16 / 20
2
兎(うさぎ)のすむ街 ~第1ラウンド 五十嵐圭子の場合~
しおりを挟む
「参ったなあ、入社早々遅刻じゃ、所長に怒られちゃうよ」
坂本健太郎は都内の中堅会計事務所に就職が決まり、親元から独立し、アパートを借り、この春から通勤を開始した。
健太郎は越してきて隣室に挨拶することにした。
土曜日の午前11時、503室の健太郎は隣の504号室のドアの前に立っていた。インターフォンのボタンを押した。しばらくして、ドアの向こうでカタカタ音がしていた。ドアの前にいるような気配がするが、全く返事がない。インターフォンにはカメラが付いているので健太郎の姿は見えているはずである。
「すみません、今度、隣に引っ越して参りました坂本と申しますが、ご挨拶に」
10秒ほどの時間が流れても返事がないので、健太郎はまた声を掛けた。
「怪しい者ではございません。隣の者です。詰らないものですが、これをどうぞ」
彼は手にした近所の 千疋屋で最高のケーキを持参していた。カメラに箱が見えるようにした。すると、ドアの直ぐ側でガタンと大きな音がした。
「あたしさー 今、ダイエットしてるのよね。それって、ケーキでしょ? あんた、そのこと、知っててそんなもの、持って来たわけー?」
何か 刺々しい感じの女性の声で返事がした。健太郎は返答に困った。
「ああーん、あんた、今、あたしのデブの体、想像したでしょ?」
健太郎はそんなことは全然考えていなかったので慌てた。
「いいえ、とんでもないです。そんなこと、滅相もないです」
そう答えてから、あ、この人、きっと、太った人なんで、体型にコンプレックスを感じているのかな、そう思って答えた。
「僕はぽっちゃりしてる人が好きですから、太ってても気にしないですね」
5秒ほどしてからドアの向こうでカチャリと音を立てて、少しずつ、ドアが開いていく。
「今さ、すっごいラフな格好してて、人様に見せたくない訳、でさ、あんた、結構、いけてるんで、許して上げる」
すき間から見えるその女性は前髪を垂らして顔は良く見えない。ピンクっぽい色のTシャツと赤のパンプスを履いていた。左手でドアノブを押さえ、右手をおでこに当てていた。
「ああ、まぶしいー。光が当たると身体が辛くて。いつもはこんな愛想悪くない訳よー あんた、気分悪くした?」
「す、すみません、あなたの事情も考えず、突然、訪問してしまい申し訳ありません」
「あんた、若そうだけど、結構、言葉遣いとか、声とか、いいじゃん? どっかの大店の御曹司とかー?」
初対面の人に行き成りいろいろ話すべきではないであろう。適当に返事しておくべきであろうか、とか考えながら答えた。
「まあ、普通のしがない会社員です」
そつなく交わせたかな、と思った。
「あたしの正体知ってる? 聞いて驚かないでよ。あんた、隣に済んでるっていうから教えて上げるんだけどね。今後のこともあるからね」
健太郎はあまり聴きたくなかった。変な人だなあ、と思いつつ、越してくる前に、どんな人が住んでいるか調べておいたほうが良かったのかな? などと考えていたが後の祭りである。
「あたしの正体、分かる?」
「さあ、全く予想も付きません。このすき間からでは全くあなたが見えませんから」
普通、そんなこと聞くかな、と思いながら、仕方なく、そう答えると、直後、女は「あっ」と高い声を上げた。
「何か?」
「あなたが見える。あなたのが見える。あなたのが見える」
突然、女は呪文のように同じ言葉を唱えだした。
「はあーー? 私はここにいますので、見えて当然かと? 僕の何が見えると?」
「あんた? おバカ?」
行き成り初対面の人間に、おバカ、と言われてしまったのは心外であった。しかし、ここは取り敢えず当分住まないといけないから、ぐっと静かにこの女の不可思議な言動を見守ることにした。
「あんた、経理の仕事してるでしょ? ずばり、会計事務所勤務? でしょ?」
「ええ?? えー?」
さすがに健太郎は驚いた。
「どうしてそんな事、分かるんですか? 何も話してないのに」
「ふふ、あたし、霊能力者って言うの? それとも、超能力者って言うのかな? あなたの後ろに今立っている霊とかと、会話できちゃう訳ね。そうだ、あたしの名前言ってなかったわね、あたし、サダコ、よ・ろ・し・く・ね」
女は低い声でそう言った。始めから何かに似ていると思っていた違和感はこれだった。その女の前髪を垂らしている姿が、何か映画で観たことがあった。昔、リングとか言うホラー映画でその中に出て来た女の名前が貞子だった。そう思ったら、健太郎の腕に鳥肌が立った。そう思った瞬間。健太郎は前に組んでいた片腕をその女に突然捕まれた。
「ウウウウウーーーーーウーー」
女は前髪を振り乱しながら健太郎に近づいて来た。びっくりした健太郎は女に捕まれた手を振りほどこうとして後へ下がろうとしたら、女に捕まれた手を急に解放されたので、勢いあまって後ろへ飛んでしまった。後ろの方で、ゴキンと嫌な音が聞こえて、健太郎はその瞬間、目の前が暗くなった。
*
「大丈夫ですか? 坂本さん、大丈夫ですか?」
健太郎が目を覚ますと、目の前に誰かの顔があった。心配そうに健太郎の顔をのぞき込んでいる。結構美人である。大きな瞳に見つめられていた。
「あれー? どこかで……観たような」
健太郎はぼんやりする記憶を振り絞った。なぜ、こんなところで寝ているのか?
「あら、良かった。頭をぶつけたみたいだけど、記憶喪失にはなってないみたい」
健太郎ははっきりしていく記憶ですっかり女の顔を思い出した。お得意先のブティック「コスメ」の店長代理、五十嵐である。まだ、20代という若さで、時代に合ったデザインの買い付けは若者の支持を集め店は繁盛している。健太郎が経理を見ていて承知の事実である。
「あれ、五十嵐さんが何でここにいるのですか?」
「ごめんねえ、坂本君。ちょっとからかって上げようと思ったら、こんな事になって」
五十嵐の話はこうだった。1週間前、空き室だった隣に人が越して来るというので様子を伺っていたら、店の経理をみて貰っている佐藤会計事務所の坂本だった。それを知って、うれしくて、プランを夜な夜な練ったという。今日の日を待ちに待っていたという。ファッションのアイデアに飽き足らず、日常でも茶目っ気を持った魅力的な女性である。その人の隣に越してきた坂本もまたこれからの生活に何か楽しい予感を感じた。
坂本健太郎は都内の中堅会計事務所に就職が決まり、親元から独立し、アパートを借り、この春から通勤を開始した。
健太郎は越してきて隣室に挨拶することにした。
土曜日の午前11時、503室の健太郎は隣の504号室のドアの前に立っていた。インターフォンのボタンを押した。しばらくして、ドアの向こうでカタカタ音がしていた。ドアの前にいるような気配がするが、全く返事がない。インターフォンにはカメラが付いているので健太郎の姿は見えているはずである。
「すみません、今度、隣に引っ越して参りました坂本と申しますが、ご挨拶に」
10秒ほどの時間が流れても返事がないので、健太郎はまた声を掛けた。
「怪しい者ではございません。隣の者です。詰らないものですが、これをどうぞ」
彼は手にした近所の 千疋屋で最高のケーキを持参していた。カメラに箱が見えるようにした。すると、ドアの直ぐ側でガタンと大きな音がした。
「あたしさー 今、ダイエットしてるのよね。それって、ケーキでしょ? あんた、そのこと、知っててそんなもの、持って来たわけー?」
何か 刺々しい感じの女性の声で返事がした。健太郎は返答に困った。
「ああーん、あんた、今、あたしのデブの体、想像したでしょ?」
健太郎はそんなことは全然考えていなかったので慌てた。
「いいえ、とんでもないです。そんなこと、滅相もないです」
そう答えてから、あ、この人、きっと、太った人なんで、体型にコンプレックスを感じているのかな、そう思って答えた。
「僕はぽっちゃりしてる人が好きですから、太ってても気にしないですね」
5秒ほどしてからドアの向こうでカチャリと音を立てて、少しずつ、ドアが開いていく。
「今さ、すっごいラフな格好してて、人様に見せたくない訳、でさ、あんた、結構、いけてるんで、許して上げる」
すき間から見えるその女性は前髪を垂らして顔は良く見えない。ピンクっぽい色のTシャツと赤のパンプスを履いていた。左手でドアノブを押さえ、右手をおでこに当てていた。
「ああ、まぶしいー。光が当たると身体が辛くて。いつもはこんな愛想悪くない訳よー あんた、気分悪くした?」
「す、すみません、あなたの事情も考えず、突然、訪問してしまい申し訳ありません」
「あんた、若そうだけど、結構、言葉遣いとか、声とか、いいじゃん? どっかの大店の御曹司とかー?」
初対面の人に行き成りいろいろ話すべきではないであろう。適当に返事しておくべきであろうか、とか考えながら答えた。
「まあ、普通のしがない会社員です」
そつなく交わせたかな、と思った。
「あたしの正体知ってる? 聞いて驚かないでよ。あんた、隣に済んでるっていうから教えて上げるんだけどね。今後のこともあるからね」
健太郎はあまり聴きたくなかった。変な人だなあ、と思いつつ、越してくる前に、どんな人が住んでいるか調べておいたほうが良かったのかな? などと考えていたが後の祭りである。
「あたしの正体、分かる?」
「さあ、全く予想も付きません。このすき間からでは全くあなたが見えませんから」
普通、そんなこと聞くかな、と思いながら、仕方なく、そう答えると、直後、女は「あっ」と高い声を上げた。
「何か?」
「あなたが見える。あなたのが見える。あなたのが見える」
突然、女は呪文のように同じ言葉を唱えだした。
「はあーー? 私はここにいますので、見えて当然かと? 僕の何が見えると?」
「あんた? おバカ?」
行き成り初対面の人間に、おバカ、と言われてしまったのは心外であった。しかし、ここは取り敢えず当分住まないといけないから、ぐっと静かにこの女の不可思議な言動を見守ることにした。
「あんた、経理の仕事してるでしょ? ずばり、会計事務所勤務? でしょ?」
「ええ?? えー?」
さすがに健太郎は驚いた。
「どうしてそんな事、分かるんですか? 何も話してないのに」
「ふふ、あたし、霊能力者って言うの? それとも、超能力者って言うのかな? あなたの後ろに今立っている霊とかと、会話できちゃう訳ね。そうだ、あたしの名前言ってなかったわね、あたし、サダコ、よ・ろ・し・く・ね」
女は低い声でそう言った。始めから何かに似ていると思っていた違和感はこれだった。その女の前髪を垂らしている姿が、何か映画で観たことがあった。昔、リングとか言うホラー映画でその中に出て来た女の名前が貞子だった。そう思ったら、健太郎の腕に鳥肌が立った。そう思った瞬間。健太郎は前に組んでいた片腕をその女に突然捕まれた。
「ウウウウウーーーーーウーー」
女は前髪を振り乱しながら健太郎に近づいて来た。びっくりした健太郎は女に捕まれた手を振りほどこうとして後へ下がろうとしたら、女に捕まれた手を急に解放されたので、勢いあまって後ろへ飛んでしまった。後ろの方で、ゴキンと嫌な音が聞こえて、健太郎はその瞬間、目の前が暗くなった。
*
「大丈夫ですか? 坂本さん、大丈夫ですか?」
健太郎が目を覚ますと、目の前に誰かの顔があった。心配そうに健太郎の顔をのぞき込んでいる。結構美人である。大きな瞳に見つめられていた。
「あれー? どこかで……観たような」
健太郎はぼんやりする記憶を振り絞った。なぜ、こんなところで寝ているのか?
「あら、良かった。頭をぶつけたみたいだけど、記憶喪失にはなってないみたい」
健太郎ははっきりしていく記憶ですっかり女の顔を思い出した。お得意先のブティック「コスメ」の店長代理、五十嵐である。まだ、20代という若さで、時代に合ったデザインの買い付けは若者の支持を集め店は繁盛している。健太郎が経理を見ていて承知の事実である。
「あれ、五十嵐さんが何でここにいるのですか?」
「ごめんねえ、坂本君。ちょっとからかって上げようと思ったら、こんな事になって」
五十嵐の話はこうだった。1週間前、空き室だった隣に人が越して来るというので様子を伺っていたら、店の経理をみて貰っている佐藤会計事務所の坂本だった。それを知って、うれしくて、プランを夜な夜な練ったという。今日の日を待ちに待っていたという。ファッションのアイデアに飽き足らず、日常でも茶目っ気を持った魅力的な女性である。その人の隣に越してきた坂本もまたこれからの生活に何か楽しい予感を感じた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
相談室の心音さん
阪上克利
大衆娯楽
流産というつらい経験をした主人公の心音が職場に復帰した後に異動になったのは新しい部署の『相談室』だった。
『自分がこんな状態なのに人の相談なんてのっている場合じゃない』と悩むも、相談者の相談にのっているうちに少しずつ心が癒されていくのを感じる……。
このお話は大きな悲しみを乗り越えて前に進もうとする主人公、心音の再生の物語です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~
黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる