体質が変わったので

JUN

文字の大きさ
上 下
324 / 1,046

能面(2)笑う面

しおりを挟む
 木々に隔てられた落ち着いた一角に日本庭園風な庭があり、そこに能楽堂が作ってあった。
 一サークルとは言え、この大学は国文学に力を入れており、能楽堂があったり、稀覯本の収集などにも熱心だ。
「夜中に、この能舞台で足音がするそうなんです」
 会員に案内されて、僕と直は能舞台の前に立っていた。
 能舞台そのものにも、松の廊下にも鏡の間にも、そうおかしな気配はない。
 鏡の間に続くように小屋があり、これが稽古場らしい。板敷の部屋が2つと更衣室が2つ、衣裳部屋から成り、サークルとしては別格の扱いを受けている事が窺える。板敷の部屋の片方は演奏の練習に使う部屋らしく、棚には楽器が並んでいた。もう片方は演者の稽古に使うらしく、棚には面が収められていた。
「こちらの稽古場では、誰もいないのに人の気配がしたりするんです」
 この後能舞台を使っての稽古があるとかで、演者の稽古場でも奏者の稽古場でも、稽古中だった。
 少し、不穏な気配がしている。
「どこからかな」
「するねえ」
 直も、室内を見廻した。
 町田 直、幼稚園からの親友だ。要領が良くて人懐っこく、脅威の人脈を持っている。高1の夏以降、直も、霊が見え、会話ができる体質になったので本当に心強い。だがその前から、僕の事情にも精通し、いつも無条件で助けてくれた大切な相棒だ。霊能師としては、祓えないが、屈指の札使いであり、インコ使いでもある。
「やっぱり、何かいるんですか」
 声を潜めながら会員に訊き返される。
「はい。今は姿を潜めているという感じなんですが、いますね。
 異変が起き始めたのはいつからですか」
 会員は深刻そうな顔をしながら、答えた。
「半月程前です。ここで稽古をしていた会員が心臓発作で倒れまして。どこも悪くなかった学生で、シテ――主役に決まっていたんですが」
「亡くなったんですかねえ」
「いえ、生きています。ただ、今回の公演は無理かと。これが卒業前最後の公演なんですけどね。
 その後は、足音がするとか、気配がするとか、そういうものですが」
 ボソボソと話していると、
「ようし。じゃあ、鐘を使っての稽古をしよう」
 1人が言って、皆でぞろぞろと稽古場を出て行く。それと入れ替わりに、僕達は稽古場に入った。
「鐘を使うという事は、道成寺ですか」
「そうです、そうです」
 彼は嬉しそうに言った。
 白拍子が鐘供養の日に女人禁制の寺に来、入れないと言われると、せめて舞を舞わせてくれと頼み、舞を舞う。ところが鐘を落として、白拍子は鐘の中に入ってしまう。それで和尚は、昔あった山伏と娘の事件を思い出し、語り始める。そしてその後鐘を引き上げると、中から大蛇が出て来て、僧に切り伏せられ、紀ノ川へと入って行く、というストーリーだ。
 見どころは鐘入りだ。シテである白拍子に向かうように小鼓が座り直し、15分間程、両者のみで進んで行く緊迫のシーンがあり、その後、鐘後見と呼ばれる鐘を下ろす役をするシテに次ぐベテラン2人とタイミングを合わせて、シテは鐘に飛び入らなくてはならない。鐘後見とタイミングがずれると大けがをしかねない、危険なシーンでもある。
 その後も鐘の中で、鐘を揺すったり、にゅうばちを鳴らしたり、大蛇の姿の後シテになる為に鐘の中で1人で着替えたり面を変えたりしなければならない。
 能舞台に取り付けられた金具など、この道成寺でしか使わないという仕掛けもあるくらい、この道成寺は独特であると言えるだろう。
 皆が能舞台に行っている間に、心おきなく稽古場を視る。
 面の並んだ棚を覗く。
 今回シテが使うのは、前シテが近江女、後シテが般若だ。本番用は別の場所に保管してあるだろうし、ここにあるのは稽古用だろう。
「……少し、名残があるか……」
 今は大した事も無い。
「あ、能舞台に持って行ったんじゃないかねえ」
「あ」
 慌てて3人で能舞台へ向かう。廊下へ出て走り、演者の控えの間である鏡の間へ飛び込む。会員達が目を丸くしているが、説明している暇はない。
 気配が大きくなった。
「まずい」
 幕を跳ね上げて松の廊下へ入るのと、鐘の大きな音がするのは同時だった。
「垣内!?」
「大丈夫か!?」
 鐘の周りに人がわらわらと集まって来る。
「どうしたんだ!?」
 案内係をしてくれていた会員が訊くと、1人が顔を青くして答えた。
「鐘入りの時、一瞬垣内がつんのめってタイミングが狂って……」
 鐘後見の手で鐘が上げられると、中から、男子学生が出て来る。彼が垣内さんだろう。
「垣内、ケガは!?」
「大丈夫です。ちょっと肩をかすったくらいで」
「どうしたんだ」
「何か、視界に何かが入って来たように見えて……」
 垣内さんはやや青い顔をしながらも、平気そうだ。
 手には外された近江女の面を持っているが、今はもう収まりつつある気配は、この面からしているようだ。
 ホッとした空気が流れている中、僕と直は、その面を見て緊張を募らせていた。
「その面は、いつも稽古場に?」
「はい。稽古用の面で、棚に置いてあります」
 垣内さんは答え、面に目を落とし、ギョッと面を体から離した。
「うわっ!」
「どうした?」
「面が今笑ったような……いや、気のせいだな、気のせい」
 垣内さんは取り繕うように笑ったが、気のせいではない。
「その面は一旦封印しましょう。札を貼って、様子を見ます」
 僕が言うと、皆一様に、僕と直という部外者にやっと気づいたかのように怪訝な顔を向ける。
「霊能師の御崎と申します」
「霊能師の町田と申します」
「その、最近色々とあったんで、来てもらったんだよ。ほら、この前のミーティングで決めただろ」
「ああ」
 各々、納得したように頷く。
「じゃあ、この面が?」
「とりあえずは。これだけなのか、原因は何か、取り敢えず札で封じておいて、調べます」
 ホッとしたような者、興味深そうな目で見る者、恐ろしそうに離れる者。その中で垣内さんだけが、青い真剣な顔で、面を凝視していた。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

父が再婚してから酷い目に遭いましたが、最終的に皆罪人にして差し上げました

四季
恋愛
母親が亡くなり、父親に新しい妻が来てからというもの、私はいじめられ続けた。 だが、ただいじめられただけで終わる私ではない……!

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

未亡人クローディアが夫を亡くした理由

臣桜
キャラ文芸
老齢の辺境伯、バフェット伯が亡くなった。 しかしその若き未亡人クローディアは、夫が亡くなったばかりだというのに、喪服とは色ばかりの艶やかな姿をして、毎晩舞踏会でダンスに興じる。 うら若き未亡人はなぜ老齢の辺境伯に嫁いだのか。なぜ彼女は夫が亡くなったばかりだというのに、楽しげに振る舞っているのか。 クローディアには、夫が亡くなった理由を知らなければならない理由があった――。 ※ 表紙はニジジャーニーで生成しました

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...