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水戸(1)接近
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祐磨は、慶仁からの手紙を広げていた。
「どうです、兄上。寂しいと書いていませんか」
手紙が来たと知って、早苗が押しかけて来ていた。
「早苗。どうでもいいが、ちょくちょく帰り過ぎではないのか」
「硬い事を。いいじゃありませんか。夫も納得の上です。
さあ、それよりも慶仁は何と」
ワクワクという顔で迫って来る妹に、血はつながっていなくとも、慶仁の姉だな、と思う祐磨だった。
「何事もなく無事に水戸について、試験にも合格し、入学が許可されたらしい」
「まあ。良かった」
早苗は明るい声を出した。
「楽しいと書いてあった」
「そう、ですか。良かった」
「武術も学術も、今からワクワクとして──」
「ちょっと待って。兄上。私の事は?」
「取り立てては書いてないが……」
「まあ!」
「あ、あった。『姉上にもよろしくお伝えください』と」
「……つまらないわ!」
「早苗……」
溜め息をつく兄妹だった。
弘道館。日本一の規模と内容と言ってもいい藩校である。創設者は徳川斉昭。
その斉昭は、何気ない顔をしつつ、あくまでもさりげなく、入学試験に合格した者の事を聞いた。
「どうだ。江戸から来た二人組は。片方は幕府若年寄の弟だが」
「はっ。二人とも実に優秀です。学術も頭の回転が速くて考えが柔軟で素晴らしいですが、武術にも秀でております。剣客並みの殺気を出して、別人のようになるのです。頼もしいですなあ」
「そうか、そうか」
「?」
「いや、これからの時代に必要な人材だろう」
「は、まことに」
師範を誤魔化して、斉昭はホッとした。
そして、本人を見に行こうと思い立ったのだった。
「ちょっと、散歩でもしてくるか」
「ではお供を」
「ああ、構わん。ブラブラとしてくるだけだ」
斉昭はそそくさと席を立ち、準備を始めた。変装である。息子は気ままな浜崎徳之進に化けるが、父親は、隠居した武家である。
隣の偕楽園を通って行くと、運よく見付けることができた。早紀そっくりなので、一目でわかった。
「おお……」
端目にはちょっとした不審者だが、誰も突っ込まない。梅の木に隠れるようにして、二人の後をついて行く。
「寮にも慣れたし、学術も武術も凄く楽しいな、哲之助」
「ああ。来て良かったな、慶仁」
「毎日忙しくて、充実してるしな」
「ああ。
そうだ。早苗様に手紙を送ったのか?」
「いいや。兄上に、よろしくって書いておいた」
「機嫌を損ねてないか?」
「そうかなあ。ああ……そうかな。うん。今度は姉上にも書くよ」
「そうしろ。あと、佐倉殿にもよろしくと書いておけよ」
「ああ。じいは心配症だからな」
哲之助は、慶仁の行いなら当然かもしれないと思った。
仲良くそんな話をしながら歩いて行く二人に、斉昭は胸が熱くなった。
早紀に似た美人だが、早紀とは違って、目がキラキラ、生き生きとしている。
「あれで武術が優秀とは」
まあ、江戸の道場でも腕は立つと聴いて来ている。微笑ましく思った。
と、梅の花を見る人で混みあう中で、不自然に人にぶつかる男がいた。今も老婦人にぶつかって、
「ごめんよ」
なんて言ってスッと離れて行くが、その動きは、じっと見ていると不自然だ。スリである。
すると、老婦人が、
「あ、財布が無いわ」
と、巾着を覗いて言い出した。
それで、そのスリは足早に去って行こうとした。
「いかん」
追おうとした斉昭だったが、それよりも早く、追う影があった。慶仁と哲之助だ。
「待て、そこの人」
スリは全力で走り始める。なかなかに足が速い。逃げる為に鍛えているのだろうか。
しかし、待てと言われて待つスリもいない。
と、慶仁は足を速めて追いつくと、いきなり跳んだ。そして、跳び蹴りをお見舞いする。
「ぐえーっ!?」
驚いたのは、スリだけではない。斉昭もだった。
「待てと言っただろうが。待たないと痛い目にあうぞ」
「慶仁。もうあわせている」
「言う前に逃げたんだ」
慶仁と哲之助は手際よくスリを捕えて財布を取り戻すと、老婦人に笑いかけた。
「あ、あの、ありがとうございました。まあどうしましょう」
「あなたの取られたのは金の財布ですか。銀の財布ですか。普通の財布ですか」
おどおどしていた老婦人は、それでクスリと笑った。
その後誰かが呼んだ役人にスリを引き渡す慶仁と哲之助を見ながら、斉昭は、唸った。
かつて愛した、大人しくたおやかな早紀そっくりな顔で、凄い事をする。早紀が飛び蹴りをするところを想像しようとするが、上手く行かない。
「ううむ」
しかしいつもの事なのか、二人共何事も無かったような顔で、梅を見ながら寮の方へと歩いて行くのだった。
「うむ。まあ、男の子だしな」
斉昭は、こっそり見に来て良かった。また来よう、と思ったのだった。
「どうです、兄上。寂しいと書いていませんか」
手紙が来たと知って、早苗が押しかけて来ていた。
「早苗。どうでもいいが、ちょくちょく帰り過ぎではないのか」
「硬い事を。いいじゃありませんか。夫も納得の上です。
さあ、それよりも慶仁は何と」
ワクワクという顔で迫って来る妹に、血はつながっていなくとも、慶仁の姉だな、と思う祐磨だった。
「何事もなく無事に水戸について、試験にも合格し、入学が許可されたらしい」
「まあ。良かった」
早苗は明るい声を出した。
「楽しいと書いてあった」
「そう、ですか。良かった」
「武術も学術も、今からワクワクとして──」
「ちょっと待って。兄上。私の事は?」
「取り立てては書いてないが……」
「まあ!」
「あ、あった。『姉上にもよろしくお伝えください』と」
「……つまらないわ!」
「早苗……」
溜め息をつく兄妹だった。
弘道館。日本一の規模と内容と言ってもいい藩校である。創設者は徳川斉昭。
その斉昭は、何気ない顔をしつつ、あくまでもさりげなく、入学試験に合格した者の事を聞いた。
「どうだ。江戸から来た二人組は。片方は幕府若年寄の弟だが」
「はっ。二人とも実に優秀です。学術も頭の回転が速くて考えが柔軟で素晴らしいですが、武術にも秀でております。剣客並みの殺気を出して、別人のようになるのです。頼もしいですなあ」
「そうか、そうか」
「?」
「いや、これからの時代に必要な人材だろう」
「は、まことに」
師範を誤魔化して、斉昭はホッとした。
そして、本人を見に行こうと思い立ったのだった。
「ちょっと、散歩でもしてくるか」
「ではお供を」
「ああ、構わん。ブラブラとしてくるだけだ」
斉昭はそそくさと席を立ち、準備を始めた。変装である。息子は気ままな浜崎徳之進に化けるが、父親は、隠居した武家である。
隣の偕楽園を通って行くと、運よく見付けることができた。早紀そっくりなので、一目でわかった。
「おお……」
端目にはちょっとした不審者だが、誰も突っ込まない。梅の木に隠れるようにして、二人の後をついて行く。
「寮にも慣れたし、学術も武術も凄く楽しいな、哲之助」
「ああ。来て良かったな、慶仁」
「毎日忙しくて、充実してるしな」
「ああ。
そうだ。早苗様に手紙を送ったのか?」
「いいや。兄上に、よろしくって書いておいた」
「機嫌を損ねてないか?」
「そうかなあ。ああ……そうかな。うん。今度は姉上にも書くよ」
「そうしろ。あと、佐倉殿にもよろしくと書いておけよ」
「ああ。じいは心配症だからな」
哲之助は、慶仁の行いなら当然かもしれないと思った。
仲良くそんな話をしながら歩いて行く二人に、斉昭は胸が熱くなった。
早紀に似た美人だが、早紀とは違って、目がキラキラ、生き生きとしている。
「あれで武術が優秀とは」
まあ、江戸の道場でも腕は立つと聴いて来ている。微笑ましく思った。
と、梅の花を見る人で混みあう中で、不自然に人にぶつかる男がいた。今も老婦人にぶつかって、
「ごめんよ」
なんて言ってスッと離れて行くが、その動きは、じっと見ていると不自然だ。スリである。
すると、老婦人が、
「あ、財布が無いわ」
と、巾着を覗いて言い出した。
それで、そのスリは足早に去って行こうとした。
「いかん」
追おうとした斉昭だったが、それよりも早く、追う影があった。慶仁と哲之助だ。
「待て、そこの人」
スリは全力で走り始める。なかなかに足が速い。逃げる為に鍛えているのだろうか。
しかし、待てと言われて待つスリもいない。
と、慶仁は足を速めて追いつくと、いきなり跳んだ。そして、跳び蹴りをお見舞いする。
「ぐえーっ!?」
驚いたのは、スリだけではない。斉昭もだった。
「待てと言っただろうが。待たないと痛い目にあうぞ」
「慶仁。もうあわせている」
「言う前に逃げたんだ」
慶仁と哲之助は手際よくスリを捕えて財布を取り戻すと、老婦人に笑いかけた。
「あ、あの、ありがとうございました。まあどうしましょう」
「あなたの取られたのは金の財布ですか。銀の財布ですか。普通の財布ですか」
おどおどしていた老婦人は、それでクスリと笑った。
その後誰かが呼んだ役人にスリを引き渡す慶仁と哲之助を見ながら、斉昭は、唸った。
かつて愛した、大人しくたおやかな早紀そっくりな顔で、凄い事をする。早紀が飛び蹴りをするところを想像しようとするが、上手く行かない。
「ううむ」
しかしいつもの事なのか、二人共何事も無かったような顔で、梅を見ながら寮の方へと歩いて行くのだった。
「うむ。まあ、男の子だしな」
斉昭は、こっそり見に来て良かった。また来よう、と思ったのだった。
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