上 下
16 / 18

16 予想もしない訪問者

しおりを挟む
 トランクの中にひとまとめになった荷物を見下ろして、ロードリックは満足の溜息をついた。

「……よし。こんなところか」

 見舞いの品は隣近所や看護婦たちに配ったし、まだ夜と朝に使うであろう日用品を残して準備完了だ。これで明日は朝一で退院することができるだろう。
 それにしても相変わらず本を読むくらいしかやることがない。こうした暮らしも慣れてみれば悪いものではなかったが、やはり早く帰りたいと思う。
 すっかり馴染んだあの場所へ。アクの強い連中の世話を焼くのも案外楽しかったからこそ、ここまでやってこれたのだから。

 体が元気だとベッドに戻る気にはなれず、ソファにでも座ろうかと考えた時のことだった。

 ドアがノックの音を響かせる。退院を明日に控えたこの時に誰だろうかと訝りながらも返事をすると、入ってきたのは本当に予想外の二人だった。

「久しぶり、ロードリック。お加減はいかがかな」

「お邪魔します。お久しぶりです、ロードリックさん」

 王立騎士団長とその婚約者がやってくるとは考えもしなかったので、ロードリックはすっかり驚いてしまった。
 カーティスは濃紺のジャケット姿、婚約者のネージュは水色の襟付きワンピースを着ている。謀反の後処理を終えて以来の再会だが、ネージュの方はますます綺麗になったようだ。

 彼女のことを、憎からず思っていた時期があった。

 この二人がお互いを想い合っているのは明白だったから、心の中で打ち消すしかなかった淡い想い。少しの痛みを伴っていたはずの思い出は、いつしか反芻することも無くなっていた。
 それが誰のおかげなのかは、考えるまでもない。

「……ああ。久しぶりだな、二人とも」

 ロードリックは小さく微笑んだのだが、二人の方は何故か目を丸くして静止している。
 どうしたのだろうかと思っていると、まずはネージュが驚嘆の声を上げた。

「髪が短くなってる!? い、いったいどうされたんですか!?」

 ここ最近ですっかり見慣れた反応だ。ロードリックは溜息をつくと、病院だから静かにしてほしいと小言を言った。ネージュは慌てたように謝ったが、今もなお驚き冷めやらぬと言った様子だ。
 カーティスも同じようにしげしげとこちらを眺めていて、珍しくも気の抜けた顔が見られたのはちょっと爽快だった。

「本当に驚いたよ。またどうして」

「入院生活に邪魔だったから切った。それだけだ」

 足を止めたままの二人に入るように声をかけると、それもそうだといった調子でようやく歩き出す。簡易的な応接ソファに腰掛けてもらい、ロードリックもまたその対面に腰を据えた。

「こうして見ると似合ってるな。今の方が爽やかで良いと思うよ」

「私も素敵だと思います! あ、でも、綺麗な髪だからちょっと勿体無い気も……」

 ネージュが褒める言葉を口にしたところで、場の空気が一段冷えた。見ればカーティスの笑みに黒いものがまとわりついている。
 めんどくさい。非常にめんどくさい。
 それでもなおまったく気付いていない様子のネージュが明るい笑顔を振りまくので、ロードリックはすぐさま話題を変えることにした。

「ところで、私がここにいると良くわかったな」

「ああそれは、リシャールさんに聞いたんです」

 彼女らが友人同士になったことはリシャールから聞いて知っていたが、どうやら本当に電話でのやりとりを重ねていたらしい。
 しかもカーティスは女王陛下より直々のお言葉まで承っていた。領主の仕事を依頼したせいでこんなことになって申し訳ない、よく休むようにとのこと。
 まったく色々な人物がよく気遣いをしてくれるものだが、まさか女王にまで心配されてしまうとは思わなかった。

 そしてこの二人も遠路はるばる来てくれるとは、結婚式の準備で忙しいだろうにありがたい話だ。と言ってもデートのついでなのかもしれないけれど。

「遠いところを来てもらい感謝する。もてなせずに済まないな」

 手土産の気遣いまで受け取ってしまったのに、ティーセットも返したばかりなのでお茶すら淹れられない。借りてくるべきかと思案していると、カーティスが面白そうに言った。

「こちらこそ急に押しかけて悪かったね。マクシミリアンに連絡したんだけど、どうせ暇しているからいきなり行って驚かせてやれって言うんだよ」

 ——マクシミリアン様、貴方はいったい何を!

 ロードリックは頭を抱えたくなったが、そういえば我が君はそういう人だったと思い直した。しかも悪戯を画策する程度には、旧知の二人はその仲を取り戻しているらしい。

「それにしても胃潰瘍とは。苦労をかけてしまったね」

「アドラス候、別に貴殿のせいではない。むしろ……」

 そう、この二人には随分と助けられたような気がする。
 成り行きで共闘した時だけではない。あの謀反の最中、いつも被害なく事が済んでいたのは何故か。
 それを考えると、ロードリックはいつも同じ答えに突き当たる。

「貴殿らが守ってくれたのではないのか。マクシミリアン様を」

 ネージュは言った。「誰も死なせたくない」のだと。
 当時はこの国の大事な戦力で同じ国民だからというような理由かと思っていたのだが、違う。その中にはマクシミリアンも含まれていて、彼らはそのために動いていたように見えるのだ。

「何を言っているのかな。君こそがずっとマクシミリアンを支えてくれたんだろう」

 カーティスはいつもの笑みを浮かべている。そう簡単に事実を教えるわけはないと思っていたので、ロードリックも不敵に笑った。

「はぐらかす気か?」

「本当のことを言っているだけだよ。私はもう、マクシミリアンとは何年も会話をしていなかった。君がいなかったら彼の計画はもっと前に破綻して、孤独に死んでいったかもしれない」

 そうだろうか、とロードリックは思案する。
 マクシミリアンは神から愛されし才能の持ち主だ。ロードリックは確かに仇を倒すための力添えをしたが、自身がいなくてもある程度は目的を達成したような気がする。

「たらればはない。だが……結果としては良かったと、そう思っている」

 微笑んで頷いて見せると、カーティスも静かに笑った。その隣でネージュがあからさまな安堵を顔に出していたことは、見なかったふりをしておくことにする。

「今日のロードリックは素直だね。眉間の皺も取れた気がするよ」

 せっかく人が追及するのをやめてやったのに、カーティスは綺麗な笑みで犬の尾を踏むような事を言う。ロードリックは額に青筋を浮かべたのだが、確かにと相槌を打ったネージュに毒気を抜かれてしまった。

「思っていたよりも随分お元気そうですし、お顔が穏やかになったような。病み上がりの方にこんな事を言うのもおかしいですが、何か良いことがありましたか?」

 図星としか言いようのない指摘に目を白黒させる。そんなに今の自分は浮かれて見えるのだろうか。

「……いや、特に何も」

 一応は嘘をついておいたが、どうにも口角が上がっていたらしい。あっさりと納得してくれたネージュの隣で、カーティスが察したような笑みを見せたのを、ロードリックは見逃さなかった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

外では氷の騎士なんて呼ばれてる旦那様に今日も溺愛されてます

刻芦葉
恋愛
王国に仕える近衛騎士ユリウスは一切笑顔を見せないことから氷の騎士と呼ばれていた。ただそんな氷の騎士様だけど私の前だけは優しい笑顔を見せてくれる。今日も私は不器用だけど格好いい旦那様に溺愛されています。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

二度目の召喚なんて、聞いてません!

みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。 その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。 それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」 ❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。 ❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。 ❋他視点の話があります。

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」  行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。  相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。  でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!  それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。  え、「何もしなくていい」?!  じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!    こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?  どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。  二人が歩み寄る日は、来るのか。  得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?  意外とお似合いなのかもしれません。笑

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...