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第一章 その結婚、皇帝陛下の勅命につき
26 とある男の到着
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男は華やかな喧騒を目の当たりにし、思わず顔をしかめていた。
ヴェーグラントの首都ブリストルといえば、大陸で最も栄えた都として名高い憧れの街である。日が沈んで間もない今の時間でもその活気が失われることはなく、店や街灯からもたらされる明かりによって闇は居場所をなくしている。
民は自身の故郷とは比べるべくもないほど皆晴れやかな表情をしており、人いきれで気温すら上がるようだった。
——賢君の元で暮らすのはさぞかし易かろう。全く羨ましいことだ。
他人事のようにそんなことを思う。この街の全てが男にとってはどうでもいいことだった。たった今到着したばかりだというのに宿や食事にすら目を向けず、手元の地図を一瞥してからポケットに突っ込む。
メイン通りを抜け、住宅街を過ぎ去り、地元客で賑わう路地裏の酒場の前を素通りする。徐々に街灯が減り道が薄暗くなってくるが、男は全くひるむことなく歩き続けた。そしてついに目的の地区へと到着する。
そこは娼館や賭博場、劇場などが軒を連ねる歓楽街であった。普通ならすえた臭いがするであろうこの場所も、ブリストルにおいてはそれなりの清潔感を保っている様だ。蹲る浮浪者はいないし、道を行く男たちが麻薬に侵されている様子もない。それでも客引きの女は煩わしいほど寄ってくるので適当にいなしつつ、男は油断なく周囲の様子を観察した。
ここまで来たら後は自力で目的の場所を探すしかない。この区画にあるということとその建物の目印しか教えられていないのだ。これは情報を知る者を極力減らす為と、敵の手に落ちた時に書類を奪われても問題ないようにする為の方策だった。
水色の壁をした娼館で、緑の字で書かれた看板と、帽子を被った案内人が立っており、窓からはシャンデリアが見える。それらの情報を反芻しつつ歩き回ると、程なくしてそれは見つかった。男は迷わずその店まで歩み寄り案内人に声をかけた。
「なあ、この店に嫉妬深い女は居るか」
「腹黒いのなら居るぜ」
「美人じゃなくてもいい」
「悪趣味だな」
案内人は合言葉を一言一句違えることなく諳んじて見せた。片眉を上げるというサインまで一切違えることはないその様子に、男はこの街に来て初めて口角を上げる。
「アンディゴだな。入れ」
仕事用の名前を知っているということは、どうやらこの案内人のことは信用しても良さそうだった。彼が玄関ではなく裏口へと着いてくるよう顎をしゃくるので、男——アンディゴは、これから成す予定の物騒な仕事の内容について考えつつ、その後を追って歩き始めた。
ヴェーグラントの首都ブリストルといえば、大陸で最も栄えた都として名高い憧れの街である。日が沈んで間もない今の時間でもその活気が失われることはなく、店や街灯からもたらされる明かりによって闇は居場所をなくしている。
民は自身の故郷とは比べるべくもないほど皆晴れやかな表情をしており、人いきれで気温すら上がるようだった。
——賢君の元で暮らすのはさぞかし易かろう。全く羨ましいことだ。
他人事のようにそんなことを思う。この街の全てが男にとってはどうでもいいことだった。たった今到着したばかりだというのに宿や食事にすら目を向けず、手元の地図を一瞥してからポケットに突っ込む。
メイン通りを抜け、住宅街を過ぎ去り、地元客で賑わう路地裏の酒場の前を素通りする。徐々に街灯が減り道が薄暗くなってくるが、男は全くひるむことなく歩き続けた。そしてついに目的の地区へと到着する。
そこは娼館や賭博場、劇場などが軒を連ねる歓楽街であった。普通ならすえた臭いがするであろうこの場所も、ブリストルにおいてはそれなりの清潔感を保っている様だ。蹲る浮浪者はいないし、道を行く男たちが麻薬に侵されている様子もない。それでも客引きの女は煩わしいほど寄ってくるので適当にいなしつつ、男は油断なく周囲の様子を観察した。
ここまで来たら後は自力で目的の場所を探すしかない。この区画にあるということとその建物の目印しか教えられていないのだ。これは情報を知る者を極力減らす為と、敵の手に落ちた時に書類を奪われても問題ないようにする為の方策だった。
水色の壁をした娼館で、緑の字で書かれた看板と、帽子を被った案内人が立っており、窓からはシャンデリアが見える。それらの情報を反芻しつつ歩き回ると、程なくしてそれは見つかった。男は迷わずその店まで歩み寄り案内人に声をかけた。
「なあ、この店に嫉妬深い女は居るか」
「腹黒いのなら居るぜ」
「美人じゃなくてもいい」
「悪趣味だな」
案内人は合言葉を一言一句違えることなく諳んじて見せた。片眉を上げるというサインまで一切違えることはないその様子に、男はこの街に来て初めて口角を上げる。
「アンディゴだな。入れ」
仕事用の名前を知っているということは、どうやらこの案内人のことは信用しても良さそうだった。彼が玄関ではなく裏口へと着いてくるよう顎をしゃくるので、男——アンディゴは、これから成す予定の物騒な仕事の内容について考えつつ、その後を追って歩き始めた。
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