蜃気楼の女

窓野枠

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第25章 1週間前

3話

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 橋本はさらに驚いた。俺の首の後ろにほくろがあったんだ、と驚いた。そんなつまらない俺の情報まで熟知している。どこでそんな情報を得たんだ。そんなつまらない情報まで記憶している。そんなに調べ上げて、俺をどうするつもりだ。橋本は心の片隅で、この美少女が持つ未知の才能の恐ろしさに警告を発していた。この子には正体の知れないオーラを感じる。長年数多くの著名人の取材を重ねてきた橋本の経験が発する本能の警告だった。恐怖で身震いが起きていた。しかし、虎穴に入らずば虎児を得ず。この子の言いなりになるしかない。田所の悪を公表するためだ。素性の知れない少女だが、まずは信じよう。橋本は、少女とともに、清瀬駅で東武電車に乗った。少女と席を隣り合って座った。周囲の人間が橋本と少女をチラチラ見ているのが分かる。不細工なおじさんと美少女。違和感があるのだろう。橋本も気が引けてきた。ひょっとすると性犯罪者にされるのではないか、という不安がわいてきた。この少女はいきなり大声を上げ、叫ぶ。おじさんに無理やり連れ回されています。助けてください。必死に叫ぶ少女に、周囲が駆け寄ってくる。俺は居合わせた乗客に手足を取り押さえられて、警察に引き出される。社会的な抹殺だ。田所なら考えそうな筋書きだ。俺を葬るための策略が始まった。まんまと引っかかった。人生、終わった。橋本は体をくっつけて隣に座る美少女を見て笑った。
 「ねえ、いつでもいいよ……」
 橋本は美少女に告げると、こんなかわいい子のわなにかかって、終わるのかと思うと、自分が情けなくて涙が出てきそうだった。そう思いながら、周囲の視線の原因が分かった。ずっと、この美少女と手を握り合っていたからだ。学園前からずっと手をつないでいたから慣れてしまった。親子、兄弟ならこんなふうに握っていないだろう。橋本の額に冷や汗がにじみ出ていた。この少女とつないでいる手も汗でびっしょりだ。橋本が手をはずそうとすると、尚子はさらに強く握ってきた。思わず尚子を見つめた。すると、つぶらな瞳を橋本に向けてきた。  
「おじさんの手、暖かいね…… 暖かくてすごく気持ちいい…… ずっと、このままでいいですよね」  
 少女が隣の席で橋本に肩を寄せて来て、よく聞き取れないくらい小さい声でささやいた。橋本はその声を聞くため体を少女にさらに寄せてしまった。蛇ににらまれた小動物の心境だった。いつでもこの美少女に飲み込まれる。俺は児童への性犯罪者として、この世から抹殺される。  
「助けてください、手を握られて、逃げられないんです!」  
 美少女の雄たけびが予想できた。そんなことを考えているとき、少女がまた橋本の耳元に唇を寄せてきてささやいた。
 「おじさん、次、降りますよ……」
 橋本は握られた手を尚子に引かれながら、洗足駅で降りた。相変わらず、尚子は橋本の手を放さない。  
「おじさん、あたしのうちまで歩いて10分くらいなんです。このまま、手をつないでくれててもいいですか?」  
「いやあー、君が住んでいる町でしょ? こんなおじさんと手をつないでいるところを見られてまずくない? おじさん、恥ずかしいな……」  
「嫌だ! やっぱりおじさん、あたしの思っていたとおりの人!」  
 そう言うと、尚子は橋本の胸に体を埋めてきた。  
「おじさん、友だちでしょ? いいよね?」  
 橋本はなんと答えればいいか逡じゅんした。しばらく考えてから言った。  
「やはり、見られたら困る? 手を放してくれるかい?」  
「はい! 了解です!」  
 そう元気に言った尚子は手を放し、橋本に体を寄せながら、両腕を左腕に絡めてきた。  
「このほうが友だちらしいかな? でも、手のほうが尚子は好きだから……おじさんが嫌って言うから放すけど……」  
 橋本は美少女の甘えどころを捉えた絶妙のしぐさに取り込まれそうになっていた。もし、田所の教育がこういう子を育てるなら、悪くはないかもしれない。人に取り入るとかそういうレベルではない。人を幸せにするテクニックというのであろうか。こういう所作が自然に出るのであろうか。恐るべし、田所の花魁(おいらん)養成学科である。橋本は尚子が絡めてくる腕から伝わる尚子の心の暖かさを、いつしか愛おしく感じていた。
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