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77 入院生活(2)
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やっぱり泣かせちゃったな。
俺がラルカンドだってことで、既にかなり迷惑というか心労を掛けているのに、今度は末期ガン宣告だもんな・・・2人とも受験は大丈夫だろうか……
「ごめん啓太。ごめん原条。
俺は後悔したくないから、好きなことを最後までやり抜きたかったんだ。
だから、転移したことは家族にも黙ってた。誰にも、いや、仕事の関係上、副社長にしか伝えていなかった。
俺は自分勝手で、我が儘だって分かってる。
誰も悲しませたくないとか、泣かせたくないとか……全て、俺の都合で考えたことだ。
でも俺は、この人生最大の我が儘を、最後まで貫くつもりだ。
意識があって曲が作れるうちは、1曲でも多く曲を作りたい。
邪魔されたくない。好きなことをしながら、静かにひっそりと最後を迎えたい。
恋人の伯にも、悠希先輩にも教えない。リゼットルのみんなにも、クラスメートにも、俺は知られたくない!」
俺は何度も横に首を振りながら、自分の願いを親友の二人に吐露していく。
涙も流さず、できるだけ冷静に、悲しい顔なんてしない。目に力をいれて、はっきりと力強く言いきる。
「ああ、そうか。分かった。じゃあ俺も好きにする。俺は俺の我が儘で春樹の側にいる。明日から毎日ここに来る。金曜・土曜は泊まり込みだ。部活も辞める」
超不機嫌な顔で、啓太は俺が思っていた通りのことを言い出した。
……やっぱりそうなるよな。
……俺を一人にはしておけないと知ってて……啓太に教えた。
……啓太が居てくれたら、俺は寂しくない。
……本当にごめん。そして、ありがとう。
「俺だって毎日来るよ。春樹……なんで……なんでそんなに落ち着いてるんだ?」
原条は涙を手で拭きながら、不思議そうな顔をして質問してきた。
「原条、俺は中学の時、一度手術をしてる。その時、悪性だった場合を何度も考えていた。もう…………3年も前から心の準備ができてたんだ。
それに、念願のベストアルバムも発売したし、DVDも発売される。
前世でできなかったことを叶えて、もう後悔しないと決めた。
前世で俺は、敵国の兵士に矢で射られて17歳で死んだ。
死の間際、大事な人に幸せに生きてと、俺が居なくなっても、頑張って生きてと伝えられなかった。それが心残りで生まれ変わった。
現世こそは、ちゃんと前向きに生きろ! 俺の分まで頑張れ!と、大事な人に伝えて、さようならする」
俺が言い終えた途端、突然集中豪雨のように10メートル先も見えないような雨が降り始め、俺たちは驚いて視線を窓の外に向ける。
とうとう雷まで鳴り始め、啓太と原条は窓から自転車置き場を見下ろす。
俺の決心を伝えるシリアスな場面のはずなのに、あまりの豪雨にそれどころではなくなった。暮れゆく空に稲妻が走り、病室の静寂をつんざく落雷が空気を震わせる。
啓太は不機嫌な表情を崩さないまま、今夜は病院に泊まると言い出した。この降り方だと電車が止まる可能性もある。
原条は親に電話を掛けて、迎えに来てと頼み始める。
こんな雷鳴轟く中、自転車で帰るのは命を危険に晒しそうだ。
結局、原条のお母さんが迎えに来るまで、俺は新しく作った曲を歌って、2人から感想を聞いたりして過ごした。
原条は帰り掛け「春樹の願いが叶うよう応援する。クラスメートにも、デジ部の奴らにも、春樹は音楽活動が忙しくて帰れないと伝える」と言って帰っていった。
今夜は親友が泊まると、俺はナースステーションに届け出た。
啓太は俺より先に室内のシャワーを浴び、入院用に用意した俺の新品の下着とTシャツと短パンに着替えて、サッパリした顔で、買い溜めておいたスポドリを飲む。病院とは思えない寛ぎ方で、啓太の適応能力の高さに感服する。
「おい春樹、俺は現役合格を目指してる」
「知ってるよ」
「これから毎日、俺の受験勉強に協力しろ! 部活を辞めるから、俺の合格率は確実に上がったな」
「ああ、俺の看病のせいで合格できなかったなんて、しょぼい言い訳は勘弁だぞ」
「フン、それよりドラマが始まる時間だぞ。春樹の歌う【限界突破】の方が俺は好きだけど、セルシュさんバージョンも結構いける」
「当然だ。俺が作った曲なんだから」
いつもと変わらない会話を交わしながら、ドラマの第2回を一緒に見る。
考えてみれば、こうやって啓太と夜を過ごすのは久し振りだ。
啓太のことだから、病状を黙っていた俺を責めないだろう。
悲しくても辛くても、俺の前で泣くこともないだろう。
だから俺も、出来るだけ弱音を吐かずに頑張れる。
……神様、啓太を親友として俺に与えてくださり、ありがとうございます。
7月13日、九竜副社長が新堂ミカさんと、野上監督を連れて見舞いにやって来た。
お洒落なオフホワイトのシャツにベージュのスカート、薄いブラウンの度付きサングラスをかけ、アクセントにこげ茶と黒のストールで、芸能人とは思えない地味だけど上品な服装のミカさん。
お気に入りのブランドのシャツとパンツしか着ない、好みが全くブレないという野上監督は、今日は珍しく帽子を被っている。
副社長は相変わらずのスーツ姿で、できる男&モデル並みにバッチリ決めている。
絶対に一般人とは違うオーラを放ちながら、3人は俺の病室に入ってきた。
野上監督とは、昨年の映画ヒットの打ち上げパーティー以来だ。
きっとナースさんたちはビックリしたと思う。一応騒ぎになったらいけないので、ナースステーションにはミカさんと監督が来ることは伝えてある。
昨日副社長から届いたメールには、ミカさんと野上監督には、俺の病気のことや俺の希望や考え方を伝えてあると書いてあった。
3人には応接セットに座ってもらう。俺は直ぐに冷えた緑茶のペットボトルを冷蔵庫から取り出し、紙コップに注いで丸テーブルの上に置き、副社長の隣に座った。
「ラルカンド先生、私に【離れたくない】を歌わせてくれてありがとうございます。きっとこの曲以上の名曲に、この先出会うことはもうないと思います。だから、大切に大切に歌っていきます。【繰り返す想い】も宝物です」
ミカさんには、これまでも会うたびに出逢いに感謝してますって言われてたけど、俺の曲を大切に歌っていくと、誓うように優しく微笑みながら言ってくれた。
「俺のことは春樹と呼んでくださいミカさん。俺の方こそ、ミカさんが歌ってくれて本当に良かったです」
俺はラルカンド先生呼びに恐縮しながら、俺こそ感謝してますと付け加えた。
「春樹くんは、映画のように静かに最後を迎えたいと九竜副社長に言ったそうだね」
尊敬する野上監督は、歯に衣着せぬ直球で質問してきた。
野上監督は初めて会った時から、こんな感じでストーレートに質問してくる人だった。始めは俺を試しているのかと思ったけど、知りたいと興味を持った人間に対してだけ、プライベートな質問をするのだと副社長が言っていた。
「はい野上監督。昨年【空の色と海の色】を映画館で見た時、あまりに身につまされて号泣してしまいました。そして、好きな人を泣かせずに逝けたらいいなと俺も思いました」
「君は強いんだね」
「いいえ野上監督。それは違います。弱いから周りの人が悲しむ姿も泣く姿も見たくないんです。まだ生きたい、死にたくないと誰かにすがりたくない。弱いからこそ、未練を残さないように予防線を張ってるだけです」
俺は嘘偽りのない本音を、野上監督の目を真っ直ぐ見て話す。
「ああ、忘れてた。アルバム発売と大ヒットおめでとう。僕も自分で買ったよ。春樹君は……もうやり切ったと思ってる?」
「ありがとうございます。・・・そうきますか・・・う~ん、そうですね。区切りはついたと思います。自分の思いの欠片を残すことは出来た。それは、とても満足しています。でも、やり切ったかというと、ぜんぜん足りてませんね」
野上監督との話は、ちょっと哲学的だ。
俺なんてまだ高校生で、人生の経験値は低い。偉そうなことを言っても仕方ないから、思ったことを素直に話すことしか出来ない。
「そうだろうね。ものづくりをしている人間は欲が深い。乗っている時は、今よりもっといいもの作りたい、きっと作れると考えるもんだ。で・・・何が足りない?」
監督は今度こそ試すような視線を俺に向け、胸に刺さるような質問をしてきた。
「もらった愛情を返す時間とか……予想していた分より短い残り時間とか、欲しい物を考える時間とか……かな」
頭の中で足りないものを考えながら話すけど、意外と少なかった。足りないものは全て時間だった。
「これからも、時々顔を見に来てもいいかな? ついでに観光をして、春樹君にカメラを向けてもいいかな?」
「いつでもどうぞ。でも、綺麗なものも楽しいものも撮れないと思いますよ」
何のために俺を撮りたいのか分からないけど、撮った映像を俺が見ることはないだろう。だから別に構わない。俺は役者じゃないから演じる必要もない。
折角だからとミカさんにお願いして、談話スペースで一緒に歌うことにした。
ミニライブとか大袈裟なものではなく、ほんの2曲くらい一緒に歌うだけだ。
ちょうど3時のおやつタイムだから、聞きたい人はどうぞって感じで、緩和ケア病棟の患者さんとスタッフさんのためだけに歌う。
もしかしたらミカさんが歌ってくれるかも……と昨日先生にお伺いをたてておいた。可能なら是非にと、先生と師長さんから許可は出ていた。
俺は急いで外出着に着替えて、カツラとカラコンを外して(入院中は寝る時以外装着している)ギターを持ち出す。
一旦俺とミカさんはミーティングルームに移動して、患者さんやその家族やお見舞いに来ている人には、ボランティア活動で来た風を装うことにする。
事前告知がなかったのは、突然来院が決まったので、混乱を避けるために極秘にしていたと、集まった人達に先生が説明してくれた。
歌うのは、ミカさんが【離れたくない】と【繰り返す想い】。ラルカンドである俺は【神秘の扉】にした。
ミカさんの伴奏を終えたところで、俺は右手の指が上手く動かなくなった。
そこで【神秘の扉】はアカペラになってしまったが、ミカさんも途中から一緒に歌ってくれたので、みなさんには喜んでもらえたようで一安心である。
緩和ケア病棟の患者さんは、どちらかと言うと高齢者の方が多い。患者さんの中にはミカさんを知らない人もいたけど、昨年大ヒットした【離れたくない】は知っている人もいたし、【神秘の扉】はテレビ番組の主題歌だと気付いてくれた人もいた。
ラルカンド?・・・スタッフさんやお見舞いの人は知ってる人もいたけど、患者さんは誰も知らなかったと思う。
ちょっと寂しかったから、次に歌う機会があれば、スタッフさんや若い入院患者さんで、希望者限定にしよう。
もちろん体調次第だから、突然のシークレットライブになるだろう。
副社長はミカさんと野上監督を空港まで送り、これからの打ち合わせをするため病院に戻ってくる。
今日は近くのホテルを取ってあるらしく、明日の午前中まで仕事をすることになりそうだ。
確かに、仕事のやり残しは山ほどある。
午後6時半、啓太と原条と受験勉強をしていたら、戻ってきた副社長がとんでもないことを啓太と原条に言い出した。
俺がラルカンドだってことで、既にかなり迷惑というか心労を掛けているのに、今度は末期ガン宣告だもんな・・・2人とも受験は大丈夫だろうか……
「ごめん啓太。ごめん原条。
俺は後悔したくないから、好きなことを最後までやり抜きたかったんだ。
だから、転移したことは家族にも黙ってた。誰にも、いや、仕事の関係上、副社長にしか伝えていなかった。
俺は自分勝手で、我が儘だって分かってる。
誰も悲しませたくないとか、泣かせたくないとか……全て、俺の都合で考えたことだ。
でも俺は、この人生最大の我が儘を、最後まで貫くつもりだ。
意識があって曲が作れるうちは、1曲でも多く曲を作りたい。
邪魔されたくない。好きなことをしながら、静かにひっそりと最後を迎えたい。
恋人の伯にも、悠希先輩にも教えない。リゼットルのみんなにも、クラスメートにも、俺は知られたくない!」
俺は何度も横に首を振りながら、自分の願いを親友の二人に吐露していく。
涙も流さず、できるだけ冷静に、悲しい顔なんてしない。目に力をいれて、はっきりと力強く言いきる。
「ああ、そうか。分かった。じゃあ俺も好きにする。俺は俺の我が儘で春樹の側にいる。明日から毎日ここに来る。金曜・土曜は泊まり込みだ。部活も辞める」
超不機嫌な顔で、啓太は俺が思っていた通りのことを言い出した。
……やっぱりそうなるよな。
……俺を一人にはしておけないと知ってて……啓太に教えた。
……啓太が居てくれたら、俺は寂しくない。
……本当にごめん。そして、ありがとう。
「俺だって毎日来るよ。春樹……なんで……なんでそんなに落ち着いてるんだ?」
原条は涙を手で拭きながら、不思議そうな顔をして質問してきた。
「原条、俺は中学の時、一度手術をしてる。その時、悪性だった場合を何度も考えていた。もう…………3年も前から心の準備ができてたんだ。
それに、念願のベストアルバムも発売したし、DVDも発売される。
前世でできなかったことを叶えて、もう後悔しないと決めた。
前世で俺は、敵国の兵士に矢で射られて17歳で死んだ。
死の間際、大事な人に幸せに生きてと、俺が居なくなっても、頑張って生きてと伝えられなかった。それが心残りで生まれ変わった。
現世こそは、ちゃんと前向きに生きろ! 俺の分まで頑張れ!と、大事な人に伝えて、さようならする」
俺が言い終えた途端、突然集中豪雨のように10メートル先も見えないような雨が降り始め、俺たちは驚いて視線を窓の外に向ける。
とうとう雷まで鳴り始め、啓太と原条は窓から自転車置き場を見下ろす。
俺の決心を伝えるシリアスな場面のはずなのに、あまりの豪雨にそれどころではなくなった。暮れゆく空に稲妻が走り、病室の静寂をつんざく落雷が空気を震わせる。
啓太は不機嫌な表情を崩さないまま、今夜は病院に泊まると言い出した。この降り方だと電車が止まる可能性もある。
原条は親に電話を掛けて、迎えに来てと頼み始める。
こんな雷鳴轟く中、自転車で帰るのは命を危険に晒しそうだ。
結局、原条のお母さんが迎えに来るまで、俺は新しく作った曲を歌って、2人から感想を聞いたりして過ごした。
原条は帰り掛け「春樹の願いが叶うよう応援する。クラスメートにも、デジ部の奴らにも、春樹は音楽活動が忙しくて帰れないと伝える」と言って帰っていった。
今夜は親友が泊まると、俺はナースステーションに届け出た。
啓太は俺より先に室内のシャワーを浴び、入院用に用意した俺の新品の下着とTシャツと短パンに着替えて、サッパリした顔で、買い溜めておいたスポドリを飲む。病院とは思えない寛ぎ方で、啓太の適応能力の高さに感服する。
「おい春樹、俺は現役合格を目指してる」
「知ってるよ」
「これから毎日、俺の受験勉強に協力しろ! 部活を辞めるから、俺の合格率は確実に上がったな」
「ああ、俺の看病のせいで合格できなかったなんて、しょぼい言い訳は勘弁だぞ」
「フン、それよりドラマが始まる時間だぞ。春樹の歌う【限界突破】の方が俺は好きだけど、セルシュさんバージョンも結構いける」
「当然だ。俺が作った曲なんだから」
いつもと変わらない会話を交わしながら、ドラマの第2回を一緒に見る。
考えてみれば、こうやって啓太と夜を過ごすのは久し振りだ。
啓太のことだから、病状を黙っていた俺を責めないだろう。
悲しくても辛くても、俺の前で泣くこともないだろう。
だから俺も、出来るだけ弱音を吐かずに頑張れる。
……神様、啓太を親友として俺に与えてくださり、ありがとうございます。
7月13日、九竜副社長が新堂ミカさんと、野上監督を連れて見舞いにやって来た。
お洒落なオフホワイトのシャツにベージュのスカート、薄いブラウンの度付きサングラスをかけ、アクセントにこげ茶と黒のストールで、芸能人とは思えない地味だけど上品な服装のミカさん。
お気に入りのブランドのシャツとパンツしか着ない、好みが全くブレないという野上監督は、今日は珍しく帽子を被っている。
副社長は相変わらずのスーツ姿で、できる男&モデル並みにバッチリ決めている。
絶対に一般人とは違うオーラを放ちながら、3人は俺の病室に入ってきた。
野上監督とは、昨年の映画ヒットの打ち上げパーティー以来だ。
きっとナースさんたちはビックリしたと思う。一応騒ぎになったらいけないので、ナースステーションにはミカさんと監督が来ることは伝えてある。
昨日副社長から届いたメールには、ミカさんと野上監督には、俺の病気のことや俺の希望や考え方を伝えてあると書いてあった。
3人には応接セットに座ってもらう。俺は直ぐに冷えた緑茶のペットボトルを冷蔵庫から取り出し、紙コップに注いで丸テーブルの上に置き、副社長の隣に座った。
「ラルカンド先生、私に【離れたくない】を歌わせてくれてありがとうございます。きっとこの曲以上の名曲に、この先出会うことはもうないと思います。だから、大切に大切に歌っていきます。【繰り返す想い】も宝物です」
ミカさんには、これまでも会うたびに出逢いに感謝してますって言われてたけど、俺の曲を大切に歌っていくと、誓うように優しく微笑みながら言ってくれた。
「俺のことは春樹と呼んでくださいミカさん。俺の方こそ、ミカさんが歌ってくれて本当に良かったです」
俺はラルカンド先生呼びに恐縮しながら、俺こそ感謝してますと付け加えた。
「春樹くんは、映画のように静かに最後を迎えたいと九竜副社長に言ったそうだね」
尊敬する野上監督は、歯に衣着せぬ直球で質問してきた。
野上監督は初めて会った時から、こんな感じでストーレートに質問してくる人だった。始めは俺を試しているのかと思ったけど、知りたいと興味を持った人間に対してだけ、プライベートな質問をするのだと副社長が言っていた。
「はい野上監督。昨年【空の色と海の色】を映画館で見た時、あまりに身につまされて号泣してしまいました。そして、好きな人を泣かせずに逝けたらいいなと俺も思いました」
「君は強いんだね」
「いいえ野上監督。それは違います。弱いから周りの人が悲しむ姿も泣く姿も見たくないんです。まだ生きたい、死にたくないと誰かにすがりたくない。弱いからこそ、未練を残さないように予防線を張ってるだけです」
俺は嘘偽りのない本音を、野上監督の目を真っ直ぐ見て話す。
「ああ、忘れてた。アルバム発売と大ヒットおめでとう。僕も自分で買ったよ。春樹君は……もうやり切ったと思ってる?」
「ありがとうございます。・・・そうきますか・・・う~ん、そうですね。区切りはついたと思います。自分の思いの欠片を残すことは出来た。それは、とても満足しています。でも、やり切ったかというと、ぜんぜん足りてませんね」
野上監督との話は、ちょっと哲学的だ。
俺なんてまだ高校生で、人生の経験値は低い。偉そうなことを言っても仕方ないから、思ったことを素直に話すことしか出来ない。
「そうだろうね。ものづくりをしている人間は欲が深い。乗っている時は、今よりもっといいもの作りたい、きっと作れると考えるもんだ。で・・・何が足りない?」
監督は今度こそ試すような視線を俺に向け、胸に刺さるような質問をしてきた。
「もらった愛情を返す時間とか……予想していた分より短い残り時間とか、欲しい物を考える時間とか……かな」
頭の中で足りないものを考えながら話すけど、意外と少なかった。足りないものは全て時間だった。
「これからも、時々顔を見に来てもいいかな? ついでに観光をして、春樹君にカメラを向けてもいいかな?」
「いつでもどうぞ。でも、綺麗なものも楽しいものも撮れないと思いますよ」
何のために俺を撮りたいのか分からないけど、撮った映像を俺が見ることはないだろう。だから別に構わない。俺は役者じゃないから演じる必要もない。
折角だからとミカさんにお願いして、談話スペースで一緒に歌うことにした。
ミニライブとか大袈裟なものではなく、ほんの2曲くらい一緒に歌うだけだ。
ちょうど3時のおやつタイムだから、聞きたい人はどうぞって感じで、緩和ケア病棟の患者さんとスタッフさんのためだけに歌う。
もしかしたらミカさんが歌ってくれるかも……と昨日先生にお伺いをたてておいた。可能なら是非にと、先生と師長さんから許可は出ていた。
俺は急いで外出着に着替えて、カツラとカラコンを外して(入院中は寝る時以外装着している)ギターを持ち出す。
一旦俺とミカさんはミーティングルームに移動して、患者さんやその家族やお見舞いに来ている人には、ボランティア活動で来た風を装うことにする。
事前告知がなかったのは、突然来院が決まったので、混乱を避けるために極秘にしていたと、集まった人達に先生が説明してくれた。
歌うのは、ミカさんが【離れたくない】と【繰り返す想い】。ラルカンドである俺は【神秘の扉】にした。
ミカさんの伴奏を終えたところで、俺は右手の指が上手く動かなくなった。
そこで【神秘の扉】はアカペラになってしまったが、ミカさんも途中から一緒に歌ってくれたので、みなさんには喜んでもらえたようで一安心である。
緩和ケア病棟の患者さんは、どちらかと言うと高齢者の方が多い。患者さんの中にはミカさんを知らない人もいたけど、昨年大ヒットした【離れたくない】は知っている人もいたし、【神秘の扉】はテレビ番組の主題歌だと気付いてくれた人もいた。
ラルカンド?・・・スタッフさんやお見舞いの人は知ってる人もいたけど、患者さんは誰も知らなかったと思う。
ちょっと寂しかったから、次に歌う機会があれば、スタッフさんや若い入院患者さんで、希望者限定にしよう。
もちろん体調次第だから、突然のシークレットライブになるだろう。
副社長はミカさんと野上監督を空港まで送り、これからの打ち合わせをするため病院に戻ってくる。
今日は近くのホテルを取ってあるらしく、明日の午前中まで仕事をすることになりそうだ。
確かに、仕事のやり残しは山ほどある。
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