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第55話 〈side:勇者〉薄まる存在感
しおりを挟む――ルマトゥーラ王国、王都スクード。
近隣でも有数の大都市は、今日も賑わいを見せている。
一時期は荒くれどもたちがたむろし、治安が悪化していたが、ここ数日は以前の平穏を取り戻しつつある。
その大きな原因は、勇者一行の影響力低下だった。
最初のきっかけは、大賢者アリア・アートの引退。
傲慢なマッドサイエンティストとしても知られていた少女が、心を入れ替え皆に謝罪して回った話は、大きな驚きを伴って広まった。
これにより、かつてアリアに非合法な『素材』を流していた地下業者が街を離れた。
次いで、聖女と謳われたエリス・ティタースの不在。
こちらは真偽不明の様々な噂が王都スクード内で飛び交った。今はもっぱら、ひとつの噂話に落ち着いている。
イリス・シス・ルマトゥーラ姫様に聖女の位を譲り、自らは人里離れた教会でイチから修行し直している――と。
エリスの傲慢さは、特に王宮内で軋轢を生んでいた。
いかに王国上層部がおっとりしているといっても、それなりに地位も力もある者たちが怒れば、聖女の立場は悪くなる。エリスが王宮から姿を消したことで、彼女の名声は急速に地に落ちていった。
もし、ひょっこりエリスが戻ってきたとしても、高官たちはこう言うだろう。「どうぞ、ご自分の職場にお戻りください」と。
もはや、王宮内にエリスが戻るべき椅子はなくなっていた。
これにより、上層部に漂っていたギスギスした空気は緩んだ。
そして。
勇者パーティで最後に残ったひとり、勇者スカル・フェイス。
共に冒険した仲間は姿を消し、共に倒すべき敵も見つけられない彼は今、急速に存在感を失っていた。
◆◇◆
「おい、勇者サンよ」
「……」
「おいってば。起きてくれよ、おーい。スカルの旦那ぁ」
「んだよ。うるせえな」
屈強な店主に揺り動かされ、勇者スカルはうろんげな声を上げた。テーブルの上に突っ伏していた頭を起こす。目は据わり、若干、充血していた。反面、顔は血色がいいとは言えない。
テーブルの上には数本の酒瓶と、カード一式が乱雑に散らばっていた。
夜通し賭け事をしていた名残である。
すでに相手の姿はない。
肘を突き、記憶を探るようにカードの一枚を眺める勇者スカル。ラフな格好だった。それこそ今、面倒くさそうな表情で勇者を見つめている店主と、見た目は大差がない。
いい加減、出てくれよ。もう店を閉めるんだから――平坦な声で言いながら、片付けのために酒瓶を手に取る店主。どの酒瓶も中途半端に中身が残っていることに気づき、店主は顔をしかめた。
「あんた……よくまあこれだけ好き放題できるもんだな。逆に感心するよオレは」
「あんだよ。文句あんのか。俺様は勇者様だぞ」
「その勇者様とやらが、王都中の飲み屋から追い出されてるのはどういうことなんだかね」
店主が言う。直後、スカルは腰に佩いていた短剣を抜き、カードごとテーブルを貫いた。
「どいつもこいつも! ――ッ、――ッ」
呂律が回らず聞き取れない。
――店主の言葉通り、最近のスカルは方々の飲食店から敬遠されている。粗暴な態度に加え、支払いもろくにしないためだ。
勇者パーティも過去の話。賢者も聖女もいない男ひとりに、人々は次第に嫌悪と無関心をあらわにしてきていた。
「スカルの旦那。あんたとは勇者になる前からの付き合いだ。客として扱ってやる。が、オレにだって生活がある。いい加減、払うモン払ってくれ」
「……」
スカルは店主を見上げ、無言で短剣をしまう。それから、道具袋からおもむろに何かを取り出した。
「ほら。こいつで文句ねえだろ」
「……おい。あんたマジで言ってんのか」
店主が、怖ろしいものを見た、という目でのけぞる。
スカルがテーブルの上に置いたのは、鎧の一部。足を護る箇所だ。
以前から勇者を知る店主はすぐに気づいたのだ。それが、勇者たらしめる装備だということを。
「売ればチャラだろ」と臆面もなく言い放つスカルに、店主は開きかけていた口を閉じた。諦めのため息をついて、受け取る。
「価格が暴落する前に、いっそぜんぶ売り払っちまえばどうだ」
「馬鹿ヤロウ。俺様が使っていたモンだぞ。暴落なんてあるワケがねえ。みんな涙を流してありがたがるに決まっている」
店主の皮肉も、スカルには通じない。
店主は話題を変えた。
「ところで、頼んでたモンは運んでくれたか?」
「あん? ……ああ、あれか。確か、ワケもわからずあんたに押しつけられたっていう……えっと、酒だか金だか」
「瓶だよ。あの『黒聖女』が関わってるって知ってたら、受け取ったりしなかった」
「たかが瓶一本。何をビビってんだか」
「ああそうだ、ビビって何が悪い。黒聖女サマは他人の心まで支配して操るって話じゃないか。あの瓶にだって、どんな呪いがかけられているかわかりゃしない。さっさと手放したかったんだよ」
「そんなビビりのせいで、『落とし物ですよ聖女様』ってノコノコ出向かなきゃいけなくなったんだ。この俺様が。エリスの屋敷まで」
「その代わり、一日分の酒代を浮かしてやっただろう。……なあ、ちゃんと届けてくれたんだろうな?」
一瞬の間があった。
「ああ、届けたよ。さすがに、世話になってるあんたを欺くほど落ちぶれちゃいない」
「そうか。なんにせよ、オレの目の届かない場所に持っていってくれればいいんだ」
店主はテーブルに手を突いた。勇者装備を片手に、スカルの顔をのぞき込む。
「これは、とりあえず預かっておく。次は金を持って来いや、スカルの旦那」
「……ちっ。わかったよ。帰る」
席を立つ。饐えた臭いの店内を出る。
地下から暗い裏路地、そこから大通りへ。視界が開けて、ようやくスカルは陽光を浴びた。
まだ、これから日が高くなろうという時間である。
通りには大勢の人が行き交っていた。
その中の誰ひとりとして、勇者スカルに声をかけてくる者はいない。
スカルは雑踏の中、ふいに立ち止まった。
――今、この場で最大出力の技をブチかましたら、何人振り返るだろうか。
空を見上げる。
そして背後を振り返る。
遠く、王城が見えていた。
そういえば、最近はすっかり城へ行くこともなくなった。イリス姫がしばらく留守と聞いて、なおさら行く気が失せていた。
フラッシュバックする記憶。
城の入口を護る衛兵。
二、三週間前はクソ生意気ながらもこっちの話を聞いてきた。
だが次第に態度がぞんざいになり、最後に顔を見せたときには、勇者だと気づかず門前払いしようとした。
存在感が、薄れていく。
スカルは無言で王城から視線を引き剥がすと、自宅へ向かって歩き出した。
勇者のために用意された邸宅は、今もスカルが住んでいる。だが、彼以外に人影はない。
散らかり放題の室内。テーブルの片隅に、掌ほどの大きさの瓶が無造作に置いてある。
飲み屋の店主が言っていた、預かり物だった。
『店主へ嘘をついた』という感覚はスカルにない。どうでもいいものを、どうでもいいように扱っているだけだ。
「……」
スカルは瓶を手に取ると、邸宅の地下に向かう。
施錠されていない倉庫の扉を開ける。
そこには、彼を勇者たらしめる聖なる装備一式が無造作に保管されていた。
瓶を棚に置く。
倉庫を出て、今度はしっかり鍵をかけた。さらに誰も入れないよう、防御魔法まで施した。
スカルは思った。
俺はなにも悪くない。
――地下倉庫。
持ち主に触れられることなく放置された聖なる武具は、時間と共にその力を減退させていた。
そこへもたらされた、新たな『異物』。
勇者スカルは、薄々気づいていた。異物――瓶の中には何か良からぬモノが封じられていることを。
気づいていながら、なかったことにした。どうでもいいものと切り捨てた。
その結果。
少しずつ。少しずつ。
聖剣と呪詛が共鳴する。
一度は潰えたはずのエリス・ティタースの野望が、再び、黒い芽を出そうとしていた。
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