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小さなあたたかさと小さな不安
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まだ登校して来る生徒がいる中、それに逆行するようにして崇範は学校を出た。
行く当てなどはない。ただ、習慣に従って歩いているうちに駅に着いてしまい、今はまだラッシュで混んでいるので、すくまでしばらく待とうと思って、駅前のベンチに座った。
人混みの中に入りたくない。吐き気がしそうだった。
ふと、パタパタという足音が近付いて来て、そばで止まった。
それに何となく顔を向け、崇範は、息を切らしている美雪を見付けた。
「東風さん。授業始まるよ」
美雪は、いつも通りの穏やかな笑顔を浮かべる崇範に、泣きそうな顔を返す。
「深海君……」
「同情も好奇心も飽きたよ。かわいそうとか言うつもりならやめてくれるかな」
美雪は近付いて来ると、ためらうように、そっと崇範の頭に手を乗せた。
「え?」
「一緒にいたいだけ」
そして、頭を抱え込む。
「え!?東風さん!?」
「……」
「東風、さん……」
腕を外そうともがく崇範を美雪は抑え込むように、ジッと頭を抱え込む。
やがて崇範が静かになると、小さな声で言った。
「誰も見てないよ。誰にも見えないよ」
美雪の腕の中で、頭がピクリを揺れた。
「笑わなくてもいいよ」
崇範は声を立てずに肩を揺らし、足元にぽつんと水滴が落ちた。
カサカサと音を立てて、枯れ葉が風に吹かれて行く。
冷たい風が吹きつけ、舌を焼くように熱いココアをあっという間に冷ます。
少し後、冷静になって崇範が顔を上げると、今度はお互いに恥ずかしくて目を合わせられなかった。なので、並んで前を向いたまま、ココアを啜っていた。
「突然警察から電話があって、父が殺されたと知らされた日から、僕の家は壊れたんだ。犯人は目撃者も防犯カメラの映像もあってすぐに捕まったけど、中学生と高校生のグループで、実名報道とかはされなかった。
その分、メディアは被害者遺族に向くものらしくてね。毎日付きまとわれて、家の前にも報道陣が並んでて。それからネットでも、ある事無い事書かれて、とうとう母は、幸せしかなかった頃に戻ってしまったんだ。父と出会う頃に。
僕が行っても、誰だかわからないんだ。高校2年生のままだから、結婚もしていないし、子供だっていない。僕はどこにもいなくなって、消えてしまったんだ。
犯人達の事は、年齢以外は教えてもらえなかった。矯正施設を出た事すらも、再犯を犯して逮捕されてから初めて知ったよ。
知りたいと思った。それができないなら、せめて、そっとしておいて欲しかった。同情も好奇心もいらない。ただただ、皆の中に紛れたい」
崇範は低体温くらいの人肌になったココアを飲み干し、空になった缶を持て余すように両手で包んだ。
美雪はそっと崇範の方を見、崇範が気配にこちらを見そうになって、慌ててココアに目を落とした。チビチビと飲んで、こちらも空だ。
それを崇範は抜き取ると、2本まとめてゴミ箱に捨てた。
「東風さんには、色々とバレたね」
振り返って崇範が苦笑した。
「これからどうするの?」
「今日はもうさぼる。バイトは夕方からだし、病院に行こうかな。洗濯物を交換しに」
「明日は学校に来る?学校辞めない?」
「うん。事務所の社長は、体操のコーチのお兄さんなんだ。バイトをするにあたっての約束が、ちゃんと高校は卒業する事なんだよ。僕にできる唯一のバイトだしね。クビになるわけにはいかないな」
崇範はフワッと笑い、つられて美雪も笑った。
「私もバイトしようかしら」
「こう言っちゃなんだけど、東風さん、運動神経良くないよね」
「あ、言ってはいけない本当の事を!」
美雪は軽く怒って叩く真似をし、崇範は声を上げて笑った。
「東風さんは、これから学校に行く?4限目くらいには間に合うよ」
「さぼっちゃう。
ねえ。一緒にいたらだめ?」
一世一代の勇気を振り絞って言ってみる。
「いいけど、つまらないよ」
「これで言質は取ったわ」
「え?」
崇範は何か不味い事を言ったかと思い返した。
美雪は真っ赤になりながら、上目遣いに崇範を見、鞄からごそごそと赤いリボンのかかった茶色い小箱を取り出した。
「受け取ってください」
「何?」
「バレンタインデーなんだから、わかるでしょ」
「……今日はそうだっけ?ああ、ありがとう」
受け取ると、冷え切った手をつないできた。
流石の崇範も、わかった。
「え、そういう意味?」
中学時代はファンだという女の子には貰っていたし、友チョコとか義理チョコとかだと思っていたのだ。そうでないなら、重さが違う。
「……だめ?」
「いや、東風さんこそ。僕が迷惑をかけそうだけど……」
お互いに真っ赤になりながら手をつないで俯く2人を、すれ違う通行人が「ケッ」と、あるいは微笑ましく眺めて行く。
それでそのまま、病院に向かう。
「東風さんって、思ってたのとイメージが違うなあ。おっとりとして素直でどんくさい子と思ってた」
「うっ。恋の前には、どんくさくても素直でもおっとりしてても、戦略家になるのよ、女の子は」
朝にはあんなに絶望していたのに、今は心が、つないだ手が、とても暖かかった。その時は――。
病室に美雪を連れて入るのはためらわれ、崇範だけが入った。
「和泉さん」
「あら。この匂い……チョコレート?」
彩菜が、小首を傾げる。
「バレンタインデーだからって、その、クラスメイトにもらったんだ」
「まあ。誰かしら」
居合わせた看護師も、にこにことして返事を待っている。
「東風美雪さんっていう子」
彩菜は、少し笑顔を引っ込めた。
「東風さん?東風重工の?」
「そう、社長の子。知ってるの?学校一の美少女なお嬢様とか言われてるのに、どんくさくて、素直で優しい子だよ」
彩菜は、顔色を変えた。
「東風、東風重工、東風。ああ……!」
「母さん?」
看護師も崇範も、突然様子が変わった彩菜に驚いた。
「だめよ!東風はだめ!絶対に許さない!」
「母さん?」
「深海――和泉さん、落ち着いて下さいね。大丈夫ですよ」
「絶対にだめよ!東風のせいであの人は――あああ!」
叫んで、暴れ出す。
看護師はナースコールを押し、崇範は外に出ているように言われ、不安を抱えて待った後に、今日は帰るようにと言われた。
チリチリと、不安と嫌な予感がした。
行く当てなどはない。ただ、習慣に従って歩いているうちに駅に着いてしまい、今はまだラッシュで混んでいるので、すくまでしばらく待とうと思って、駅前のベンチに座った。
人混みの中に入りたくない。吐き気がしそうだった。
ふと、パタパタという足音が近付いて来て、そばで止まった。
それに何となく顔を向け、崇範は、息を切らしている美雪を見付けた。
「東風さん。授業始まるよ」
美雪は、いつも通りの穏やかな笑顔を浮かべる崇範に、泣きそうな顔を返す。
「深海君……」
「同情も好奇心も飽きたよ。かわいそうとか言うつもりならやめてくれるかな」
美雪は近付いて来ると、ためらうように、そっと崇範の頭に手を乗せた。
「え?」
「一緒にいたいだけ」
そして、頭を抱え込む。
「え!?東風さん!?」
「……」
「東風、さん……」
腕を外そうともがく崇範を美雪は抑え込むように、ジッと頭を抱え込む。
やがて崇範が静かになると、小さな声で言った。
「誰も見てないよ。誰にも見えないよ」
美雪の腕の中で、頭がピクリを揺れた。
「笑わなくてもいいよ」
崇範は声を立てずに肩を揺らし、足元にぽつんと水滴が落ちた。
カサカサと音を立てて、枯れ葉が風に吹かれて行く。
冷たい風が吹きつけ、舌を焼くように熱いココアをあっという間に冷ます。
少し後、冷静になって崇範が顔を上げると、今度はお互いに恥ずかしくて目を合わせられなかった。なので、並んで前を向いたまま、ココアを啜っていた。
「突然警察から電話があって、父が殺されたと知らされた日から、僕の家は壊れたんだ。犯人は目撃者も防犯カメラの映像もあってすぐに捕まったけど、中学生と高校生のグループで、実名報道とかはされなかった。
その分、メディアは被害者遺族に向くものらしくてね。毎日付きまとわれて、家の前にも報道陣が並んでて。それからネットでも、ある事無い事書かれて、とうとう母は、幸せしかなかった頃に戻ってしまったんだ。父と出会う頃に。
僕が行っても、誰だかわからないんだ。高校2年生のままだから、結婚もしていないし、子供だっていない。僕はどこにもいなくなって、消えてしまったんだ。
犯人達の事は、年齢以外は教えてもらえなかった。矯正施設を出た事すらも、再犯を犯して逮捕されてから初めて知ったよ。
知りたいと思った。それができないなら、せめて、そっとしておいて欲しかった。同情も好奇心もいらない。ただただ、皆の中に紛れたい」
崇範は低体温くらいの人肌になったココアを飲み干し、空になった缶を持て余すように両手で包んだ。
美雪はそっと崇範の方を見、崇範が気配にこちらを見そうになって、慌ててココアに目を落とした。チビチビと飲んで、こちらも空だ。
それを崇範は抜き取ると、2本まとめてゴミ箱に捨てた。
「東風さんには、色々とバレたね」
振り返って崇範が苦笑した。
「これからどうするの?」
「今日はもうさぼる。バイトは夕方からだし、病院に行こうかな。洗濯物を交換しに」
「明日は学校に来る?学校辞めない?」
「うん。事務所の社長は、体操のコーチのお兄さんなんだ。バイトをするにあたっての約束が、ちゃんと高校は卒業する事なんだよ。僕にできる唯一のバイトだしね。クビになるわけにはいかないな」
崇範はフワッと笑い、つられて美雪も笑った。
「私もバイトしようかしら」
「こう言っちゃなんだけど、東風さん、運動神経良くないよね」
「あ、言ってはいけない本当の事を!」
美雪は軽く怒って叩く真似をし、崇範は声を上げて笑った。
「東風さんは、これから学校に行く?4限目くらいには間に合うよ」
「さぼっちゃう。
ねえ。一緒にいたらだめ?」
一世一代の勇気を振り絞って言ってみる。
「いいけど、つまらないよ」
「これで言質は取ったわ」
「え?」
崇範は何か不味い事を言ったかと思い返した。
美雪は真っ赤になりながら、上目遣いに崇範を見、鞄からごそごそと赤いリボンのかかった茶色い小箱を取り出した。
「受け取ってください」
「何?」
「バレンタインデーなんだから、わかるでしょ」
「……今日はそうだっけ?ああ、ありがとう」
受け取ると、冷え切った手をつないできた。
流石の崇範も、わかった。
「え、そういう意味?」
中学時代はファンだという女の子には貰っていたし、友チョコとか義理チョコとかだと思っていたのだ。そうでないなら、重さが違う。
「……だめ?」
「いや、東風さんこそ。僕が迷惑をかけそうだけど……」
お互いに真っ赤になりながら手をつないで俯く2人を、すれ違う通行人が「ケッ」と、あるいは微笑ましく眺めて行く。
それでそのまま、病院に向かう。
「東風さんって、思ってたのとイメージが違うなあ。おっとりとして素直でどんくさい子と思ってた」
「うっ。恋の前には、どんくさくても素直でもおっとりしてても、戦略家になるのよ、女の子は」
朝にはあんなに絶望していたのに、今は心が、つないだ手が、とても暖かかった。その時は――。
病室に美雪を連れて入るのはためらわれ、崇範だけが入った。
「和泉さん」
「あら。この匂い……チョコレート?」
彩菜が、小首を傾げる。
「バレンタインデーだからって、その、クラスメイトにもらったんだ」
「まあ。誰かしら」
居合わせた看護師も、にこにことして返事を待っている。
「東風美雪さんっていう子」
彩菜は、少し笑顔を引っ込めた。
「東風さん?東風重工の?」
「そう、社長の子。知ってるの?学校一の美少女なお嬢様とか言われてるのに、どんくさくて、素直で優しい子だよ」
彩菜は、顔色を変えた。
「東風、東風重工、東風。ああ……!」
「母さん?」
看護師も崇範も、突然様子が変わった彩菜に驚いた。
「だめよ!東風はだめ!絶対に許さない!」
「母さん?」
「深海――和泉さん、落ち着いて下さいね。大丈夫ですよ」
「絶対にだめよ!東風のせいであの人は――あああ!」
叫んで、暴れ出す。
看護師はナースコールを押し、崇範は外に出ているように言われ、不安を抱えて待った後に、今日は帰るようにと言われた。
チリチリと、不安と嫌な予感がした。
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