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第50話 対 聖女エリス・ティタース ①
しおりを挟む「見えた! あそこだ!」
小高い丘の上、開けた場所からカリファの聖森林が見渡せる場所。
そこに、いくつかの人影を見た。
――連れが多い。ということは、聖女の方か。
「最悪」
隣でアリアが渋面のままつぶやく。
神鳥に降下の指示を出す。
直後、地上から何かが飛来してきた。地上にいた男たちが投擲してきたのだ。
風切り音を上げて迫るナイフ。
神鳥が短く鳴き声を出す。巻き起こった風がナイフを軒並み叩き落とした。
下を見る。屈強な男たちがこちらに向かって、第二射を放とうと構えを取る。
そのとき、樹々の間から銀色のきらめきが飛び出してきた。男たちを次々と昏倒させていく。
波打つ銀髪、逆立つ尻尾、常人ではあり得ない高速機動。
オルランシアの神獣リーニャだ。
ものの数秒で、男たちは全滅した。そのまま彼らの喉笛を噛み切りそうな勢いだったので、俺は空中から制止した。
神鳥とともに聖地へと降り立つ。
さっきから肌がざわつく。俺が【楽園創造者】の力で復活させたときと、明らかに空気が違う。清浄を取り戻したはずの聖地に、暗い闇の力がにじんでいる。
もう間違いない。
「聖女……エリス・ティタース」
「あら。久しぶりですね、無能のあまり追放されたラクター・パディントン。わたくしのことは『様』を付けてお呼びなさいな。一般人さん」
聖地の突先に立ち、俺たちを迎えるエリス。
余裕の表情が癪に障る。
だが、衝撃の方が勝った。
俺も、イリス姫も、目を見開いて息を呑んだ。
「どうして、アンがここに」
聖女エリスの隣に立つ、小さな少女。
王都に住んでいた頃は病弱だった身体も、カリファ聖森林に来てからはすっかり元気になったはずだったのに。
今のアンは、まるで魂が抜けてしまったかのような生気のない様子で立ち尽くしている。
涙の痕が、痛々しかった。
近くに父親――レオンさんの姿はない。つまり。
「……白昼堂々と女児誘拐とは、聖女の名が聞いて呆れるな」
「雑魚の遠吠えは心地よい響きですね」
さらりと嘲ってきた。
そうだ。エリス・ティタースはこういう女だった。まったく、一ミリたりとも変わっていない。
聖女――もはやそう呼ぶのも虫唾が走るが――の周囲には、聖なる光とともにどす黒い濁った魔力も漂っている。
『あの魔力が、オルランシアの聖地に悪影響を与えているようです。ラクター様に解放されたこの地、邪悪な存在を易々と受け入れるはずはない。前回の襲撃も同じような状況だったのでしょう。……おそらく、アンもあの力に』
くそったれ。
アリアが声を上げた。
「エリス。あんた、私の召喚獣をどこにやったの。あんたなんでしょ? 私が埋めたアレを掘り返して、持って行ったのは」
「アリア……あなたはもうとっくに一般人。只人その一にわざわざ説明してあげる手間を、わたくしが費やすとお思い?」
ええ思わないわよ、ちくしょうめ――とアリアはつぶやいた。
俺もアリアも、このくそったれ聖女のことは知ってる。よく知ってる。
いつもの演技なのか、それとも多少なりとも本心を覗かせているのか。エリスは満足そうな笑みを浮かべている。
「ですが、今日はとても気分がいい。それに、あなたたちは予想外の手土産を持ってきてくれた。特別に教えて差し上げましょう」
聖女の視線が、ある人物を向く。
青ざめながらも、強い眼光を放つ女性――ルマトゥーラ王国のイリス姫へ。
「イリス・シス・ルマトゥーラ姫。聖女エリス・ティタースが命じます。わたくしの支配下に入りなさい」
「……理由を話してください」
「わたくし、あなたが目障りですの」
言い放つ。
そして、足下に置いていた黒い大瓶を持ち上げた。
「姫様。この中には大賢者――ああ、失礼。今は『元』でしたわね。その彼女が作った大いなる汚点が入っています。わたくしには、この不格好なモンスター擬きが召喚獣だなんてとても思えないのですが……まあ、その他大勢の民を震え上がらせるには十分な悍ましさ。ちょうどよいです」
言ってくれるじゃないの、とアリアが言う。エリスは無視した。
聖女の視線は、ただ姫に向いている。よく見ると、隠しきれない興奮と怒りが、微笑みの真ん中に張り付く充血した目に表れていた。
「あなたはこの召喚獣を、愚かにも民や父王の前で解放するのです。気が触れたように嗤い、踊り、そして無様に捕らわれなさい。そうすれば、あなたは永久に歴史の表舞台から消えることができるでしょう」
「そのような非道を……私がするとお思いですか」
「あなたの意思など関係ありません。ほら、このとおり」
エリスは指先に己の魔力を凝縮させた。まるでナイフ、いや手術用のメスのように構える。
そのまま、隣のアンのこめかみへ。
「この子、可愛らしいですね。姫様のお気に入りなのでしょう。とても親しそう」
「なにを」
「あと数センチ、わたくしが指を動かせば、この子は確実に狂う。そしてもう戻ってこられない。――さあイリス。わたくしの望む答えを言いなさい。そしてすべてを諦め、こちらに来るのです」
イリス姫は唇を噛んだ。俺も、アリアもだ。後ろではリーニャがしきりに唸りを上げている。
汚ねえ。
「ああ、その悔しそうな顔! いいです、とてもいい。このような土臭い場所にわざわざ足を運んだ甲斐がありました。礼を言いますね姫様。あなたの意識が残っているうちに」
汚ねえ! なんて卑劣な……!
アリアが、姫の袖を引いた。
「あいつの言いなりになっちゃダメよ、イリス」
姫は答えない。
俺は意識を集中した。
姫の性格を考えると、アンを解放するために誘いに乗りかねない。
その前に、一瞬の隙を探すんだ。
【楽園創造者】、そして神力が生み出す魔法。この局面を打開する一手を打つために――。
「さあ! 早くこちらに来るのです、イリス・シス・ルマトゥーラ!」
――聖女の暴言に合わせ。
イリス姫が、一歩前に踏み出す。
アリアが慌てる。
俺は唇を噛む。
聖女が身を乗り出して嗤う。
姫が、大きく息を吸い込む。
「――お願い!!」
立ち止まったイリス姫が、大声で叫んだ。
直後。
聖地の突先、崖となっているところから、数匹の動物たちが飛び出してきた。
先頭にいたのは白い毛並みのオオカミ――イリス姫の最側近、ホワイトウルフのパテルルだ。
背後からの強襲に反応が遅れた聖女。その隙に、パテルルはアンの首襟をくわえ、一気に俺たちの元まで駆けてきた。
慌てて対抗しようとしたエリスへ、立て続けに小鳥や小動物たちが群がる。相手の集中力をかき乱す。
イリス姫の声に呼応して駆けつけた動物たち。【ビーストテイマー】の面目躍如だった。
パテルルからアンを受け取ったイリス姫は、小さな身体を強く抱きしめた。
すると、アンを覆っていた黒い魔力が、陽光に炙られた水滴のように消えていく。
「アン!」
「……ひめ、さま……?」
「大丈夫。もう大丈夫よ。アン」
イリス姫にゆっくりと頭を撫でられるアン。その瞳には、意思の輝きが戻っていた。
魔法じゃない。
イリス姫の包容力が起こした奇跡だった。
俺は姫たちを背後に庇う。
強く握りこぶしを作った聖女サマに言ってやった。
「これじゃあどっちが聖女か、わかんねえよな? あんたはどう思うよ、エリス」
「この……下郎どもが!!」
エリスは黒の大瓶を引っ掴んだ。
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