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1章 旅立ち
13話 陰陽師、大人になる
しおりを挟む思い立ったが吉日。
清士郎の元服の儀は、その日に行われた。
昨日の双子のための準備がそのまま流用可能だったため、それで済ました形だ。
(はあ……もう逃げられないぞこれは)
刀岐家の寝殿、南廂。
清士郎はなんの因果か、前世で宿敵であった安倍叡明に冠をかぶせられていた。
清士郎がいつ正体に勘づかれるのか、いきなり術で攻撃されまいかとびくびくしていた一方で、叡明は淡々と加冠役を務めていた。
その整いすぎた面差しはなんら表情を変えず、感情をにじませることもなかった。
(まさか本当に加冠役を務めてくれるとは……そんなに僕を評価してくれたのか?)
正直、冗談と思っていたので驚きだった。
東満の霊弾を捌いた自分は、確かに並外れた才があると言えるのかもしれない。
だが陰陽寮は、選りすぐりの集団。
近い才覚を持つものは、それなりにいるはず。名だたる公卿の頼みを断っていた叡明が、わざわざ加冠役を務めるほどとも思えない。
(単に評価されてるだけならいいけど……)
疑われている可能性も否定できなかった。
前世が玉藻だと疑われている、とまでは思わないが、清士郎には何か裏があるのではと疑っている可能性は十分にあるだろう。
(気を引き締めていかないと……)
叡明の傍に侍る男――叡明の従者の陰陽師にちらと視線を移し、ひとつ息をつく。
この蘆屋東満も、妙に清士郎を気にかけてる節がある。儀式の最中にも、主に臀部あたりに悪寒を感じる視線を何度も感じた。清士郎の“装”の違和感を見抜いた洞察力といい、清士郎に迷わず霊弾を放った異常性といい、やはり要注意だ。
他にも陰陽寮には優秀な陰陽師が山といる。さすがに叡明や東満ほどのものは数えるほどだろうが、考えただけで頭が痛くなってくる。
(まあ考えすぎか)
才能がある童がいたからといって、それが大妖怪の生まれ変わりだと閃くものはまずいまい。
そんなこんなのうちに儀式は終了。
清士郎は一三と少し早いが、叡明によって無事に大人にさせられたのだった。
儀式後。
清士郎が旅立ちの準備をすべく、私室へと人気のない渡殿を渡っていると――
「玉藻さま……よろしいのですか?」
凍砂が襟元からひょこと顔を出す。
先ほどまでは清士郎の束帯姿を見て、「なんと凛々しいお姿!」だの「この世の何よりも麗しい……!」だの興奮していた彼だったが、今はどこか真面目な面持ちをしていた。
「その名は今後やめろ。聞かれたらまずい」
「かしこまりました、清士郎さま」
凍砂は素直にうなずき、
「本当に京へ行くおつもりですか?」
「ああ、そうだが」
「危険です。あそこは陰陽師の巣窟。正体が明るみに出ればその時点で詰みです。いかにわたくしめでも、清士郎さまを守りきれませんよ」
いつにもまして凄む凍砂。
それだけ心配してくれているのだろう。
清士郎は凍砂の頭をわしゃわしゃなでる。
「……そう心配するな。今の僕は人間だ。前世にまでたどりつけるものはそういないさ」
今の清士郎はれっきとした人間。もしも実力が明るみに出ても、前世が明るみに出るわけでもない。自分と同じく、凍砂は心配しすぎだ。
凍砂は切実な様子で首を振る。
「その万一が……怖いのです。人間は臆病で、狡猾で、そして卑劣だ。前世のことが一度明るみに出れば、彼奴らは清士郎さまを生かしてはおかないでしょう。わたしは大戦の折、貴方様を守りきれなかった。また貴方様を失うことになったら、わたしは……わたしはもう!」
「凍砂……」
清士郎はひとつ息をつく。
「この一〇余年……僕は人間として生きた。そして実感したんだ。やっぱり人間とモノノ怪は、似たもの同士だってね。良いものもいれば、悪いものもいる。京で人間をもっと知れば、何か新たな道が開ける気がするんだよ。前世で開けなかった道が」
陰陽師たちへの恐怖心はある。
だが同時に、同じぐらい好奇心もあった。
凍砂は険しい表情で首を振る。
「我らと人間は違います。人間とは決してわかりあえない。なにより我らは人間どものような……あのような卑劣な裏切りはしません、断じて」
まっすぐと見つめられ、口ごもる清士郎。
人間の裏切り――凍砂の指すそれがなんなのか、もちろん清士郎にはわかった。
清士郎はそれをよく覚えていた。
あの事件さえなければ、玉藻はあの城郭で人間たちと戦うことはなかっただろうから。安倍叡明に討ちとられ、この世のものと思えぬ苦痛をその身に受け、命を落とすこともなかっただろうから。忘れられるわけがなかった。
「あれは……不幸な事故だった」
「いえ、あれは事故ではありませんでした。人間どもは……最初からそうするつもりだったのです。彼奴らは我らをおとしいれたのです!」
凍砂は声を荒らげる。
だがすぐに冷静になって首を振る。
申し訳ありません、と深々と頭を下げた。
「真実は……いまだに定かではありません。ただ、モノノ怪たちの多くがそう思っているのは事実です。貴方の弟君もふくめてね」
その言葉で清士郎は過去をなつかしむ。
清士郎には――玉藻には弟がいたのだ。
宗旦という優しい弟であった。
「宗旦は……元気にしているか?」
「もちろんでございます。なにしろ貴方様が亡きあと……百鬼夜行を率いる総大将として人間と戦っているのは、他ならぬ宗旦さまですから」
清士郎は目を見開いた。
「まさか、宗旦が……?」
宗旦は生まれつき体が弱かった。
性格も穏やかで、人間との戦にも消極的だった。
それがなぜ総大将なんかに――
「清士郎さまが討たれ、宗旦さまは変わった。以前とは比較にならぬほどに霊力を増し、ご立派になられましたよ。そうそう……先日豊前を滅ぼしたのも、何を隠そうあの方です」
「宗旦が……豊前を」
信じられなかった。
百鬼夜行で豊前国が滅んだという話は耳にしていた。しかしそれがまさか宗旦の指揮によるものだったとは思いもしなかった。
(宗旦……何があった?)
記憶のなかの宗旦に問いかける。
だがそもそも宗旦が戦に参加すること自体想像できない。いつも穏やかな微笑を浮かべ、喧嘩っぱやい自分を諌めてくれていたのだ。
「玉藻さま……いえ、清士郎さまは一度決めたことは譲らないお方だ。ですから陰陽寮への仕官も止めません。けれど陰陽師の道を行くのなら、いつか宗旦さまと敵として相まみえるでしょう。そのときはどうなさるおつもりで?」
凍砂はため息まじりに言う。
清士郎はゆっくり息を吐き、天を見上げた。
「そうだな、そのときは――」
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