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薄影メガネ

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第一章~子供扱編~

005 腕の揺り籠

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 ――全ては一瞬の出来事だった。

 私の腕を強引につかんでいた男の手から解放されて、私はその場にへなへなと崩れ落ち、ひざを付いて座り込んでしまった。
 男の手から解放されたこと。そして私と男達の間に割って入り助けてくれた人によって、今確実に守られているということ。その2つの事実に安心して一気に体から力が抜けてしまった。……とても、立ってはいられなかった。

 大柄な男性にいとも簡単にせられた男が痛みに顔をゆがめながら発する悲鳴が町中に響き渡る。男性は黒いマントをひるがえし男の腕をせたまま、私を引きり込もうとしていた男達に向かってもう一度言い放った。

「このような往来おうらいの場でお前達は何をしているのかと聞いている!」

 大柄な男性の低く威厳いげんのある声。その後ろ姿から伝わる圧倒的な存在感。そして私達の周りを囲っていた群衆ぐんしゅうは息を潜め。固唾かたずんで見守っていた。この大柄な男性が只者ただものではないということはこの場の誰もが感じていた。
 ひりつくような緊張感がただよう中、地面にペッタリと座り込んでいる私からは広い背中とはためく黒いマント姿しか確認することは出来ない。
 そして背中越しに聞こえてくる怒りに満ちた男性の声に、私は何故だか恐怖を感じなかった――それどころか心地良いとすら思ってしまう。男性の声に感極かんきわまって体が小刻みにカタカタと震える程の妙な感覚に囚われながら、周りにいる人達と同様にただ静かに見守っていることしか私には出来なかった。

「お、俺達はただ異邦人ラヴァーズが一人でいたから親切にしてやろうとしてただけだ!」
「そうだ! そうだっ! 危ないから保護してやろうとしてただけなのに何てことしやがる!」
「突然出てきてフザけたこと抜かしやがってっ! お前こそそいつを放しやがれ!」

 ついに本性をき出しにして次々と口汚くわめき散らす男達に、大柄な男性はあきれた様に口を開いた。

「保護、だと……? 私には嫌がる女を無理やり引きり込もうとしていたようにしか見えなかったがな――それともお前達はそうすることが保護だとでも言い切るつもりか? 民を守り国を守ることに忠誠を誓いし黒衣こくいの軍――それをひきいる私に向かってその台詞せりふを吐くか……」

 はたから見ても明らかに多勢たぜい無勢ぶぜいの不利な状況。
1人対10数人――圧倒されてしまうはずのその人数をものともせず決して引かないその後ろ姿に、私は緊迫した状況だということを忘れて不覚にも見惚みとれてしまった。

 この男性の恰幅かっぷくの良さ。そして先程の男を軽くせた腕といい。顔は後ろを向いているから見えないけれど、黒い甲冑にマントを羽織はおったこの特徴的な後ろ姿は――

「……フェルディナン・クロス?」

 まぶしそうに目を細めて私は男性を見上げた。先程まで男につかまれていた腕をさすりながら、地面にひざを付いたままの恰好で男性の名をつぶやくと、それが男達にも聞こえたのだろう。先程までの勢いは何処どこへ行ったのか途端におろおろとみっともない位に狼狽うろたえ始めた。

「おいっ! やばいぞこいつは黒将軍くろしょうぐんのフェルディナン・クロスだっ!」
「フェルディナン・クロスだと!?」
「黒い甲冑とマントをまとった伊達男だておとこって話は聞いてことがあるが……」
「あの千人斬りをやってのけたっていう噂の……?」
「俺は一国いっこく丸ごと滅ぼしたことがあるって聞いたぞ!?」

 そうして次第に大きくなっていくさわぎを、話題になっている本人が自ら止めに入った。

如何いかにも――私がお前達の言うフェルディナン・クロスだ」

 つる一声ひとこえとはこのことを言うのだろうか? フェルディナンの言葉にそれまで騒いでいた男達がピタリと口を閉ざした。

「今後一切いっさい、この異邦人ラヴァーズと関わりを持つことを禁じる! 今回だけは特別に見逃してやるが次はないものと思え!」

 フェルディナンの恫喝どうかつ鼓膜こまくがビリビリと震えた。彼の全身からは目に見えるのではないかと思う位の闘気と殺気があふれ出している。
 真正面から対峙たいじしている男達は後姿しか見えない私とは比較にならない位の衝撃を受けたのだろう。フェルディナンの怒りをじかびた彼等の顔色が一斉いっせい青褪あおざめていく。
 そうして男達が少しずつフェルディナンからじりじりと後退する光景は窮地きゅうちおちいったヒロインをヒーローが助ける図そのもので――まるで映画のワンシーンをなまで見ているようだ。

「――それが分かったなら早々そうそうれ」

 フェルディナンの低く怒りに満ちた声色こわいろに男達は「くそっ」「覚えてろ」等、ありきたりの台詞せりふを残して次々と蜘蛛くもの子をらすように足早に去って行ってしまった。フェルディナンにせられていた男も、彼に解放されると痛む腕を押さえてヨロヨロとよろめきながら去っていった。

「どうしてモブキャラな私がこんなめに……」

 ――本当に勘弁してほしい。

 実際に体験するのとテレビの前で眺めているだけなのとではこうも違うのかと、私は両手を地面に付けてガックリと項垂うなだれながら思わずそうつぶやいてしまった。

「……モブ、キャラ?」

 フェルディナンが不思議そうな顔をして私の言葉を拾い上げた。何時いつの間にか攻略対象キャラのフェルディナン・クロスが私の真正面に立っている。
 それも座り込んでいる私を見下ろすその姿は、先程までの黒いマントをはためかせ怒りに声を低くしている後ろ姿とまるで印象が違う。真正面からこちらを見下ろしているフェルディナンは小さな子供を相手にしているような、少し心配そうな甘く優しい表情を浮かべている。

 攻略対象キャラ、フェルディナン・クロス――その容貌ようしは見ているこっちが気恥ずかしさに思わず目を泳がせてしまうくらい綺麗すぎて正直困る。
 金髪碧眼きんぱつへきがんの堀の深い顔は、眉尻まゆじりに大きな古傷を抱えている。彼の形の良い整った耳には金のループピアスを左耳に一つだけ付けていて。髪は全体的に短く切りそろえられている。サイドが少し長めの伊達男風だておとこふう。紫の混じる青い瞳が知的な印象を与え、その色の美しさは周りを魅了してやまない。とはいってもクールで知的な印象の顔立ちをしていて間違っても遊び人には見えない。

 180㎝以上はある大柄な肉体は、毎日の鍛錬たんれんによってきたえ上げられ。たくましいはがねのような筋肉に包まれている。それをおおう黒い甲冑とマントが彼の華やかな印象を引き締め、より一層彼の魅力を際立きわだたせている。
 腰には黒い甲冑とマントに見合みあった黒曜石のような輝きを放つ漆黒しっこくの大剣をたずさえ。つやめく漆黒の刀身はさやのない抜き身の状態のまま直接フックで腰から下げられている。

 誰もが彼に抱かれることを切望せつぼうする。そう思うのも納得できるくらいに彼は見眼麗みめうるわしい均整のとれた見事な容姿をしていた。そしてフェルディナンは将軍という地位に登り詰めているだけあって、武術のみならず頭脳も相当に秀でている。

 文武両道の彼は45歳という設定になっているのだが、老若男女ろうにゃくなんにょ問わずとにかくモテる。年齢など関係なく彼は誰をも魅了するキャラだ。そしてもれなく私も彼に魅了された内の一人となっていた。

「……大丈夫か?」

 フェルディナンの内にめたしんの強さを、その抜き身の漆黒の大剣を腰にたずさえた姿から感じ取り、思わずボーとフェルディナンに見とれていた私は、彼に再度話し掛けられてハッと我に返った。

「えっ? あっいえ、えっとその……私は大丈夫ですっ! あの、モブキャラって言うのは平凡で平均的な要素しかないキャラクターのことです。つまりは町中を歩いていても誰とも見分けがつかないような、特徴のない人のことで――」
「君が平凡で平均的だと?」

 ふっと鼻で笑ってフェルディナンは可笑しそうに私を見てきた。

「君の元いた世界ではどうだったか知らないが、こちらの世界では君はとても平凡で平均的な人間とは言い難いな。こちらの世界に転移する時に神から説明はある程度受けているとは思うが――一応言っておく、女は……異邦人ラヴァーズはこの世界ではとても珍しい存在なんだ」
「……そう、なんですよね。一応」

 女と言うだけでその容姿が平凡で平均的なモブキャラでも関係なく、この世界では珍獣ちんじゅうのようなものになってしまう――というか絶滅寸前の最後の生き残りのようなものだ。
 一種のレアキャラ。それも超が付く程の。どうやら私は幻やら伝説のキャラ的存在になってしまったようなのだが、困ったことにいまいちというか全くと言っていいほど実感がいてこない。

「立てるか?」
「はい、大丈夫で――」

 フェルディナンから差し出された手をつかもうとして、手を伸ばし足に力を入れた――が、私はあることに気が付いた。

「どうした?」

 途中で言葉を止めた私をフェルディナンがのぞき込むようにして見下ろしている。

「すみません、ちょっと待ってもらえますか?」
「?」
「あっ! それか置いて行ってもらっても――」
「君は……何を言っているんだ?」

 ――そんなこと出来る訳がないだろう? そう紫混じった青い瞳が言っている。

「いや、それがですね……」
「?」
「あはははは、どうやら腰が抜けたらしくて立てな――きゃッ!」

 誤魔化ごまかし笑いを浮かべながらみなまで言い終わる前にフェルディナンがひょいっと私を抱き上げた。その流れるような自然な動作に、私は抵抗する暇もなくあっさりと抱き上げられてしまっていた。
 私はワンテンポ遅れてフェルディナンの腕の中から出ようとしてジタバタともがいたが、フェルディナンのガッチリとした両腕はしっかりと私を抱き上げていてゆるむ気配すらしない。

「あのっ! フェルディナンさん私少し休めば歩けますから! だから降ろして下さい!」

 私の言葉にフェルディナンがその紫混じった青い綺麗な瞳を細めてとがめるような目を私に向けてきた。

「こんな町の真ん中でそれも地面に座り込ませたままでいさせろというのか? 君は」
「それは……!」

 ――そうなんですけど。でもこのお姫様抱っこも相当に恥ずかしいんです! と、言葉を続けたいところだがフェルディナンの言うことにも一理いちりある。それに助けてもらった身の上では流石さすがに申し訳なさすぎてこれ以上は言い出せなかった。

「なら、大人しくしているんだな」
「……はい」

 気恥ずかしさに頬をほのかにピンク色に染めながら渋々しぶしぶと不満気にうなずく私の様子を、微動びどうだにせず大人の顔をして見守っていたフェルディナンが、私をお姫様抱っこしたままゆっくりと歩き出した。

 フェルディナンの歩調に合わせてれる腕の中は、フェルディナンの体温がじかに伝わってきてとても温かい。まるでかごの中にでもいるような心地よい感覚に段々と眠くなってしまう。
 どうやら私は一連の騒動のお陰で相当に疲れていたようだ。突然の強い眠気に襲われて意識がとおのいていく。

「あったかい……」

 むにゃむにゃと寝言のようにつぶやいて、フェルディナンの厚い胸板に子供の様に無邪気な仕草しぐさでコテンと頭を預けた。こうしているとフェルディナンの力強い心臓の音が甲冑を通して聞こえてくるような気がしてすごく安心する。
 そうしてウトウトと半ば意識のない私の顔に掛かっていた髪をフェルディナンが武骨ぶこつな男の指先でそっと優しく払ってくれた。

「……んっ……」

わずかにフェルディナンの指先が頬をかすめて身じろぐ私を安心させるようにフェルディナンが優しく話し掛けてきた。

「――大丈夫だ。君を害する者はもういない。だから安心して休むといい」

 そう言われて私は眠る許可をもらったような気になって、残っていた意識がガラガラと崩れ落ちていく。行き先を聞く余裕などなく、私はフェルディナンの胸元に寄り掛かりギュッと身を寄せるようにして、そのまま彼が作り出した腕のかごの中で眠りに落ちてしまった――
 そうして静かな寝息を立て始めた私にフェルディナンは困ったように眉根まゆねを寄せた。

「まだ子供だな……」

そうつぶやいたフェルディナンの言葉はすっかり深い眠りに落ちてしまった私には届いていなかった。
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