蜃気楼の女

窓野枠

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第23章 櫻子VS尚子

2話

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 櫻子は椅子に座ったままの平八郎のそばに立つと、彼の肩を包むように抱いた。  
「何? これ? 平八さんの体じゃないわ、どういうことなの」
  そのとき、調理室から尚子がまた現れた。壁に吹き飛ばされて体の手足が変な方向に折れた尚子を見て、もう一人の尚子は一瞬後ずさって、膝から崩れると、床に尻を付けて座り込んだ。
「ハー、何、これ? マジでヤバかったー! ドールで良かったー、あたし、こうなってたもの、アー 怖ーい、お姉さまねー」  
 失意に打ちひしがれていた櫻子は、抱いていた平八郎の上半身から顔だけを尚子の方向へ向けた。たたきつぶして身動きしない尚子のそばに、尚子がへたり込んで肩で息をしていた。  
「エェー あんたが二人? ど…… どういうこと??」  
 二人の尚子を見た櫻子は何が何だか、訳が分からなくなった。床に座り込んでいた尚子は、顔を櫻子に向けて慌てるように言った。  
「それって、ドールです。人形です。かなり精巧なAndroidです。まだ、指示通りにしか動かないので、基礎の き、ができたって段階です。学園長本体は別室で元気にしていらっしゃいますのでご安心ください。それでは、これから学園長のところへご案内します」  
「何? これは平八さんの人形なの? 人形を使ってあたしをだましたの?」  
「ウーーーン だました、って言うか、このドールの性能を櫻子さんに見てほしかっただけです。深い意味はありません。学園長もこういうテクノロジーが好きな人なんでこういう展開を仕組んだんです。学園長って、結構、いたずら好きで、お茶目なんですよ。でも、結果、櫻子さんを怒らすようなことになってしまって、申しわけありません、ごめんなさい!」  
 そう言って立ち上がった尚子は、気をつけの姿勢を取り、両手のひらを膝まで伸ばし深く腰を折って頭を下げた。櫻子は今での怒りが何だったの? 自分が愚かに思えてきた。  
 櫻子の怒りが静まったと感じた尚子は、何も言わずに櫻子の前に来た。  
「改めまして、安田尚子です。お姉さま、どうぞよろしくお願いします」  
 にっこり笑った尚子は、右手を差し出し、握手を求めた。櫻子は顔を横に向けて、そっぽを向いた。  
「ふん! あんたね、絶対、許さないから!」
  櫻子は両腕を胸の前で組み、口をへの字に曲げた。その顔を見て尚子はクスッと笑った。
「お姉さま、そういうお姉さま、キュートですね。あたし、そういうお姉さま、好きです」  
 尚子は櫻子をじっと見つめている。尚子の表情に、櫻子は嫌な予感を感じた。櫻子は顔をわずかに紅潮させながら言った。  
「あんた、早く平八郎さんのところへ案内しなさいよ!」  
 櫻子は櫻子の顔を見つめたままぽっとしている尚子の額を人差し指で押した。  
「あっ、すみません」  
 櫻子を見つめてしまったことに気が付いた尚子は、顔を赤面させ、慌てて、櫻子の前から離れ歩き始めた。彼女は、食堂から出ると、平八郎の部屋に向かった。尚子に好きと言われた櫻子は少しだけ嬉しかった。櫻子は前を歩く尚子に声を掛けた。  
「ねえ、あんた、絶対、許さない、って言ってるでしょ。シカトするんじゃないわよ!」  
 尚子は振り返ることもなく、今日は春の陽気で暖かですねえ、と小さな声で話をそらし、歩く速度を速くすると、さらに離れていく。その後を櫻子は追うように急いで歩いた。元気な平八郎に会えるなら、まっ、いっか、と櫻子の怒りは消えていった。それどころか、今は嬉しくて気持ちが高揚していた。平八郎が大切な人だと自覚できた櫻子は、好きになれる気持ちが自分にもあることを心から喜んだ。そんな気持ちは初めてのことだ。  
 長い廊下を歩いていた尚子は、平八郎の部屋の前で立ち止まり、ドアの前で直立した。  
「学園長、おつれしました。入ります」  
「尚子くんか? やっと来たね。待ちくたびれましたよ」  
 櫻子はその声で心臓の鼓動が速まった。声は平八郎の声そのものだ。尚子はドアを開けて中へ進む。櫻子も続いて入る。目の前のベッドに男が寝ていた。男の周囲には機器が置かれ、その機器から出たチューブが男の体とつながっていた。天井を向いていた男が顔を櫻子のほうへ向けた。かなり高齢の老人だ。  
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