宝石の街〜精霊の宿るもの〜

霧乃

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1 厄介な珍客

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 イルダという、山間にある小さな町があった。

 別名、宝石の街と呼ばれるそこは、世界の奥底に住まうといわれる貴石の精霊が降り立ったという伝説が息づいており、町の西側にある巨大な鉱山では、美しく質の高い鉱石が絶えることなく採掘されている。
 その中に希少な魔法石も紛れているという事実もまた、この町の価値を高めていた。

 宝石の街は、選りすぐられた素晴らしい貴石を持ち、そしてその加工技術もまた、自然と発展していった。
 多くの坑夫が集い、多くの加工職人を排出し、それらを売買する者たちが集まるその町は、小さくも確かに豊かだった。
 ──ただひとつ、ある事象が、その豊かな町に少しだけ影を落としていた。



 長い冬を終え、春が始まり、そして終わろうとしている時節。
 寒さのにじむ風はなくなり、暖かな陽気が差し込む、穏やかな午後。

 職人が店を構え、宝石商人の店が大小建ち並ぶメインストリートは、人の気配がなくいやに静かだった。どの店もぴったりとドアが閉められ、灯りが消えた店内はすっかり冷えきっている。

 そんな中、通りの一角にある小さな店のランプだけは、ぼんやりと元気がなさそうに火が灯っていた。とても誰かを歓迎しているとは思えないその灯りは、狭い店内のガラス棚に飾られた、様々な宝石たちをキラキラと輝かせていた。
 アクセサリーに加工されたものや、磨かれカットされた石、原石、色も形も同じものはひとつもない。

 それらから視線を外し、店の奥に目を向けると、小さな作業場が見える。
 あまり片付かれておらず雑然としたその作業場には、ひとりの青年が熱心な瞳で、机に向かい、研磨機を動かしていた。希少な魔法石を使って動かす、鉱石研磨に必要不可欠なその道具は、この町のならではだ。
 青年の座る椅子の下には、真っ黒で毛足の長い大きな犬が、目を閉じて寝そべりながら主人の仕事の音に耳を傾けていた。

 青年はエルツという名前で、この店で見習い貴石加工職人として働いている。
 小さな店はかつて職人として身を立てた祖父が構え、今は同じく職人となった父親が継いでおり、エルツもまた同じく職人として身を立てようとしていた。
 かつてはそのことが当然で、やる気も才能もある有望な若者だった。しかしここ数年、彼は見習いの立場に甘んじるばかりだった。


 
 不意に、犬が顔を上げて、店の扉を見つめた。
 それに続くようにカランと扉に取り付けられていた鐘が鳴った。

 作業に没頭していたエルツははっと顔をあげ、手を止めた。
 加工していた鉱石はそのままに、機械に取り付けられた魔法石を取り外し机の引き出しにさっと仕舞う。
 しっかりと鍵をかけ、鍵は胸ポケットに入れて、彼は息を吐いた。

「…珍しいな、この季節に客か?」

 犬は音もなく主人を見上げると、エルツはそっと犬の頭をなで、面倒そうに椅子から立ち上がった。
 そうして、相変わらず元気のないランプに照らされてキラキラと輝く宝石の並ぶ店内に足を踏み入れた。

 ”客”としてそこに立っていたのは、泥に汚れた布を纏った、猫背で痩せた男だった。
 旅人かなにか、だろう。とても買い付けにきた商人や、宝石集めが趣味の貴族には見えなかった。

 物珍しそうに、はたまた慣れない場所に居心地悪そうに、きょろきょろと辺りを見回し、その猫背をさらに丸めている。なんとも面倒そうな客が来てしまった…エルツは内心そう思いながらも、愛犬の濡れた鼻せっつかれて客に声をかけた。

「…いらっしゃい。あんた、もしかしてこの町は初めてなのか」

 ランプの軸を操作すると、薄暗かった店内は一気に明るさを増した。それに驚いたのか、びくっと客は肩を揺らした。青年の存在にようやく気づき、ばっと顔をあげ、何度も小刻みに頷く。

「あ、ああ。さっきようやくここに着いたんだ…買い取って欲しい貴石がある。
宝石の街ってんだからと立ち寄ったのに、誰もいやがらない…どうなってんだ…?」

 扉の向こうのメインストリートを振り返り、客は神経質に爪を噛みながらどもりながらそう言った。
 ちらりと客を伺い、エルツはまたひとつランプに火を入れながら話し始める。

「何をそんなに急いでるのか知らないが…あんた本当になにも調べないで来たんだな。
 春の終わりのこの時期は、この街は休暇に入るんだよ。坑夫も、商人も職人も、みんな一年の蓄えを持って地方に買い出しに行くんだ。今いるのは中央にある教会の奴らだけさ」

 彼もまた、誰もいないメインストリートを見やれば、向かいの家の軒下で野良猫がのんびりと昼寝をしているのが見えた。

「この街の住人が外にでるなんてのは一年でもこれっきりだから、目一杯遊んで一年は持つように買い出して…大体ひと月は帰ってこないな」
「はあ!? なんだって…だからどこの店もやってねぇのか! あ、あんたはどうなんだ」
「俺は見習い職人の中のはずれクジ。平たく言えば留守番だ。あんたみたいに何も知らないで来た客の応対をして、皆が帰って来た後に取り次ぎをするのがこの一ヶ月の仕事」

 はあ、とまた息を吐きながら、メモをするための用紙を取り出し、羽ペンをインク壺に浸した。

「それであんたはどうするんだ。
 石を売りたいって話だが、俺はまだ見習いだから大きな額は出せない。取り次いでおくからまた夏になったら来ればいい」
「いや、それじゃあ遅い! 今すぐにでも金に変えたいんだ…」

 ちらりとまた、客はメインストリートを振り返った。相変わらず誰もいない。

「事情は知らないが…なら教会に行けばいい。あそこなら休暇中もやってるし、正規の売買ができる。ただ教会との取引きは金がかかるから箔をつけたい貴族や王族相手の商売なんかじゃなければおすすめしないが…」

 青年は紙とペンを机に置き、男をじっと見つめた。教会という単語に、びくり、と男は拒絶するように肩を揺らす。

「いや、教会はダメだ! 頼む、ここでいい! 端金でもいい!」
「仕方ない客だな…分かった。一応見てやるよ。…ただし条件がある」

 面倒そうだった青年の目が、一瞬ぎらりと鋭さを増す。男は驚いたように身を引いた。

「な、なんだ…?」
「”精霊の忘れ形見”は、俺は見ない。売るならそれ以外にしてくれ」

 唸るような低い声に、男は声もなく何度も頷いた。

「そ、そんな希少なもの、持ってるわけないだろぉ…」
「それもそうだろうが、念のため、だ」

 何かを伺うように、じっと男の目を見つめながら、ならいいと了承すれば、男は慌てて懐から石を取り出した。
 瑣末な布袋に入れられた原石は、男の親指の爪より一回り大きなものが4つ。色は群青色で、磨かれずともきらきらと星空のように輝いていた。

「いい石だな…」

 エルツはそれを手のひらに乗せ、転がしながらそうつぶやいた。傾き始めた西日が、瀟洒な扉の覗き窓から差し込んでくる。もうすぐこの石に似合いの夜がやってくる。
 取り出したルーペを目に当て、西日に透かしながら覗き込んだ。きらきらと目の前に星空が広がるのが、すぐに分かった。

 ざわ、ざわ、ざわ…。

 不意に、声が聴こえ始めた。
 土がきしむ音。岩が割れる音。風が流れる音。花が咲く音。誰かが走る音。きらきらと輝く石の中、石の記憶が眼前の輝きとともに、エルツの頭に響いて来る。
 エルツは幼い頃から、石の持つ“記憶“を敏感に感じとり、聞くのが得意だった。

「(これはいい石だな…だがなにかおかしい…?)」

 美しい光景を見つめながら眉根を寄せる。 

(やめて、)

 ささめく自然の音の中から、か細い少女の声が聴こえた。エルツの心臓が、どくりと波打つ。

 おかあさん、おかあさん
 やめて、つれていかないで

 わたしまだ、まだ生きたい、やだやめてわたしは…―――。


 星空に似合わない悲痛な声。ハッとエルツは目を見開いた。

「この石は、忘れ形見じゃないか!」

 エルツは苦々しく声を吐き出し、拒絶するように石から目を離した。思わず放った石は、布の上に落ち、コロンと転がり他の石にぶつかる。
 苦痛に歪んだ顔を振り払うようにかぶり振り、浮き出た脂汗をそのままに、震える手で客の男に掴みかかった。

「あんた、これをどうやって手に入れた…!」
「ヒッ…なんでバレたんだ!? あんなのただたのキレイな石だろ…!」

 ぎりぎりと掴みかかる彼の腕を力の限り振りほどいた男は、慌てて石を掴んで外に飛び出した。勢いでガラス棚に叩きつけられた青年は舌打ちをし、自身の犬に呼びかける。


「ブルガ、追え! 絶対に逃すな!」

 ブルガと呼ばれた真っ黒な忠犬は、大きな体で機敏に男を追いかけ、その命令通りに男に猛然と飛びかかった。



***



「よくやった、ブルガ。全く手間かけさせやがって…今教会の騎士を呼ぶからそのままに…」

 よろよろと店から出てきたエルツは、気絶した男を足蹴にする愛犬の頬を撫でる。
 犬は嬉しさを隠さずに、主人の顔をぺろぺろとしきりに舐めた。

「全く、今日はなんて日だ…。さっさと終わらせて今日はもう寝よう…」

 見たくもないものをまた、見てしまった。
 石の持つ記憶。その石が根付いた
 
「(地中で発生した石ならいい。問題は…)」

 走馬灯のように記憶が駆け抜けていく。
 忘れたいけど、忘れられない。忘れてはいけない。でも直視したくない、記憶。
 それはまだ今に続いていて、解決の糸口が見えない、かさぶたにならない生々しい傷あとのような、

「お前、この店の主人か?」
「は、」

 感傷に浸っていた心が、ずるりと現実に引き戻される。人通りのない、この西日の差す部屋で、第三者の声を聴いた。

 夜に向かう夕闇の中に立っていたのは、ボロ布を目深に被った、小柄な少女だった。客だった男が連れていたのだろう。気づかなかったが、玄関にずっと佇んでいたらしい。
 陽の下に出てこれないような職業を生業としているだろう男が連れていた少女は素足で、その足は細くどろどろに汚れていた。

 はらりと、布から顔を出したその少女の瞳は大きく、きらきらと翠色に輝いていた。
 そうしてまた、問いかけた。

「お前は、この店の主人なのか?」

 青年はその問には応えず、その顔を少女を見つめたまま歪ませた。なにも言いたくないと閉じた喉を、無理やり開かせて、青年は絞りだすように少女に語りかけた。

「お前は精霊の忘れ形見、か…!?」

 薄い緑に光る少女の髪の間で無数に生え、輝いているのは、確かに貴石の結晶だった。
 ああ、今日はなんて日なんだ。
 青年はまだ乾かない傷口に塩を塗られたような、痛烈な痛みが心の奥に駆け抜けるのを、確かに感じた。

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