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完結編

乙女心はわからない

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 なんだろう。今日はキーラの元気がないように見える。
 気のせいなのだろうか。そもそも彼女は元気一杯って性格ではないし、俺は自慢じゃないが女心の機微に疎い方なんだよな。
 部屋をどこにするか聞くなんて、浮かれていたとはいえ流石に調子に乗り過ぎたのかもしれない。反省だ。

「それでは、今日はありがとうございました」

 馬車でメルクリオ侯爵家のタウンハウスまで送り届けたところで、キーラは美しい所作でお辞儀をした。
 帰したくないな、と思う。もっと長い時間を共に過ごしたい。
 けどそれは俺の手前勝手な願いごとだ。押し付けるようなことはできないよな。

「キーラ、これを」

 俺は馬車から一冊の本を取り出して彼女に手渡した。細い手が分厚い本を受け取って、エメラルドの瞳が表紙を認めるなり見開かれる。

「これは……! マルティニーノ博士の『我が国の文化と民族の関係』ではないですか! こんなに貴重なものをどちらで?」

 キーラは驚きも冷めやらぬという顔で、俺の顔と本の表紙に視線を往復させている。
 うーん可愛い。ここまではしゃいでいるところは初めて見るけど、年相応に見えるなあ。

「母校の教授なんで良くして下さっているんだ。もしかするとキーラが好きなんじゃないかと思って、譲ってもらってきた」

 服飾品を受け取ってもらえないなら別のものはないかと思い、仕事ついでに民族学者のマルティニーノ先生の研究室を訪ねてみたのだ。
 学生時代、俺は先生の授業が好きだった。理系の苦学生だった俺のことを可愛がってくれて、時に飯を奢ってくれたりと本当に世話になってさ。民族と農業には深い関わりがあるから、先生とは話をしているだけで本当に面白かった。
 久しぶりに会った先生は相変わらずの気さくさで、芸術や文化が好きな人に何か良い本はないかと言ったらこれを勧めてくれたのだ。

「マルティニーノ博士とお知り合いなのですか……!?」
「分野は違うけど、俺は勝手に恩師だと思ってる」
「まあ、凄い! なんて素敵なのかしら」

 うら若き女性にこんな分厚い学術書だなんてさすがにどうかと思ったが、この反応を見るにどうやら正解だったらしい。ああ、畑違いの分野でも学んでいて良かった。
 弾けるような笑みを浮かべる彼女を見るのは初めてで、俺はいい歳をして少年のように鼓動を早めてしまう。
 ほんと、なんでこんなに可愛いんだろうな。その笑顔をもたらしたのがマルティニーノ先生だと思うと若干妬けるけど。

「凄く欲しかった本なんです……普通の本屋では売っていなくて。アメデオ、ありがとうございます。本当に嬉しいわ」

 キーラは花のような笑みを浮かべて、両手で本を抱きしめている。
 その姿のあまりの可愛らしさに俺は倒れそうなほどに舞い上がってしまって、俺たちの様子をじっと見つめる人物がいたことに気付くことができなかった。

 *

 俺の職場であるロンターニ農業研究所は、街中から離れた郊外にある。
 ロンターニってのはこの土地の地名だ。広大な畑を隣接させるには土地が余っているところに作るしかなくて、荒れ果てた広野を少しずつ開墾するのは大変だったけど、完成してしまえば科学者たちの快適な根城だ。
 優秀だが大学に残ることができなかった偏屈な奴らをスカウトしていったら、それからは更に研究が捗るようになった。おかげさまで変人の巣窟にはなってしまったが、面白い連中なので俺はこの職場をとても気に入っている。

「それで、この研究所の名前をキーラ農業研究所に変えようかと思うんだけどさ。どう思う?」

 昼時。みんなが好き勝手な時間に昼食を取るせいで閑散とした食堂にて、俺は古参の部下であるジャコモに大真面目に語りかけているところだった。
 ちなみに今日のメニューはラザニアとサラダだ。雇い入れたおばちゃんがたまたま料理上手だったんで、うちの食堂は中々に評判がいい。

「はあ、所長の好きにしたらいいんじゃないすか」

 ジャコモがぼさぼさの栗毛を揺らしながら首をかしげる。心底どうでも良さそうな態度だが、俺にとっては賛同を得たという事実の方が大事だ。

「そうか、じゃあさっそく」
「今までの話を聞いてると、うざがられないと良いですけどね」
「うざ……!?」

 あんまりな言い草に俺は絶句した。
 うざい? えっ俺、うざいの?

「いやだって、話を聞いてると所長の婚約者さん、若干引き気味じゃないすか。ペットの名前くらいなら百歩譲ってわかりますけど、研究所の名前が変わってたら流石にドン引きじゃないですかね」
「ドン引き……!?」

 それは困る。最初の頃は常に引かれていた俺だが、最近は普通に話せる幸せにすっかり馴染んでしまったのだ。今になってドン引きされたら流石にダメージを食らうぞ。

「……やめとくわ」
「はあ、まあ所長がそれで良いならいいんじゃないすか」

 ジャコモは大口を開けてラザニアを口に放り込む。口の端に付いたトマトソースを拭う仕草は適当で、いかにもめんどくさそうだ。

「まあ、そうすね……名前をつけるにしても、花とかの方が喜ばれるんじゃ?」
「花?」
「よくあるでしょ、自分が開発した品種に奥さんとか子供の名前つけるやつ。そっちで考えてみたらどうです」

 じゃあお先です、と一言残してジャコモが席を立つ。
 上司が食べ終わってなくてもさっさと立ち去るジャコモの自由人ぶりはいつものことなので放っておくとして、俺は貰ったアドバイスに気を取られていた。
 あいつ、けっこういい事言うな。
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