに視線を落とした。

「フェルディナン……?」

 私はそんなフェルディナンを見ていられなくて彼に近寄ってそっと後ろから彼の背中を抱きしめた。フェルディナンは私が抱きしめた手に手を重ねて、私の手を優しくさすっている。彼の手は私の手を全て隠してしまえるくらい大きくて温かい。
 いつも私を甘やかすことにけている包容力ほうようりょくかたまりで、滅多に弱っている姿を見せないフェルディナンがいまは落ち込み傷ついた様子を私に見せている――私は彼をなぐさめるように彼の背中に頬を寄せて抱きしめる手にギュッと力を込めた。

「……俺がイリヤに仕事を頼まなければ、きっと間に合っていたはずだ。結良も死なずにすんだかもしれない。だから結良が死ぬ原因を作ってしまった俺をイリヤはきっと憎んでいる」
「憎んでいるって……イリヤがそう言ったの?」 
「イリヤは今までただの一度もそんな素振りもそんな思いも口にしたことはない」
「だったら……」

 フェルディナンは私の言葉を否定するように小さく首を横に振った。

「あの時俺は彼奴あいつを守れなかった。だから今度こそ俺は君を守る――この命に代えても」

 死を意識したフェルディナンの言葉に私は言いようの不安を覚えた。

「フェルディナン……やだよ。そんな怖いこと言わないで」
「月瑠……?」
「言ったでしょ? 私はフェルディナンと一緒にいたいの。だから命に代えられてしまったらそれこそ本末転倒ほんまつてんとうだし、それにフェルディナンは私より先に死んじゃダメ。私ね。好きな人には私より長く生きてほしいの。私より先に死んでほしくない。だってそうなったらすごく寂しくて生きていく自信がないから。だから私より先に死なないって約束して。お願い」
「……だがそれは……」
「お願い。私より先に死なないって約束して」

 私は16歳でフェルディナンは45歳。29歳差の私達は順番的にもどう考えても無茶なことを言っているというのは分かっていた。けれど私はあえてそれを口にせずにはいられなかった。

「君はとんでもなく不合理ふごうりな約束を強要きょうようしてくれるな……」
「うん、分かってる。でも嫌なの好きな人が先になくなるのは嫌。理屈じゃないの。だからお願い約束して」

 そうきっぱり言い切った私を少しの間眺めてから、フェルディナンはおもむろに顔を近づけると優しく唇に唇を重ねてきた。軽く触れ合うような口づけを交わして唇を離すと、フェルディナンは困ったように眉根まゆねを寄せた――そして、私の再三さいさんのお願いにフェルディナンがついに折れた。

「……仕方ないな。何時いつまで立っても俺は君にはかなう気がしない」
「じゃあ、指切りして」
「指切り?」
「うん、こうして互いの小指と小指をからめて約束するの。それで約束破ったら針を千本飲んでもらうという――」
「月瑠の住んでいた世界はそんな恐ろしいところなのか……?」

 ちょっと待てとフェルディナンが顔をしかめて口をはさんだ。

「あははっ、違うよ。針を千本は例えというか表面的な約束の文句もんくだから。本当に飲まないから安心して? とにかく、これでフェルディナンは私より先に死なないって約束したんだからちゃんと守って下さいね?」
「……分かった」

 フェルディナンを後ろから抱きしめている私のひたいにフェルディナンがコツンと自身のひたいを当ててきて優しい時間が少しだけ流れた。

「……フェルディナンがイリヤに依頼した仕事ってどんなことなの?」
「…………」
「どうしたの?」

 徐々に重苦しい雰囲気が解消されてきたところで、フェルディナンは再び私の質問に少し考え込むようにしてその目線を私からはずしてしまった。長い睫毛まつげが半ばせられて、紫混じった青い瞳に影が落ちる。何時いつもより少しだけ色濃く見える瞳がうれいをびてあやしく光っている。

「……月瑠もそれに関わっている――だから君をイリヤにあまり近づけたくなかった」

  嫌な予感がして私は同じ質問を繰り返した。

「イリヤに依頼した仕事って、何なの?」

 フェルディナンを後方から抱きしめている腕が震えそうになる。少し指先に力を入れて抱きしめる力を強くしたら、フェルディナンは私が不安に思っているのを感じとったのか、私の手をつかんで自身の方へ引き寄せると指と指をからませて優しく握り直してくれた。

「結良の次に来る異邦人ラヴァーズが現れる場所の特定だ」
「それって、まさか……」

 次に来る異邦人ラヴァーズってまさか……

「月瑠――君のことだ」

 ゆっくりと底知そこしれぬ恐怖が衝撃と共に身体中を侵食して、全身が震えていくのを私はおさえることが出来なかった。
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