【完結】働きすぎ騎士団長は逃亡令嬢を救って甘やかしたい

水仙あきら

文字の大きさ
上 下
7 / 18

7 春は舞う

しおりを挟む
 入院生活は静かに過ぎた。

 最初の頃に感じていた焦燥感もなくなり、気付いた時にはほとんど痛みも感じなくなっていた。日に一、二組の来客と世間話をし、本や新聞を好きなだけ読み、供された食事をゆっくりと味わうだけの日々。
 そんな中、ジゼルとは見舞いに来てくれた時以来顔を合わせることはなかった。その事実が妙に気にかかっていることを、ロードリックはまだ自覚していない。

 この病院の中庭は、二つの病棟に囲まれる様にしてひっそりと存在する。
 南向きの環境故に温かく、芝生が敷き詰められた庭の片隅では桃の花が満開を迎えていて、華やかな香りを漂わせている。
 ロードリックは外で本でも読もうかと出かけてきたところだった。今くらいしかこんなにゆったりとした時間は取れないのだから、せっかくなら楽しまなければと思える様になったあたり、かなりの成長だと言えるのかもしれない。
 そうして座るところを探して視線を巡らせたところ、目を止めたベンチの上に腰掛けるほっそりとした人物と目を合わせることになった。

「チェンバーズさん……」

「ジゼル嬢か」

 最初に髪を切ってもらったベンチに座っていたのは、他ならぬジゼルだった。
 今日は小花柄のワンピースを身に纏っており、春の日差しと相まって温かみのある装いだ。ジゼルは膝の上にキジトラの猫を乗せていて、立ち上がって挨拶ができない非礼を詫びた。

「いや、構わない。……その猫は?」

「ここに住み着いているみたいですね。私、よくここで休憩してから帰るので、懐いてしまって」

 ロードリックは実のところ動物が好きだ。その事実を知った者は意外だと驚き、冗談であることを疑ってかかるのだが、子供の頃から変わらず好きなのだ。
 だがしかし、だいたい驚かれるので素直に口には出しずらい。触りたいのを誤魔化すために腕を組むと、ジゼルは何の裏表もない笑みを浮かべたようだった。

「可愛いでしょう? 触ってみませんか」

「いいのか?」

 いかん、ちょっとあからさま過ぎる笑顔を見せてしまった。
 ロードリックは表情を引き締めるべく再び口を閉じたが、ジゼルは特に指摘することもなくにこにこと微笑んでいる。断りを入れて隣に腰掛けても、細い膝の上に鎮座したドラ猫は落ち着き払っていた。
 恐る恐る頭を撫でてみる。ふわふわとした毛の感触と、お前には興味がないと言わんばかりの佇まい。これこそが猫だ。

「……うむ。癒されるな」

「ふふ、そうですよね。私も癒されるので、ついここに寄りたくなってしまうんです」

 軽やかな声が春の風に乗って溶けていく。桃の花に混じって春特有のまどろむような香りが周囲を包んで、緑の擦れ合う音が耳をくすぐる。
 ロードリックは雲の浮かぶ青空を見上げて目を細めた。柔らかな日差しを浴びて、知らずのうちに凝り固まっていた体が綻んでいくかの様だった。
 未だかつてこんなにも穏やかな時を過ごしたことがあっただろうか。そんなことを思うほどに、温かい時間だ。

「春ですね……」

「そうだな……」

 ジゼルが猫の両脇に手を入れてロードリックの膝の上に乗せると、やはりこの毛玉は大物だったのか、なんの戸惑いも見せずに丸くなった。どっしりとした重みに知らずのうちに苦笑が漏れる。
 ジゼルはこのドラ猫にオズワルドと名付けていて、由来を聞くと楽しそうに笑った。

「亡国騎士物語の主人公です。猫とは全然関係がないのですけど、すごく大好きな物語でしたので」

 亡国騎士物語とは、今から200年ほど前に書かれた古典文芸の傑作だ。戦により仕える国を失った主人公の騎士オズワルドが、かつての国王の息子である王子と力を合わせて国を取り戻すという筋書きの英雄譚。
 しかしジゼルからすれば、見所はそこではなかったらしい。

「国を取り戻す過程で、オズワルドは囚われていた王女様を救うでしょう? そのシーンが本当に素敵で」

 なるほど、それはとても女性らしい視点の様に思われた。
 ロードリックは教養として目を通しただけなのでよく覚えていないが、オズワルドはその王女と結婚するのだったか。

「子供の頃は本当に憧れました。こんな風に救い出してくれるなら、たとえ相手がおばけでもついていくのにって」

 この時、ジゼルの瞳が透き通るように遠くを見つめていたので、ロードリックは今更ある事実に気付いて愕然とした。
 彼女のことを何も知らない。こんなにも得難い時間をもらっているのに、何を返せば喜ぶのかさえわからない。何歳なのか、どこに住んでいるのか、家族はいるのか。踏み込んだことを聞く術を、ロードリックは何一つとして持っていないのだ。

 子供の頃の憧れをどこか切なそうに語るジゼル。彼女はもしかすると、何か大きなものを抱えているのかもしれない。

「あ……も、申し訳ありません、私ったら。変なことを申しましたわ。どうか、忘れて下さい」

 返す言葉を持たない口下手なロードリックのせいで、ジゼルは誤魔化すような笑みを浮かべた。
 己は仕事しか脳のない木偶の坊だ。恩人が悲しそうにしているのに、話を聞いてやることすらできないだなんて。

 それは後悔に拳を握りしめた時のことだった。

 今までとは違う強い風が吹いて、ひゅうと大きな音が鳴る。整えられた芝生に風の波が広がったのを見て、ロードリックは反射的に目を閉じた。
 すぐに風はおさまったようだ。睫毛に埃の重みを感じながらも再び目を開けると、そこには美しい景色が広がっていた。
 薄紅色の桃の花びらが舞って、静かな空間を夢のように彩っている。春の女神の気まぐれとしても奇跡的な光景に、隣のジゼルが歓声を上げた。

「まあ、なんて綺麗……! ほら、見て下さいチェンバーズさん!」

 はしゃいだ様に言ってこちらを振り向いた彼女の黒髪に、薄紅色の花びらが一枚乗っていたので。
 ロードリックは吸い寄せられる様にして手を伸ばし、ふわふわとした花弁を掬い上げた。頭を花びらで飾ったジゼルは華やいで可愛らしかったから、少し惜しいなと思いながら。

「そうだな、綺麗だ。……ジゼル嬢?」

 気付いた時には、ジゼルは顔を真っ赤にして固まっていた。
 予想外の反応にロードリックも花びらを掴んだ姿勢のまま動きを止めた。
 なぜ。なにが。私は気に触る様なことをしてしまったのか。途端に困惑と後悔が湧き上がってきて、指先が冷えてゆく。

「あ……あ、あの、取ってくださってありがとうございます! わ、私、その、もう帰らないと!」

 ジゼルはあたふたと視線を彷徨わせた末に掠れて上擦った声で言った。傍に置いていたトートバックを引っ掴み、怒涛の勢いで立ち上がる。

「で、では、どうかお大事に! 失礼しますっ!」

 こうして、ジゼルは脱兎の如く走り去って行った。
 一人残されたロードリックは額に手を当てて、目まぐるしく働く思考回路に没入した。この状況は、もしかして。

 ——三十も過ぎたおっさんが、若い女性に無遠慮に触って引かれた……?

 ロードリックは青ざめた顔を猫の背に埋めた。オズワルドという大層な名前をもらった勇者が一匹、場違いなほどに呑気な鳴き声を上げた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

捨てた騎士と拾った魔術師

吉野屋
恋愛
 貴族の庶子であるミリアムは、前世持ちである。冷遇されていたが政略でおっさん貴族の後妻落ちになる事を懸念して逃げ出した。実家では隠していたが、魔力にギフトと生活能力はあるので、王都に行き暮らす。優しくて美しい夫も出来て幸せな生活をしていたが、夫の兄の死で伯爵家を継いだ夫に捨てられてしまう。その後、王都に来る前に出会った男(その時は鳥だった)に再会して国を左右する陰謀に巻き込まれていく。

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 「番外編 相変わらずな日常」 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

純白の牢獄

ゆる
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

処理中です...