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第48話 〈side:勇者〉聖女、呪詛の微笑み
しおりを挟む――本来。
わたくしのような高貴な人間が、靴や服を汚しながら森を歩くべきではなかったのです。
以前の冒険は、いわば戯れ。勇者スカルに無理矢理付き合わされただけのこと。
わたくしは聖女エリス・ティタース。
聖女に相応しい歩き方を実践すればいい。
今のわたくしなら、それができる。
聖なる地、カリファの聖森林。
道なき道を、わたくしは椅子に座って移動している。
どういうことか? 簡単だ。下僕たちに運ばせればいい。
椅子の脚を支える四人の男。それとは別に、前後左右に一名ずつ。わたくしに触れようとする邪魔な雑草や木枝を取り除く男たちだ。
多少、揺れは気になるが……まあ許容範囲に収めた。
なにせ、わたくしが手ずから魔法による強化を施したのだから。
椅子を支える者たちには、筋力を極限まで増強し、苦痛や疲労を感じなくする呪詛――もとい奇跡をかけた。彼らにはもはや、自分で思考する余地は残っていない。ただただ、わたくしを丁重に運ぶだけが至上であり、その行為はもはや心臓を動かすと同義なほど自然で当たり前のことになっている。
意に反すれば死だ。
とはいえ、わたくしは勇者ほど外道ではないから、彼らが本格的に壊れる前に癒やしの魔法をかけている。おかげでここまで順調な旅路だ。
わたくしの身体から聖なる光が漏れる。周囲をまとめて癒やす聖女の偉力。いつもならやらない大盤振る舞いだ。
わたくしは今、とても機嫌が良かった。
「ふふふ……」
気を抜くと笑みがこぼれる。
理由は、この手にある大きな黒い瓶。
大きさは三十センチほど。黒色ではあるが、中は薄らと透けて見える。
瓶の中には、不格好なモンスター崩れが収められていた。
かつての大賢者アリア・アートが創りだし、廃棄した召喚獣である。
わたくしの偉大な力で、巨体だった召喚獣はこの瓶の中に封印されたのだ。
――二ヶ月ほど前、わたくしたちはカリファの聖森林を探索した。
その道中で、わたくしは見たのだ。アリアが神獣聖域の力を使って新しい召喚獣を生み出そうとしたところを。
その試みが失敗し、癇癪を起こしたアリアが召喚獣を廃棄したところまで。
失敗をなかったことにするのはアリアの宿痾のようなものだ。神でも救えない。それを知っていたわたくしは、そのまま放置した。
「良い時に思い出しましたわ。さすがわたくし」
再び忍び笑い。
――この召喚獣を、しかるべきときに解放――いや暴走させる。
それも、王都のど真ん中で。
できれば王城、陛下の面前であればなお良い。
もちろん、召喚獣を扱うのはわたくしではない。
「イリス・シス・ルマトゥーラ。あなたの傲慢ぶりも、これで終焉ですわ」
王国の華と謳われたはずの姫が、自らの父や護るべき民に向かって凶刃を向ける。
そうなればもはや、あの姫を敬い庇う者は王国から消えてなくなるだろう。
わたくしが理想とする世界に大きく近づくのだ。
――イリス・シス・ルマトゥーラが側近を連れて森に入ったことは、わたくしの耳にも届いていた。
大事な会談があるとのことだが、わたくしにとってはどうでもいい。
大切なのは、『凶悪な召喚獣が眠る森に姫が自ら入った』という事実だ。
そこで何が起こったか、王都の人間は誰も知る術がない。
例えば――イリスが会談にかこつけて、禁忌の召喚獣の封印を解いたとしても、誰も否定できないのだ。
わたくしには力がある。
ほんのいっときでいい。
あの女の心を支配する。
奴の本性をさらけ出す時間が作り出せれば、それでイリス姫は終わる。
王国の誰もが夢から覚める。
そのための大事な鍵を、わたくしは首尾良く手に入れることができたのだ。これを笑わずにはいられようか。
「情報では、イリスはしばらく森に滞在するはず。街道近くの出入口付近で接触できれば……いえ、先に王都へ戻るべきかしらね。何かもうひとつ、決め手があると良いのだけれど」
考えを巡らせる。
そのとき、ふと眼前が開けた。明らかに人為的に整えられた広場。視線の先には、まるで王都にあるホテルのような小洒落た外観の建物があった。
入り口扉前の砂利道やガーデニング。なかなかセンスが良い。
わたくしは椅子から降りると、その建物に向かう。座りっぱなしで疲れていたところだ。この建物なら合格。休息所に使わせてもらおう。
砂利道を進んでいると、不意に建物の扉が開いた。中から五歳くらいの小さな女の子が出てくる。
「姫様! ……あれ? ちがった?」
女の子はわたくしを見て首を傾げた。
にっこりと、聖女の微笑みで応じる。
「こんにちは、小さな天使さん。わたくしは聖女エリス」
「せいじょ、さま?」
「ええ」
うなずく。幼気な少女の扱いは得意だ。
名前をたずねると、少女は「アン」と答えた。凡庸で良い名前である。
なにより――イリス・シス・ルマトゥーラを知っている様子であるのが、とても良い。
「アンは、姫様とお友達なの?」
「うん! とってもきれいでやさしいの!」
「そう。それは素晴らしいことね」
微笑み続ける。
表情と内心を分けてコントロールするのも、わたくしは得意だ。
わたくしはアンの頭を撫でる。
イリスの好きそうな、純粋で可愛らしい容姿だ。あの人見知りな女が、こんな辺境地の少女と顔を合わせることなどないはず。
相当親しい間柄と見た。
わたくしは聖なる光を溢れさせた。その輝きの中に、わたくしが最も得意とする呪詛の魔法――もとい奇跡を紛れ込ませる。
わたくしの手から、少女の柔らかな髪へ――。
「せ、聖女エリス様!? どうしてこんなところに……。僕の娘に、いったいなにをしているのです!?」
建物の中から、父親と思しき男が出てきた。
わたくしは聖女の微笑みを崩さない。
勘のいい男。
でも――もう遅い。
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