海抜ゼロ

窓野枠

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第4章

M大研究室

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 田所は、研究の合間を縫っては、大学から車で20分ほどの黒部川へ行って泳ぐのが日課である。川と言っても、人口のプールが川の脇に隣接して造られた所である。学会へ隕石衝突を発表してから10年の歳月が経過した。
 10年前、幾つかの対策が提案され、それぞれの施策を進めることになった。隕石衝突の規模も分からない、すべてが予測不可能だったあの時、可能なアイデアを絞り、実現可能と思われるアイデアを全力で進めることになった。選択肢は2つに絞られた。一つは地球に残り衝突後の対策を取り存続を図る方法。2つ目は地球を離れ、宇宙に新天地を求める方法。10年前、どちらも対策が現実に可能かどうか、未知数だった。どちらも実現できそうで、できない課題であった。しかし、実現可能かどうか、そんなことを考えて何もしなければ、古代の恐竜と同じ道を歩むことになることは間違いない。生き残るにはやるしかない。誰もが一致した意見であった。
 現実的なプロジェクトが考えられた。一つは東京の多摩地区に、地下1000メートルにシェルターを建設する。機密性のあるシェルターで地球の環境が戻るまでシェルターの中で生活する。ただし、隕石のサイズ、落下点によっては、シェルターを直撃し、全くの徒労になる。そんな環境を維持できる施設を建設できるかどうかも分からない。一か八かの掛けである。
 2つ目は宇宙空間に巨大宇宙船を建設する。物資はすべて宇宙エレベーターで運ぶ。この宇宙エレベーターの建設がこのプロジェクトの要である。大気圏と地上をケーブルで繋ぐ。長いケーブルをどうやって掛けるか。部品の運搬の道ができれば、巨大宇宙船は可能であった。いずれも、構想が提案されて、それを現実にする技術が研究されることになった。
 田所はスポーツバックに夕食の握り飯を入れながら考えていた。
「先生、水泳ですか。精が出ますね」
 パソコンを睨んでいた兵藤が、田所に顔を向けて声を掛けた。
「ああ、これをしないと研究に身が入らないからしょうがない。どうだね、君もたまには付き合わないか?」
 兵藤は手を振って笑いながら「僕はジョギング派ですから。毎朝、このキャンパスを10周してますので、十分です」と丁重に断る。毎度の会話であるが、田所は気にすることなく一人、水着、タオルの入ったバッグを持って研究室を出ようとしたとき、兵藤が呼び止めた。
「先生、今度、入った野中君はダイビングが趣味みたいですから、誘ってやってください」
 野中は4月から大学院の研究室に席を置くことになった新人である。田所は了解したと合図を兵藤にすると、ドアを開けて研究室を出た。駐車場に止めた愛車に乗り込む。エンジンを駆けながら思う。
「この期に及んでも水泳を欠かさず続けている。このまま、続けられるまで続けるのか」
 田所は黒部川のプール場で1時間は泳ぐ。小さい頃から泳ぎが得意という訳ではなかった。別に人より速く泳げた訳では決してなかった。それでも、泳ぎたかった。山、川に囲まれたこの自然のプールは、泳いでいて最高に気持ち良かった。自ら顔を出して水面に寝そべると、プカプカしたこの空間で空を眺める。昼は何処までも青い空が広がり、そこへ白い雲が漂う。その雲の流れをじっと目で追う。
 この泳ぐこと以外は、昔から空を眺めていた。泳いでさっぱりしてから空を眺めるのが日課だった。夜、白い雲が漂う青空は一変し、宝石のように光る星が浮かぶ、漆黒の空を見詰める。ぷかぷか漂いながら、その星々を一つずつ数えていく。途中で直ぐに分からなくなる。その星が動物を形作っていると言うことを星座の本で知った。それからはその星を数えることができるようになった。数えられないあの星は何か、と考える、父親に頼んで天体望遠鏡を買って貰った。倍率は決して高いものではなかったが、好きな星を肉眼より大きく見られることは幸せだった。彼がM78星群を発見する切掛けになったのは、このプール通いのお陰もある。田所は水面上に浮かびながら太陽の光を浴びる。近所の小学生が5人ほど泳ぎに来て、ビーチボールを使って遊んでいる。泳ぐにはあまりにも無秩序なプールである。それでも2コースだけ、水泳をしたい利用者向けに水泳専用コースを作ってある。泳ぎ疲れたらこうして自由に浮かんでいるのもいいものである。
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