蜃気楼の女

窓野枠

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第28章 決断

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 橋本は田所の意外な申し出に対し、ソファーに座ったまま固まっていた。尚子と出会ってから橋本は自分の人生感が大きく変化していくことに対応できずにいた。過去の経験を総動員してこの難題に対する対処法を模索するが、何の光明も、策も見いだせなかった。超能力のある人間が存在するなんて。はるか昔、ユリゲラーがスプーンを曲げている録画を見たくらいだ。それすら、インチキと聞いた。  
「おじさん…… 」  
 傍らで電話のやりとりを聞いていた尚子が、橋本の腕を握った。尚子は、橋本の腕を両手で抱えると、自分の頬に橋本の手の甲を当てた。橋本は尚子の柔らかで暖かい肌のぬくもりが手の甲から伝わってきた。尚子と橋本はそのままの姿勢で見つめ合った。この子には超能力という遺伝子が、民族の永年の恨みが、悪魔という怪物となって世界に報復しようとしているのだろうか。尚子が取ってしまうという破廉恥な行動は、尚子の祖先から受け継いだ遺伝子がさせる行動なのか。邪悪な心に疲れた16歳の尚子は、その安らぎを俺に求めている。これは、俺を好きとか言う感情とは違う。俺がたまたまいたから頼ったに違いない。平穏を求めてやまない感情が、愛なのか、この子には判断ができないでいる。  
「おじさんが学園長になってくれたら、うれしいな、そしたら、好きな人といつも一緒にいられるもの」
  そう言いながら、尚子は突然橋本の体に自分の体を密着させてきた。橋本の顔の前に顔を近づけて言った。
「おじさん、あたし、やっぱり、おじさんが好きよ。だから、好きなおじさんに助けてほしい。あたしみたいな変な子を、さっきみたいに正しい道に導いてほしいな」  
 さっきまで悪魔の心に犯されていた美少女とは別人の尚子がいた。  
「おい、顔、近すぎないか?」  
 橋本は目の前にある尚子の整った顔、きれいな肌に見入ってしまった。本当にきれいな透き通るような肌をした美少女だ、と感心してしまうほど尚子は間近で見ると美しさに時間を忘れ見入ってしまう。この美しさに加え、魔性の能力を持っているのだから、怖いほどの美しさというのであろうか。  
「好きという感情は、きみの体の中に日本人の、お父さんの優しい心を受け継いでいるってことだな……」  
 橋本は頼りなさそうに、見える美少女に腕を力強く握られている。おいていかれないように捕まった幼い子どものようだ。今は見かけは頼りなさそうに見えるが、将来、もっとも、恐ろしい魔性能力を持つ女性へと成長するに違いない。まだ、完全に魔性能力を持っていない今だから優しい尚子に引き戻せるだろう。橋本に対し、能力を使えていない尚子を前にして、橋本の本能が感じる。尚子はこれから、人類愛、愛情、博愛、あらゆる愛をこれから成長しながらいろんな人から愛を吸収し、世界を救ってくれる、という根拠のない確信を感じた。  
「おじさん、きょうはここへ泊まっていってほしいな、聞いてほしいことがたくさんあるの……」  
「いくら何でもそれは不可能だろう。お母さんが許可しないよ」  
「大丈夫よ、母は橋本さんのことを知ってるから…… 母も超能力を使えるから、玄関で会った橋本さんがどんな人か分かってるはずだから……」  
「ええー、何、それ? もう、俺、なんだか訳が分からなくなってきたよ……」  
「おじさん、ガッツよ!」  
 そう言って、尚子は両腕を上げておどけて見せた。白い肌の二の腕がまぶしい。橋本にはかわいい仕草をする尚子が愛おしく思えた。隣に座っていた尚子は上げた腕を橋本の肩に乗せて、寄りかかった。そのまま、橋本は尚子の体重に押されて倒れてしまった。尚子は橋本の背中を包むように倒れた。ソファーの背もたれの間に挟まったような変な姿勢になった。苦しいのか、尚子は泣いているような声を出した。
 「おじさん…… 学園長は、いつ、天国へ行ってもいいくらい…… 病気の状態が悪いです……」
 話す尚子の声がかすれていた。尚子が額を橋本の背中に強く押しつけてきた。  
「わたしの予知能力を使うと…… 脳の活動が…… あさって限界を迎えます……」  
 尚子は途切れ途切れになりながら、学園長の様態を橋本に説明した。自分の能力で、人の死に際を知ることができる。そのことを本人には知らせていいか判断することすらできない。好きな人がいなくなることが分かっても、何もできない。それが悔しいと尚子は言う。  
「人が死ぬ時間がきみには分かるのか?」  
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