前世の僕は、いつまでも君を想う

杵築しゅん

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51 涙と笑顔

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◇◇ 伯 ◇◇

「ラルカンド、俺が悪かった。どこか痛かったか? どうして泣いてる?」

「ちょっと待って」と何度も言う春樹の言葉をエイブは無視し、「大丈夫、俺に任せろラルカンド」とか「もう逃がさないと言っただろう」とか「痛いのは始めだけだ……」という言葉を吐いて、ラルカンドが、いや、春樹が本気で懇願していることに気付かなかった。
「待って」という言葉ではなく「嫌だ!」と叫ばれて、ようやく春樹が泣いていることに気付いた。

「俺は、エイブに抱かれたいんじゃない!」
「どうしたんだラルカンド、どっちも同じだろう?」
「違う!お前はエイブだ。伯じゃない。俺は春樹でラルカンドじゃない!」
「・・・なんで、どうしたんだラル……春樹。俺を拒むのか?」
「エイブは、春樹を好きなんじゃなくて、ラルカンドとセックスしたいだけだ。優しい伯は、俺を強引に抱いたりしない。伯……春樹を好きな伯はどこだだよ?俺に触るな!」

春樹はそう言って、バスルームに逃げるように飛び込んでいった。
 俺は突然、頭を強く叩かれたような痛みを感じ、一気に興奮から冷めた。

 ……春樹に嫌われた? 俺は何をした? 春樹は何度もちょっと待ってと言っていたのに・・・どうして? なんで強引に・・・また間違えた?

 俺はベッドから下りるとフラフラとバスルームに向かい、ドアノブに手を掛けるけど、中からシャワーの音と春樹の泣く声が聞こえてきて手を離した。
 頭の中が真っ白になり、呆然としながらも下着をつけると、冷静になるために春樹が飲みかけにしていたミネラルウォーターを飲んだ。
 椅子に座ると自分の両手をじっと見て、数分前のことを思い出そうとする。

 ……完全に意識がエイブに乗っ取られていた? いや違う。俺がエイブの想いを止めなかったんだ。

 春樹が初めてだと言っていたのに、エイブはゆっくり優しくなんて考えてなかった。ずっとラルカンドと呼んで、自分に従うよう命令していた。
 エイブって、こんな性格だったのか? ラルカンドに優しくしていたと思っていたけど、思い出せば、いつも命令していた・・・そしてラルカンドはずっと、エイブとセックスすることを拒んでいた。
 何故そこに思い至らなかったんだ? 本当にラルカンドは抱かれたがっていたのか?

 俺は・・・春樹を優しく抱きしめて、好きだと言って、キスして、体中を触って、春樹の表情を見ながら、喜んでいるのか、感じているのか、確かめて……確かめながら抱きたかった。そう思っていたのに、春樹を泣かせた。

「・・・最悪だ」

 大事な大事な春樹を傷付けた。嫌われたくないと願い、ずっと側で笑っていて欲しいと願い、自分を選んでくれたことが嬉しくて、甘えたり甘えられたりしながら、仲良く暮らしたいと思ってきた。
 今度こそ、今度こそ失敗しないと誓ったんじゃないのか?
 
 混乱しながら頭を抱えていると、春樹がバスルームから出てきた。
 何も言わず全裸で歩いてくると、俺の方を見ることもなく、ベッドの下に散らばったままの下着やパジャマを拾って着ていく。

「あっ、ごめん春樹。服、ちゃんとしてなかった。・・・ごめん春樹。こんな風に傷付けるつもりなんてなかったのに、本当に本当にごめん。もう二度と、無理やり抱いたりしない。春樹に嫌われるようなことなんかしない。俺は、二度とエイブになったりしない」

 さっき春樹が水を飲もうとしていたのを思い出し、俺は急いで冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、すがるような思いで謝りながら春樹に渡した。
 無言のままスポドリを受け取った春樹は、半分だけ一気に飲んで、なんの感情も示していない無表情のまま、残りをベッドサイドのテーブルに置いて、使っていなかった方のベッドに潜り込んだ。

 そして、俺に背を向け「おやすみ」と一言だけ言った。


 ほとんど眠れない夜を過ごし、何度も涙が零れた。
 眠っている春樹に、小さな声で何度もごめんと謝り、自分を許せない気持ちに押し潰されそうになる。
 どうして俺はエイブになってしまったんだ!
 ラルカンドを好きなエイブと、春樹を好きな自分は別人なんだと、どうして意識できなかったんだ!
 春樹は、エイブに抱かれたいんじゃないと叫んだ。
 でも俺は、ずっとラルカンドを抱きたいと思っていたエイブに、想いを遂げさせてやりたいと思っていた。
 だから俺は愚かにも、春樹も同じように望んでいると思ってしまった。

 ……俺は春樹のはじめてを、エイブに渡そうとした。俺ではない男に、春樹を差し出し抱かせようとしたんだ。




◇◇ 春樹 ◇◇

 目覚めた俺は、ソファーでぼんやりと考え事をしている様子の伯を見て、きっと眠れなかったのだろうと思った。
 ふと夜中に目覚めた時、伯がごめんと言いながら泣いているのに気付いたが、俺は心も体も疲れていて、そのまま眠ってしまった。
 結局俺は心が付いていけず、挿入を完全に拒んでしまった。
 エイブはまた、想いを果たせなかったことになる。

 でも俺は、ラルカンドの記憶を持っていても、ラルカンドではない。
 現世で生きている春樹は、恋人の伯以外の男に抱かれたくなかった。
 きっとラルカンドも、前世でエイブに抱かれていたら泣いただろう。
 エイブの愛は、自己満足の愛だ。独占欲が強くて、ラルカンドの本当の気持ちを考えたり、表情から気持を察したりしなかったはずだ。

 ラルカンドがエイブを好きだったのは間違いないけど、昨夜みたいに欲求のまま強引に抱かれていたら、一人になった時に泣いたはずだ。エイブが満足したのならいいや……くらいに考えて、泣きながら言いたいことを我慢しただろう。

 ……でも俺は違う。嫌なら嫌だと言う。今度こそ後悔したくないから。

 エイブだけが悪い訳じゃない。ラルカンドだって、自分の気持ちを伝えるための努力をしなかった。伝えずに拒んできたから、エイブは変われなかった。


「おはよう伯。カーテンを開けて」
「あ、あぁ、おはよう春樹。昨日はごめんな。俺が間違ってた。本当にごめん」

伯は泣きそうな顔をして謝ってきた。そしてカーテンを開けるために立ち上がる。
 時計を見ると7時少し前。チェックアウトは12時だから、まだのんびりできる。
 なんとなく体に違和感はあるが、ゆっくりベッドから下りて、大きな窓の前でしょんぼりと立っている伯の隣に立つ。

「明け行く空は綺麗だね。外は今日も寒そうだ。ちょっと早いけど、俺はひとりでラウンジに行って朝食を取ってくるよ」
「えっ? 俺も一緒に行くよ」
「お腹、空いてるの?」
「う、うん。空いてるよ」
「じゃあ、伯が先に食べてきて。少し独りになりたいから」
「・・・分かった。それが春樹の望みなら、そうするよ」

伯は元気のない声でそう返すと、それ以上何も言わず着替え始めた。俺は伯と視線を合わせないまま、部屋の中に置いてあるコーヒーを淹れる用意をする。

 伯が部屋を出ていったあと、俺は朝日に染まっていく大都会を眺めながら、モーニングコーヒーを飲む。

「笑いながら二人で飲むはずだったのにな・・・」

 初めて二人で迎える朝を、あれこれと想像していたけど、現実は全く違っていた。望んでいた結果ではなかったけど、別に伯を嫌いになった訳じゃない。
 一晩中泣きながら反省したみたいだし、俺だって途中までラルカンドになろうとしていた。だから、伯だけが悪いんじゃない。戻ってきたら許すと言おう。

 30分後、俯いたままの伯が戻ってきた。
 伯に向かいの2人掛けソファーに座るように言って、何を言われるのだろうと緊張している様子の伯に、俺はゆっくりと切り出した。

「反省したか?」
「うん。本当にごめん。俺はエイブじゃなかった。エイブに春樹は渡せない。俺はエイブに同情して……想いを遂げさせてやりたいと簡単に考えていた。俺は……また現世でも間違えた。……春樹の気持を考えず、傷付けて泣かせた。スンッ……自分が情けない……ごめんなさい」

伯はぽろぽろと涙を零しながら、深く頭を下げて謝った。

 ……本当に伯は涙もろいな。エイブとは全く違って、感情が素直に顔に出る。

「伯、もう泣くな。俺だって途中まで同じようなことを考えていた。だけど、今の俺はラルカンドじゃない。俺はさ、大好きな伯に抱かれたいんだ。だから、次からはちゃんと俺の名前を呼べ。俺の目を見て・・・その・・・優しくしろ!」

 俺の言葉を下を向いて神妙に聞いていた伯が、はっと顔を上げて、信じられない!という表情で俺を見る。

「次? えっ!次もあるのか?」
「伯が望むなら・・・嫌ならもう抱かれない」
「嫌じゃない。嫌じゃないよ春樹・・・俺……ウッ……嫌われたかとお、思って」

余程思い詰めていたのか、伯は本格的に号泣しだした。

「は~っ、仕方ないな」と俺は呟いて、伯の隣に移動し、伯を優しく抱きしめた。


「伯、少し眠れ。寝てないんだろう? 俺はゆっくりとラウンジで朝食をとって、景色を観ながら曲をつくる。如何にも寝不足って顔で午後の仕事に行くな。分かったか伯?」
「了解、春樹」

 俺は伯の頬にキスをして、にっこりと笑って伯を見る。赤い目をした伯も、俺に幸せそうな笑顔を返して了解と言った。

「そう言えば春樹、さっきラウンジに【アルブート】の2人が居た。あれは、雰囲気からすると付き合っている感じだった。俺を見ると、なんでか片方のヤツが睨みつけてきた」

 部屋を出る寸前に、伯が意外なことを俺に伝えてきた。

「それって、もしかして黒と銀色でコーディネートしてるヤツ?」
「ああ、そうだけど、なんで分かったんだ?」
「九竜副社長が、アイツは危険そうだから気を付けろって言ってたんだ。で、相手はどの男?」

できれば出会いたくないなと思いながら、相手の男のことを訊いておく。

「なんだそれ。相手は確か右端で歌ってたヤツだったと思う。ちょっと待ってろ春樹。まだ居るかどうか俺が見てくる」

伯はそう言うと、真剣な顔をして部屋を出ていった。
 3分後、伯はオレンジジュースを片手に部屋に戻ってきて、もう居なかったと報告した。 
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