蜃気楼の女

窓野枠

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第23章 櫻子VS尚子

4話

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 この教育理念が陽であるなら、平八郎には陰の教育理念が沸々と湧き上がろうとしていた。彼は虐げられた男として幼少期を育ち、その生い立ちはトラウマのごとく彼を苦しめた。彼は世間で言うところの器量の悪い男と周辺から陰口を叩かれた。平八郎が思いを寄せた女性はことごとく平八郎の醜いひしゃげた鼻を見て笑った。教育理念は尊敬されたが、人間として、あまりにも器量の悪い男だったばかりに拒否された。彼はそのことに傷つき、そんな女どもに報復をすることをひそかに抱いていた。それが安田尚子の入学を機に、たがが外れた。彼は尚子の能力を知って、彼の脳に変質的な性癖が開花した。否、発症したと言ったほうがいい。なぜなら、平八郎が目指す教育とは女性の自立であったが、異常性愛(隣人の青年をよなよな超能力により自慰行為させ、その光景を見ることで、自らもエクスタシーを得ていた)を好む尚子の出現によって、器量の悪い男でも愛することのできる女の教育、否、調教する教育に変質してしまったのである。器量の悪い男をも愛することができる寛大な心を持った心優しい女性に調教する。彼の学校は女を調教する場へと変貌していった。以来、器量の悪い男の彼は男にとって都合のいい女性を育てる教育方針に歪んでいった。その歪んだ平八郎の心を救ってくれたのが櫻子だった。
  *
 月曜日、学校の1週間が始まる日というのに。櫻子はベッドに寝ている平八郎に付き添っていた。櫻子のもくろむ学園の乗っ取り計画(将来、日本の乗っ取り計画に名称の変更予定)はまさに頓挫した。櫻子はいらだった。いらだつ原因は平八郎が寝たきりと言うことにつきる。自分では何もできない無力さをかみしめる。アラビアーナ国の使命であり、祈願である日本の乗っ取り計画を、櫻子は完全に忘れた。初心忘れるべからず、の初心は平八郎を愛することで、消し飛んでいた。  
「平八さん、病気どうなの? 大丈夫?」  
 櫻子が平八郎の股間にほおを置きながら、平八郎の顔に向けて問い掛けた。彼の股間は櫻子の献身的な愛ぶに何の反応を示さない。ウイーン ウィーン 静かだった部屋に突然、異音が鳴り響いた。部屋の片隅にあるAndroidの箱が音を立て出した。  
「稼働します。パターン1実行します」  
 箱から音声が流れた。そして、箱から平八郎型Androidが出てきた。  
「さあ、櫻子さん、いざ、出陣ですぞ! 日本の未来は君に掛かっている! さあ、立ち上がるときです!」  
 その声に驚いた櫻子は、平八郎の股間に乗せていた顔を上げて言った。櫻子は平八郎が戻った、と思った。  
「平八さん、おかえりなさい!」  
 櫻子は心の底から喜んだ。また、この人と一緒に行動できる。二人で未来を築いていく。しかし、平八郎本体を見ると、酸素マスクを顔に付けて、目をつむった状態だ。その顔は醜い野獣としか見えない。顔の中心にある鼻が大きく、伝説の天狗(てんぐ)というほど高くはない鼻が目を引く。一般的な鼻とは乖離(かいり)した鼻だ。櫻子はその変形した鼻に顔を近づけると、一番高い部分に唇を軽く当てた。これも平八さんなんだね、とつぶやいた。この人は、これからもドールなしでは生きられない。心は本体に有り、行動はドールにある。それでも平八郎と一緒にいて楽しければいいではないか、櫻子の気持ちは前向きだった。虐げられた民として育ってきた櫻子は、平八郎と同じ空間を生きる、今の状況は櫻子には希望で満ちあふれていた。
 「平八さんの心を使ってのし上がるのよ、櫻子!」
 そう言ってから訂正した。  
「あっ、ごめんなさい。間違えました。これからは平八さんの助けでやっていきます……」  
 そう言った櫻子は、寝ている平八郎の顔を見て、照れくさそうに笑った。突然、櫻子の頭をなでられた。驚いて、後ろを振り向くと、存在を忘れていた平八型ドールが立っていた。  
「櫻子さん、そういう素直さは大切です。間違ったら、正す。間違ってもいいのです。でも、間違ったままではいけません。さあ、教室に行きましょう。私たちの未来の舞台は教室に有りです」  
 平八郎はそう言いながら、日本教育改造を踏み出した瞬間を実感した。そして、櫻子にとっては、日本国の乗っ取り計画の第1歩になる。  
「平八さん、悪いけど、アラビアーナ国の民のため、踏み台になってね…… ごめんなさい…… 潔くあたしに利用されてね」  
 櫻子は教室に向かって前を歩く平八郎型Androidの背中に謝った。
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