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第53話 決着の後で
しおりを挟む大神木の精霊ルウが、俺の方を振り返る。
「終わりましたよ~、ラクター」
「ああ」
俺は短く応えた。
――神獣オルランシアの聖地に新しく生まれた、奇妙なモニュメント。
かつて『聖女』と呼ばれていたエリス・ティタースは、漆黒の枝によって磔にされている。
生きながらにして悪夢の無限ループに捕らわれた彼女。
今も小さく、うめき声とも悲鳴とも取れる声を上げ続けている。
全身は、彼女自身の呪詛により醜く染まり、悪夢の樹と一体化しているようにも見えた。
俺は自分の手を見た。
この手でエリスを引っ掴み、地面に叩き伏せた。リーニャの牙の餌食にさせた。悪夢の樹から逃れられないようにした。
決めたのはこの手だ。この俺だ。
『大丈夫ですか。ラクター様』
「心配要らない」
俺はもう一度、エリスだったものを振り返った。
「あいつには似合いの末路だった。今もそう思ってる。俺の心配はしなくていい」
『わかりました。それでは一言だけ――お疲れ様でした』
女神の労いに俺は無言でうなずいた。
――これで、くそったれ聖女の謀略と暴虐に悩まされることもなくなるだろう。
ルウと連れだって仲間たちのもとへ向かう。大神木の大精霊は、いつもどおりの微笑みを浮かべていた。エリスのことなど、もう過去のことなのだろう。
大精霊は優しくない――他ならぬ彼女自身が、それを証明しているようだった。
一方、他の仲間たちはそれぞれ複雑な思いを抱えているようだ。
俺はまず神獣状態のリーニャに言った。
「お疲れ。よくやった。それと、すまないなリーニャ。お前の故郷でもあるここに、ヘンなもんを建てちまった」
「あれは主様の戦勝記念。リーニャ気にしない。むしろ誇らしい」
その割に、少し不満げに鼻を鳴らす。
「でも、自分でトドメさせなかったのはちょっと悔しい。もう少し食い散らしたかった」
「そこは我慢してくれ。人間にとって、アレはこれ以上ない罰になる」
「人間ってめんどうくさい」
次いでイリス姫に声をかけようとする。
そこへ、大賢者が俺の腕を軽く叩いてきた。
「お疲れ。それから……ありがと、ラクター」
俺は目を瞬かせた。
アリアはじっと悪夢の樹を見つめながら、真剣な表情で言った。
「元はといえば私が召喚獣を創ったせい。それはどうあっても消せない事実。私は、勇者パーティの一員だったことを忘れちゃいけないんだ。アレを見て、強く思った」
「アリア……」
「気合い、入った」
振り返った大賢者は、口元に小さく笑みを浮かべていた。
「あんたがきっかけをくれた黒魔法。これからもっと伸ばしてく。ひとりでなにもできなかった自分をいつまでも引きずってちゃ、アレと同じになっちゃう。生まれ変わるって決めたこと、有言実行しなきゃね」
それに、とアリアは言葉を継いだ。
「このパーティの中で、あんたにブレーキかけられそうなのは私くらいなもんだし。あんなヤバいもの簡単に作り出しちゃう奴らのこと、誰かひとりくらいは監視しなきゃ駄目でしょ」
「……まあ、その。なんだ。よろしく頼む」
「頼まれたわ」
バシン、と強めに背中を叩かれる。
それから俺は、イリス姫の前に立った。
少し緊張した。
……いくら精神的に成長したとしても、姫は生粋のお姫様だ。
心根も非常に優しい。
だから、非道なエリスへの情け容赦ない制裁を目の当たりにして、内心ショックが大きいのではないかと思った。
それこそ、俺たちへの見方が変わるくらいに。
「大丈夫か、姫」
「……」
無言である。視線も、地面を向いている。
『致し方ありませんね』
女神の言葉に内心で同意した。これは今日にでも、王都へ引き上げてもらった方がいいかもしれない。
俺たちと少し距離を取れば、気持ちも落ち着くだろう。
――ふと、イリス姫が俺の手を握った。小さく、尋ねてくる。
「ラクターさん。お怪我はありませんか?」
「ん……ああ。見てのとおり、大丈夫だ」
「よかった……。私も……大丈夫ですから」
イリス姫と目が合った。
彼女は微笑んでいた。少々、無理をして笑顔を浮かべているようにも見えた。
俺は無意識に口を開いていた。
「見届けてくれてありがとう」
「え?」
「正直、姫の顔を見ていなかったら、俺は勘違いしてしまったかもしれない。誰から見ても正しいことをした――ってな」
「ラクターさん……」
俺はイリス姫の手をそっと離そうとした。
だが、思いがけない力で姫の方から強く握り返される。
姫はなぜか――「よかった」と口にした。
「ラクターさんが、私の思ったとおりの人で……本当によかった」
「姫?」
「反省しました。私。それと、ちゃんと覚悟、しました」
そう言ってイリス姫は笑った。先ほどよりもずっと自然な、なにか吹っ切れたような笑顔だった。
俺には彼女の内心が、よくわからなかった。女神アルマディアは言う。
『イリス姫は不安だったのでしょう。ラクター様がラクター様でなくなるのではないかと。しかし、そうではないとわかって安心したのです。そして……どんなあなたでも受け入れると覚悟を決めた』
――それからしばらくして。
別行動していた双子従者が、パテルルに先導される形で俺たちのもとへ駆けつけてきた。
彼らの報告によると、エリスの奴はレオンさんに暴行を加えた上でアンを拉致していたようだ。俺たちの懸念が当たってしまった。
騎士たちに保護されたレオンさんは、治療のために一度、王都へと運ばれたという。アンも一緒だ。
双子のスティアとキリオだけが別働隊から離れて俺たちに合流したのだ。
騎士のスティアがエリスの取り巻きを縛り上げる一方、書記官のキリオは顎に手を当てていた。
尋問をしたところ、どうやら取り巻きたちに森へ入ってからの記憶がほとんどないようなのだ。それどころか、まともに話ができる状態の人間すらごく一部という有様である。
おそらくエリスの呪詛のせいだろう。部下を傀儡にするとは、実にあいつらしい。
「ラクター陛下。この者たちは我々で引き受けます」
「ああ。頼んだ」
「は。――それと一点、気になることが」
キリオはちらりと姫の方を見る。イリス姫はアリアと話し込んでいて、こちらに気づいていない。
書記官は俺に近づいて声をひそめた。
「話のできる者から聞き取りしたところ、彼らは八人編成でこの森に入ったということです。エリス・ティタースの椅子を運ぶ者四人、四方の警戒と道の開拓役が四人」
「自分で歩くこともしなかったのかエリスは。……ん? 八人?」
「ええ」
キリオは眼鏡のブリッジに触れた。
「ここにいるのは六人……二人足りません。道中で欠員が出た可能性もありますが、もし、敢えて別行動をさせていたのなら――いまだ、姫様への謀略は終わっていないことになります」
俺はエリスを振り返った。
かつての聖女は、無限の悪夢にうなされ続けている。
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