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第一章~子供扱編~
♂023 逃げ出したい心
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フェルディナンが大人の男性なのだとハッキリと意識して、今迄の飯事のような関係とは明らかに違う表情の彼に私は脅えた。雄の匂いを漂わせているフェルディナンへの恐怖が冷静に対応しようとする思考を凌駕して、どんなに抑えようとしても小刻みに体が震えてしまう。
フェルディナンは私をベッドに下ろした後で素早くマントと甲冑を脱ぎ捨てた。何時もの黒将軍としての彼と会う時よりも簡易的な、黒いタートルネックにズボンという見慣れない男の姿に心臓がドキドキしてどうしようもない。
「フェル、ディナン……さん……?」
震える声で彼の名を呼んで反応を確かめる。ベッドの上で覆いかぶさるような体勢で私の顎を押さえたまま微動だにしないフェルディナンは、肉食獣のような鋭い眼光を宿したままだ。いつもの優しくて穏やかなフェルディナンには戻らない。
分かっていたはずだった。でも言葉で理解しているのと実際にそうだと理解しているのとでは全く違う。私はフェルディナンに恋心を抱いていても、ちゃんとそういうことを理解するには至っていなかった。
――彼がどんなに優しくてもその本質は男だということに。
フェルディナンは私より29歳も年上で。人生経験も豊富だ。当然そういう経験も沢山あるわけで。何といってもこの容姿――恋人なら星の数程いそうだ。だいたい私は子供としか思われていないわけでその恋人候補に入れる可能性は限りなく零に近い。と、そこまで考えたところで私はようやくハタと気が付いた。
んっ? あれっ? ちょっとまって? 子供だと思われているならどうして今、こんな男の顔をしたフェルディナンさんに詰め寄られているんだろう? でも……
「何の冗談ですか? フェルディナンさんらしくないですよ。そんな怖い顔して……」
今こういう状況になっているのはそういう男女の意味ではなくて、私が勝手に勘違いしているだけかもしれない。そう思って私は明るく茶化すように振る舞ったのだが、それは逆効果だったらしい。フェルディナンはふっと鼻で笑って益々凄みのある表情で顔を近づけてきた。
「俺らしくない、とは? どういう意味だ?」
えっ? いま俺と言いましたか?
普段は自分のことを私と言っているフェルディナンさんが?
「…………」
聞き間違え、とか?
混乱する頭で私は何とかフェルディナンの変貌を理解しようとした。が、どうしても理解することが出来ず。どう反応したらいいのかも分からなくなって、私は戸惑いを抱えたまま黙り込んでしまった。するとそれまで怖いくらい男の顔をしていたフェルディナンが固い表情を崩してくすっと笑った。
フェルディナンは子供をあやすような何時もの優しい仕草で私の額に自身の額をくっつけて柔らかい眼差しを向けてきた。
――良かった。いつものフェルディナンさんだ。
緊張で固くなっていた体が和らいでいく。
そうしてホッと胸を撫で下ろしそうになった時、フェルディナンはとんでもないことを口にした。
「まったく、寝ている間にキスする勇気はあるのにどうして肝心のことが言えないんだ?」
……――はいぃっ!? いまなんとおっしゃいましたかっ!?
再びわなわなと小刻みに震え始めた肩を、ロープで縛られたままの両手で必死に押さえながら、私は意を決してフェルディナンに聞き返した。
「まさか起きて……」
と、いうことは――
好きとか言っていたこともばっちり聞かれていたってことですか!?
「眠れるはずがないだろう」
「でもだって! 私のことは子供としか見ていないんじゃ……」
「俺が何時、そんなことを言った?」
心外だとでも言うようにフェルディナンは紫混じった青い宝石のような瞳を細めた。眉間に皺を寄せて少し不機嫌そうな顔をしている。
つまりフェルディナンさんはそういう風に私を見ていた訳で……――不味いっ!
私は身の危険を感じて逃げようとした。しかし逃げようにもフェルディナンの手が私の顎に添えられたまま両手はロープで縛られている。それも逃げる為に自分で用意したロープで。
私は震える指先で私の顎を捕らえたままのフェルディナンの指に触れた。その私の行動をどういう取ったのか、フェルディナンは手を顎から外してくれた。
よし! これであとはなんとか様子を見て逃げ出さないと……
そう思ってフェルディナンを見上げると彼はまたあの怖い顔に戻っていた。それを見た瞬間、全身にぞわっと戦慄が走った。捕食動物に狩られる得物そのもののような感覚に全身が支配されていく。
こ、この雰囲気はとにかく物凄く不味いっ! 早くベッドから出ないとっ!
私は体が完全に委縮しきって動けなくなってしまう前に本能的な反射で体を動かしていた。
「月瑠!?」
フェルディナンのハッとするような声が後ろから聞こえてくる。くるりと身をひるがえし、あと少しでベッドから出られる寸でのところ――そこまできて私は捕まってしまった。
「……っ!」
ベッドの上で逃げ出した私をフェルディナンは軽々と抱き上げてベッドに引きずり上げた。フェルディナンはもがく私を後ろから抱きしめて捕まえると、彼の方を見るように私の顎を捕らえてグイッと顔を斜め後方へと上向かせた。
後ろから抱きすくめられている状態で、フェルディナンの方に顔が向くように強要されて私は更にジタバタともがいた。
「やぁっ! 放して! こんなのフェルディナンさんらしくな――んっ!?」
苦し気に顔を歪める私の唇にフェルディナンの唇が強引に覆い被さってきて続く言葉ごと封じられてしまった。
ギシギシと軋むベッドの上でフェルディナンの形の良い唇に唇を塞がれながら、私はフェルディナンの強引な口づけに耐えるように、必死に彼の強靭な両腕にしがみついた。
後方からはフェルディナンの厚い胸板が一部の隙もないようにぴったりと私の体に密着している。フェルディナンの鼓動を直に背中で感じながら前方をガッチリとした彼の腕に捕らわれて、私はフェルディナンという肉体の檻に閉じ込められた状態で完全に逃げ場をなくしていた。
口づけの合間に吐くフェルディナンと私の熱い吐息が室内に木霊して、くぐもった私の声が繋がっている唇の隙間から漏れた。
「……っん……はぁっ、やぁっ!」
フェルディナンの唇から逃れようとして、私は首を横に振った。
フェルディナンの熱い唇から逃げるのに成功したのは一瞬で、フェルディナンは私の後頭部に素早く手を宛がうと、私の唇に自身の唇を重ね直して強引に深い口づけを再開してしまった。
「……やっ、めっ……ん……」
熱を帯びた欲情した雄の視線を注がれて、フェルディナンの腕の中で逃げ腰になっている私を逃がさないように、彼は鍛え抜かれた太い腕で押さえ込んだまま深々と舌を挿入してくる。
フェルディナンの熱過ぎる舌が私の舌にねっとりと絡みついて、くちゅくちゅと卑猥な水音を立てながら私を欲してもっと深く入り込んでくる。互いの唾液を交換しながらフェルディナンは強引に深い口づけを繰り返し続けた。
「はぁっ、はっ……フェル、ディ……ナ……さ……やっ……っ」
喘ぐように呼吸しながらフェルディナンに止めてほしいと言おうとしても、言葉を口にする前にフェルディナンの唇に塞がれてしまう。彼に強く舌を吸われながら必死に抵抗を試みても16歳の少女の力など、成人男性でそれも黒将軍の異名を持つ武人のフェルディナンには全く歯が立たない。たちまちのうちに捻じ伏せられてしまう。
抵抗も虚しく私はフェルディナンの舌に口腔内を犯されて、息を乱しながら瞳に涙を溜めて彼の動きに従ってしまった。
「……あ……ぃやぁっ……ぁんっ……っ……」
処女で恋愛経験の少ない私にはこれ以上フェルディナンに抗うことは出来ず、強引に唇を重ねられたまま翻弄され続けるしかなかった――
それから小一時間程、フェルディナンの腕に捕まったまま、私は目を閉じてフェルディナンのなすがままに彼と唇を重ね続けていた。後ろから捕まるような恰好をしていたのが、何時の間にかフェルディナンの膝の上に座らせられて正面から向き合うような恰好にさせられていた。私はロープで縛られたままの両手で縋りつくようにして私を掴んで放さないフェルディナンの腕を握りしめていた。
「……ふぁっ……あ……」
そしてフェルディナンと長時間ずっと唇を重ねられて、私は彼の巧みな舌使いにそういう経験が豊富なのだとはっきりと分かってしまった。
こんな滅茶苦茶な状況なのに、私は唇を深く重ね続けるフェルディナンに問いただしたくなった。
――私で唇を重ねたのは何人目ですか?
こうして口づけを交わしている間も見知らぬ過去の相手に嫉妬してしまうくらいに、私はフェルディナンのことが好きなのだと思い知らされる。
逃げる私の両手を縛り付けたうえ、強制的に唇を重ねられてもどうしてもフェルディナンのことを拒絶しきれない。私は何に対しての感情なのか分からないまま、瞳に溜めた涙が零れるのを止められなかった。
頬を伝っていく涙に気付いたのか、フェルディナンが動きを止めた。
フェルディナンは重ねた唇をゆっくりと離した。離れた後も間近で顔を合わせている私達の間に唾液が糸を引いて離れた唇を繋いでいる。
「あっ……」
フェルディナンとの口づけが終わるのを名残惜しむような甘い声が出て、私はあまりの恥ずかしさに赤面して俯いてしまった。
「……月瑠?」
心配するような、気遣うような優しいフェルディナンの声――でも私は気恥ずかしさに頭が上げられなかった。あんな声を出して。これではもっと繋がっていたいとものほしげにしているように見られてしまうような気がして、私はますます顔を上げられなくなる。
そんな私の様子を心配してフェルディナンは私の顎に手を掛けると優しく上向かせた。紫混じった青い宝石のような瞳が私を見下ろしている。あまりにも端正で綺麗な顔立ちは何度見ても慣れるどころか緊張してしまってどうしようもない。それもどうしても彼の唇に目がいってしまう。先程まであの唇が私の唇に触れていたのかと思うと顔から火が出そうだった。
先程の口づけを思い出して感情の収拾が出来なくなった私は、益々赤くなってしまう。
「あっ……やだ、見ないで……お願い……」
そうフェルディナンにお願いしても彼は紫混じった青い瞳を私に向けたまま動こうとしない。
最後はフェルディナンの目を見ていられなくて、私は目を瞑って彼の手が顎添えられたままの状態で、僅かに顔を斜めに背けた。
「月瑠……」
名前を呼んでも返事をしようとしない私の様子を黙って見ていたフェルディナンが、今度は私の頬を伝った涙の跡にそっと舌を這わせてきた。私は思わずビクッと体を震わせて閉じていた目を開けてしまった。
涙の跡を舐めとるフェルディナンの綺麗な顔が間近にある。彼の舌の動きがあまりにも気持ちよくて鳥肌が立ちそうになる。
「やっ! フェルディナンさんやめてっ!」
私はロープで縛られたままの両手をフェルディナンの口に押し当ててフェルディナンを引き剥がした。そうして安心出来たのは束の間で、今度はフェルディナンの口に当てていた私の両掌にフェルディナンは口づけを始めた。
「ひゃんっ! フェ、フェルディナンさんっ!?」
私の悲鳴など無視してチュッと音を立てながら私の手に唇を押し当てるフェルディナンに、私は勢いよくベッドの上で膝立ちになると、目の前にある彼の頭ごと自分の胸元に抱え込んでフェルディナンの動きを止めた。
フェルディナンの動きを止める為とはいえ、自ら墓穴を掘るような行動をとる羽目になるとは――いざとなった時の自分の行動を、私は自身でも全く把握出来ていなかった。
*******
フェルディナンを頭ごと胸元に抱えること数分……
表面上は少しムッとした顔で唇を尖らせて私は怒ったような表情を作っていた。
フェルディナンの行動を怒っているような体裁を取りつつも、実は彼の頭を胸元に抱え込んだまま頭の中ではこれ以上はないという程、おろおろとみっともない位取り乱していた。
私はこの後どうすればいいの~っ!?
そして突然ベッドの上に膝立ちになった私に、自身の頭を胸元で押さえつけられた形のフェルディナンも驚きに目を見張って呆然としている。
それから少ししてフェルディナンは私に頭を抱きかかえられたまま、私の胸元で俯きがちに肩を震わせはじめた。流石にどうしたのか気になって、私は怒っている演技を中断してフェルディナンに話し掛けた。
「あの、どうしたんですか?」
私が話し掛けたタイミングとほぼ同時に、フェルディナンは堰を切ったように豪快に笑い出した。
「あはははははははは!」
「!?」
ビクッと身を竦めて様子を見ている私に、フェルディナンは笑いの余韻を残したまま、半ば涙目になりながら私を見上げてきた。
「くくっ、逃げ出したかと思えば自ら飛び込んでくるなんてな」
……それは本当に、返す言葉もございません、はい。
私は心の中で一人反省した。
「月瑠はいつも何を考えているんだ? あまりにも突拍子もない行動ばかりで俺でも予測ができないぞ?」
可笑しそうに肩を震わせてフェルディナンはまだ笑っている。それにしてもフェルディナンは豪快に大笑いしていても整った顔は全く崩れない。それどころか親しみやすさが増すような気がして、周囲の人間にとっては只々魅力的にしか映らない。
形の良い唇から覗く白い歯。あちこちに戦いによる古傷を抱えながらもきめの整った綺麗な肌をしていて、とても45歳には見えない。
そして紫が混じった宝石のような青い瞳と、サラサラと流れる黄金色の髪にクールで知的な印象の端正な顔立ち――彼を作り上げている全てのものが綺麗で美しかった。
そんなフェルディナンの形の良い整った耳には、左耳に一つだけ金のループピアスが付けられている。何がとははっきり言えないけれど、その金のループピアスだけが彼の身に付けている物の中でも一際異彩を放っているように見えた。
そういえば、このループピアスって何か重要な物だった気がするんだけど……
いかんせん冒頭部分の基礎知識しか知らない私ではそれ以上は知り得ない知識だった。
――それにしても今いるこの世界が『女の子を産まないと帰れない!?~乙女ゲームの世界に転移しちゃいました~』――略して「のをない」。それも18禁のエロゲーだなんていまだに信じられない。現実味がないと言うか――でも実物はゲーム画面で見るよりも数倍格好いいし……
私は半ばフェルディナンに見惚れつつそうして考え込んでいる内に、フェルディナンのことをすっかり置いてきぼりにしてしまっていた。
そうしてフェルディナンの頭を胸元に抱えながら乙女ゲーム世界のことについて色々と頭を巡らせていると――
「面白くないな……」
フェルディナンはそんな私の様子を見てつまらなそうにボソッと呟くと、私に頭を抱えられた状態で、私の背中に腕を回してギュッときつく抱きしめてきた。
「きゃっ」
不意を突かれて私は黒い目をまん丸くしてフェルディナンを見た。
「フェルディナンさん?」
「何を考えている?」
「それは……」
この世界が乙女ゲーム世界でそれも18禁のエロゲーだということを考えていただなんて話出来るわけがない。そもそもそれを話したら18歳になっていないのにエロゲーをやっていたエッチなお子様だと思われてしまう。
私まだゲーム初心者なのに……
「俺以外の男のことでも考えていたのか?」
「はいっ? えっと、それって誰のことを言ってるんですか。まさかイリヤだなんていわな――」
「そこでイリヤが出てくるのか」
「えっ? あのそうじゃなくて。あの、フェルディナンさんそれ勘違いです!」
何を思ったのかフェルディナンは私の長い黒髪を武骨な男の手で優しく梳き始めた。私の否定を無言で聞き流して静かな表情でこちらを見てくる。彼の厚い胸板と身体に回された大きな腕の感触が心地良くて、布越しに感じるその体温の温かさがこのまま眠ってしまいそうなくらいに気持ちいい。
「……何故一人で町へ行こうとしていたのか。理由がまだ聞けていなかったな」
とろんと微睡むような抱擁の最中にもフェルディナンは追及の手を緩めない。
「それは……っ!」
もう言い逃れは出来ない雰囲気を作られて、私は言いようのない不安に顔を曇らせながらも仕方なく口を開いた。
「……私はフェルディナンさんのことを好きになっちゃいけないんです」
「何故だ?」
「好きになったら元の世界に帰れなくなってしまいそうだからです。だからフェルディナンさんのこと諦めようと必死で私……」
「諦めるつもりだったのか?」
「はい……それなのに私好きになっちゃいけないのに、どうしようもなくフェルディナンさんのことが……好きなんです。でもフェルディナンさんは私のこと子供としか見ていないようだったし、これ以上好きな人の傍で子供扱いされるのが嫌だったんです。私みたいに平凡なお子様がフェルディナンさんみたいに大人で綺麗で格好良くて一人で何でも出来る。そんな素敵な人には相手にされるわけがないし、私は論外な相手なんだと思っていたから、だから私……」
「つまり君は町に出かけるつもりだったわけではなく、屋敷自体を出て行くつもりだったのか?」
「はい」
「その理由は俺が君を子供扱いしているから、ということか?」
「それは……」
さっきのフェルディナンさんからのキスで嫌という程、違うことが分かりました。でもいざとなるとどうしても心がついていかなくて、逃げ出したくなってしまうんです。ごめんなさい。
「まったく……子供扱いされたくないと言いながら、肝心なところで逃げてしまう君をどう大人扱いしろというんだ?」
――自制させられるこちらの身にもなってほしい。
とでも言いたげにフェルディナンは金髪を掻き揚げて、紫混じった青い瞳を細めると非難の目を私に向けた。
「ごめんなさい……」
私、まだ暫くは子供扱いでいいです……今回の出来事を経て心底そう思った。
「それにしても……君は甘いな」
「えっ?」
「他の人間は異邦人の意志を尊重して元の世界に帰れるように尽力を尽くすだろうが――悪いが俺は自分のものと決めた相手をそう簡単に手放せるほど聞き分けよく出来てはいない。俺がそう簡単に君を手放すと、本当にそう思っているのか?」
「フェルディナンさん……」
それって――
「捕まえたら絶対に放す気はないそういうことだ」
「あの……」
私が返事に困っているとフェルディナンは更に困った質問を容赦なく続けた。
「それと肝心の話がまだ残っていたな」
「えっ?」
フェルディナンは私の胸元に顔を埋めたまま見上げてきた。
「イリヤと何があったんだ?」
私の身体に回している手に力を込めてフェルディナンは答えを促してくる。
「フェルディナンさん、怒らないって約束してくれますか?」
「それは話によるな」
「だったら話せません」
「……分かった。善処する」
それって約束になっていないような……と、思ったもののこれ以上口を噤んでいる事も出来なくて私は仕方なく重い口を開いた。
「私、……実はあの路地裏でイリヤに無理やりキスされたんです――それで今回屋敷を出て行こうとした時にまたイリヤに会って、思わずその……」
「彼奴……今度会ったら殺してやる」
「フェ、フェルディナンさん……?」
ぼそりと物騒なことを呟いたフェルディナンの表情を見て、その恐ろしさに戦慄が走る。フェルディナンは視線だけで人を射殺せそうなくらい怖い目をしていた。
「それでこんな玩具で対抗しようとしたのか?」
フェルディナンはイリヤから渡されたペーパーナイフをブラブラと揺らして見せた。
「はい……――でもイリヤが私にキスしたのは、それはきっと私のことを心配してくれていたからで私が悪いんです」
聖域に連れて行ってくれたイリヤの話を聞いていたら、そんな気がしてとてもこれ以上イリヤを責める気にはなれなかった。
「そんなことをされてもイリヤを庇うなんて随分仲良くなったようだな」
「……フェルディナンさん怒ってますか?」
「そんな話を聞いて怒るなという方が無理な話しだと思うが」
「でも、あの本当に私が悪かったんです。無茶して心配掛けたから。だからイリヤのこと怒らないでほしいなぁ~なんて、思ったりして……」
フェルディナンは私の申し出にはぁっと溜息を付いて、私の胸元にポスッと顔を埋めて目を瞑ったまま何やら考え込んでしまった。どんな答えが返って来るのかとドキドキしながらフェルディナンを見下ろしていると――
「月瑠」
「はいっ!」
緊張から勢いよく返事をしたものの、私はその後に続いたフェルディナンの言葉にすっかり勢いを削がれてしまった。
「月瑠からキスしてくれたら考えてもいい」
「……へっ?」
フェルディナンの不意打ちのような提案に思わず間抜けな声が出る。
「フェルディナンさん、あの、それはちょっと、そのぉ~……」
勘弁して下さいと目で訴えてもフェルディナンは許してくれない。
「……月瑠」
私の胸元からジッと急かすような視線でこちらを見上げて来るフェルディナンの視線に耐えきれなくて私はとうとう彼の唇に唇を重ねた。おそるおそる啄ばむような軽く触れ合うだけの口づけをして離れると、途端にフェルディナンは不満そうな顔をした。
「……足りない」
大人の男の顔をして更に要求するフェルディナンから、再び雄の匂いを感じ始めて私はタジタジになる。しかし逃げ出したくてもこうもガッチリと抱き締められていては逃げようがない。
――何でこの人、男なのに無駄に色気が多いのっ!?
文句の一つも言いたくなる。甘えるような声を出しながら私を見上げるフェルディナンのその整った鼻梁と上目遣いな視線は妖艶で、色気があるどころの騒ぎではない。ここまでくると生まれ持ったものが違うということをまざまざと思い知らされる。
「フェルディナンさん私にはもうこれが限界で……」
言い終わる前にフェルディナンが私の後頭部に手を回して自身の方へと引き寄せた。そのままの流れで再び唇を重ねられてしまう。
「……ん」
頑なに唇を閉じているとフェルディナンが少しだけ唇を離して囁くように命令した。
「……口を閉じるな」
「でも……っ!」
反射的に言葉を返して口を開いた隙を突いて、フェルディナンが無理やり唇を割って口腔内へ押し入って来た。
フェルディナンは始めこそ強引だったけれど、確かめ合うようにゆっくりと舌を絡めながら壊れ物を扱うようにそっと抱きしめられて、今迄の中でも一番優しい口づけに気持ち良くて思考が溶けそうになる。
昂る感情に潤んだ瞳でフェルディナンと視線を交わしながら、その後もフェルディナンの気が済むまで私達は唇を重ね続けた。
フェルディナンは私をベッドに下ろした後で素早くマントと甲冑を脱ぎ捨てた。何時もの黒将軍としての彼と会う時よりも簡易的な、黒いタートルネックにズボンという見慣れない男の姿に心臓がドキドキしてどうしようもない。
「フェル、ディナン……さん……?」
震える声で彼の名を呼んで反応を確かめる。ベッドの上で覆いかぶさるような体勢で私の顎を押さえたまま微動だにしないフェルディナンは、肉食獣のような鋭い眼光を宿したままだ。いつもの優しくて穏やかなフェルディナンには戻らない。
分かっていたはずだった。でも言葉で理解しているのと実際にそうだと理解しているのとでは全く違う。私はフェルディナンに恋心を抱いていても、ちゃんとそういうことを理解するには至っていなかった。
――彼がどんなに優しくてもその本質は男だということに。
フェルディナンは私より29歳も年上で。人生経験も豊富だ。当然そういう経験も沢山あるわけで。何といってもこの容姿――恋人なら星の数程いそうだ。だいたい私は子供としか思われていないわけでその恋人候補に入れる可能性は限りなく零に近い。と、そこまで考えたところで私はようやくハタと気が付いた。
んっ? あれっ? ちょっとまって? 子供だと思われているならどうして今、こんな男の顔をしたフェルディナンさんに詰め寄られているんだろう? でも……
「何の冗談ですか? フェルディナンさんらしくないですよ。そんな怖い顔して……」
今こういう状況になっているのはそういう男女の意味ではなくて、私が勝手に勘違いしているだけかもしれない。そう思って私は明るく茶化すように振る舞ったのだが、それは逆効果だったらしい。フェルディナンはふっと鼻で笑って益々凄みのある表情で顔を近づけてきた。
「俺らしくない、とは? どういう意味だ?」
えっ? いま俺と言いましたか?
普段は自分のことを私と言っているフェルディナンさんが?
「…………」
聞き間違え、とか?
混乱する頭で私は何とかフェルディナンの変貌を理解しようとした。が、どうしても理解することが出来ず。どう反応したらいいのかも分からなくなって、私は戸惑いを抱えたまま黙り込んでしまった。するとそれまで怖いくらい男の顔をしていたフェルディナンが固い表情を崩してくすっと笑った。
フェルディナンは子供をあやすような何時もの優しい仕草で私の額に自身の額をくっつけて柔らかい眼差しを向けてきた。
――良かった。いつものフェルディナンさんだ。
緊張で固くなっていた体が和らいでいく。
そうしてホッと胸を撫で下ろしそうになった時、フェルディナンはとんでもないことを口にした。
「まったく、寝ている間にキスする勇気はあるのにどうして肝心のことが言えないんだ?」
……――はいぃっ!? いまなんとおっしゃいましたかっ!?
再びわなわなと小刻みに震え始めた肩を、ロープで縛られたままの両手で必死に押さえながら、私は意を決してフェルディナンに聞き返した。
「まさか起きて……」
と、いうことは――
好きとか言っていたこともばっちり聞かれていたってことですか!?
「眠れるはずがないだろう」
「でもだって! 私のことは子供としか見ていないんじゃ……」
「俺が何時、そんなことを言った?」
心外だとでも言うようにフェルディナンは紫混じった青い宝石のような瞳を細めた。眉間に皺を寄せて少し不機嫌そうな顔をしている。
つまりフェルディナンさんはそういう風に私を見ていた訳で……――不味いっ!
私は身の危険を感じて逃げようとした。しかし逃げようにもフェルディナンの手が私の顎に添えられたまま両手はロープで縛られている。それも逃げる為に自分で用意したロープで。
私は震える指先で私の顎を捕らえたままのフェルディナンの指に触れた。その私の行動をどういう取ったのか、フェルディナンは手を顎から外してくれた。
よし! これであとはなんとか様子を見て逃げ出さないと……
そう思ってフェルディナンを見上げると彼はまたあの怖い顔に戻っていた。それを見た瞬間、全身にぞわっと戦慄が走った。捕食動物に狩られる得物そのもののような感覚に全身が支配されていく。
こ、この雰囲気はとにかく物凄く不味いっ! 早くベッドから出ないとっ!
私は体が完全に委縮しきって動けなくなってしまう前に本能的な反射で体を動かしていた。
「月瑠!?」
フェルディナンのハッとするような声が後ろから聞こえてくる。くるりと身をひるがえし、あと少しでベッドから出られる寸でのところ――そこまできて私は捕まってしまった。
「……っ!」
ベッドの上で逃げ出した私をフェルディナンは軽々と抱き上げてベッドに引きずり上げた。フェルディナンはもがく私を後ろから抱きしめて捕まえると、彼の方を見るように私の顎を捕らえてグイッと顔を斜め後方へと上向かせた。
後ろから抱きすくめられている状態で、フェルディナンの方に顔が向くように強要されて私は更にジタバタともがいた。
「やぁっ! 放して! こんなのフェルディナンさんらしくな――んっ!?」
苦し気に顔を歪める私の唇にフェルディナンの唇が強引に覆い被さってきて続く言葉ごと封じられてしまった。
ギシギシと軋むベッドの上でフェルディナンの形の良い唇に唇を塞がれながら、私はフェルディナンの強引な口づけに耐えるように、必死に彼の強靭な両腕にしがみついた。
後方からはフェルディナンの厚い胸板が一部の隙もないようにぴったりと私の体に密着している。フェルディナンの鼓動を直に背中で感じながら前方をガッチリとした彼の腕に捕らわれて、私はフェルディナンという肉体の檻に閉じ込められた状態で完全に逃げ場をなくしていた。
口づけの合間に吐くフェルディナンと私の熱い吐息が室内に木霊して、くぐもった私の声が繋がっている唇の隙間から漏れた。
「……っん……はぁっ、やぁっ!」
フェルディナンの唇から逃れようとして、私は首を横に振った。
フェルディナンの熱い唇から逃げるのに成功したのは一瞬で、フェルディナンは私の後頭部に素早く手を宛がうと、私の唇に自身の唇を重ね直して強引に深い口づけを再開してしまった。
「……やっ、めっ……ん……」
熱を帯びた欲情した雄の視線を注がれて、フェルディナンの腕の中で逃げ腰になっている私を逃がさないように、彼は鍛え抜かれた太い腕で押さえ込んだまま深々と舌を挿入してくる。
フェルディナンの熱過ぎる舌が私の舌にねっとりと絡みついて、くちゅくちゅと卑猥な水音を立てながら私を欲してもっと深く入り込んでくる。互いの唾液を交換しながらフェルディナンは強引に深い口づけを繰り返し続けた。
「はぁっ、はっ……フェル、ディ……ナ……さ……やっ……っ」
喘ぐように呼吸しながらフェルディナンに止めてほしいと言おうとしても、言葉を口にする前にフェルディナンの唇に塞がれてしまう。彼に強く舌を吸われながら必死に抵抗を試みても16歳の少女の力など、成人男性でそれも黒将軍の異名を持つ武人のフェルディナンには全く歯が立たない。たちまちのうちに捻じ伏せられてしまう。
抵抗も虚しく私はフェルディナンの舌に口腔内を犯されて、息を乱しながら瞳に涙を溜めて彼の動きに従ってしまった。
「……あ……ぃやぁっ……ぁんっ……っ……」
処女で恋愛経験の少ない私にはこれ以上フェルディナンに抗うことは出来ず、強引に唇を重ねられたまま翻弄され続けるしかなかった――
それから小一時間程、フェルディナンの腕に捕まったまま、私は目を閉じてフェルディナンのなすがままに彼と唇を重ね続けていた。後ろから捕まるような恰好をしていたのが、何時の間にかフェルディナンの膝の上に座らせられて正面から向き合うような恰好にさせられていた。私はロープで縛られたままの両手で縋りつくようにして私を掴んで放さないフェルディナンの腕を握りしめていた。
「……ふぁっ……あ……」
そしてフェルディナンと長時間ずっと唇を重ねられて、私は彼の巧みな舌使いにそういう経験が豊富なのだとはっきりと分かってしまった。
こんな滅茶苦茶な状況なのに、私は唇を深く重ね続けるフェルディナンに問いただしたくなった。
――私で唇を重ねたのは何人目ですか?
こうして口づけを交わしている間も見知らぬ過去の相手に嫉妬してしまうくらいに、私はフェルディナンのことが好きなのだと思い知らされる。
逃げる私の両手を縛り付けたうえ、強制的に唇を重ねられてもどうしてもフェルディナンのことを拒絶しきれない。私は何に対しての感情なのか分からないまま、瞳に溜めた涙が零れるのを止められなかった。
頬を伝っていく涙に気付いたのか、フェルディナンが動きを止めた。
フェルディナンは重ねた唇をゆっくりと離した。離れた後も間近で顔を合わせている私達の間に唾液が糸を引いて離れた唇を繋いでいる。
「あっ……」
フェルディナンとの口づけが終わるのを名残惜しむような甘い声が出て、私はあまりの恥ずかしさに赤面して俯いてしまった。
「……月瑠?」
心配するような、気遣うような優しいフェルディナンの声――でも私は気恥ずかしさに頭が上げられなかった。あんな声を出して。これではもっと繋がっていたいとものほしげにしているように見られてしまうような気がして、私はますます顔を上げられなくなる。
そんな私の様子を心配してフェルディナンは私の顎に手を掛けると優しく上向かせた。紫混じった青い宝石のような瞳が私を見下ろしている。あまりにも端正で綺麗な顔立ちは何度見ても慣れるどころか緊張してしまってどうしようもない。それもどうしても彼の唇に目がいってしまう。先程まであの唇が私の唇に触れていたのかと思うと顔から火が出そうだった。
先程の口づけを思い出して感情の収拾が出来なくなった私は、益々赤くなってしまう。
「あっ……やだ、見ないで……お願い……」
そうフェルディナンにお願いしても彼は紫混じった青い瞳を私に向けたまま動こうとしない。
最後はフェルディナンの目を見ていられなくて、私は目を瞑って彼の手が顎添えられたままの状態で、僅かに顔を斜めに背けた。
「月瑠……」
名前を呼んでも返事をしようとしない私の様子を黙って見ていたフェルディナンが、今度は私の頬を伝った涙の跡にそっと舌を這わせてきた。私は思わずビクッと体を震わせて閉じていた目を開けてしまった。
涙の跡を舐めとるフェルディナンの綺麗な顔が間近にある。彼の舌の動きがあまりにも気持ちよくて鳥肌が立ちそうになる。
「やっ! フェルディナンさんやめてっ!」
私はロープで縛られたままの両手をフェルディナンの口に押し当ててフェルディナンを引き剥がした。そうして安心出来たのは束の間で、今度はフェルディナンの口に当てていた私の両掌にフェルディナンは口づけを始めた。
「ひゃんっ! フェ、フェルディナンさんっ!?」
私の悲鳴など無視してチュッと音を立てながら私の手に唇を押し当てるフェルディナンに、私は勢いよくベッドの上で膝立ちになると、目の前にある彼の頭ごと自分の胸元に抱え込んでフェルディナンの動きを止めた。
フェルディナンの動きを止める為とはいえ、自ら墓穴を掘るような行動をとる羽目になるとは――いざとなった時の自分の行動を、私は自身でも全く把握出来ていなかった。
*******
フェルディナンを頭ごと胸元に抱えること数分……
表面上は少しムッとした顔で唇を尖らせて私は怒ったような表情を作っていた。
フェルディナンの行動を怒っているような体裁を取りつつも、実は彼の頭を胸元に抱え込んだまま頭の中ではこれ以上はないという程、おろおろとみっともない位取り乱していた。
私はこの後どうすればいいの~っ!?
そして突然ベッドの上に膝立ちになった私に、自身の頭を胸元で押さえつけられた形のフェルディナンも驚きに目を見張って呆然としている。
それから少ししてフェルディナンは私に頭を抱きかかえられたまま、私の胸元で俯きがちに肩を震わせはじめた。流石にどうしたのか気になって、私は怒っている演技を中断してフェルディナンに話し掛けた。
「あの、どうしたんですか?」
私が話し掛けたタイミングとほぼ同時に、フェルディナンは堰を切ったように豪快に笑い出した。
「あはははははははは!」
「!?」
ビクッと身を竦めて様子を見ている私に、フェルディナンは笑いの余韻を残したまま、半ば涙目になりながら私を見上げてきた。
「くくっ、逃げ出したかと思えば自ら飛び込んでくるなんてな」
……それは本当に、返す言葉もございません、はい。
私は心の中で一人反省した。
「月瑠はいつも何を考えているんだ? あまりにも突拍子もない行動ばかりで俺でも予測ができないぞ?」
可笑しそうに肩を震わせてフェルディナンはまだ笑っている。それにしてもフェルディナンは豪快に大笑いしていても整った顔は全く崩れない。それどころか親しみやすさが増すような気がして、周囲の人間にとっては只々魅力的にしか映らない。
形の良い唇から覗く白い歯。あちこちに戦いによる古傷を抱えながらもきめの整った綺麗な肌をしていて、とても45歳には見えない。
そして紫が混じった宝石のような青い瞳と、サラサラと流れる黄金色の髪にクールで知的な印象の端正な顔立ち――彼を作り上げている全てのものが綺麗で美しかった。
そんなフェルディナンの形の良い整った耳には、左耳に一つだけ金のループピアスが付けられている。何がとははっきり言えないけれど、その金のループピアスだけが彼の身に付けている物の中でも一際異彩を放っているように見えた。
そういえば、このループピアスって何か重要な物だった気がするんだけど……
いかんせん冒頭部分の基礎知識しか知らない私ではそれ以上は知り得ない知識だった。
――それにしても今いるこの世界が『女の子を産まないと帰れない!?~乙女ゲームの世界に転移しちゃいました~』――略して「のをない」。それも18禁のエロゲーだなんていまだに信じられない。現実味がないと言うか――でも実物はゲーム画面で見るよりも数倍格好いいし……
私は半ばフェルディナンに見惚れつつそうして考え込んでいる内に、フェルディナンのことをすっかり置いてきぼりにしてしまっていた。
そうしてフェルディナンの頭を胸元に抱えながら乙女ゲーム世界のことについて色々と頭を巡らせていると――
「面白くないな……」
フェルディナンはそんな私の様子を見てつまらなそうにボソッと呟くと、私に頭を抱えられた状態で、私の背中に腕を回してギュッときつく抱きしめてきた。
「きゃっ」
不意を突かれて私は黒い目をまん丸くしてフェルディナンを見た。
「フェルディナンさん?」
「何を考えている?」
「それは……」
この世界が乙女ゲーム世界でそれも18禁のエロゲーだということを考えていただなんて話出来るわけがない。そもそもそれを話したら18歳になっていないのにエロゲーをやっていたエッチなお子様だと思われてしまう。
私まだゲーム初心者なのに……
「俺以外の男のことでも考えていたのか?」
「はいっ? えっと、それって誰のことを言ってるんですか。まさかイリヤだなんていわな――」
「そこでイリヤが出てくるのか」
「えっ? あのそうじゃなくて。あの、フェルディナンさんそれ勘違いです!」
何を思ったのかフェルディナンは私の長い黒髪を武骨な男の手で優しく梳き始めた。私の否定を無言で聞き流して静かな表情でこちらを見てくる。彼の厚い胸板と身体に回された大きな腕の感触が心地良くて、布越しに感じるその体温の温かさがこのまま眠ってしまいそうなくらいに気持ちいい。
「……何故一人で町へ行こうとしていたのか。理由がまだ聞けていなかったな」
とろんと微睡むような抱擁の最中にもフェルディナンは追及の手を緩めない。
「それは……っ!」
もう言い逃れは出来ない雰囲気を作られて、私は言いようのない不安に顔を曇らせながらも仕方なく口を開いた。
「……私はフェルディナンさんのことを好きになっちゃいけないんです」
「何故だ?」
「好きになったら元の世界に帰れなくなってしまいそうだからです。だからフェルディナンさんのこと諦めようと必死で私……」
「諦めるつもりだったのか?」
「はい……それなのに私好きになっちゃいけないのに、どうしようもなくフェルディナンさんのことが……好きなんです。でもフェルディナンさんは私のこと子供としか見ていないようだったし、これ以上好きな人の傍で子供扱いされるのが嫌だったんです。私みたいに平凡なお子様がフェルディナンさんみたいに大人で綺麗で格好良くて一人で何でも出来る。そんな素敵な人には相手にされるわけがないし、私は論外な相手なんだと思っていたから、だから私……」
「つまり君は町に出かけるつもりだったわけではなく、屋敷自体を出て行くつもりだったのか?」
「はい」
「その理由は俺が君を子供扱いしているから、ということか?」
「それは……」
さっきのフェルディナンさんからのキスで嫌という程、違うことが分かりました。でもいざとなるとどうしても心がついていかなくて、逃げ出したくなってしまうんです。ごめんなさい。
「まったく……子供扱いされたくないと言いながら、肝心なところで逃げてしまう君をどう大人扱いしろというんだ?」
――自制させられるこちらの身にもなってほしい。
とでも言いたげにフェルディナンは金髪を掻き揚げて、紫混じった青い瞳を細めると非難の目を私に向けた。
「ごめんなさい……」
私、まだ暫くは子供扱いでいいです……今回の出来事を経て心底そう思った。
「それにしても……君は甘いな」
「えっ?」
「他の人間は異邦人の意志を尊重して元の世界に帰れるように尽力を尽くすだろうが――悪いが俺は自分のものと決めた相手をそう簡単に手放せるほど聞き分けよく出来てはいない。俺がそう簡単に君を手放すと、本当にそう思っているのか?」
「フェルディナンさん……」
それって――
「捕まえたら絶対に放す気はないそういうことだ」
「あの……」
私が返事に困っているとフェルディナンは更に困った質問を容赦なく続けた。
「それと肝心の話がまだ残っていたな」
「えっ?」
フェルディナンは私の胸元に顔を埋めたまま見上げてきた。
「イリヤと何があったんだ?」
私の身体に回している手に力を込めてフェルディナンは答えを促してくる。
「フェルディナンさん、怒らないって約束してくれますか?」
「それは話によるな」
「だったら話せません」
「……分かった。善処する」
それって約束になっていないような……と、思ったもののこれ以上口を噤んでいる事も出来なくて私は仕方なく重い口を開いた。
「私、……実はあの路地裏でイリヤに無理やりキスされたんです――それで今回屋敷を出て行こうとした時にまたイリヤに会って、思わずその……」
「彼奴……今度会ったら殺してやる」
「フェ、フェルディナンさん……?」
ぼそりと物騒なことを呟いたフェルディナンの表情を見て、その恐ろしさに戦慄が走る。フェルディナンは視線だけで人を射殺せそうなくらい怖い目をしていた。
「それでこんな玩具で対抗しようとしたのか?」
フェルディナンはイリヤから渡されたペーパーナイフをブラブラと揺らして見せた。
「はい……――でもイリヤが私にキスしたのは、それはきっと私のことを心配してくれていたからで私が悪いんです」
聖域に連れて行ってくれたイリヤの話を聞いていたら、そんな気がしてとてもこれ以上イリヤを責める気にはなれなかった。
「そんなことをされてもイリヤを庇うなんて随分仲良くなったようだな」
「……フェルディナンさん怒ってますか?」
「そんな話を聞いて怒るなという方が無理な話しだと思うが」
「でも、あの本当に私が悪かったんです。無茶して心配掛けたから。だからイリヤのこと怒らないでほしいなぁ~なんて、思ったりして……」
フェルディナンは私の申し出にはぁっと溜息を付いて、私の胸元にポスッと顔を埋めて目を瞑ったまま何やら考え込んでしまった。どんな答えが返って来るのかとドキドキしながらフェルディナンを見下ろしていると――
「月瑠」
「はいっ!」
緊張から勢いよく返事をしたものの、私はその後に続いたフェルディナンの言葉にすっかり勢いを削がれてしまった。
「月瑠からキスしてくれたら考えてもいい」
「……へっ?」
フェルディナンの不意打ちのような提案に思わず間抜けな声が出る。
「フェルディナンさん、あの、それはちょっと、そのぉ~……」
勘弁して下さいと目で訴えてもフェルディナンは許してくれない。
「……月瑠」
私の胸元からジッと急かすような視線でこちらを見上げて来るフェルディナンの視線に耐えきれなくて私はとうとう彼の唇に唇を重ねた。おそるおそる啄ばむような軽く触れ合うだけの口づけをして離れると、途端にフェルディナンは不満そうな顔をした。
「……足りない」
大人の男の顔をして更に要求するフェルディナンから、再び雄の匂いを感じ始めて私はタジタジになる。しかし逃げ出したくてもこうもガッチリと抱き締められていては逃げようがない。
――何でこの人、男なのに無駄に色気が多いのっ!?
文句の一つも言いたくなる。甘えるような声を出しながら私を見上げるフェルディナンのその整った鼻梁と上目遣いな視線は妖艶で、色気があるどころの騒ぎではない。ここまでくると生まれ持ったものが違うということをまざまざと思い知らされる。
「フェルディナンさん私にはもうこれが限界で……」
言い終わる前にフェルディナンが私の後頭部に手を回して自身の方へと引き寄せた。そのままの流れで再び唇を重ねられてしまう。
「……ん」
頑なに唇を閉じているとフェルディナンが少しだけ唇を離して囁くように命令した。
「……口を閉じるな」
「でも……っ!」
反射的に言葉を返して口を開いた隙を突いて、フェルディナンが無理やり唇を割って口腔内へ押し入って来た。
フェルディナンは始めこそ強引だったけれど、確かめ合うようにゆっくりと舌を絡めながら壊れ物を扱うようにそっと抱きしめられて、今迄の中でも一番優しい口づけに気持ち良くて思考が溶けそうになる。
昂る感情に潤んだ瞳でフェルディナンと視線を交わしながら、その後もフェルディナンの気が済むまで私達は唇を重ね続けた。
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