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茶碗騒動(1)御隠居の茶碗
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元服。大人であるとみなされる、成人式のようなものだ。
「何か、変な感じだなあ」
頼藤紀代松改め慶仁は、髪形の変わった頭に手をやった。
「ま、すぐに慣れるだろう」
鳥羽哲太郎改め哲之助は、そう言って首をコキコキと鳴らした。
二人もとうとう元服し、これまでのようにはいかないこともある。
例えばこんな風に、猫の顔をビローンと広げて遊ぶとか、眉毛を描くとか。
「待たせたの」
ご隠居の声がして、緩めた手から真っ白な猫が跳んで逃げた。そして、慶仁と哲之助は姿勢を正した。
襖を開けて入って来たのは通称御隠居。小さい頃からずっとお爺さんで、御隠居さんだった。名前は、気にしたことが無い。
流れるような動作で茶を点て、各々一服いただく。
それでようやく、世間話に入った。
「悪戯坊主共も、もう元服か。早いのう」
好々爺然とした顔を綻ばせる。
「いちいち名前も変わって、面倒臭いです」
「それは一理あるな」
慶仁と哲之助の顔を見て、爆笑した。
それも、通称は「頼藤慶仁」だが、主人と父親だけが呼ぶ本名は「頼藤慶仁紀孝」、哲之助なら「鳥羽哲之助高房」と、使う時があるのか、あっても忘れてたらどうしようと思っている。
「仕方ないのう。そういうものだからの」
「はあ」
「まあ、これでお主らも立派な成人。もう悪戯はできんなあ。しろに眉毛を描いたり」
ギクッ。
その猫が窓から入って来て、御隠居の膝に飛び乗って丸くなる。
「おうおう。立派な眉が生えておるの」
知らんふりをして、掛け軸などを眺める。
御隠居は苦笑して、懐紙を取り出した。と、しろが膝から飛び降りて、茶碗にちょっかいを出し始める。
「こ、これ、しろ。やめなさい。これはへそくりをはたいて買った天目──あああ」
茶碗がごろんと転がって、慶仁が慌ててそれを手にする。
「御隠居、大丈夫ですよ」
「す、すまんの」
ホッと息をつく御隠居に、茶碗を手渡す。
「割れなくて良かった──あっ!?」
それを見付けて、慶仁はギョッとした。分かり難いが、裏のザラザラしたところに、猫の爪で三日月形の傷が付いていた。
「んなっ!?」
しろを同時に見ると、しろは悠々と毛づくろいをしていた。
「爪で削れたのか、これ」
「うわあ、裏だからまあいいのかな?」
ご隠居はもう一度爪形を見ると、今日一番の大笑いをした。
「あっはっはっ!傑作になったの!うん。これはいい!」
「ご、御隠居?」
慶仁と哲之助は、上機嫌の御隠居を呆然と眺めた。
「温かみがでて、この方がいい!それに、良い記念にもなったしの」
猫好きな御隠居故か、気に入ったようだった。
翌日、慶仁と哲之助が道場からの帰りに御隠居の家の前を通りかかったら、何かあったらしく、騒がしかった。
「何かあったのかな?」
慶仁と哲之助は中を覗いてみた。
「あああ、どうしてくれるんだ!いくらする茶碗だと思っているんだ!?」
恰幅のいい男が、女中に怒鳴り散らしていた。女中の加代は、土下座して謝るばかりだ。
「どうしたんですか?」
「何だね!?」
声をかけると、男がクワッとこちらを向いた。
「ああ、坊ちゃん──いえ、頼藤様と鳥羽様」
加代が泣きながら顔を上げる。近所の御家人の娘で、美人だ。ここへは掃除や食事の支度などをしに通っているが、もうすぐ、祝言の予定である。
「頼藤?」
男が、怒りのボルテージを少し下げた。
「もしかして、若年寄の」
「弟です。何かあったんですか」
男は鼻からフンッと息を出して、話し始めた。
「今朝訪ねてきたら、先生が布団の中で冷たくなっているのを見付けましてな。色々と葬儀の手続きやらをしておりましたが、この女が、高価な茶碗を割ってしまいましてな」
「違います!私はそれには触っておりません!」
破片がザラザラと入っている小箱を覗くと、見覚えのある模様が見えた。
「あ、哲之助。昨日の茶碗だ」
「本当だな。確かへそくりをはたいたとか言ってたな、慶仁」
男はそっくり返り、
「正確には、買うつもりでいた、ですよ。今日お代を頂く予定で、こうして参ったのですよ。
それが……」
割れた茶碗を継ぐ技法はあるが、これはあまりにも、ガラクタになり下がっていた。
「本当に、違います!」
加代は泣き出した。
「ええと、あなたは骨董商ですか」
「はい。『近江屋』と申します。どうぞ、御贔屓に」
慶仁と哲之助は顔を見合わせた。「胡散臭い笑顔だな」という、アイコンタクトである。
「困りましたな。先生に払っていただく予定だったのですが、こうなったら、壊したこの女に弁償して貰わない事には」
加代が、ヒッと肩を強張らせる。
「因みに、どのくらい……?」
近江屋は重い溜め息をついた。
「公方様も御所望の一品でしてね。千両は下りません」
「千……」
たかが茶碗、とは言え、愛好家にとってはそれでも惜しくは無い金額なのだろう。
加代は、涙も声も出ず、呆然としていた。
「そんな、お金……」
貧乏御家人に、出せる筈もない。聞くまでもない。
「吉原に身を売ってでも、払っていただきますよ。
では、私はこれで」
近江屋は、慶仁と哲之助に揉み手をせんばかりの笑顔を向けて、去って行った。
「千両かあ……」
三人で呆然としていると、そこへ新たな人物が駈け込んで来た。
「加代!?」
どこかに仕官している侍らしい。
「ああ、玄太郎様!」
加代はまたも目に涙を浮かべて、侍に泣きついた。
「先生が亡くなったと聞いて急いで来たんだが……ええっと?」
玄太郎と呼ばれた男は、慶仁と哲之助に目を向けた。
厄介な事になりそうだった。
「何か、変な感じだなあ」
頼藤紀代松改め慶仁は、髪形の変わった頭に手をやった。
「ま、すぐに慣れるだろう」
鳥羽哲太郎改め哲之助は、そう言って首をコキコキと鳴らした。
二人もとうとう元服し、これまでのようにはいかないこともある。
例えばこんな風に、猫の顔をビローンと広げて遊ぶとか、眉毛を描くとか。
「待たせたの」
ご隠居の声がして、緩めた手から真っ白な猫が跳んで逃げた。そして、慶仁と哲之助は姿勢を正した。
襖を開けて入って来たのは通称御隠居。小さい頃からずっとお爺さんで、御隠居さんだった。名前は、気にしたことが無い。
流れるような動作で茶を点て、各々一服いただく。
それでようやく、世間話に入った。
「悪戯坊主共も、もう元服か。早いのう」
好々爺然とした顔を綻ばせる。
「いちいち名前も変わって、面倒臭いです」
「それは一理あるな」
慶仁と哲之助の顔を見て、爆笑した。
それも、通称は「頼藤慶仁」だが、主人と父親だけが呼ぶ本名は「頼藤慶仁紀孝」、哲之助なら「鳥羽哲之助高房」と、使う時があるのか、あっても忘れてたらどうしようと思っている。
「仕方ないのう。そういうものだからの」
「はあ」
「まあ、これでお主らも立派な成人。もう悪戯はできんなあ。しろに眉毛を描いたり」
ギクッ。
その猫が窓から入って来て、御隠居の膝に飛び乗って丸くなる。
「おうおう。立派な眉が生えておるの」
知らんふりをして、掛け軸などを眺める。
御隠居は苦笑して、懐紙を取り出した。と、しろが膝から飛び降りて、茶碗にちょっかいを出し始める。
「こ、これ、しろ。やめなさい。これはへそくりをはたいて買った天目──あああ」
茶碗がごろんと転がって、慶仁が慌ててそれを手にする。
「御隠居、大丈夫ですよ」
「す、すまんの」
ホッと息をつく御隠居に、茶碗を手渡す。
「割れなくて良かった──あっ!?」
それを見付けて、慶仁はギョッとした。分かり難いが、裏のザラザラしたところに、猫の爪で三日月形の傷が付いていた。
「んなっ!?」
しろを同時に見ると、しろは悠々と毛づくろいをしていた。
「爪で削れたのか、これ」
「うわあ、裏だからまあいいのかな?」
ご隠居はもう一度爪形を見ると、今日一番の大笑いをした。
「あっはっはっ!傑作になったの!うん。これはいい!」
「ご、御隠居?」
慶仁と哲之助は、上機嫌の御隠居を呆然と眺めた。
「温かみがでて、この方がいい!それに、良い記念にもなったしの」
猫好きな御隠居故か、気に入ったようだった。
翌日、慶仁と哲之助が道場からの帰りに御隠居の家の前を通りかかったら、何かあったらしく、騒がしかった。
「何かあったのかな?」
慶仁と哲之助は中を覗いてみた。
「あああ、どうしてくれるんだ!いくらする茶碗だと思っているんだ!?」
恰幅のいい男が、女中に怒鳴り散らしていた。女中の加代は、土下座して謝るばかりだ。
「どうしたんですか?」
「何だね!?」
声をかけると、男がクワッとこちらを向いた。
「ああ、坊ちゃん──いえ、頼藤様と鳥羽様」
加代が泣きながら顔を上げる。近所の御家人の娘で、美人だ。ここへは掃除や食事の支度などをしに通っているが、もうすぐ、祝言の予定である。
「頼藤?」
男が、怒りのボルテージを少し下げた。
「もしかして、若年寄の」
「弟です。何かあったんですか」
男は鼻からフンッと息を出して、話し始めた。
「今朝訪ねてきたら、先生が布団の中で冷たくなっているのを見付けましてな。色々と葬儀の手続きやらをしておりましたが、この女が、高価な茶碗を割ってしまいましてな」
「違います!私はそれには触っておりません!」
破片がザラザラと入っている小箱を覗くと、見覚えのある模様が見えた。
「あ、哲之助。昨日の茶碗だ」
「本当だな。確かへそくりをはたいたとか言ってたな、慶仁」
男はそっくり返り、
「正確には、買うつもりでいた、ですよ。今日お代を頂く予定で、こうして参ったのですよ。
それが……」
割れた茶碗を継ぐ技法はあるが、これはあまりにも、ガラクタになり下がっていた。
「本当に、違います!」
加代は泣き出した。
「ええと、あなたは骨董商ですか」
「はい。『近江屋』と申します。どうぞ、御贔屓に」
慶仁と哲之助は顔を見合わせた。「胡散臭い笑顔だな」という、アイコンタクトである。
「困りましたな。先生に払っていただく予定だったのですが、こうなったら、壊したこの女に弁償して貰わない事には」
加代が、ヒッと肩を強張らせる。
「因みに、どのくらい……?」
近江屋は重い溜め息をついた。
「公方様も御所望の一品でしてね。千両は下りません」
「千……」
たかが茶碗、とは言え、愛好家にとってはそれでも惜しくは無い金額なのだろう。
加代は、涙も声も出ず、呆然としていた。
「そんな、お金……」
貧乏御家人に、出せる筈もない。聞くまでもない。
「吉原に身を売ってでも、払っていただきますよ。
では、私はこれで」
近江屋は、慶仁と哲之助に揉み手をせんばかりの笑顔を向けて、去って行った。
「千両かあ……」
三人で呆然としていると、そこへ新たな人物が駈け込んで来た。
「加代!?」
どこかに仕官している侍らしい。
「ああ、玄太郎様!」
加代はまたも目に涙を浮かべて、侍に泣きついた。
「先生が亡くなったと聞いて急いで来たんだが……ええっと?」
玄太郎と呼ばれた男は、慶仁と哲之助に目を向けた。
厄介な事になりそうだった。
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