乙女ゲーム世界で少女は大人になります

薄影メガネ

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第一章~子供扱編~

021 醒めきらない夢

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 あれだけ刺激の強い状況では絶対に一睡もできないと思っていた。けれど私は思っていたよりもお子様だったらしい……

 気付けば早朝、それも隣で無防備むぼうびな顔をさらしていたフェルディナンは起きた時にはもういなかった。私は急いで着替えをすませると、屋敷の執事にフェルディナンの行方を聞きに行った。
 執事といったけれど実は本物の執事ではない。この乙女ゲーム世界にいる女は異邦人ラヴァーズ異邦人ラヴァーズの産んだ子供だけしかない。完全な男だけの逆ハーレム世界なのでメイドが存在していないのだが、その代わり執事の姿をした使用人たちが屋敷を管理していた。

「フェルディナン様は何でも重要な会議があるとかで王城へ出かけられましたよ?」
「そうですか……」

 どうやらフェルディナンはとっくに起きて仕事に出かけてしまったらしい。それも重要な会議ということは……今日はフェルディナンの帰りは遅くなりそうだ。フェルディナンには内緒で町中に一人で出てみようかと、私はあれだけ酷い目にあったにもかかわらずりもせずに考えていた。 

 だってこれ以上フェルディナンの手をわずらわせたくない。色々と考えなくちゃいけないことは沢山あるけど、とりあえず今は一日でも早く正規せいきのルート以外で元の世界に戻れる方法を探し出さないと……

 そう決意して歩き出そうと足を踏み出しかけた時、執事姿の使用人から衝撃の話が飛んできた。

「月瑠様にはフェルディナン様より起きた時に伝えるようにと伝言を預かっております」
「はいっ? あの、伝言って?」

 出鼻でばなくじかれて、何? とびっくりした間抜けな顔で私は聞き返してしまう。

 何か悪いことでもしただろうか? まあ覚えが少しは――というか相当にあるけど……

「絶対に屋敷を出るな、とのことです」
「……――はっ?」

 出ちゃダメってどういうことですか? というか私が無断で出かけようとしてることしっかり読まれてるっ!?

 もしかしてまた反逆の徒リベリオンと言われている獣人が徘徊はいかいしているから危ないとかそういうことなのだろうか。でももうあんな薄暗い裏路地には行かないし大通りの安全な場所で情報収集すれば大丈夫じゃないかな? と安易な事を考えていると、使用人の話にはまだ続きがあった。

「ちなみに本日は屋敷にいる使用人は全員、フェルディナン様より月瑠様の護衛をするようにとおおせつかっております」
「全員――って何故!? んっ? もしかしてそれって……!」

 驚愕きょうがくに黒い瞳をこれでもかと見開いてから私はハタと気が付いた。
 ようは警護と言いつつも彼等かれらはフェルディナンが留守の間に、私が絶対に屋敷の外に出られないようにする為の傭員よういんとしてフェルディナンから差し向けられた監視役ということだ。

「フェルディナンさんこんなの酷いですよっ!」

 こんなの横暴おうぼう過ぎる!

 私は涼しい顔をして事務的に告げた使用人へ詰め寄った。護衛など必要ないと必死に執事姿の使用人に訴えたが当然聞き入れてはもらえなかった。



*******



 朝の出来事から数刻が経過した今も私はフェルディナンからの伝言を忠実に守っていた。
 フェルディナンと離れてから一日も立っていないのに、私はもう彼がこいしくて仕方がなくなっていた。ここまで強くフェルディナンへの恋心を抱いていながら、それでもその思いを彼に伝えるわけにはいかなかった。

「好きって言って引かれちゃったらそれこそ最悪じゃない……好きな人に距離を取られたうえ元の世界に帰れないかもしれないって――救いようがなさ過ぎて物凄く怖いんですけど……」

 私はきっとフェルディナン以外を好きになることなんてないと思う。だから彼に断られたら正規せいきのルートでの帰還方法の道は断たれるそういうことだった。正規せいきのルート以外の方法を探してはいるものの、やはり唯一はっきりしている帰還方法が断たれるというのは相当なリスクだった。
 フェルディナンにどう思われているのかさっぱり分からないのに、自分の思いを伝えられるだけの覚悟がまだ私には出来ていなかった。それだけのリスクを負う勇気がなかった。だから今のままではきっと何時いつまで立っても彼に思いを伝えられない。
 
「とにかく今はそれよりも目の前のことに集中しないと」

 今日はフェルディナンの伝言のせいで、すでに半日を無駄に過ごしてしまった。けれど私は外へ出ることをあきらめてはいなかった。今は丁度お昼時。食事の準備で忙しくなる時間帯だ。そして私はこの時を待っていた。

 この時の為に私はずっと大人しくフェルディナンの伝言を守っていた。
 まずは脱出する気配を見せずにいつも通りに振る舞って使用人達を安心させること。この半日の間私はひたすら忍耐強くそれを演じ続けていた。
 そして最後の仕上げに大人しく食事の席について料理が出されるのを待っている振りを私は演じきった。そうして使用人達が完全に油断したところで、忙しく用意にいそしんでいる彼等かれらの目をくぐり、フェルディナンの屋敷を囲っている高いへいの前まで来ることに何とか私は成功した――
 
「――大丈夫、いいつけを破っても、ようは私がフェルディナンさんに見つからなければ怒られることもないんだし」

 いいつけというか伝言なんだけどね……

 もうすっかりフェルディナンの子供のような気分だ。変なところでポジティブになりながら、私は屋敷の高いへいの前まできた。

 フェルディナンの伝言を聞いてからずっと、私はこの屋敷からの脱出を考えていた。彼の伝言にカチンときたというのが今回の行動にいたるスイッチになったのは確かだった。そんな自分の思ったよりも負けず嫌いというか天邪鬼あまのじゃくな部分を発見して最初は少し戸惑った。
 
「何て言うのかな、ここまでくるともう意地いじというか何というか……」

 ――だんじてねている訳ではないと私は自分に言い聞かせるように心の中でつぶやいた。フェルディナンは私のことをどうせ子供としか思っていないのだから。一緒に添い寝しようが抱きしめられようがそれはそういう意味ではない。
 フェルディナンが私にしてくれる行為は小さな子供にするものと同じ。夜怖い夢を見た子供がいたら抱きしめて優しくあやしてあげる。つまりはそういうことなのだと、私は曖昧あいまいな状態で宙ぶらりんになっている恋心を振り切ることにした。

「中途半端な状態でいるよりはやっぱりこうするのが一番いいんだよね……」

 あらかじめ目を付けていたへいの近くにある巨木きょぼくを登りそのままへいに乗り移ってからロープを使って降りる。そうして屋敷の外へ出たら何処どこか別の場所へ身を寄せようと考えていた。幸い異邦人ラヴァーズは自由人。どの場所へも出入り自由な存在だからなんとかなるだろう……多分。
 この屋敷を脱出した後の事をそうやって考えて、やぱり全く大丈夫じゃなさそうだと分かっていても、私は自身の行動を止めたくなかった。だってあまりこの屋敷に長居ながいしていると勘違いしそうになる。フェルディナンの優しい言動が私を好きだからじゃないかと。

 これを実行してしまえば、もうフェルディナンさんには会えないんだよね……

 じわっと涙がにじんできて、私はぐいっと涙を乱暴にぬぐった。そして巨木きょぼくを登る時に邪魔にならないように腰にロープを巻き付けて、計画を実行しようと屋敷の庭で大きく育った巨木きょぼくみきつかんだ……ところまでは良かった。

「あれっ? ……登り方が分からない」

 小さい頃に木登りをしたことはあるけれど、ここまで大きな木には登ったことはない。それに想像していたよりも勝手が分からなくて困った。

「こういうのって流れ的にスルスル登れちゃいそうなんだけど……」

 簡単とまではいかなくても何とか登れると思っていたのに私は登れなかった。予定と違う。まさかの事態に道筋が見えなくて途方に暮れるも、助けを呼ぶわけにもいかないそう思った時、頭の中にふっとあの人の言葉が浮かんだ。
 

 <この国を去りたくなったら俺の名を呼べ。そうすれば即座にけつけよう>


 この国を去りたいとまでは思っていないんだけどね……

 でもこの乙女ゲーム世界で私は彼以外に頼るものが何一つ無い状況だった。もう形振なりふかまっていられなくて、私は彼の名前を呼ぶことにした。

「シャノ……」
「――ねえ、今誰の名前を呼ぼうとしたの?」
「えっ?」
「もしかして逃げようとしてる?」
「イリヤ……っ!?」
 
 先程まで私が登ろうとしていた巨木きょぼくの上に、足をブラブラと投げ出して太い枝に座りながら楽しそうに私を見下ろしているイリヤがいた。

「……何時いつの間に」
「まっ俺には関係ないけど、でもそれってフェルディナンが知ったらかなり不味いんじゃないかな。俺には久方ひさかたぶりに激昂げっこうするフェルディナンの姿が目に浮かぶんだけど」
「――激昂げっこうって昨日のフェルディナンさんも十分怒っていたと思いますが」

 薄暗い路地裏でイリヤと対峙たいじしていたフェルディナンは今迄見た中でも最大級に怒っていた。 

「そうだね。っと言いたいところだけど……残念ながらあの時は俺という存在自体が邪魔をしてかせになっていたからね。何だかんだで抑えている状態だから怒りの心髄しんずいにまではたっしていないんだよ。ストッパーが掛かっていない状態でのフェルディナンの怒りはあれ以上だから――月瑠がフェルディナンから逃げたと分かったら、前回以上にフェルディナンは怒ると思うけど?」
「えっと、あの……意味が分からないのですが。それってつまりフェルディナンさんはイリヤに本気で怒れないってことですか?」
「ははっ、まあそんなところかな。フェルディナンは俺に負い目を感じている部分があるからね」
「?」
「そのうちフェルディナンが話してくれるさ。だからそれまでは何も聞かないでくれると有難ありがたいんだけどな」
「……分かりました。それまでは私も何も聞かないことにします」
「ありがとう。助かるよ」

 相手が誰であれ無理やり聞き出すとかそういうことはしたくない。

「――それにしてもどうして貴方あなた此処ここにいるの?」

 イリヤはあの路地裏で私にしたことなど気にも留めていない。それどころか逆に親しげに話し掛けられて、私は冷静をよそおいながらも内心は必死に恐怖に耐えていた。そんな私の心情を知ってか知らずかイリヤは私の質問に何も答えずに微笑むと木の上から軽やかに着地した。地面に降りたイリヤが私の方にゆっくりと近づいてくる。八重歯がのぞくその笑みは獰猛どうもうで、イリヤの赤い瞳が血の色に見える位の恐怖に私は襲われた。

「いやっ! 来ないで!」

 私は念のために部屋から持ち出してポケットに忍ばせていたペーパーナイフを咄嗟とっさつかんでイリヤにその切っ先を向けた。手先の震えがペーパーナイフに伝わってフルフルと小刻みにれる。私は極限きょくげんまで震えを抑えようと手に力を込めた。

「そんなもので俺に対抗できると本気で思っているのかな?」
「…………」

 私の必死な様子にイリヤは始終楽しそうに微笑みを浮かべるばかりだ。私は恐怖に心がじわじわと侵食しんりょくされていくのを感じながら、この局面きょくめんをどうすれば乗り切れるのかそればかり考えていた。一流の暗殺者でもあるイリヤにペーパーナイフなど子供の玩具おもちゃだろう。

「大丈夫だよ、今回はあの路地裏の時みたいに君を襲うようなことはしない。今日は別の用事があって君に会いにきたんだよ」

 警戒けいかいする私にイリヤはくすっと笑って好意的な笑みを向けた。

「別の用事って何ですか……?」
「これから一緒に来てほしいんだ」
「一緒に?」
「といっても用事が済んだらちゃんとフェルディナンのところに返してあげるから安心していいよ。シャノンみたいにさらっていこうとかしたりはしないから」
「…………」
「一緒に来てくれないなら月瑠が脱走しようとしてそれもシャノンを呼ぼうとしていたこと、フェルディナンに言ってもいいんだけどね?」
「……っ!?」
「今から俺と一緒に来てくれたらそれについては黙っていることにしてもいいんだけど」
 
 にっこり笑ってイリヤは悪びれた様子もなく脅迫きょうはくめいた言葉を口にした。

「……何処どこに行くんですか?」
「それは着いてから話すよ」
「でも……」
「もう本当に月瑠を襲ったりしないからさ。約束する」
「――分かりました。それとさっきの……本当にフェルディナンさんには脱走しようとしていたことは内緒にしてくださいね?」
「俺は一度約束したことは守るたちなんだ。だからおいで」

 イリヤから差し出された手を私は取るしかなかった。



*******



 そうしてイリヤに連れて行かれた場所は王城の奥の裏手にある不思議な場所だった。そこには沢山の綺麗な花々が咲き乱れ、吹きすさぶ風に花弁はなびらを散らす――夢のような情景の中で一定間隔に均等に置かれた石碑せきひがずらっと並んでいる。
 
此処ここ聖域せいいきと呼ばれている異邦人ラヴァーズと王族たちの墓標ぼひょうなんだよ」
墓標ぼひょう……」
 
 お墓と言われてもどれも同じ形で違いが私にはまったく分からなかった。

「よくこんな秘密の隠れ家みたいな場所に入ることをお城の人が許可してくれましたね。だって此処ここってかなり重要な場所なんでしょ?」
 
 イリヤと私がこの場所に来る時、当然門番のように入り口を見張っている王城の兵士が数名いたのだが、誰も私達を引き止めることもなく黙って通してくれた。呼び止めるどころか彼等かれらは一言も私達に声を掛けてこなかった。

「一応俺も王族の血を引いているからね。それに月瑠は異邦人ラヴァーズだ。此処ここに入る資格をどちらも持っているから誰も呼び止めたりはしないさ」
「資格って?」
此処ここに入れるのは王族と異邦人ラヴァーズだけだと決まっているんだよ。ほんの一握ひとにぎりの者達しか入れない――限られた者達しか出入りを許されていない場所だからこそ此処ここ聖域せいいきと呼ばれて神聖視しんせいしされているんだ。月瑠にはその凄さを少しは実感してほしいんだけど……」

 無理だろうね。とイリヤは笑って私の頭をでた。
 フェルディナンがでる時は包み込むようにひたすら優しく、甘すぎる砂糖菓子みたいな印象だけれど、イリヤは懐かしい別の何かをまるで追憶ついおくの記憶を思い出してでもいるように触ってくる。

 ――私じゃない別の誰かを見てる?

「……イリヤはどうして聖域せいいきに私を連れてきたんですか?」

 私の質問にイリヤはでる手を止めると一つの石碑せきひに視線を落とした。それは他の石碑せきひと同じ形状をしている。隣のものと比べてみてようやく私は違いに気が付いた。石の表面に彫られている言葉だけがみんな違うことに。

 そっか、日本にはあまりない形状のお墓だからよく分からなかったけど、海外だと一般的なお墓だったよねこういうの。確か故人こじんに送られた言葉が石の表面に彫られてるんだっけ……だから言葉だけ違うんだ。
 
 何と書かれているのか読みたかったけれど、所々に散った花弁はなびらが文字の上に乗っていて上手く読みくことが出来なかった。

此処ここには月瑠の前に来た異邦人ラヴァーズが眠っている」
「私の前の異邦人ラヴァーズ?」
「彼女の名前は卯佐美うさみ結良ゆら、俺の恋人で結婚を誓った人だった」
「!?」
「彼女は俺の前で命を落としたんだよ」

 壮絶そうぜつな内容とは裏腹うらはらにイリヤの表情は負の感情を失くしてしまったように一切のうれいを見せない。達観たっかんしたというよりもあきらめてしまったようなそんな笑顔だった。だからなのかイリヤの笑みが私には少し悲しそうに見てしまった。

「どうして……」
「?」
「どうして悲しい時もイリヤは笑うんですか?」

 この人は何時いつもどんな時でも人のことを揶揄からかうようにしか笑ってくれない。

「君にはそう見えるのかい?」 

 そう聞いている今もイリヤは微笑みを崩さずにこちらを見ている。

「……イリヤ」
「彼女は反逆の徒リベリオンとの争いに巻き込まれて亡くなった。異邦人ラヴァーズの中でも最も短命に命を終わらせた。だから月瑠、俺は君にも同じ運命を辿たどってはほしくないんだよ。きっとそれはこの国の誰もが思っていることだろうけど」
「誰もがってどういうことですか?」
「彼女は余りにも早く逝き過ぎたんだよ。その亡くなり方も余りにも衝撃的過ぎて……あの時からこの国の誰もが潜在的に異邦人ラヴァーズを失うことを酷く恐れるようになった。まともな人間ならね。勿論もちろんフェルディナンも例外じゃない」
「フェルディナンさんは余り神様や異邦人ラヴァーズのこと好きではなさそうですけど……」
「確かに神のことはあまり好きではないだろうね。異邦人ラヴァーズをどう思っているかまでは分からないけど。だけど月瑠が異邦人ラヴァーズだからって月瑠を嫌うなんてことはあり得ないよ」
「……でも初めて会った時は何となくですけどそんな感じがしました……」
「それはきっとフェルディナンもどう接していいのか分からなかったんだと思うよ。誰だって戸惑うさ。それも月瑠は結良ゆらが亡くなった歳と同じだから余計になんじゃないかな? 結良ゆらと同じ歳の異邦人ラヴァーズが再び現れてあの時の悲劇を思い出さない奴なんていないさ――たとえ黒将軍くろしょうぐん異名いみょうを持つこの国最強の将軍でもね」
「フェルディナンさんも……?」
「君を失うことを恐れている。だから、そんなフェルディナンの前から何も言わずに消えたりしたらどうなるか。そろそろ分かって来たんじゃないかな?」
「……はい」

 結良ゆらさんも私と同じ16歳でそれも亡くなったなんて……だから黒衣こくいの軍の人達もフェルディナンさんの屋敷の人達も皆あんなに優しくしてくれるのかな? 
 
 この乙女ゲーム世界に転移したその日のうちに、私は黒衣こくいの軍の人達と初めて会った。その時に感じたあの酷い緊張と沈黙はそのせいだったのかもしれないと私は思いいたった。

「だからさっ、フェルディナンが君を嫌う何てことはあり得ないんだし、もう少しフェルディナンに気持ちをぶつけてみてもいいんじゃない?」
「えっと……その、イリヤ? 何言っているの? それじゃあまるで私が――」
「月瑠の気持ちなんてはたから見てもバレバレなんだけど。それはフェルディナンも同じだけどね。知らぬは当人ばかりなりって言葉知ってる?」
「…………」
「――それにしてもどうして俺は月瑠をここに連れてきたんだろうな」
「何ですかそれ……」

 深い溜息と共にイリヤは今更なことを口にして、不思議そうにその綺麗な深紅の瞳を細めてあごに手を置くとしげしげと私を見てきた。どんなに腹が立つような内容であっても鼻筋の通った綺麗な顔立ちだと一つ一つの仕草しぐさが絵になる。そして仕方がないと許してしまいたくなる。

 ずるいなぁ……

 私は半ば強制的におどして連れてきたくせにと非難ひなんの目を向けるのが精一杯だった。

「――俺もきっと他の奴等やつらと同じように月瑠に結良ゆらを重ねてしまったのかな。過去の墓標ぼひょうに思いをせて、めきらない夢の中にでもいる気分だよ。でも俺はいまだにそこから逃れることも出来ないでいる。あれからもう大分だいぶつっていうのに滑稽こっけいとしか言いようがないな」

 イリヤは自嘲気味じちょうぎみに自分を責めるように笑った。

「……どれだけ月日つきひとうとも大切な人を完全に忘れきるなんてこと出来るわけないですよ」
「月瑠?」
「イリヤがそれだけ大切に思っていた人なんでしょう? 結良ゆらさんは。だったら忘れる必要なんてないんです。大切な人をそう簡単に忘れることなんて出来ない」
「月瑠……?」
「だからイリヤは私を此処ここに連れて来てくれたんでしょう? 結良ゆらさんへの思いを通して私に一人じゃないって教えてくれる為に」
「それは……どうだろうね」
「イリヤはたまに此処ここに来ているんですか?」
「まあたまにだけどね。何か報告とかがあった時とかは立ち寄るけど……それくらいかな」
「私思うんですよ。お墓って故人こじんの為に建てるってイメージにとらわれがちですけど、生きている人の為にこそあるんじゃないかって。イリヤみたいに何か報告することがあったりして立ち寄るような――今を生きている人が気持ちの整理をする為に立ち寄ったり、他の誰かに何か大切なことを伝えたりするようなそんな場所でもあると思うんです」
「……それは考えたことなかったな」
「えっと、まあそういう考え方もあるんだってことで。ではそろそろ私をフェルディナンさんのところに返してくれますか?」
「分かったよ。それと一応確認しておくけど、もう脱走するつもりはないんだよね?」
「それは……別の方法を考えます」

 何と言っても木すら登ることが出来ず屋敷の敷地内で一歩も外へ出られないまま断念せざる負えなかったのだから、またやるにしてもやり方をもう少し考え直さなければならなかった。が、今はフェルディナンの元へ帰りたい気持ちが強くなってしまっていた。脱走なんて考えたことを後悔する位にイリヤの話が心に響いていたのは事実だったけれど、状況がどう転ぶのか分からない状態では逃げ道を断つような返事を返すことも出来ない。 

「そうか。別の方法ね――君のことだから何かしら無茶しそうだけど。まあやるにしてもあまり無理はしないでほしいんだけどね?」
「……それは保障出来かねます」
「保障、出来ないのか……だそうだよシャノン? 今後もし彼女から呼び出されても無理はさせないでほしいんだけど」
「――それは心しておこう」

 そう言ってイリヤの呼びかけに応じて私達の後方から姿を現したのは、黄金の瞳に青みがかった灰色の毛並みの耳を頭に生やした獣人の男性、シャノン・シュライバーだった。
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